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2010年作品
霧のクリスマス・イブ
しおりを挟む百メートル先の信号の色さえ見えない。霧。
車から見える景色は、街灯にボーっと照らされた乳白色の闇だけ。
霧は、すべてを人の目から隠す。
トナカイのそりに乗り、忙しげにあちらの家、こちらの家へ向かうサンタの姿や、お互いの愛をぴったりと抱き合って確かめるカップルたちの姿を。
「ったく! なんなんだよ! こんな霧の夜に道の真ん中でいちゃつくなよ! ひき殺すぞ!」
運転席の勇冶、さっきから悪態をついてばっかり。
やれ、霧が濃くて、道路の白線が見えにくいだの、青信号に従って横断歩道を渡る歩行者に『こんな日に出歩くな!』だの。
挙句の果てに、歩道で口付けを交し合っていたカップルにコレ。
さっきレストランで美味しいフレンチをたべ、ムードたっぷりのクリスマスソングを耳にして、幸福感に浸っていた私の気分を、見事に台無しにしてくれた。
もう、やだ!
今晩は勇治と一緒にすごすつもりだったけど、もうヤダ!
絶対、ヤダ!
「ちょっと、そこのバス停で止めてくれる」
「えっ? なんで?」
「私の家、この近くだから。ここで降りるわ」
「な、なんでだよ? なんで帰るんだよ?」
すごい形相で私をにらんでくる。一瞬、このままバス停で止まらず、私を拉致しようとするのじゃ?
なんて、心配したけど、結局、私の言ったとおり、バス停に停車した。
基本的には、勇治って、大人しくて、良識のある社会人。私が魅力的だと感じた笑顔が素敵な人だけど、車に乗ると性格が豹変する。
「じゃ、勇治、バイバイ」
勇治が車の中から、『じゃ、またな』とか、なんとか言いかけたみたいだけど、ドアをピシャリと力ませに閉めた。
バイバイ、あなたとは、もう付き合うことなんかないわ。
クリスマス・イブの夜だというのに、一人で家路に帰る私。
私、ナニやってるんだろう?
すれ違う人たちはみな、カップルで腕を組んでいて……
さっきまでの私みたいに、幸福そうな表情を浮かべている。
その姿を見るたびに、ドーンと落ち込む私。
……ハァ~~
家にたどり着き、カギを開けて、玄関に入ると、中から楽しげに笑う声が聞こえてきた。
「ただいま……」
「え? あら、あんた、帰ってきたの?」
「お帰り」
「ああ」
「あ、お邪魔しています」
絵に描いたような一家団欒。シャンパンを開け、楽しげにすごしていた家庭に、突如闖入してきた不幸の塊のような娘。
しかも、来年の六月に式を挙げる予定の兄貴の彼女も来ているし。
さらに、一段と落ち込む。
「ただいま。いらっしゃい」
みんないるリビングにちょっと顔をだして、無理に笑顔をつくって……
それから、二階の自分の部屋へ。
「あんた、今日は遅くなるんじゃなかったの? 晩ご飯は?」
その後ろを、階段の下まで母が追ってきた。
「ううん、いい、食べてきた」
「そう?」
そのまま後ろも見ず、自分の部屋へ。
階下から、母たちの会話が聞こえてくる。
「あの子、どうしちゃったのかしら? まさか、イブの夜に喧嘩したとか?」
「まさか、お母様」
「そうよね。イブの夜だものね」
ハハハハハ……
未来の姑と嫁の鞘当て……
兄貴のやつ、どうして、あんな人と一緒になろうなんて考えたのだろう?
私なら、絶対イヤだ! あんな甲高い声の女なんて!
外套を脱いで、ハンガーに掛け、隅につるし、スマホを手に取る。
もちろん、イブの夜。着信なんてまったくない。
大体、友達はみんなデートの最中で忙しいだろうから、メッセージなんて打ったりしない。
することない。家の中でも一人。
ハァ~
部屋着に着替え、ベッドに転がって、文庫本でも読んでいると、ようやく兄貴たち帰る気になったようだ。
母は、散々、泊まっていきなさいなんて、引き止めていたようだけど。
きっと、内心では、未来の嫁なんてどうでもよくて、就職してから独立した兄に、久々に泊まっていってほしかっただけだろうけど。
でも、兄貴が選んだのは、彼女と一緒に一晩すごすことだった。
車の音がして、
「それじゃ、お袋」
「失礼します。お母様、お父様」
「車の運転、気をつけなさいよ。こんなに霧が出て、見通しがわるいのだから」
「ああ、分かったよ」
「じゃ、また、いつでも遊びにいらっしゃい」
「はい、ありがとうございます。また、来ますね」
で、ドアがしまって、エンジンの音とともに兄貴たち去っていった。
やがて、門扉が閉まるギィィィ~~~という音がすると。
「ほんと、あの子、大丈夫かしら?」
「ん?」
「だって、ほら、四軒向こうの梅本さんとこのサンタさんのイルミネーションも、ボーっとしか見えないじゃない?」
「ああ、濃い霧だな」
「しかし、あの子も気が利かない娘さんよね」
「……?」
「帰るにしたって、この家の女になるのだから、食事の後片付けぐらいしていくものじゃないの?」
玄関のドアが開いて、靴を脱ぐ音が。
「どんな教育を受けてきたのかしら? あちらの親御さん、学校の先生だって聞いていたから、結婚に同意したのに、こんなことすら気が回らないなんてねぇ~」
「……」
廊下を進む足音が階段の下で止まった。
「亜紀? ちょっと下りてきて、後片付け手伝ってちょうだい?」
ったく、なんで私が、そんなことを手伝わなきゃいけないのよ!
