小は大を兼ねる

槇いきる

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小は大を兼ねる

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優希とのセックスを拒んだ。
 彼は困惑した表情を浮かべていた。いや、少し不満げだったかもしれない。
 優希は「なんで?俺のこと好きじゃないの?」「今まで優しくしてあげたじゃん」とでも言いたげな顔だった。
 ただ、彼は優しかった。優しそうな態度を見せてくれた。大丈夫だよと言ってくれた。
 だから、私はただただ申し訳なさを感じた。
 私も中途半端な気持ちで付き合ってしまっていた。
 ただ、私は「好き」という気持ちがわからなかった。

 *
 杉本楓

 高校生になり、周囲が急激に恋愛モードに切り替わっていった。特に、うちの高校は公立ということもあり、比較的自由な校風だったため、ませている子も多かった。それは小学校から仲の良かった友達2人、結衣(ゆい)と美里(みさと)も例外ではなかった。
 昔は3人で集まった時は、実のない話ばかりしていた。
「そういえばさ、うちの彼氏がイク時さ、絶対白目になるんだよね。それ本人気づいていないらしくてさ、いつ言ってやろうか悩んでるんだけど」
「結衣またそんな下品な話して」と、美里はいつも返すが、美里は美里で似たような話をする。そして、話の最後にはいつも「楓(かえで)は彼氏作らないの?」と、聞かれる。最初は反応に困ったが、「えー、欲しいに決まってるじゃん。でも、できないんだよー。2人が羨ましい」と返すと、ちょうどいい感じに話が次に進む。「もっと積極的に男子と関わらないと」とか、「どういう男がタイプなのか」とか、私は一切興味がないけど、いつもできるだけ会話が萎まずに、だけど自分に注目が向かない方へと会話を誘導している。

 動画サイトを見ていれば、未成年は禁止ですと注意書きが書かれたマッチングアプリの広告が流れてくる。SNSを見ていれば、エロ漫画の広告が流れてくる。電車に乗れば、胸がやけに誇張された何かの漫画のキャラがそこかしこにいる。
 物心ついた時からそういう類のものが周囲にありふれているが、思春期に入ってからは特にそれらが苦手だ。



 ある日の放課後、学校の駐輪場の端にある自販機の前で、彼と彼の友達が話しているのが聞こえてきた。
「優希さ、やったの?」
「いや、やったよー」
「お、まじ?どうだった?」
「毛生えまくりで黒くて、なんかグロかったわ」
 彼はなぜか嘘をついた。
「えー、そうなの?なんか意外だわ。そういうの気使ってそうなのに」
 血の気が引いた。なぜ彼はそんな嘘をついたのか。もし本当にそうだとしても、男同士の仲なら女のデリケートな身体のことを、許可なく他人にバラしていいのか。私は彼のことを恋愛的に好きではなかったけど、悪い人ではないと思っていた。だからこそ、余計に傷ついた。
 悲しみと怒り、そして恐怖で身体が震える。
 彼らが私に気づかないままどこかへ行ってしまった後も、私はそこに座り込んで動けなかった。

 体育座りをして下を向いていると、誰かが後ろにいるのがわかった。
「大丈夫?」女の人の声だった。
 ゆっくり後ろを振り返ると、背の高い女の人がいた。
 涙のせいで視界がぼやけているにも関わらず、そこにいるのが誰なのか、はっきりわかった。高瀬ふみだ。
 高身長で、スタイルがよく、それでいて美人なのに彼氏を作らず、口数も少ないため、不思議な人という扱いを受けている。だからと言って、嫌われたり避けられたりもせず、男女ともに彼女と仲良くなりたいと思っている人は多い。
 「大丈夫?」もう一度、今度は確かに聞こえた。
 「う、ん、大丈夫」
「どうみても大丈夫じゃなさそうだけど。先生呼んでこようか?」
「それはやめて」なるべく力強い声で言った。こんなことを大ごとにされても、なんて説明すればいいかわからない。
 「じゃあ、落ち着くまでそばにいてあげよう」
彼女はそう言うと、私の隣に座った。
 チャイムが鳴る。
 私は初めて授業をサボった。
 彼女は何も聞いてこなかった。もうとっくに泣き止んでいるけど、顔を上げたところで、彼女と何を話せばいいかわからないし、泣き顔を見られたくなかった。
 しかし、私はだんだん沈黙に耐えられず、勇気を出して言葉を発した。
「私さ、友田優希と付き合ってたんだけど」
「そーなんだ」
「彼とさ、その、あれができなかったの。私の気持ちの問題で」
「ふーん」彼女はあまり興味のないような返事をする。だけど、たぶん、それは彼女の優しさだ。
 不思議と彼女には、全部話してしまった。私は彼が好きではないこと、恋心がどういうものかわからないこと、彼らが話していた内容にモヤモヤして怖くて泣いてしまったこと。
「本当に最悪だね」彼女の声は小さかった。だけど、力強く感じた。

 涙は枯れたものの、私の目の周りはパンパンに腫れ、彼女は私の背中をさすりながら教室に戻った。
 私は絶対に先生に怒られると思った。教室の扉を開けると、教室の中がざわついた。先生はざわついた教室を「はい、静かにして」と教室を静める。
「早く席に戻りな。それと、あとで2人とも職員室にきなさい」とだけ、私たちに言った。

