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あらしが来る
ドキドキ! 清楚系vs渋谷ギャルに挟まれて ~阿賀谷戸姉妹のヒミツの関係~
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「……ふん、バカバカしい。そんなもので、このおれが変わるとでも?」
肺助からギターの話を聞き、しばし間を置いたものの、首を振って合儀肝悟朗はそう吐き捨てた。
「別に、思い出したから伝えただけだ。もういい。見ての通りもう死にそうだから早くメロンでも買ってきてくれ」
そういって、肺助はもうすっかり黄色く変色した両手をしばし見た後、ゆっくりと吐瀉物だらけの床に身を伏した。そんな様子の息子をしばし見つめていた肝悟朗だったが、やがて脱ぎ捨てたスーツを拾い上げ、内ポケットに手を突っ込んだ。
「……これを持っていろ」
そういって、一枚に紙切れを肝悟朗は息子に差し出した。
(何かの呪符か? やはり、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの呪いは呪符で回避できる、そういうことか?)
肺助はそれを、震える指先で摘まみ上げた。
「この施設のWi-Fiのパスワードだ」
「ドクターストレンジの予告編かよ」
肺助は手渡された紙をポケットに捩じ込みながら吼えた。
「スマホ持ってきてないけどな……」
途中で言葉が細くなる。肝悟朗の表情も、そこで初めてわずかに揺れた。
「……本当に、もう長くないのか」
「見て分かるだろ。てか、いまのやり取りだけで酸素めっちゃ使った……」
軽口を叩いているようで、その呼吸は弱い。肺が潰れていくような音が、喉の奥で鳴る。それなのに、心臓ばかりは膨らみ、破裂しそうなほど鼓動を続ける。それなのに、どうしてこうも指先に血の気がないのか。
肝悟朗は息子に一歩近づいた。
「なら――言っておくことがある。阿賀谷戸家の話だ」
「父さんの長話はもういい。それに、阿賀谷戸の歴史ならもう『死ぬほど』勉強させられた」
「言わせろ。今伝えなければ、二度と話す機会がない」
その言い方だけで、肺助は目を伏せた。死を自覚しているのと、人にもう死ぬと突き付けられるのは違う。
(おれはもう、死ぬのか)
短く震える息。あるところは激しく、あるところはどんどん弱まっていく。毒に蝕まれた体が、ついに突き付けられた死の宣告に怯えていた。
「もう、何も聞きたくない。ちょっと、怖いんだ。静かにしててくれないか」
絞り出すように肺助は言う。肝悟朗はそれを見て目を細めた。
「『ドキドキ! 清楚系vs渋谷ギャルに挟まれて ~阿賀谷戸姉妹のヒミツの関係~』についてなんだが……」
「……流れ変わってきたな」肺助は俄かに色めきだった。
「いいか、あの姉妹の父親、阿賀谷戸天森はな、阿賀谷戸家の歴史の中でも、一番ついていない男だ」
肝悟朗の声が、少し沈む。
「阿賀谷戸家は千年以上、自分たちこそ正統な陰陽道の担い手だと信じ続けてきた。だが千年かけても誰からも認められず、歴史の端にすら載らない一族だった」
「そのへんはもう知ってるよ。散々展示を観た」
「だが、重要なのは天森の子供が女の双子だったことだ」
肺助の手がぴくりと動いた。視線だけで続きを促す。
「阿賀谷戸家に双子が生まれるのは凶兆だ。しかも女児。跡取りにはならない」
「……あの二人、姉妹なのも驚いたけど、双子だったんだ」
「普通ならこの凶兆に対抗すべく儀式を行って少しもでも禍を退けようとするものだが、天森は違った。凶兆だからこそ、それは天命だ、と解釈した。つまり、自分の代で阿賀谷戸の悲願をかなえるべき、だとな」
「逆張りすぎない?」
肝悟朗の視線は、息子ではなく遠い昔を見ていた。
「だが、今回、本当にやばかったのは天森ではない。天森の妻だ。ある意味、あいつがそこまで覚悟を仕切らざるを得なくなったのは、天森の妻、ハルが原因なのだ」
「……は? どういうこと?」車の中の天森の態度だけで、やばいのは彼以外にないと肺助は思っていた。それが、妻だと?
