呪術恋愛戦線 ―山奥ド田舎の陰キャ呪術師の俺が、都会から来た陰陽師美少女に狙われる異能バトルラブコメ―

杉林重工

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あらしが来る

禁じられた呪術

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 びしゃり、と板張りの床に鮮やかな蛍光緑の液体がぶちまけられる。合儀肺助は、それが自分の口から飛び出た液体だとは到底信じられなかった。

 呼吸をするたび、鼻腔の中に残った別種の、蛍光紫の液体が震えるのを感じる。

「くそ、まるでこれじゃあ、スプラトゥーンのイカじゃねえか……」

 次いで、この体内から湧き出る気色の悪い液体は、嗅いだことも無い獣臭さを持つ。それに咽ると、唾液に交じって今度は、真っ赤な液体が……

「……これはさすがに血か?」

 荒い呼吸のまま、肺助は手のひらについた赤い斑点をそう判断した。味はわからない。舌はずっと乾き捻じれたように痺れ切っているからだ。

「いや、それは多分今朝食べたストロベリーパイじゃないか?」

 合儀肝悟朗はその様子を見て、ぼそりと感想を述べた。

「そんなわけ……でも腹の中もう滅茶苦茶だしそれもありか」

 肺助は相手の指摘に冷静に返しつつ、

「……いや、なんでいんの、父さん」

 と、肺助は慌てて返した。

「一応、そろそろ息子が死ぬらしいから見に来た」

 ここは、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランド第四地下牢。阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランド内で真面目に展示物を見学しなかった人間が収監される特別な施設である。

 当然、(見学の最中膝が千切れるような激痛に見舞われて転び、盛大に吐瀉した)合儀肺助は閉じ込められており、その様子を眺めることができる柵の向こう側から、合儀肝悟朗は言葉を投げる。

「だが、思ったより元気そうだな。四日も経つのに」

 吐瀉物に塗れた床、謎の液体でぐちゃぐちゃになった顔面の息子を見て肝悟朗はそう観想した。

「……健康には気を使っているので。でも、眠れないのはさすがにつらいな」

 肺助は半ば呆れながら言った。もう半分は、色々と考える気力すらないので存在しない。あと、睡眠不足が脳を侵略していた。激痛と嘔吐感で眠ることすら許されないのだ。それでも体が持っているのは、ひとえに持禁の効果だろうか。

「お見舞いじゃないなら、もう死ぬっぽいしお供え物とかが欲しいな。果物とかはどう?」

「考えておく。メロンでいいか」

 冗談で肺助は言ったつもりだったが、あまりにもドライな反応が返ってきたので辟易する。

「……それでいい」

「忙しいが、用意しよう」

「忙しい?」

「そうだ。土地の譲渡は順調に進んでいる。あいつが頼りにしている社労士と書類のチェック中だ。昨日は改めて、合儀の会館に通う人へ挨拶に行った」

「今日はいいのか?」

「今日は天森様が呪術のご依頼を受けている。その間にお前が不審な動きをしないか、監視しに来た」

 ――天森様。

(正直、六年もあってないし、今更父親みたいな感じも薄れてはいるけど、気にはなるな……)

「随分とあの阿賀谷戸天森……さんと仲がいいみたいだけどどういう状態なの?」

「お前の母親に九禁を受けたおれは、もはや呪術師としても父としても男としても、すべてを失って放浪していた」

 何かを懐かしむように、肝悟朗は冷たい天井を見上げた。

「だが、そんなおれを、阿賀谷戸様は見つけ出し、やさしくそのままホ……」

「あ、もういいです。実の父親のそういう話はちょっと聞きたくない」

「そうか? ならもっと早くちゃんと紹介すればよかっ……」

「勘弁してくれこっちは死にかけなんだよ」

 勘弁してくれこっちは死にかけなんだよ、と肺助は思ったのでそう言った。

「それなら仕方ないな。ちなみに、言っておくが、阿賀谷戸様におれがついているのは、少し恩があるのと、利用価値があるからだ。事実上、おれの方が強い……否、おれより強い呪術師などいないということを忘れるなよ」

「ん? 確か、父さんは母さんに呪術も禁じられてなかったっけ?」

 肺助はおぼろげな九禁の内容を思い出していた。

「そうだ。だが、こうして阿賀谷戸様に住む場所も与えられ、おれは改めて人生を振り返った。そうして、至ったのだ」

「……何に?」

「呪禁とは、あくまでも心身の健康法。禁歌はその派生。そしておれは禁じられようと、やはり呪術師としての生き方を捨てることはできなかった、否、呪われているのだろう。だから、基本に立ち返り、呪術とは別の角度、すなわち現代的健康法を徹底的に取り込み、体を鍛えたのだ」

 そういって、合儀肝悟朗は勢いよく立ち上がり、スーツを脱ぎ捨てた。肺助すら、思わず息を飲む。以前から思っていたが、合儀肝悟朗は合儀家を去ったあのときと比較して、随分と体が大きく見えたが、それが勘違いでないことを理解した。

 そう、スーツの下から俄かに感じられたあの膨大な力の正体とは、シンプルに筋肉だったのだ。肝悟朗がポーズを取れば、ワイシャツが一瞬で弾け飛ぶ。

 そして現れるは、筋骨隆々を通り越し、暴れ捩じれる龍の様相にすら見えるほど盛り上がった、合儀肝悟朗のボディビルダー顔負けの肉体であった。

「なんだその肉体は!」肺助は喉奥から血を散らして叫んだ。対して、合儀肝悟朗は筋肉でもってその問いに答えた!

