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第一部。オリム、クロノスの人生を狂わせる
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それから数日後。
出勤までの隙間時間に魔術書を読んでいた。
文字が、ぼやけて滲んでいく。
気づけば視線は薬指の上で止まっていた。
どうしても婚約指輪が外せない。
クロノスを自分から手放したくせに、未練が消えない。
「ごめんな」
ここにいない相手につぶやいた言葉が、紙の上に落ちて消えた。
それでも今日も生きて行くしかない。
仕事は待ってくれない。
それしか償い方がわからない。
※※※
結局、オレは妊娠しなかった。妊娠可能化魔法とはいえ、たった一度だし、女より受精率はずっと低い。
オレはクロノスとの結婚は見送って、王宮勤めを続けている。
ヴァイオレットは、騎士から魔術師にジョブチェンジさせて、オレの直属部下として働いている。
この決断は悩んだが、オレの私情で無駄にしていい才能ではないと思ったからだ。
正直に言ってオレの後輩の中で一番才能がある。
オレとの実力差はまだまだあるが、うかうかしていられない、と思った相手は初めてだ。
オレももっと強くならなきゃと毎日真面目に腕を磨いてる。
ヴァイオレットはいままで猫をかぶっていたらしく、別人みたいに人格が変わってしまった。行く先々で、オレに話しかける奴ら全員を威嚇するようになって、
「仕事がやりづらいからどうにかしてくれ」と、苦情が来るようになった。
でも相変わらずの顔面で、大抵のことは許されてしまうし、行く先々で黄色い悲鳴に囲まれている。
そしてオレとクロノスは、実はまだ婚約を解消していない。
一度婚約破棄を経験しているクロノスは、よほどつらかったらしく、トラウマになっているそうで、「次婚約破棄されたら、正気を失うかもしれません」と言われてしまい、そのままになっている。
婚約指輪も、同様の理由で、まだオレの薬指に光ったままだ。
その話を聞いた時、胸の奥でほっとしている自分がいた。
確かに貴族がオレなんかに婚約破棄されたなんて噂にでもなったら、クロノスが気の毒だ。
そう理屈をつけて納得したふりをした。
ずるいのは自覚してる。だけど外さなくて済む理由をもらえたような気がしたから。
クロノスは両親とほとんど話し合うこともせず、勝手に爵位を弟に譲ってしまい、
王宮に官僚として再就職した。
王子が大喜びしたのは言うまでもない。
そして押し掛けてきたクロノスに押し負けて、
現在オレの家で同棲してる。
クロノスは前よりだいぶ強引になった。いや、多分前からだ。
オレのクロノスを好きな気持ちはまったく変わらないし、
あまりに尽くして甘やかしてくれるので、
溺れるような幸せに、ふと息ができなくなる。
こんな日々がつづくなら、いつかこのまま結婚してもいいのかな、したいな、と、
たまに上から目線で夢みたいに考えてしまうのだが
……すぐに怖くなる。
クロノスに、名前も、誇りも、居場所も捨てさせてしまった。
オレにはもう、その資格はない。
オレの家に毎日ヴァイオレットが押し掛けてきては、クロノスが追い返そうとしてケンカになっているが、気が合うみたいで、絶妙な掛け合いが楽しくて、見ていて笑える。
「本当は仲がいいんだろ?」と言ったら、「どこが?」と見事にハモって、ふたりとも同じ表情、心底嫌そうな顔をしていた。実はふたりは従兄弟同士で同じ年の幼なじみでよくつるんでいたらしい。
「オレは、クロノスが好きだから」
残酷なようだけど、ヴァイオレットには言うようにしてる。気を持たせる気はないし、勘違いされたら堪らないから。
最初は悲しそうな顔をしていたヴァイオレットも
最近は「いつか振り向かせるから」と前向きで、
調子にのるなよと、またクロノスとケンカになって、たまに家具が犠牲になる。
幸せなはずなのに、胸の奥がずっと痛い。
オレがあの時、クロノスを買ったことで、
彼を巻き込んだ。
爵位まで捨てさせてしまい、人生を狂わせてしまった自覚はある。
だからせめてクロノスがオレを必要としてくれる限りはそばにいさせて欲しいと思ってる。
オレはずるい。
本当は、贖罪じゃなくて、オレの願いで、死ぬまで一緒にいたい。
「ごめんな」
つぶやいた声はクロノスには届かずに空中に霧散する。
「オリムさん。どうしたの?」クロノスが振り向いた。
いつだってクロノスが、恋い焦がれたような目でオレを見て、幸せそうに笑ってくれるから、
胸がうるさく騒ぎだす。
「なんでもない。ただ、居てくれてありがとう」
クロノスが眩しくてオレは目を細めて言った。