 *

 先生に言われた通り、授業が終わった後、職員室に行った。私と高瀬ふみ、2人とも。
 先生は何度も「なぜ授業に遅れてきたのか」と聞いてきた。でも、なんて答えればいいかわからなくて、ずっと黙っていた。高瀬ふみもきっと私の話を勝手にするのはどうかと思って、黙ってくれていた。
 ただ、先生はしつこかった。男の先生だったのもあって余計に話したくなかったけど、仕方なく、それとなく伝えてみた。
「そうかあ。それは傷つくかもな」と、先生は丁寧に整えられた顎鬚を触りながら言った。味方してくれたのかと思った。
「まあ、でも、あいつらも男だし、思春期ってのはそういうことに興味が出る年頃だから許してやってくれないか」
と、笑った。
 許す?私はそんな話をした覚えはない。絶望した。先生は悪い人ではない。だからこそ、少しだけ期待していた。許す、許さない以前に、私の傷はどうすればいいのか。笑って話してほしい話題でもなかった。
「最っ低」
 高瀬ふみが隣で大きなため息をつきながら言った。
 先生が一瞬動揺したように見える。
「先生も結局そんな感じなんだね。行こ、楓」
 高瀬ふみは私の手を握って、職員室を出た。
 先生は戸惑いながらも私たちを呼び止めていたが、彼女にはまるで聞こえていないようだった。



 「復讐しよう」
 休み時間になると、彼女は早歩きで私の席に来た。
「復讐?」
 私は、彼女が何を言おうとしているのか、よくわからなかった。
「そう復讐」相変わらず彼女の言葉は力強い。
「復讐って何するの?」
「それは…、これから決めるんだよ」彼女はニコッと笑った。

 放課後、帰りながら話そうとなっていたけど、
「ねえ、やっぱ暑すぎるから、教室で話そ」と、下敷きで顔を仰ぎながら言ってきた。
 私に拒否権はなかった。
「復讐ねえ、考えたこともなかった、、、」
「あなた、良い子そうだもんね」
「良い子」と言われることが嫌だと感じたのは初めてだった。
「んー、友田の弁当に、めっちゃカラシ入れるとか?」
「なにそれ、そんなんでいいの?」と彼女は笑う。さっきの良い子に続けて、馬鹿にされたような気がした。
「えー、じゃあ、彼氏の家ぶっ壊してみた、とかは?」
「いや、Youtuber?」
 彼女は大口を開けて笑った。こんな感じで笑ったところを初めて見た。それ以前に、こんなふうに誰かと長話しているところすら見たことがなかった。
「なんか違うんだよなー」
「なによ、文句ばっかりじゃなくて、そっちが案だしなよ」
 彼女は教壇から降りて、歩き始めた。
「うーん、なんだろうな。別に彼を直接攻撃するものじゃなくてさ」と言いながら、彼女は立ち上がった。
「どういうこと」
 彼女はスティーブ・ジョブズみたいに教室を歩いている。
「なんか、これは直感なんだけど」
 彼女は言葉を選ぶように喋る。
「かつてのロックや、ヒップホップが社会に対するカウンターカルチャーだったように、こう何か大きなものにカウンターできるようなもの」
 私は全然ピンと来ていない。しかし、高瀬ふみは今まででみたことないくらいはしゃいでいる。私が知っている彼女はもっとクールで、落ち着いている。今私の目の前にいる彼女は我儘で力強くて、私が知っている神尾女と同一人物とは、とても思えない。そんな彼女に引っ張られてしまった。
「うーん、カウンターって例えばどんなのがあるのよ」
「学校の壁に絵を描くとか?」
「いや、捕まっちゃうよ」
 難しい。逮捕されるようなことをやっちゃダメだし、かと言って復讐でもなんでもないことやっても意味がない。
 私たちは、とりあえず黒板に思いついたことを箇条書きで書いていった。

 あいつへの復讐
 ・学校の壁に落書きする
 ・ペンキをかける
 ・ラップ

「器物損壊罪、傷害罪だな」
 体がビクッと反応した。体の反応と同時に振り返ると、八木先生がいた。
 国語の教師で、黒い眼鏡をかけている。普段笑っているところをあまりみたことがなく、先生の授業はみんなどこか緊張している。
「ふっ、ラップって何?それは違法じゃないけど、復讐になんの?」
 先生が珍しく笑った。
「あなたたち、本当に復讐やる気あんの?」
「どこから聞いてたんですかあ」と、高瀬ふみが無気力につぶやく。
「あなたたちがどんな痛みを与えられたのかは知らないけど、私刑はよくないわね」
 壁にもたれかかっていた先生は、壁から背中を離し、歩き始めた。
「この国では器物損壊も傷害も許されていないけどね、表現だけは自由なんですよ」
「つまり、何が言いたいの?」
「3ヶ月後、文化祭があるわよね?」
 私はまだ先生が何を言いたいのかよくわからなかった。
「そこで演劇をやりなさい」
 一瞬だけ私には、教室の色が変わった、ように見えた。