「それは、即ちプロテイン!」

 フロントダブルバイセップス!

「それは、即ちスクワット!」

 フロントラットスプレッド!

「それは、即ちステロイド!」

 サイドチェスト!

「それは、即ち毎日肉食!」

 モストマスキュラー!

「現代的筋トレと健康法、それこそが、スーツに収まりきらぬおれの肉体、真の呪禁師の姿なのだ!」

「背中が曼荼羅ッ!! 大日如来!」
「僧帽筋が仕上がってるよ! でっかくそびえる高野山!」
「大円筋、その盛り上がりは龍脈か!」

 肺助は自然とそう叫んだ。阿賀谷戸家の呪術、毒に体を侵されようと、それをこの時ばかりはすっかり忘れていた。しかし、それも実の父親がボディビルダー並みの筋肉を手に入れ、ポージングを始めたのだから仕方のないこと!

「ここまで体を鍛え上げれば、たとえ足を禁じられようと、抵抗を禁じられようと屈することはない!」

 合儀肺助はすべてを理解した。自分だけこの阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドで苦しんでいるのは、単にターゲットとされているからではない。術者である阿賀谷戸天森は当然のこと、だが、合儀肝悟朗がこうしてピンピンしているのは、単に滅茶苦茶体を鍛えたからなのだろう。

「故に、これは呪禁から派生した禁歌でもない新しい呪術、〈キンニク〉とおれは名付けることとした!」

 合儀肝悟朗は再び息子へ背中を向ける。すると、その背筋に刻まれた皺が、隆起が、にわかに『禁』『肉』の文字を形作った。

「肉を禁じてるのか禁じてないのかどっちなんだい」

「これでわかっただろう。おれは、阿賀谷戸天森のちょっとした案と、策略に乗じて椎子に奪われたもの、そのすべてを取り返す。今のおれにはその実力と覚悟がある。故に、お前が息子だからと言って、或いはあいつがいないからと言って、脱出できるとは思わないことだな」

 握った拳はみしみしと音を立てるよう。肺助はぞっとした。確かに、今の合儀肝悟朗にはいかなる禁歌も呪いも通用しないだろう。そして、そこまでの肉体を手に入れた、彼の執着も理解した。

「……そうか。なら、仕方ないか」

「仕方ない? やっぱり懐柔しようとしていたな、このおれを」

 ふん、と肝悟朗は鼻で笑った。

「そうじゃない。ただ、もうあの家に、父さんの私物は一つも残っていない。いや、カラス避けのCDはベランダにつるしっぱなしだけど」

「それも過ぎたこと」

「だけど、この前のことで思い出したんだ。そうじゃないって」

「……どういうことだ?」肝悟朗は眉を顰めた。

「前に家を掃除した時に見つかった、アコースティックギターだよ。あれ、父さんのものだろう」

「あれが、まだあの家に残っているのか? まさか、ケースにハートのシールが貼ってある……」

 肺助は力なく頷いた。すると、いよいよ肝悟朗の体が震えだした。

「あれは、おれが椎子にプロポーズするために購入したスペシャルなギターのはずだ。そんな、あれをまだ、椎子は大事に……」

 もうあまり、喋る気力もなかったが、それでも掠れた視界の中に、あの荘厳な筋肉事しょげ切った父の姿を見て、肺助は言う。

「効果の弱い呪いとはいえ、九禁は早々に切れるもんじゃない。今回父さんがうちの土地に戻って来れたのは、母さんだって本当は、父さんに帰ってきてほしかったからできたことなんじゃないかって、おれは思ってる」

「……ふん、バカバカしい。そんなもので、このおれが変わるとでも?」

 しばし間を置いた後合儀肝悟朗はそう吐き捨てた。

「別に、思い出したから伝えただけだ。もういい。見ての通りもう死にそうだから早くメロンでも買ってきてくれ」

 そういって、肺助はもうすっかり黄色く変色した両手をしばし見た後、ゆっくりと吐瀉物だらけの床に身を伏した。

 そんな様子の息子をしばし見つめていた肝悟朗だったが、やがて脱ぎ捨てたスーツを拾い上げ、内ポケットに手を突っ込んだ。 

「……これを持っていろ」

 そういって、一枚に紙切れを肝悟朗は息子に差し出した。

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