本当にこんなに好きになれたやつ、いままでいなかったんだ。
第1部完
出勤までの隙間時間に魔術書を読んでいた。
文字が、ぼやけて滲んでいく。
気づけば視線は薬指の上で止まっていた。
どうしても婚約指輪が外せない。
クロノスを自分から手放したくせに、未練が消えない。
「ごめんな」
ここにいない相手につぶやいた言葉が、紙の上に落ちて消えた。
それでも今日も生きて行くしかない。
仕事は待ってくれない。
それしか償い方がわからない。
※※※
結局、オレは妊娠しなかった。妊娠可能化魔法とはいえ、たった一度だし、女より受精率はずっと低い。
オレはクロノスとの結婚は見送って、王宮勤めを続けている。
ヴァイオレットは、騎士から魔術師にジョブチェンジさせて、オレの直属部下として働いている。
この決断は悩んだが、オレの私情で無駄にしていい才能ではないと思ったからだ。
正直に言ってオレの後輩の中で一番才能がある。
オレとの実力差はまだまだあるが、うかうかしていられない、と思った相手は初めてだ。
オレももっと強くならなきゃと毎日真面目に腕を磨いてる。
ヴァイオレットはいままで猫をかぶっていたらしく、別人みたいに人格が変わってしまった。行く先々で、オレに話しかける奴ら全員を威嚇するようになって、
「仕事がやりづらいからどうにかしてくれ」と、苦情が来るようになった。
でも相変わらずの顔面で、大抵のことは許されてしまうし、行く先々で黄色い悲鳴に囲まれている。
そしてオレとクロノスは、実はまだ婚約を解消していない。
一度婚約破棄を経験しているクロノスは、よほどつらかったらしく、トラウマになっているそうで、「次婚約破棄されたら、正気を失うかもしれません」と言われてしまい、そのままになっている。
婚約指輪も、同様の理由で、まだオレの薬指に光ったままだ。
その話を聞いた時、胸の奥でほっとしている自分がいた。
確かに貴族がオレなんかに婚約破棄されたなんて噂にでもなったら、クロノスが気の毒だ。
そう理屈をつけて納得したふりをした。
ずるいのは自覚してる。だけど外さなくて済む理由をもらえたような気がしたから。
クロノスは両親とほとんど話し合うこともせず、勝手に爵位を弟に譲ってしまい、
王宮に官僚として再就職した。
王子が大喜びしたのは言うまでもない。
そして押し掛けてきたクロノスに押し負けて、
現在オレの家で同棲してる。
クロノスは前よりだいぶ強引になった。いや、多分前からだ。
オレのクロノスを好きな気持ちはまったく変わらないし、
あまりに尽くして甘やかしてくれるので、
溺れるような幸せに、ふと息ができなくなる。
こんな日々がつづくなら、いつかこのまま結婚してもいいのかな、したいな、と、
たまに上から目線で夢みたいに考えてしまうのだが
……すぐに怖くなる。
クロノスに、名前も、誇りも、居場所も捨てさせてしまった。
オレにはもう、その資格はない。
オレの家に毎日ヴァイオレットが押し掛けてきては、クロノスが追い返そうとしてケンカになっているが、気が合うみたいで、絶妙な掛け合いが楽しくて、見ていて笑える。
「本当は仲がいいんだろ?」と言ったら、「どこが?」と見事にハモって、ふたりとも同じ表情、心底嫌そうな顔をしていた。実はふたりは従兄弟同士で同じ年の幼なじみでよくつるんでいたらしい。
「オレは、クロノスが好きだから」
残酷なようだけど、ヴァイオレットには言うようにしてる。気を持たせる気はないし、勘違いされたら堪らないから。
最初は悲しそうな顔をしていたヴァイオレットも
最近は「いつか振り向かせるから」と前向きで、
調子にのるなよと、またクロノスとケンカになって、たまに家具が犠牲になる。
幸せなはずなのに、胸の奥がずっと痛い。
オレがあの時、クロノスを買ったことで、
彼を巻き込んだ。
爵位まで捨てさせてしまい、人生を狂わせてしまった自覚はある。
だからせめてクロノスがオレを必要としてくれる限りはそばにいさせて欲しいと思ってる。
オレはずるい。
本当は、贖罪じゃなくて、オレの願いで、死ぬまで一緒にいたい。
「ごめんな」
つぶやいた声はクロノスには届かずに空中に霧散する。
「オリムさん。どうしたの?」クロノスが振り向いた。
いつだってクロノスが、恋い焦がれたような目でオレを見て、幸せそうに笑ってくれるから、
胸がうるさく騒ぎだす。
「なんでもない。ただ、居てくれてありがとう」
クロノスが眩しくてオレは目を細めて言った。
本当にこんなに好きになれたやつ、いままでいなかったんだ。
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