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2010年作品
枯れ葉
しおりを挟む生まれて初めて、私は木登りというものに挑戦している。
それも、こんな北風の吹く真夜中の時間に……
寒い…… 手がかじかむ。
暗くてよくは見えないけど、手はもうキズだらけで、ボロボロになっているに違いない。
痛い!
それでも、私は、この木に登らなくちゃいけない。
この木の枝にひとつだけついている枯れ葉を目指して。
「ちょっと、君、そんなところで、なにしてるの? 危ないよ!」
突然、私の周り明るくなり、若い男性の声が聞こえてきた。
えっ!?
驚いて、声のした下の方を見ようとしたのがいけなかった。
私、見事に足を滑らせて、体が宙に投げ出された。重力の影響で下へ引っ張られる。
衝撃は大したことはなかった。
誰かが私の体を受け止めてくれたから。
ううん、正確には、私の体の下敷きになってくれたから。
慌てて、這うようにして、その場をどく。
「っ痛いなぁ。とにかく、君、大丈夫だった? どこか怪我とかしなかった?」
私の下敷きになったその人、文句を言うでなく、最初に私の心配をしてくれた。
「だ、大丈夫です…… あなたは?」
「ん? ああ、平気。ちゃんと受身とれたから」
私、気がついた。この人は、この病院の小児科のお医者さん。何度か亜理紗の診察に来てくれたっけ。
そのお医者さんも、私のこと分かったみたいで。
「ああ、亜理紗ちゃんのお姉さん。ってことは、……あれか?」
手に持っていた懐中電灯で、私がさっき上ろうとしていた木の枝を照らした。北風に吹かれて、大きく揺れている木の枝の中で、枯れ葉が一枚そよいでいる。
それから、懐中電灯の光、横へ移動していって、三階の病室の窓を照らした。
窓が開いているっていうわけでもないのに、カーテンが大きく揺れている。
「ふふ、やっぱり心配だったみたいだね。それじゃ、行きましょうか? お姉さん」
なにか納得したみたいにうなずくと、その場にへたり込んでいる私に手を差し出してきた。
私はその手にすがりつくようにして、立ち上がった。
その若いお医者さん、宿直室に私を招きいれ、手のキズの手当てをしてくれた。
「毎年、あるんですよねぇ~」
私の手に包帯を巻きながら、お医者さんは言う。
「病院って、決して刺激的な場所とはいえないでしょ? 元気に走り回れるわけでもないし、面白い経験をたくさんできるってわけでもない。ただ、毎日、同じようなことの繰り返し。だから、長く入院している子供の患者さんで、ときどきいるんですよね。物語の主人公になりきるというか、悲劇の主人公に自分を重ねちゃうというか」
「は、はぁ」
「本当は死ぬほどの大した病気ではないのだけど、ついつい家族やお医者さんがみんなグルになって、私をだましている! 私はこの病室で死ぬ運命なんだって」
「……」
「特に、この時期、病室から見える樹木は、みんな葉が落ちて、丸裸になってるでしょ? そんな中で、枯れ葉が一枚、枝に残っていたりすると、その葉が落ちる頃に、自分は…… って、勝手に思い込んじゃって、落ち込んじゃう子」
たしかに、亜理紗がそうだった。
「だから、毎年、あなたみたいに、接着剤をズボンのポケットに隠し持って、夜中に木に登ろうとする人が現れるですよねぇ」
お医者さん、フーとため息。
「す、すみません……」
「ああ、いいえ。いいですよ。別に」
包帯を巻き終わり、ポンと私の手を叩いた。
し、しかし、この包帯、ちょっと大げさ。手のひらをちょっとすりむいただけなのに、ひじの辺りまで、グルグルグルグル……
「まあ、そういう子供たちは、ただ退屈しているだけで、周りの大人たちが自分のことを心配して、木に登るようなバカなことをしでかし、大怪我してしまうなんて、考えてないんですよね。そこで、もし怪我したってことになると、大いに反省して、一生懸命治療に専念したり、リハビリがんばったりしてくれるから、こちらとしても、悪いことではないのですけどね」
「……」
意外と、このお医者さん策士?