「何で演劇なんですかあ?」
 昨日、すぐに下校時間になったため、私たちはそのまま帰らされた。
「あなたたちは、何で復讐なんてしたいの?」
 何で先生は演劇なんて言ったのだろうか。
「それは...」
 私に演劇なんてできるのかな。
「私、演劇やってみたかもなぁ」とつい言葉に出てしまっていた。
 えっ、と高瀬ふみがこっちを振り向いた。八木先生の口角が上がる。
「ふふ、どうする?高瀬ふみ」
「でも、私、人前に立ちたくないし」
「これまでの感じから察するに、これは杉本楓の復讐じゃないの?」
 彼女は頭を抱えていた。高瀬ふみは芸能人顔負けの顔とスタイルだ。彼女ほどの人間がなぜ人前に立つことを嫌がるのだろうと、私には不思議だった。
「な、なんで演劇なんですか」
 先生は顔を下に向けて顎を右手で触りながら黒板に向かって歩き始めた。
「演劇には脚本がある。その脚本は、0から作ってもいいし、既にあるものを使ってもいい。既にあるものに手を加えて別のものを作ってもいい」
 高瀬ふみが集中して聞いている。私も自然と耳を傾けてしまう。八木先生は、普段の授業よりも楽しそうだ。
「そして、物語はうまくいけば人の心を動かす。あなたたちのいう復讐も、法律の範囲内でできるかもしれない」
先生は私たち2人の目を交互に見た後、「そして何より、私が演劇を好きだからだよ」と、ドヤ顔で言ってきた。
私は少し笑ったが、高瀬は最後のセリフを聞いていないようだった。
 高瀬ふみは少し考え込んだのち、「わかりました。それでやりましょう」と言った。
 私は緊張と興奮が入り混じる不思議な感情だった。
「ただ、一つ条件があります」と、普段より少し大きい声で高瀬ふみが言う。
「先生も役を演じてもらえませんか?」
 高瀬ふみが挑発気味に言うが、「もちろん」と先生は満更でもなさそうだった。
「それでは、早速スケジュールを立てましょう。脚本がないと話にならん。文化祭までは3ヶ月。まずは1ヶ月で脚本を完成させるぞ」
 先生は気合が入っている。
「まずは、一週間で作品の骨組みとなるプロットを考えよう」
「プロットってなんですか?」
 私が質問しようと思った矢先、間髪入れずに高瀬ふみが質問した。。
「作品の大まかな流れ、簡単にいえば起承転結だな。やり方は、、、そうだな、今はネットにいろんな情報がのっているから、そこで調べてみるのも手だね。あと、文化祭みたいな非営利のものには著作権法が適用されないから、既にある作品やそれをモチーフにしたものを持ってきても大丈夫だ」
 なるほど、とは思うものの。何も思いつかない。まあ、そりゃそうか。
「じゃあ、また来週」

 いつか何か思いつくだろうと考えていたが、何も思いつかないうちに、2日たってしまった。そこから、そういう楽観的な考えはやめて、机に座ってじっくり考えた。私が描きたいテーマや感情、体験をとりあえず書き出してみた。本当にこれが書きたいのかわからないけど、とりあえず思うがままに書いてみた。

 彼に私の身体を見せるのに抵抗があった。
 見せていないのに、私の身体がいろんな人に伝わった。それはもっと嫌だった。
 彼は理解してくれなかった。
 私も良くないところはあったと思う。
 けど、やっぱり納得いかない。

 起承転結は考えてみたけど思いつかなかった。ただ、これは私の復讐で、私が書きたい物語はこの内容に沿ったものがいいと思った。



 「一週間たったけど、進捗はどんな感じかな」
 「一応できたって感じ」と、高瀬は俯きながら言う
 私はあんまり自信がなかった。プロットってこんな感じで合ってるかどうかもわからない。高瀬ふみはどんなものを書いてきたんだろうか。
「さあ、どっちから発表しようか」
 私は自信がなかったので、先に発表したかった。自信がないことをアピールするようにゆっくり手を上げた。
「じゃあ、杉本。発表しようか」
 私は考えてきたことを発表した、というよりメモ書きを2人に見せた。
「これは、プロットというより、テーマ、、、ですらないか」
「ですよね、プロットじゃないなあと思いつつ、今はこれが限界でした」
 先生は授業では見たことないくらいの優しい笑顔を浮かべている。
「でも、これも大事なことだな。まずどんなものが書きたいかを考える。テーマでも体験でも経験でもなんでもいい。とりあえず書き出してみることが大事だ」
 「では、次」と言って、先生は高瀬ふみの方を見る。彼女は俯きながら鞄をガサゴソして、私と同様にノートを開いた。
 私と先生はそれを覗きこむ。

 「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」
 「それは白雪姫だよ」
 女王様は怒りに震えて、白雪姫の毒殺を企み、白雪姫は毒の魔法によって殺されてしまう。
 王子様は棺に眠る白雪姫を見つけ、キスをする。
 すると、不思議なことに魔法が切れ、白雪姫は生き返り、王子様と結婚をし幸せに暮らす。


「これは白雪姫だな」
「わかってます」と、高瀬ふみは怒り口調で言う。
「本当はこれが書きたいわけじゃないんですけど、私が一番書きたいテーマに近づけるかもと思って」
 彼女が言い淀んでいるのを見て、先生は何かを察したようだ。
「じゃあ、こうしようか。白雪姫をベースにして、杉本の考えたテーマを織り交ぜつつ、脚本を作っていこうか」

 そして、私たちは1ヶ月で脚本を考えた。まあ、ほとんど先生と高瀬ふみが考えたんだけど。

 「先生、何かやってたんですか?」
 先生はメガネをクイっとあげて、ニヤリと笑う。
「実は、高校生の時、小説グランプリで優勝したことあるんだ」
「え、それめっちゃすごくない?」
「めっちゃすごい」先生は自信気にそう言ったが、どこか恥ずかしそうだった。
 「よし、脚本もできたし、こっからはセリフに落とし込んでいく作業だね。もういい時間だから、それは明日からまたやろうか」
「はあーい」
 私たちの張りのない声は教室に響いた。
 これまで交わることのなかった私たちはかなり親交を深めた、と思う。
 ただ、私は、なぜ彼女がこの復讐に積極的なのかを聞こう聞こうと思いながら、聞けずに時が過ぎていった。



 ある日、廊下を歩いていると、男子数人が教室で話している声が聞こえてきた。
「お前、3組の中だったら誰が一番好き?」
「えー、俺は岡安さんかな、あの女の子っぽい感じが刺さるな」
「お前、そういう感じかあ、なんかわかるわ」
「お前は誰なんだよ」
「おれは高瀬さんかなー、やっぱ美人でおっぱいでかいし。高瀬さんの彼氏、きっとパイズリとかしてもらってるんだろうな、いいなあ」
「わかる、俺も顔じゃなくて胸まず見ちゃうもん」
「いや、でも顔もいいだろ」
 私は息が詰まりそうになった。
 そうか、彼女はこれまでずっとそういう視線に晒されてきたんだ。
 私が一度向けられて立てなくなるほど嫌だったものにずっと晒されている。
 そして、私の持っていた彼女の「クールで無口」な印象は、きっと彼女自身が望んだわけじゃなく、自分を守るためにせざるをえなかったことなのかもしれない。
 彼女は私の受け皿になってくれた。でも、私は彼女の受け皿になりうるのだろうか。

