疲れたあなたの背中をそっと押すサプリ、あるいはプラセボ

しかまさ

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2010年作品

桜ノ雪

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 あの仕事の出来ない、できそこないの課長め!
 こんな日に限って、私に残業を押し付けるなんて!
 しかも、今晩は天候があやしいとか言って、自分はさっさと帰っていくし、まったくもう!
 本当なら、今頃は、友樹と久しぶりのデートのはずだったのに……



 私、課長に押し付けられた仕事を黙々と片付けていった。
 経費節減の方針にのっとり、私の部署の入った広々とした部屋の明かりは既に消されていて、私のデスクのスタンドだけがポツンと明るい。
 暖房も切られていて、今晩はすごく冷える。手がかじかむ。
 午後からずっとパソコンの画面をにらみ通しだったから、目がしばしばするし。
 ホント最悪な日。
 さっき、友樹には、急な残業でデートはキャンセルって連絡した。
 別々の会社で働いているけど、年度末でずっと忙しかった友樹と私。
 先月の終わりにデートしてから、ずっと会っていない。
 いつも、スマホ越しの声だけ。それかSNSのやりとり。なんだかさびしい。



 あれは大学のサークルで友樹に初めて出会ったときだった。
 少しでもみんなと仲良くなろう、友達になろうと、一生懸命、標準語をしゃべろうとしていた私。もちろん、生まれてからずっと地方で育ち、方言を使いながら大きくなった私には、本当に難しいこと。結局、標準語を話そうとすればするほど、ボロボロとなまりが出た。
 私が話しだすと、先輩たち、同級生たち、みんな顔を真っ赤にして、笑いをこらえていた。顔をうつむけて、私に表情をうかがわせないようにしていても、肩がプルプルと震えていた。
 その姿を見るたびに、内心、すごくすごく傷ついていた。
 でも、ただ一人、友樹だけは違った。
 一つ上の先輩だった友樹。前年に東北の田舎からでてきて、なれない都会暮らしの上に、なまりで苦労したらしい。
 私が、なまり交じりで話をしても、自然な笑顔で、うんうんって、うれしそうに話を聞いてくれていた。
 私の話を聞くのがすごく楽しそう。もちろん、私も友樹と話をするのが、すごく楽しかった。
 だから、大学時代で一番長い時間一緒にいたのは、友樹だった。今思い返してみても、友樹とばかりおしゃべりをしていた。
 友樹とばかり、冗談を言い合い、じゃれあっていた。
 そして、いつのまにか、私たち、愛し合っていた。



 一昨日、仕事に追われ、くたくたに疲れてマンションに帰りつくと、友樹から電話があった。
 私になにか見せたいものがあるらしい。
 でも、約束の今日は私の突然の残業。デートの約束をドタキャンする形になったから、友樹怒っているだろうなぁ~。
 大学を卒業して、お互い別々の会社に就職しても、続いてきた私たち。
 大学の頃は、毎日のように顔を合わせて、一緒に過ごしていたけど、年の順に、就職活動をはじめ、就職すると、しだいに会う機会がすくなくなり、デートの回数が減ってきた。

 もしかしたら、これで終わりになってしまうかも……

 そう考えたら、不意に目尻に熱いものが浮かんできた。そして、頬をつたい、手元の書類の上にポトリとおちた。
 書類の上に小さな濡れ跡ができて、インクがにじむ。

 ひとつ、ふたつ……

 次から次へと、その数が増え。

 ピロピロピロロリン♪

 不意に、デスクの隅に放り出していたスマホが鳴った。
 スマホをつかんで画面を開いたけど、涙ににじんでよく見えない。
 一度、天を仰いで、目をぎゅっと閉じた。
 そして、何度かしばたたきながら、画面をもう一度見直すと。
 夜の空を背景に、桜が一輪。
 よく見ると、桜の花びらの上には雪が積もっていた。



 そういえば、友樹言っていたっけ。
 友樹の生まれ育ったあたりでは、桜が咲く季節になっても雪が降ることがあるって。
 すごく幻想的で、美しいその姿。一度見ると忘れられない。
 友樹の通っていた高校の裏手に古い桜の木があって、入学した年、満開の桜に雪が積もっていたことがあった。その姿が神々しくて、美しくて……

「いつか、本気で好きになった子がいて、結婚したいなって思うことがあったら、一緒に、その桜を見てみたいな。その雪をかぶった桜の下でプロポーズしたいな」

 顔まで真っ赤にして、テレながら、そんなことを言っていた。
 私、画面の中の小さな桜を見つめながら、小さく微笑んだ。そして、声を出して、友樹からのメッセージを読んだ。

『いつまでも待ってる 友樹』



 私が、大急ぎで書類を片付け、会社を飛び出すと、すでに、あたり一面雪景色だった。
 何度か雪で足をすべらせ、転びそうになりながら、駆けていく。その横をチェーンの音を響かせながら、車が通り過ぎていった。
 昨日まで花見の酔っ払いで溢れていた公園に飛び込むと、公園の中央、だれだかの銅像の前で一人ポツンと立っている人影が。

 ハァ~ハァ~ハァ~

 私の口からは白い息がリズミカルに吐き出される。
 夜の桜をライトアップする光の中で、先日のバレンタイン・プレゼントのマフラーと帽子に顔をうずめた友樹がくすりと笑うのが見えた。
 初めてあったときのような、やさしい、あったかい笑顔で。



 その夜、季節はずれの雪が、満開の桜に降り積もっていた。
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