「お義母さん?」
「ハルは、お腹の子供が双子だと分かった瞬間、夫である天森を国外に飛ばした。しかも、二年間だ」
「国外……? どうやって?」
「架空の依頼で釣り、偽の取引を見せ、二年間、夫を海外に隔離したのだ。その間に双子を産み、隠し、育て、離婚の準備を整えた。一人で産婦人科に通い、出産の準備を整え、ベビーベッドを二つ用意し、法テラスに連絡し、弁護士を巻き込んで味方につけた。出産間近なのに、夫は家族を裏切り一人でロサンゼルスに跳び、カジノ三昧だ、こんなのは離婚だ、と」
肺助の口が半開きになる。
「……めっちゃ働くじゃん」
「あれは母親なりの戦いだった。陰陽道に忠実な阿賀谷戸天森に、お腹の子供が双子だとばれたら間違いなく片方は殺される。そう信じていたからこそ、あれほどの執念で守った」
肝悟朗は、そこで初めて肺助の目を見る。
「天森が二年経って帰国し、双子の存在を知った頃には、もう何もかも手遅れだった。呪殺すらできなかった。娘たちは一歳になっていた」
「……それ、どういう意味?」
「呪殺したら、すぐにバレる状態だった。保育園に通い、ママ友と結託して近所のおじさんおばさんのアイドルになっていた双子の娘。不審死などしたら、徹底的に追及されるだろう。しかも、弁護士に相談されている以上、物証がなくても呪殺したら警察にマークされる。呪術師にとって警察に疑われることは致命傷だ。もう天森は娘たちを呪えなかった」
「……母親の勝ちってこと?」
「そうだ。だが代償は重かった。天森の妻は調停中に受けた呪いが原因で、今は働けないほど体が弱っている。生活は夜風和留が運用している株式投資などで賄っている状態だ。それがなければ、あの女はとうに死んでいるだろう。娘二人を守るために、人生全部を使い切ったんだ」
肺助は何度か瞬きをした。何かを言おうと思ったのだが、喉が収縮すると、彼の呼吸がそれに応じて止まりかけた。そんな様子を知ってか知らずか、肝悟朗は静かに続ける。
「……そして、阿賀谷戸の悲願を自分の代で絶やすかもしれない、そんなプレッシャーで必死になる天森に乗じ、おれはおれの目的を成し遂げる。そういうわけだ」
肺助は、返事をしようとした。だが声は出なかった。唇が動いても、息が足りない。
ほんの数秒、父子の間に静寂が落ちた。
「これで少しは分かったか。これが、天森の焦りなのだ。あの凶兆を活かし、もはや阿賀谷戸家が背負ってきた千年の呪いは、天森の手で達成されなくてはならない、という使命があるのだ」
しかして、やはり返事はない。そこで、はたと肝悟朗は気付く。否、思い出した。合儀椎子に言われ、いやいや息子を寝かしつけるため、絵本を読んでやったことがあった。ところが、半ばと読み切らぬうち、気付けば肺助はぐっすりと眠っていた。この子は、いつもそうだ。自分が何か、大事なことを伝えようとしているうち、勝手に先に行ってしまうのだ。
「……これで死ぬなら、おれがわざわざ監視に戻ってくる必要はなかったな」
ぴくりとも動かず、土気色に変色した人型の肉塊。ただひたすらボケに突っ込むうちに体力を使い果たした哀れな息子、合儀肺助を、父親、合儀肝悟朗は冷ややかな視線で見送った。
肺助からギターの話を聞き、しばし間を置いたものの、首を振って合儀肝悟朗はそう吐き捨てた。
「別に、思い出したから伝えただけだ。もういい。見ての通りもう死にそうだから早くメロンでも買ってきてくれ」
そういって、肺助はもうすっかり黄色く変色した両手をしばし見た後、ゆっくりと吐瀉物だらけの床に身を伏した。そんな様子の息子をしばし見つめていた肝悟朗だったが、やがて脱ぎ捨てたスーツを拾い上げ、内ポケットに手を突っ込んだ。
「……これを持っていろ」
そういって、一枚に紙切れを肝悟朗は息子に差し出した。
(何かの呪符か? やはり、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの呪いは呪符で回避できる、そういうことか?)
肺助はそれを、震える指先で摘まみ上げた。
「この施設のWi-Fiのパスワードだ」
「ドクターストレンジの予告編かよ」
肺助は手渡された紙をポケットに捩じ込みながら吼えた。
「スマホ持ってきてないけどな……」
途中で言葉が細くなる。肝悟朗の表情も、そこで初めてわずかに揺れた。
「……本当に、もう長くないのか」
「見て分かるだろ。てか、いまのやり取りだけで酸素めっちゃ使った……」
軽口を叩いているようで、その呼吸は弱い。肺が潰れていくような音が、喉の奥で鳴る。それなのに、心臓ばかりは膨らみ、破裂しそうなほど鼓動を続ける。それなのに、どうしてこうも指先に血の気がないのか。
肝悟朗は息子に一歩近づいた。
「なら――言っておくことがある。阿賀谷戸家の話だ」
「父さんの長話はもういい。それに、阿賀谷戸の歴史ならもう『死ぬほど』勉強させられた」
「言わせろ。今伝えなければ、二度と話す機会がない」
その言い方だけで、肺助は目を伏せた。死を自覚しているのと、人にもう死ぬと突き付けられるのは違う。
(おれはもう、死ぬのか)