別に、私が家でディナーをとったわけでもないのに!
「ほら、亜紀? いるんでしょう?」
階段を上がってくる足音。
ああん、面倒くさいな!
私、ベッドから抜けると、外套を羽織った。
それから、ドアへ。
「ゴメン、ちょっとこれから出かけるから」
「あら、そう? そうよね、イブの夜なんだし……?」
「じゃ、いってきます」
「って、亜紀、その格好で出かけるの?」
母の声を背に、私は出て行った。行く先のあてはないのだけど……
霧の夜の町へ。
イブの夜に、部屋着に外套を羽織っただけの女が一人。
結局、近くのコンビニしか向かうところはなかった。
途中で、ういういしく初めてのキスを交わしている近所の顔見知りの高校生カップルがいたりして、気まずい想いをさせられた。
そして、もちろん、また、さらに落ち込んだ。
こんな日に生まれた、だれだかに呪いの言葉をつぶやいて。
コンビニに入ると、雑誌の立ち読み。
クリスマスソングが店内に流れているけど、客は一人もいなかった。
こんな日に、コンビニだなんて……
しかも、外は濃い霧。
なんだか退屈げにレジにたたずむアルバイトの店員さんの私を見る目に哀れみの色が。
そうよ! 私は、イブの夜に好き好んで、男と別れたバカな女なのよ!
悔しいけど、それが事実。
ふん! 好きに想像するがいいわ!
開き直った気分で、黙々と雑誌を眺めていると。
「いらっしゃいませ」
トレーナーの上下にジャンパーを羽織っただけの男性が入ってきた。
店内をあちこち物色して、缶ビールと肴のつまみを手に取りレジへ。
会計を済ませ、商品を受け取って……
「あれ? 森崎さん?」
名前を呼ばれ、雑誌から視線を上げる。
「あ、やっぱり森崎さんだ。久しぶり」
なんとなく、見覚えがあるような、ないような……?
「あ、俺、覚えてない? 高校時代に同じクラスだった」
ちょっと考える。
目の前の男を五年ほど若返らせた姿を想像してみて、思い出した。
「石野くん?」
「うん、そう。うれしいな、覚えていてくれたんだ」
石野くん、うれしそうな笑顔。
「え? でも、石野くんって、この近くの人じゃなかったでしょ?」
「ああ、大学卒業して、就職した会社の寮がこの近く」
「へぇ~ そうなんだ」
「森崎さんは?」
「え? 私? この近所に家があるんだよ」
「あ、そう。って、そうじゃなくて……?」
探るような目で見る。
なんで、イブの夜のこんなときにコンビニなんかにいるの? って意味だろうなとは気づいてた。
わざとはぐらかしてはみたのだけど。
私の格好をみれば、大体、想像がつくじゃない! デリカシーのないやつ!