 *高瀬ふみ
 視線視線視線。
 電車で感じる私への視線。
 これを初めて感じたのは小学六年生の時。久々に田舎へ帰省した私の頭を撫でる親戚のおじさんの目がこれまでと違っていたのを感じた。
 中学1年生の時、男子生徒が私の胸が大きいことをネタにちょっかいをかけてきた。いままで一緒に遊んでいた男の子たちは私を同じグループには入れてくれたけど、接し方が変わってしまった。
 女子の中でカーストができるようになった。どうやら私は一番上らしい。そんなに話したこともない彼女たちが私の何を知っているんだろう。
 高校生になって電車で学校に通うようになると、人生で初めて痴漢にあった。
 たとえ触れられなくてもこっちに向かう視線を毎日のように感じるように感じていた。ずっと気持ちが悪かった。

 あの日、中庭で彼女は泣いていた。
 なぜかわからない。でも、私には、私なら、彼女のことを理解できる気がした。だから、私は復讐を提案した。彼女は信用してもいいと思った。



 ついに演技の練習が始まった。
 先日、楓に白雪姫役を頼まれたが拒絶した。なるべく他人から視線を浴びないように生きてきたのに、そんな役、引き受けてしまったら今までの努力が水の泡だ。彼女の勧誘はかなりしつこかったが、「これはあなたの復讐なんだから、あなたがやらなきゃダメじゃない?」と言ったら、彼女は諦めてくれた。
 演者は3人しかいない。演技自体が初めてなのに、1人で複数の役を演じることがどれだけ難しいことかやる前からわかっていた。それに、私は演技に対する恥ずかしさを拭い切れてはいなかった。どうしても言葉や行動の端々に恥ずかしさを感じて役に入りきれなかった。
 「どうして助けてくれたの」
 そんな私を差し置いて、彼女の演技力は素人とは思えないものだった。
 私の瞳の中で、彼女の演技は光っていた。
「杉本は絶対に白雪姫をやった方がいい」
 先生がそう言った。彼女はそれが自信になったのか、みるみると成長しているように見えた。

 練習終わり、ふと彼女に質問をした。
 「演技するの楽しい?」
 私は、なぜ彼女が演技をする時、こんなにも光ってみえるのかを知りたかった。
 「わかんない。けど、心地いい感じがする」
 彼女は俯いている。私と話す時、楓はいつも俯いて話しているけど、いつもより瞳が美しくみえる。
 「演技は私を別人にしてくれる。私は私が嫌いだけど、演技をしている間は私でいられなくてすむ、なんてね」
 彼女は、恥ずかしげに笑った。
 彼女が羨ましかった。つい、私には何もないと思わされてしまう。マイナスな方へ気持ちが流れていく。

 今日も電車に乗る。
 私が乗る電車は郊外から都内に繋がっている電車で朝の通勤ラッシュは地獄だ。
 まるで、すでにパンパンの冷凍庫に冷凍ご飯をなんとかして詰め込んでいるかのような、そんな電車だ。
 男の人は、痴漢冤罪を気にしてか両腕で吊り革を持っている人が多い。
 みんな無関心を装って、スマホを見ている。
 中にはチラチラこちらを見てくる人もいる。そういうのはすぐにわかる。
 満員電車に乗っていると、他人が、人間なのか人間っぽい動きをしている宇宙人なのかわからなくなる。
知らない間に、銀色の棒の光によって記憶を消されているんじゃないかって。
 痴漢をしてくる人も、多分私を同じ人間だと思っていないんだろうな。

 最近は、駅で楓と待ち合わせをする。
 楓はたぶん、私に心を完全には許していない。だから、私の方も少し距離を置いている。私はそんなの気にしていないみたいに話をする。
 学校では他人と全く話をしない。「うん」と「はい」と「わかりました」ぐらいしか言葉を発していない。
 だけど、本当は話すのが好き。
「楓はラジオとか聞くの?」
「え、聞く聞く」
「誰の?」
「ハライソとか?」
「え、私も聞いてる」
 楓は「ラジオとか聞くタイプなんだ、意外」って顔してる。少しだけ寂しい気持ちになる。
「あと、佐久間幸信とかも好きだな」
「え、私も。テレビのプロデューサーなのにトーク面白いし、何よりコーナーが好きなんだよね」
 楓はいつもより早口で話してしまったことを後悔しているように見えた。
 でも、少しだけ仲良くなれた気がして私は嬉しかった。

 出来の悪い私たちが作ったプロットをもとに、先生の力を借りて私が脚本を作った。
 なぜ先生は私たちに協力をするのだろうか。
 演劇が好きだとは言っていたけど、演劇が好きなことは、私たちに協力することの理由にはなっていない。

