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「そなたが小春殿か。お目にかかれて光栄だ」

 河童は小春の姿を認めると、立ち上がってお辞儀をした。愛らしい見てくれによらず礼儀を重んじる性格のようだ。小春はお盆を机に置いて、頭を下げる。

「朝桐小春です。その、失礼ですが、あなたのお名前は……?」
「すまない、自己紹介がまだだったな。我は河童の開正」

 約束のあやかしが来る時刻まで余裕がある。少し会話に興じるくらいは大丈夫だろう。そう判断した小春は相手の名を尋ねてみた。

「予定していた時間よりはやく来すぎてしまって申し訳ない。気を遣って、急いで来てくれたのだろう?」

 え、と小春は素っ頓狂な声をあげた。夜取に視線を向けると彼は苦笑いを浮かべている。

「すまない、彼女には何も伝えていないんだ」

 夜取曰く、この部屋に着いて準備をしようと思ったところ開正が訪ねてきたとのこと。なんと約束の時間を勘違いしていたらしい。一旦帰ると詫びたがそれを夜取が引き留めて、現在に至る。

「彼の相談に乗っていたら時間を忘れてしまっていた。連絡できずにすまなかったね」
「うむ、最近寝付きが悪くてな。なかなか眠れんから夜取殿にアドバイスをもらっていたのだ」

 相談に乗っている最中にスマホは触れないだろう。気にしないでくださいと小春は微笑んだ。それよりも開正の話が気になる。

(よく眠れてないって、大丈夫かな……)

 彼の目の下には隠しきれない隈があった。よく見ると、顔も体より色が暗い。あやかしの生態には詳しくない小春でも、体調が悪いと分かる。

「さて、そろそろ大福を作り始めるとしようか。開正はここで待っているかい?」
「可能ならば作るところを見学させてくれないか。一人でじっとしているとどうしても気が滅入る」

 開正が困ったように笑う。事態はなかなかに深刻そうだ。ちらりと夜取がこちらに目で合図を送った。小春は大きく頷く。

「もちろん大丈夫です。ぜひ見ていってください」

※※※
 前回は手が震えてスプーンから材料が落ちるということもざらにあった。だが二回目となると慣れてきて計量もスムーズに終わる。中火の火加減だけはよく分からなかったので夜取にやってもらった。

 作業の合間に開正の表情を盗み見る。彼はリビングにあったテーブルと座布団を台所の真後ろに移動させ、静かに見学している。彼は小春の視線を受けても目を逸らさずに、じっと小春たちが大福を作るのを見ていた。真剣な表情ではあるが、心ここにあらずで何か別のことに気を取られているように感じる。

 それは小春が完成した大福を目の前に置いても変わらなかった。
 
「約束のものです」

 一応声もかける。無反応。小春は開正の向かいに座った。彼の表情は沈んでいて、瞳には張り裂けそうな悲しみを湛えている。

「開正さん」

 小春が名前を呼んではじめて、開正は顔をあげた。迷子の子どものような表情をする彼に、努めて優しく語りかける。

「よかったら大福いかがですか。甘いものを食べて、考えるのは一旦休憩にしましょう」

  言葉を慎重に選びながら提案すると、やや間があって開正が小さく頷いた。小春はほっとした。正直、今の彼は見ていられない。

「どうぞ。お茶もありますよ」

 大福が載ったお皿を彼のほうに押し込む。そこでやっと開正は視線を大福に向けた。やつれた表情がじわじわと驚きを帯びていく。

「小春殿、この大福は……」

 戸惑ったように声をあげる開正。

(私、何かしちゃったかな?)

 なぜ彼がそんな表情をするのか分からなくて小春も困惑してしまう。大福は前回と同じ要領で作ったので問題ないはずだ。そもそも開正は大福に手すらつけていない。だとすれば、彼は一体何に戸惑っているのだろうか。

(大福……。味、見た目、見た目……あっ!)

 そこで小春はようやく思い出した。あやかしには作った者がどんな想いを込めたかが分かるという。

 
 


 
 
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