短く震える息。あるところは激しく、あるところはどんどん弱まっていく。毒に蝕まれた体が、ついに突き付けられた死の宣告に怯えていた。
「もう、何も聞きたくない。ちょっと、怖いんだ。静かにしててくれないか」
絞り出すように肺助は言う。肝悟朗はそれを見て目を細めた。
「『ドキドキ! 清楚系vs渋谷ギャルに挟まれて ~阿賀谷戸姉妹のヒミツの関係~』についてなんだが……」
「……流れ変わってきたな」肺助は俄かに色めきだった。
「いいか、あの姉妹の父親、阿賀谷戸天森はな、阿賀谷戸家の歴史の中でも、一番ついていない男だ」
肝悟朗の声が、少し沈む。
「阿賀谷戸家は千年以上、自分たちこそ正統な陰陽道の担い手だと信じ続けてきた。だが千年かけても誰からも認められず、歴史の端にすら載らない一族だった」
「そのへんはもう知ってるよ。散々展示を観た」
「だが、重要なのは天森の子供が女の双子だったことだ」
肺助の手がぴくりと動いた。視線だけで続きを促す。
「阿賀谷戸家に双子が生まれるのは凶兆だ。しかも女児。跡取りにはならない」
「……あの二人、姉妹なのも驚いたけど、双子だったんだ」
「普通ならこの凶兆に対抗すべく儀式を行って少しもでも禍を退けようとするものだが、天森は違った。凶兆だからこそ、それは天命だ、と解釈した。つまり、自分の代で阿賀谷戸の悲願をかなえるべき、だとな」
「逆張りすぎない?」
肝悟朗の視線は、息子ではなく遠い昔を見ていた。
「だが、今回、本当にやばかったのは天森ではない。天森の妻だ。ある意味、あいつがそこまで覚悟を仕切らざるを得なくなったのは、天森の妻、ハルが原因なのだ」
「……は? どういうこと?」車の中の天森の態度だけで、やばいのは彼以外にないと肺助は思っていた。それが、妻だと?
「お義母さん?」
「ハルは、お腹の子供が双子だと分かった瞬間、夫である天森を国外に飛ばした。しかも、二年間だ」
「国外……? どうやって?」
「架空の依頼で釣り、偽の取引を見せ、二年間、夫を海外に隔離したのだ。その間に双子を産み、隠し、育て、離婚の準備を整えた。一人で産婦人科に通い、出産の準備を整え、ベビーベッドを二つ用意し、法テラスに連絡し、弁護士を巻き込んで味方につけた。出産間近なのに、夫は家族を裏切り一人でロサンゼルスに跳び、カジノ三昧だ、こんなのは離婚だ、と」
肺助の口が半開きになる。
「……めっちゃ働くじゃん」
「あれは母親なりの戦いだった。陰陽道に忠実な阿賀谷戸天森に、お腹の子供が双子だとばれたら間違いなく片方は殺される。そう信じていたからこそ、あれほどの執念で守った」
肝悟朗は、そこで初めて肺助の目を見る。
「天森が二年経って帰国し、双子の存在を知った頃には、もう何もかも手遅れだった。呪殺すらできなかった。娘たちは一歳になっていた」
「……それ、どういう意味?」
「呪殺したら、すぐにバレる状態だった。保育園に通い、ママ友と結託して近所のおじさんおばさんのアイドルになっていた双子の娘。不審死などしたら、徹底的に追及されるだろう。しかも、弁護士に相談されている以上、物証がなくても呪殺したら警察にマークされる。呪術師にとって警察に疑われることは致命傷だ。もう天森は娘たちを呪えなかった」
「……母親の勝ちってこと?」
「そうだ。だが代償は重かった。天森の妻は調停中に受けた呪いが原因で、今は働けないほど体が弱っている。生活は夜風和留が運用している株式投資などで賄っている状態だ。それがなければ、あの女はとうに死んでいるだろう。娘二人を守るために、人生全部を使い切ったんだ」
肺助は何度か瞬きをした。何かを言おうと思ったのだが、喉が収縮すると、彼の呼吸がそれに応じて止まりかけた。そんな様子を知ってか知らずか、肝悟朗は静かに続ける。
「……そして、阿賀谷戸の悲願を自分の代で絶やすかもしれない、そんなプレッシャーで必死になる天森に乗じ、おれはおれの目的を成し遂げる。そういうわけだ」
肺助は、返事をしようとした。だが声は出なかった。唇が動いても、息が足りない。
ほんの数秒、父子の間に静寂が落ちた。
「これで少しは分かったか。これが、天森の焦りなのだ。あの凶兆を活かし、もはや阿賀谷戸家が背負ってきた千年の呪いは、天森の手で達成されなくてはならない、という使命があるのだ」
しかして、やはり返事はない。そこで、はたと肝悟朗は気付く。否、思い出した。合儀椎子に言われ、いやいや息子を寝かしつけるため、絵本を読んでやったことがあった。ところが、半ばと読み切らぬうち、気付けば肺助はぐっすりと眠っていた。この子は、いつもそうだ。自分が何か、大事なことを伝えようとしているうち、勝手に先に行ってしまうのだ。
「……これで死ぬなら、おれがわざわざ監視に戻ってくる必要はなかったな」
ぴくりとも動かず、土気色に変色した人型の肉塊。ただひたすらボケに突っ込むうちに体力を使い果たした哀れな息子、合儀肺助を、父親、合儀肝悟朗は冷ややかな視線で見送った。
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