「先生はなんで協力してくれるんですか」
 私はなんの気無しに聞いてみた。
「なんだ?急に。」
 先生鼻の下をかいている。
「そりゃ、生徒思いのいい先生だからに決まってるだろ」
「はいはい、そうですね。あなたが正しいです」
「やめろ、そのインプレゾンビみたいな話し方」
 先生は深いため息をついた。
「私たちはシステムの中で動いている」
 先生の雰囲気が少し変わった。
「いや、動かされているとも言えるな。君たちならわかるだろう。高等学校という仕組みの中で、校則というルールがあり、男は男の制服を、女は女の制服を着る。そこでは、高校生らしい行動を求められる。ただ、君たちはそこに疑問を持ったことがあるか?当たり前のように、男女1組で座席が隣同士になっているが、それはなぜだ?」
 私は先生が何を言いたいのか、あまりわからない。けど、楓はえらく真剣にこの話を聞いている。
「私もそうだ。君たちの前では、教師という立場の中で求められる発言と行動をしている」
 先生はいつになく真面目な顔をしている。
「それは学校だけではない。私たちは社会の中でしか生きられない。社会の中にある慣例や慣習、制度、価値観。それらに影響され、いや、影響しあって生きている。あなたたちが苦しんでいるのも、きっとそういった類のもの」
 私には難しい話だ。でも、楓は何か納得した顔をしている。
「表現はそういうものに影響を与えうるものだと、私は思う。そして、君たちが時代の価値観に影響を与えようと動くことに私は大賛成だ」
 先生が見たこともない満面の笑みを見せた。
「だから、私はあなたたちを支援する」
 帰り道、私は楓に先生が言っていたことの意味がわかったかどうか尋ねた。楓はキョトンとしていた。
「何言ってんの。あれ、高瀬が言ってたこととほぼ同じじゃん。何か大きなものにカウンターするって」

*  

「ねえ、ちょっと脚本変えてみない?」
 本番まで1か月を切っているのに、楓がそんなことを言い出すもんだから、私は困惑した。
「え?正気?もう本番まで1ヶ月切ってるんだよ」
 イラつきが声色にでてしまう。
「うん、マジ」
 私は呆れて声が出なかった。
「テーマは私の頭の中にある。それを高瀬の手で脚本にしてもらいたいんだ」
「え、わたすが?」
 驚きすぎて噛んでしまった。
「わたすがってなに」
 彼女は大声で笑っていた。イラついているのに笑われて、つられて笑いそうになる。それにまた苛立つ。
「でも、なんで急に」
「ずっと考えてたことがあって、それが先生の話を聞いてはっきりしたんだ」
「それで、先生に頼めばいいじゃない。なんで私なの」
「高瀬の最初に書いた脚本、白雪姫の要点が上手にまとめられてた。それに、そのあと先生と一緒に作った脚本だって、先生に協力してもらったとは言え、高瀬が頭の中にイメージしていたことを脚本にしたものでしょ」
「そうだけど」楓の言っていることはあっている。けど、もう1ヶ月を切っているのに脚本を変えるなんて、私にはできる気がしない。
「それに、高瀬だって本当は書きたいことがあるんじゃないの」
「なにそれ」また苛立ちが声色にでる。さっきは偶然だったけど、今回のは彼女に伝わるようにあえてそう言った。彼女は一瞬怯んだ。
「だから、私に復讐を提案したんじゃないの」彼女の声は震えている。けど、力強い。
「ふっ、私のなにを知った気になって」私の声も震えている。
「知らないよ」彼女の声に震えはなくなり、強く低い声が、2人しかいない教室に響いた。
「だって、私たちあえてお互いに踏み込まずにやってきたじゃん。でも、私はできる限り想像した。高瀬ふみが、なぜ私にあんな提案をしたのか。なぜ、他の人には見せない顔を私には見せるのか」
 彼女の声はまた震えはじめた。目は涙ぐんでいる。
「ずっと傷ついてきたんじゃないの?ずっと孤独だったんじゃないの?」私は彼女の方を向けなかった。いや、彼女に泣き顔を見せたくなかった。
「私は復讐がしたいんじゃない。世界を一気に変えるのは難しいけど、私の周りが少しずつ変わっていって、いずれは世界が変わればいいと思ったの。だから、あなたに脚本を書いてほしい。もう時間もないけど」
 なんてわがままな、と私は思った。
「私に踏み込んでこようとしなかったくせに」
 だめだ、だめだ。感情的になってはいけない。
「私と距離をとっていたのは、私じゃなく、そっちの方じゃない」
 これ以上言ってはいけない。
「ちょっと、自分に自信がついてきたからって、人のことわかったような口聞いちゃって」
 視界がぼやける。今彼女がどんな顔をしているのかわからない。でも、それでよかった。
「そんなつもりで」
 ハァと、彼女が小さくため息をつく。
「いや、そうだったかもしれない。私、調子に乗って身の丈に合わないことしちゃったかも」
 違う、そうじゃない。
「ごめんね、踏み込みすぎたかも」
 彼女はもう一度、「ごめん」とつぶやいた。そして、教室からいなくなった、音がした。
 私の視界が歪んでいる。こんなことを言いたいわけじゃない。
 本当はさらけだしたい。今まで感じていた息苦しさを。受けてきた苦しみを。
 それをさらけだしたとして、彼女は私を拒絶しない。この感情を多少なりともわかってくれてるだろう。
 でも、私はずっとこの感情に蓋をしてきた。今までずっと開けずに放っておいたから、その蓋は容器と酷くくっついていて、剥がすのが難しくなってしまっていた。