それから、石野くんと私は、並んで雑誌を読んだり、高校時代の同級生たちの噂話をしあったりして、時間をつぶした。
「さて、俺、そろそろ帰るわ。森崎さんも一緒に帰らない?」
「え? いいわ。まだしばらくここで雑誌でも読んでるから」
「でも、外、すごい霧だよ。こんな日に、女の子が一人で出歩いてると、すごく危ないよ」
「……?」
「ほら、一緒に帰ろ? 家まで送っていくよ」
すごく紳士的に促されて、私、結局、送ってもらうことにした。
でも、考えてみれば、石野くんだって、そんなによく知っている人ってわけでもないのだし、一緒に帰るのは十分に危ない気もするのだけど……
あたりは、真っ黒な闇。街灯に照らされて、ところどころぼうっと白く光っている。
「ねぇ? こういうのも、ホワイトクリスマスっていうのかな? 見えるものって、街灯のまわりの白い霧だけだし」
「かもね」
そっけない返事。自分でもいやになっちゃう。
「ねぇ? 森崎さんって、サンタクロース、何歳まで信じてた?」
「え?」
ちょっと考える。子供の頃、サンタさんに会うまで起きてるって毎年頑張っていたけど、結局眠気にまけちゃって、目が覚めたら、枕元の靴下にプレゼントが入っていたっけ。
「四年生ぐらいかな」
「へぇ~ そうなんだ」
「……」
「……」
石野くんとしては、ここで『君は?』って訊いてほしかったのだろうけど、私は訊かない。興味がない。
沈黙に耐え切れなくなって、石野くん、話し出した。
「俺は、本当のところ、今でも信じてるかも」
意外な告白。
「へっ?」
「だって、俺、彼女いないし、今年もロンリークリスマスだ、ヤダなって思って、コンビニへ行ったら、森崎さんに出会っただろ」
「……」
陳腐なくどき文句。でも、悪くない。
霧が出ていてよかったかも、私の顔色みられないで済んだし。
「俺、高校時代、ずっと森崎さんのこと、片思いしてたの知ってた?」
でた。元同級生に対してのみ有効な口説きの常套手段。
「それ口にするの、私で何人目?」
意地悪な私。
「たはは。バレてたか。実は、三人目」
「やっぱし」
口調はそっけないけど、内心、すごく落胆している私がいる。
「小学校時代の初恋の岩村さんでしょ。中学のときの田中さん。それに、森崎さん」
「ふーん」
「でも、岩村さんも田中さんも、去年の同窓会で会った時には、とっくの昔に結婚してたんだよなぁ~」
「……」
「森崎さん、結婚は?」
「まだ」
なぜか、隣でガッツポーズしている人が。
「俺、今でも好きだよ」
「……」
内心、動揺した。心臓がドキドキしている。
黙り込んだ私のことをどう思ったか、
「俺、一途だから、今でも想ってる。卒業して、今どうしているかなって、しょっちゅう考えてたんだ。だから、コンビニで見かけて、すぐに森崎さんだって分かった」
熱い口調で恋の告白をしてくれてるのは、正直、とてもうれしい。たぶん、私の顔色、赤いのだろうな。
隣でしばらくブツブツつぶやいていたけど、急に、
「森崎さん。いや、亜紀ちゃん。いいや、やっぱ、それじゃダメだ。もっと親密になろうとするなら、もっとこう、特別な呼び方を考えなくちゃ」
ハッとひらめいたみたい。
人差し指を顔の横に立てて、
「あきちん♪」
ハァ~!?
あきちん♪って、石野くん?
そのマヌケな言葉の響き、本気で言ってるの?
あきれて、まじまじと石野くんの顔を見つめちゃった。
でも、本人は、大真面目みたいで、きりっとした表情をしてて……
再び、
「あきちん♪」
男の人の口から、よほど似合わないマヌケな言葉が……
なにか、私のお腹の中からせり上がってくるものが。
急激にのどもとへ。
そして、
プッ! アハハハ……
アハハハハハハ……
「な、なによ、それ!」
アハハ……
お腹を抱えて笑っている私。
「あきちん♪」
アハハハ……
無性におかしくて、たのしくて、愉快で。
さっきまでの荒んだ気分なんて、どこかへ飛んでいってしまっていた。
石野くんも、表情を崩して、たのしそうな笑顔になっている。
それからも、道々、石野くんが『あきちん♪』とか、『あきかん』『あかちん』とか言うたびに、私、笑い転げていた。
やがて、私の家の前。
「送ってきてくれて、ありがとう」
心から感謝。
「ああ、別にいいよ。俺の好きな人のためだし」
顔面から熱が……
「帰り道分かる?」
「ん? ああ、たぶん」
「寮って、どこにあるの?」
「横井町」
「それって、コンビニから反対側じゃない!?」
「ああ、そうだね」
なんか、ちょっぴり罪悪感。
「それじゃ、帰るわ」
「うん」
「それと、今度、食事にでも誘ってもいいか?」
「え? うん……」
さっき、家の前でスマホの連絡先の交換は済ませていた。
「じゃあ」
石野くん、軽く手を振って、ゆっくりと霧の中へ消えていった。
私、なにか言い忘れているような気がして、その姿をずっと見ていたけど、見えなくなった頃になって、やっと気がついた。
だから、霧の中へむかって、大声で叫ぶ。
「ねぇ、さっきの話だけど、私も信じてみることにする! それと、メリークリスマス!」
しばらくして、どこか遠くから、返事が聞こえてきた。
「ああ、そうしてくれると、俺もうれしい。……俺からも、メリークリスマス!」
そのとき、なぜだか、霧の町角で、ひげもじゃ赤服の老人が、ニッコリ微笑んだような気がした。
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