「それと、昔、まだこの病院、先代が院長だったころ、家が火事になって全身火傷で入院してた子供がいましてね」
「は、はぁ」
「その子、火事にあっただけでなく、一緒に住んでいた両親も弟もなくしちゃって、一人ぼっちだったんです」
一体、何の話を始めるのだろう?
「絶望していてね。ただ、家族が待つあの世へ早く行きたいっていうのが、その子の唯一の望みでね。治療とかリハビリとか、全然身が入らず、なかなかよくならなかったんですよ」
「は、はぁ」
「その子のいた病室からは、きれいな紅葉の木が見えていてね。そうこうするうちに、葉が落ち、一枚きりになってしまった。もちろん、その子も悲劇の主人公に自分を重ねちゃってね。あの枯れ葉が落ちる頃には、死んだ家族と再会できるなんて、思い込んじゃってね」
「……」
「そしたら、ある夜、サンタのおじさんが窓の下に現れて、その木をよじ登り初めたわけですよ」
えっ? サンタ?
「驚いて、興奮して、その子、ベッドから跳ね起き、窓ガラスにかじりつくようにして、サンタさんを見て、応援していたんです」
たしかに、突然、サンタさんが現れて、なにか自分のためにしようとしてくれたなら、子供でなくてもうれしく、興奮しちゃうだろう。
「でも、あともう少しであの枯れ葉ってところで、サンタさん、脚を滑らせて、真っ逆さま」
「あらら……」
「サンタのおじさん、脚を折ってしまいました。で、その子、一部始終をカーテンの陰から見ていてね。すごく責任を感じてしまったんですよ。自分のせいで、サンタさんに怪我をさせてしまった。申し訳ないって」
「は、はあ」
「だから、その日から一生懸命、治療に専念し、リハビリをこなして、ついに、元気になって退院することができたんです。もう、死にたいとか、家族のもとへ行きたいなんて、考えることもなくね」
「それは、よかったですね」
「ええ、で、その子、十五年後にまたこの病院に今度は医者として戻ってきましてね。そしたら、気がついたんですよ。この病院の病室から見えるすべての木、どれも一枚だけ絶対に落ちない葉っぱがあるって」
「えっ?」
「だれかが、偽の葉っぱをくくりつけてたんですよ。絶対に落ちない偽の葉っぱを、だれかがね」
「……!?」
「十五年の間に、だれかがそうしたんでしょうね。子供の時には、絶対にそんな細工なんてなかったのですから」
「……」
「だから、もう木登りには挑戦しないでください。打ち所が悪くて、死んでしまったら、それこそ亜理紗ちゃん、二度と立ち直れなくなっちゃいますよ」
「は、はい、すみません」
そのお医者さん、満足そうにうなずくと、小さく笑った。
「はい、ではお大事に」
「はい、ありがとうございます」
私、ぺこりとお辞儀をしてその場を後にした。
「あ、お姉さん、亜理紗ちゃん、最近、治療に協力的になってくれてるし、リハビリも頑張ってますよ。この分ならもうすぐ退院できるかもしれませんね。よかったですね」
いつものように小児病棟へやってきた私に、顔見知りの看護婦さんが、明るい笑顔で話しかけてきてくれた。
あれから、亜理紗、なにも言わなかったけど、一生懸命、病気に打ち勝とうとするようになってくれた。
私の包帯、ずい分小さなものになっているけど、まだ私の手を覆っている。
本当は、手のひらのキズなんて、きれいさっぱり治っているのだけど……
私、看護婦さんに「ありがとうございます」なんて、言って亜理紗の病室へ向かって廊下を進んでいった。
と、行く手から、片足を引きずった白いヒゲの老人が杖を突きながら、私とすれ違った。
その老人とすれ違うとき、お医者さんや看護婦さんたち、丁寧なお辞儀をして通り過ぎていく。
モジャモジャのあごひげで、赤ら顔、太鼓腹のおじいさん。前の院長先生が散歩がてら、院内を見回っているのだと、知り合いの看護婦さんが先日教えてくれた。
「そっか……」
私は小さくつぶやいて、亜理紗の病室へ入っていった。
窓越しに、今日も、北風にそよぐ枯れ葉が一枚見えている。絶対、散ることのない葉。
包帯に包まれて、私の手、温かかった。
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