 翌日、彼女の様子はいつも通りだった。ただ、昨日のことを考えるとあまりに不自然だった。
 いつも通り、駅で会い、おはようと会話を交わし、教室へ行き、私は普段通り寡黙を貫き、彼女は彼女で、1人を好んで過ごしていた。放課後も、いつも通り演技の練習をした。そして、いつも通り帰ろうとした。
「高瀬、ちょっといいか。杉本は帰っていいぞ」
楓は「はーい」と、無関心そうに言い、すぐに帰っていった。
「ついてきて」と先生は言い、”白部屋”に案内された。白部屋は、二畳くらいの大きさで、壁も机も全部真っ白で、何かをやらかして怒られたり、事情聴取されたりするときに呼び出される部屋だ。
「先生、私何かやらかしましたっけ?」先生は黙っている。
とりあえず座って、と言いながら部屋の電気を先生がつけた。そこからノーモーションでドカっと椅子に座る。この人、本当に海賊みたいな時あるなと思いつつ、私も遅れて椅子に座った。
「あんた、なんかあっただろ」
 思わず、えっ、と声が漏れた。
「私にはわかるんだよな」
 と先生がニヤニヤしていた。
「確かに、杉本の演技は素晴らしい。普段通りだった。けど、あまりに普段通りすぎる」
 どういうことだよと、私は思った。じゃあ、なんでバレてんのって。
「高瀬、、、あんたが不自然すぎるよ。あんたがいつもと違うのに、杉本が自然すぎる。杉本は観察眼がある。あんたのその不自然さに気づかないわけない。それなのに、杉本はそのことすら気にしないようにしていた」
 私は呆気にとられた。
「私も伊達に教師をやってるわけじゃない。教師は超がつくほどブラックなんだ。これくらいの観察力がないとやってられない。ただの海賊じゃないぞ」
 驚いた。教師になると、心の声まで聞こえるようになるんだ。
「働きすぎると、変な力まで手に入るんですね」
 皮肉を言ったつもりなのに、先生は何故か笑った。
「それで、なにがあったんだ」
 私は包み隠さず全部を話した。私が今まで受けてきたことや、感じてきたこと、そして楓とのことも。先生に嘘をついても全部見透かされてしまう気がしたから。
 先生は何一つ表情を変えなかった。いつも通り、無表情で、私の話に関心がなさそうに、聞いていた。
「なるほど。そういうことなら、簡単じゃないか」
 先生は足を組み直し、顎に手を置き、私の目を見つめてきた。
「あいつは、あんたに、勇気出して踏み込んできたんだろ。次はあんた、高瀬の番じゃないのか」
 ハッとした。踏み込んでいなかったのは私の方だった。先生が大きなため息をついた。
「楓の家知ってんのか」
「知らないです」
 教師が生徒の個人情報を教えるの御法度だからできないけど、と言いながら、先生は楓の住所が書いてある紙をテーブルの上に置いた。
「高瀬が勝手に見ちゃった分には、仕方がないことだよな」と悪い顔をした。
 いや、洋画かよ、と私は思った。



 とりあえず、彼女の家のインターホンを鳴らす。
 あの後、先生はこういうのやってみたかったんだよね~とドヤ顔で白部屋を出ていった。私は、先生が白部屋に残していった紙切れを持って、楓の家に来た。
 彼女の家は、普通の一軒家だった。「はい」とインターホン越しに声が聞こえてきたため、私は楓の友達と名乗り、楓の部屋がある2階に案内された。こういう場合、お母さんが楓を呼んで、楓が私を案内するのが普通だと思うが、なぜか楓の部屋の前までお母さんに案内された。私はどうすればいいかわからず、とりあえず部屋のドアをノックした。これではまるで引きこもりの同級生を外に連れ出そうとするクラスメイトみたいじゃないか。
「はーい、入りなよ」
「どうも」
「えっ」
 彼女は私を見ると同時にイヤホンを外し、こちらに向かってきた。
 「ちょっ、なんで急に。待って、まだ入んないで、部屋汚いから」
と言われ、もう見てしまったが遅くないかと思ったが、彼女は私の背中を押しながら外に出した。そんなに散らかってるようにも見えなかった。私の部屋の方がこの部屋の5倍は汚い。
「いいよ、入りな」と、なぜかシャイニングのポスターみたいな格好で部屋に誘われたため、思わず吹き出しそうになった。
 部屋の真ん中に小さめの机があったため、そこを囲うように床に座る。
 一瞬沈黙が流れる。沈黙って、時間が止まる感覚なのに、なんで流れるって言うんだろう。そういう意味では、訪れるとかの方がしっくりくるな、とかを考えてしまう。
「あのさ、ごめんね」
 彼女の声でふと我にかえり、私は顔を上げる。
「な、なんで謝るの」
 彼女は頭の後ろをさわりながら、目線は斜め下を向いて話し始める。
「いや、子どもみたいなことしちゃったなと思って。そりゃ、誰にだって話したくないことはあるだろうし、そこに土足で入り込むなら、もう少しやり方はあったなって思って」
「だから、ごめん」と、今度は私の目をみて言った。
 私は息を少し吸った。
「私の方こそ、ごめん」
 話す内容は決めていなかったが、彼女の目を見てちゃんと話そうとだけ思っていた。けど、やってみると、ずっと目を見て話すのはなんだか恥ずかしいため、目を離したり合わせたりを繰り返しながら話す。
 そこからは、私が感じる男からの視線だったり、痴漢だったり、私が友達の彼氏を誘惑したと言われ縁を切った友だちの話、そういうことの積み重ねから私は他者との関わりを避け、自分の感情にも蓋をするようになったこととか、今私が言語化できることはなるべく彼女に話した。
 「そうなんだ」彼女の反応は意外と軽かった。
 でも、嫌な反応ではなかった。むしろ、彼女のその軽い返事は、この後どういう反応をするかを考えているように見えた。
「私には、ふみと同じ感情を感じることはできないな」
 彼女はため息混じりにつぶやいた。
「でもさ、私もこの前、ふみの言う視線みたいなものを感じてさ、ふみはそういうものをずっと、ほぼ毎日感じているって考えると、胃がきゅっとなる感じがある」
 彼女のこの感じは演技ではない、と思うと同時に、彼女なら絶対にわかってくれると思っていたのに、何を怖がっていたんだろうかと思い、心が軽くなった
 私は、このなんとも言えない暗い空気感に、少しむずむずして、空気感を変えたくなった。
「はい、一旦いろんなものを仕切り直そうか。楓はなんで台本書き直そうと思ったの」
 私がそう言うと、彼女の目に光が戻った気がした。
「私ね、少し勉強したんだ。なんで私たちがこういう思いをしているのか。男社会がどういうものなのか」
 やっぱり楓は真面目なんだなと思ってすぐ、その考えを取り消した。そうじゃない、楓は本気なんだ。楓は本気で復讐、いや変えようとしてるんだ。彼女の周りの世界を。
「そしてね、思ったの。この社会のシステムだったり、制度だったり、そういうものにさ、誰もが影響されてるんだよ。全部の行動が自分の意思であると思い込んでいるだけで、実際は自分の意思で考えたり、行動したりしていることが、どこまでが自由意志なのか、私たちはたぶんずっとわからない。自分の欲望でさえも、それがほんとうにじぶんのやりたいことなのかはよく分からない」
 私がポカーンとしていると。それが彼女に伝わった。
「例えばさ、ふみだって、寡黙なキャラになることを自分で選んだと思ってるかもしれないけど、そういう環境に置かれて、そうなることを選ばされたとも言えるよね」
 「まあ、そうかもね」
 「私たちはその時置かれている環境の中にある選択肢の中でやりくりしている。しかも、その選択肢は全部がはっきり見えるわけじゃない。どの選択肢を選ぶかどうかはその人次第だけど、それぞれの選択肢の選びやすさは人によって異なる」
 「つまり、もし私が男だったら、逆のことをしているかもってこと?」
 ちょっと飛躍してる気もするけど、極論を言えばそういうこと、と彼女は話を続けた。
「そして、そのシステムに気づかないと、抜け出そうという発想すら起きない」



「それは、ホモソーシャルだな」
 先生は教卓の前に立つ。いつものように放課後に集まり、先生に台本を変えたい旨とその理由を説明した。
「難しい言い方をすれば、男性優位社会を保つために、前提とされる男同士のつながりだな」
 私には少し難しい。楓も、本でその用語は見たけどよくわからなかったと言っている。
「もっと具体的に言えば、同性愛を排除し、女をモノのように扱うことによって、維持される関係性とでも言えばいいかな」
「なんかもっとわからなくなりました」と私は言った。
 これ説明するの難しいなあ、と先生が呟いている。
「例えば、杉本がされたことは、いわゆる女性をモノとして扱うミソジニーってやつだ。男同士で女を下に見るような下ネタを話し、女性を会話の中に入れない。もっと言えば対等な関係性の中にいれない」
 先生はいつもより優しく話しているが、いつもより声に力が入っていて、少し怖い。
「君らはまだ高校生だからあんまりピンとこないと思うけど、会社で働いたりすると、男が女に対してそういう下ネタを言うことによって、女は男と同じ土俵に立てないことも多々ある。そして、それは男が無意識にやっているかもしれないし、意図的かもしれない」
 先生が珍しく俯いていて、頭を掻きむしりながら話している。
「大人の男は、風俗やキャバクラに行って、男同士の仲を深めたりもする。しかも、仕事でだ。そこに女は入れない。そうなると、女は男のように出世ができない。仕事でできる幅も自ずと狭くなる。すべての人に人権があり、女とか男とかの前に、私たちは皆同じ人間なはずなのに、大人になればなるほど、男と女は違うということをこれでもかと突きつけられる」
「すべての人に人権があるはずなのに」と、先生はもう一度呟いた。
「痴漢だって、レイプだってそうだ」
 急に出てきた、普段教師が生徒の前で直接的に言わない言葉に一瞬びっくりする。
 「他者は決して自分のものではない。当人の同意なしに他者をどうにかしようとしてはいけない。ましてや、女の体は、組織の中で権力関係を維持するためのモノでもない」
 先生は急にハッとなり、下に向けていた顔を上げ、私たち2人を交互に見つめる。
「そういうものに自覚的である人はおそらく少ない。だから、それに自覚的になって、みんなで変えようというメッセージをこめることは、とても私は大切なことだと思う」
 先生の言うことの全てはわからなかった。だけど、私の経験とダブるところもあったし、少しわかった気がする。私たちは、社会の中で生きている。無人島で1人で暮らしたりしない限り、そこからは抜け出せない。
脚本を修正したい理由にも納得ができた。そして、何より私が脚本を書き換えたいと思えた。
 「わかりました。私が脚本を書きます」
 先生は今までにないほど優しく、でもどこか怒っているような、そんな笑顔を私に向けた。
「これは高瀬が書いた方がいいと私も思う。私もできる限りサポートする」

友田優希

 楓にセックスを拒絶された。
 楓は俺のタイプではなかった。でも、顔は普通によかったし、性格も大人しい子だなと思うくらいで良い子だった。なにより、童貞卒業できるならって、そう思って付き合った。
 結局ダメだったけど優しく接した、つもりだった。
 本当はショックだった。え、なんでって思って動揺した。
 でも、もしかしたら今はできないってだけで、次があると思って優しく接していた。
 次の日、木村に楓とのセックスの感想を求められた。俺はあまりそういう話は好きではなかったし、本当のことを言おうとも思った。けれど、言えなかった。
 セックスできなかった、今も童貞だって、言えなかった。それに、少し腹が立っていた。だから、あんな嘘をついた。それにしても、あの話が他の人にも広がるとは思わなかった。まして彼女にも聞かれているなんて、思いもしなかった。
 でも、男同士の関係なんてそういうことを話したからこそ、深い中になっていくんだろとも思う。

 楓と俺の関係は自然消滅したと思っていた。いや、実際にしていた。文化祭の頃にはもうみんなそんな噂も忘れていたし、俺も新しい彼女を探していた。
 だから、楓が文化祭の演劇を見にきて欲しいと言いに来た時は驚いた。
 本当は言いたいこと、いや言うべきことがあったはずなんだけど、声が出なかった。「え、あ、うん」とだけ言って、俺はその場を立ち去った。

 文化祭当日、演劇なんて観るつもりはなかった。でも、クラスの出し物もそれなりに参加して、1日目に回りたいところも全部回ってしまった。2日目はとにかく暇で、あの時の楓の言葉がなぜか頭に残っていて、つい見に来てしまった。中庭の端にコンクリートと土の境目があり、土の方にお尻が当たらないように体育座りをした。席に座って見るのは何か恥ずかしかった。
 会場は中庭のイベントステージで、1日目よりも2日目の方がイベントステージを見ている人が多いように見えた。1日目も人は多かったが、2日目は保護者にも開放していたし、高瀬が出演しているという噂が流れたからだと思う。

 公演が始まる。題目は白雪姫。彼女はなぜ俺にこれを見せたかったのだろうか。思考がぐるぐるする。
 思わず「えっ」と声が出る。
 まず、高瀬ではなく、楓が主役なことに驚く。
 最初はぼんやり見ていたはずなのに、楓の演技に目が奪われていく。
 みんな、高瀬を見に来たはずなのに、俺と同じだ。みんな楓に釘付けになってる。

「私はあなたの道具じゃない」

 彼女の叫びが中庭に響き渡る。
 ヒソヒソ話していた奴らもいつの間にか喋っていなかった。
 ああ、そうか、これは俺への当てつけ、いや復讐か。
 俺は彼女を人として扱っていなかった。あくまで「女」だった。男(おれ)と同じ土俵にはいなかった。いや、立たせないようにしていたんだ。
 でも、それは俺だって。俺だって、この土俵に立ちたくて立っていたわけではない。気づいたら立っていた。いや、立たされていた。
 下ネタだって、最初は好きじゃなかった。でも、男同士で下ネタを言うのを恥ずかしがると童貞だとか女っぽいとか馬鹿にされるのが嫌で、周りに合わせて下ネタを言っていたら、自然と口が慣れていった。しかも、そう言う時に言う下ネタは、自虐ではなく、相手を低く見せるためのモノだ。おい童貞だの、やらオカマだと、いじりにみせかけた罵倒をしあった。あえてそれを言わなくても、童貞であることがまるでスティグマのようになっていく。
 女を知っているものは、経験を元に知識をひけちらかす。そうやってマウントをとる。
 知らず知らずのうちに俺はそういう世界に存在させられてたんだな。

「みんなで一緒にその舞台から降りましょうよ」
 彼女の叫びがまた響き渡る。気のせいかもしれないけど、彼女の目はこちらを向いている気がする。
「私は違う人間で、だけど同じ人間です」
 彼女の手は震えていた。それが演技なのか、はたまた本当に震えているのか、見分けがつかない。
「私たちは、見た目も考え方も価値観も全く違う人間で、だけどみんな等しく人権をもっています。それは、私たちが男だとか女だとか関係なく、私たちは人間だから」
 ああ、そうか。これは復讐なんていうちっぽけなもんじゃない。
「一緒に変えましょうよ。その舞台を降りて、私たちと同じ場所で、同じ目線で生きましょうよ」
 これは変革だ。変えようとしてるんだ。俺の、いや俺たちの価値観を。
「私は人間だ、そしてあなたも」
 白雪姫は、王子に手を差し伸べた。



八木先生

 「やったね」
 カーテンが閉じたあと、彼女たちが手を叩き合う音が舞台裏で響いた。緊張が解けて気が緩んでいたのか、楓は見たことない笑顔だった。
 彼女たちは本当にすごい。楓の演技は見ている人全てを惹きつけた。高瀬の脚本は人の心を動かした。見ている人を感動させられる作品を生み出せたんだ。
「ふみ、ありがとうね」
「それは私の方こそだよ」
 2人はお互いで、依存せず、救いあった。そしてその救いは、彼女たちの周囲の小さな環境を変化させるには十分なものだった。
 ずるいなあ。私も彼女たちと同じ時代にに生まれていたかったなあ。いや、違うな。私の行動力の無さなのか。私だって同じことができたのかもな。それを環境のせいにして、自分1人で抱え込んで、そうやって生きてきたからできなかったのかもな。そんなことを考えていたら、2人が私の目の前に立っていた。
「先生もありがとうございました。先生がいてくれなかったら、きっとこんなことできなかったです」
 「ふっ」思わず笑ってしまった。
 そうか、とんだ自惚れだったな。私1人に何ができたのだろうか。私たちが、私が生まれるもっと前から紡がれてきたものが今ここにあるだけなんだ。
「こちらこそありがとうな」紡いでくれて。

 友田優希

 幕が降りた。王子が白雪姫と握手を交わしたのかどうかはわからない。
 とんでもないものを見た、見てしまった、というような驚きと同時に、とてつもない後悔と罪悪感が押し寄せてきた。俺はなんて愚かだったんだろう。男と女だから違う生き物ではなく、僕らは同じ人間だ。男同士だからこそ分かり合えるのではなく、違う人間だからこそ誰とも理解し合えない。
 それなのに、しょうもない権力とプライドを守るために女を使って、同じ男だということを確認しあいながら、必死に争って。傷ついて、傷つけて。本当、しょうもないな。俺って。いや、俺たちって。

 ずっと動けなかった。中庭の端であぐらをかきながら、雑草を眺めていた。後悔と罪悪感がぐるぐると交互にやってくる。
 俺は彼女にどう顔向けすればいいんだろう。彼女を傷つけた。しかも、それに目を背け、正当化した。
 ザッ、ザッと砂利の上を歩く音が近づいてくる。たくさんの人の話し声、歩く音、食べる音が入り混じって聞こえる中で、その音だけ確実にクリアに聞こえてくる。ああ、どうしよう顔を上げられない。
 彼女の靴が見える。
 「どうだった」と、彼女の声が聞こえる。
 本当は言うべきことがわかっている。なのに。俺は変われないのか。
「ふーん、何も感じなかったんだ」
「ち、ちがう」
 そう、ちがうんだ。本当は俺だって、この舞台から降りたいんだ。
「す、すまなかった」
 本当は言わなきゃいけないことが他にもあるってことはわかっている。
 でも、今はこの一言、この一言だけ。

 彼女がかがんで、手を差し伸べてきた。
 俺はその手を握りかえし、握手を交わした。

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