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変化
ダミアンside怒り
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もっとあの男を殴りつけた方が良かった。私は温室を落ち着かない気持ちで歩き回りながら、まだ収まらない怒りを持て余していた。隣の部屋で不穏な状況を感じていたのに、まさかあの男があんな凶行に出ると思わなかったのは私の失敗だ。
クレアの短い悲鳴にテラスから駆けつけると、彼女が床に倒れ込んだ姿に一気に怒りが噴き出して手が出ていた。床に転がった手応えのないあの男は、自分より弱いものにしか吠えない、まさに負け犬の様な人間だった。
そんな男に殴られて、クレアの赤くなった頬を見た時のショックはいかほどだっただろう。一瞬、立ち塞がった私の姿に恐怖を顔に浮かべた気がしたけれど、私だと知ると目を見開いて驚いていた。
私の呼びかけに、なぜか柔らかな空色の瞳を潤ませながら少し笑った。けれども頬を打たれたショックなのか、身体を震わせて頬を涙が伝うのを見たら、私は抱き寄せてもう大丈夫だとそう言うのが精一杯だった。
あの時私は彼女に何と言っただろう。大丈夫、私が側に居る、そう言ったのか?
今まで決して令嬢や貴婦人に言わなかったその言葉が自然に溢れ出した事実に、私は思わず立ち止まった。それからまた歩き出しながら、自問自答した。
気を許しているクレアだから、そう言ったまでだ。決して深い意味は無い。そう、彼女は私の秘密の小箱なのだから、心配するのは当然だ。
私は目の前に見える事実を知るのが怖くなって、いっそこの屋敷から立ち去ってしまいたいと思うほどだった。
けれど侍女と一緒に、まだ赤い頬を指で隠しながら私の前に現れたクレアを見て、瞬時にあの男をもう一発殴っておくべきだったと新しい怒りを感じた。一方でクレアに尋ねられた事に答えを持っていない事に気づいて慌ててしまった。
「ダミアン様、先ほどは危ない所を助けて下さってありがとうございました。ダミアン様がいらっしゃられなかったら、どうなっていたか考えますと、本当に恐ろしいです。…でもどうしてあそこにダミアン様がいらっしゃったのですか?」
貴族会議でクサクサしていたから、クレアに会いに行きたくなったのだとか、母上の手紙を読んだ感想を聞きたい気がするのだとか、正面切って答えるのはどちらも妙な答えになる気がして、私は困ってしまった。
「…近くに来たから寄ったのだが、丁度来客だった様で帰ろうと思ったのだ。だが家令にあまりクレアが望まぬ客だと聞いて、それなら別室から様子を見ようと申し出たのだよ。
それがまさか、私への逆恨みであんな事になるとは。クレアに私のとばっちりを食らわせてしまって本当に申し訳ない。すまなかった。」
するとクレアはにっこり笑って、次の瞬間には痛みで顔を顰めて苦笑した。
「元々ジョバンニ様を我が家に招き入れたのは私ですもの。あの方が私への求婚者として好意を寄せている訳ではないと言うのは感じていましたし。私、男の方を甘く見ていたのですわ。
どんなに私が向こう見ずでも、力が明らかに違いますのに…。とは言え、あの方はダミアン様の前では棒切れか何かの様に倒されてしまいましたわね?
こう言っては何ですけど、スッキリいたしましたわ。」
温室のベンチに並んで座っていると、いつもは意識しないクレア自身を改めて認識する事になった。私に物怖じしない様子で憎まれ口を叩くクレアに慣れていたせいか、私は彼女が本来儚げな美しい令嬢なのだと、本当の意味では気づいていなかったのかもしれない。
それだけにサラリとした銀色の髪の間から覗く赤らんだ頬が痛々しかった。ぼんやり私を見上げるクレアの顔に手を伸ばして、そっと指先で顎を掴むとじっと赤い頬を見つめた。
それから潤んだクレアの春の空色の瞳を覗き込んだ。目の周りが赤らんでいる。
「…さっきまで随分泣いていたのだな。最近の君は私の前で泣いてばかりだな。まだ痛むだろう?もっと冷やそう。」
テーブルに置かれたミント水でハンカチを絞ると、そっとクレアの頬に押し当てた。私のやる事を素直に目を閉じて受け入れているクレアは、幼い少女の様だった。ああ、この守られるべき彼女は、近いうちに花籠や、手紙をよこす貴族の男達の中から誰かを選ぶのだろう。
それは私の望んでいた事だったはずなのに、なぜか息が出来なくなる気がした。
目を閉じたまま、楽しげにクレアは言った。
「ダミアン様は、こうする事に随分と慣れていらっしゃるみたいですわ。きっと若い頃殴り合いなど日常茶飯事だったのではありませんか?そうでなくては、あの男と言えども、一発で床に伸びたりはしませんわ。」
私は自分の気持ちが漏れ出す事を恐れて、そっとクレアの瞼の上にも布をずらし置いて呟いた。
「…無かったとは言えないね。貴族同士ではそうある話では無いけれど、お忍びで夜の街を徘徊すれば、危ない相手とも一触即発の状況になる事もあった。自慢する様なことでは無いが。」
クスクスと可愛らしく笑うクレアの唇が弧を描くのを見つめながら、私は指先が疼くのを感じた。
「私も男だったらどんなに良かったかしら。令嬢達の振る舞いを見ていると、私にはとことん淑女としての適性が無いのではと感じてしまいます。ダミアン様もおっしゃったでしょう?私は理性的じゃないって。それって向こう見ずだって事でしょう?」
私はクレアの唇が、可愛らしい小さな白い歯を時々覗かせながら動くのを見つめていた。不意にその唇の動きが止まって、私はハッとしてクレアに見つめられているのに気がづいた。
いつの間にか布がずれていて、クレアの目と見つめ合ってしまった。ドクリと心臓が重く響いて、私は思わず目を逸らした。
「…この赤みが早くなくなると良いのだが。このての怪我は明日の方が見た目が悪くなるんだ。腫れは治ってくるだろうが、青く変わるだろうね。」
クレアは私を面白そうに眺めると、弾む様な声を立てて言った。
「お医者様みたいですわ、ダミアン様。ふふ、意外に世話焼きですのね?」
そうふざけるクレアに私は思わず語気を強めた。
「笑い事ではないんだ、クレア。この程度で済んだのは幸運だ。君の顔の皮膚は薄くて柔らかい。それなのに…!」
途端にクレアは顔を歪めて目を潤ませた。私はハッとしてクレアを膝の上に座らせて抱き寄せると、髪に口づけて呟いた。
「すまない、文句を言ったわけではないんだ。私のクレアが殴られた事に腹立ちが治らないだけだ。誰にも君を傷つけさせたくは無かったのに…。」
そう呟くと、クレアの華奢な柔らかな身体を腕の中に感じて、二度と離したくないと感じたのは私の身勝手な思いだろうか。
クレアの手が私の背中に感じると、私はまるで若造の様に舞い上がって一気に胸の鼓動を高まらせた。ああ、もう目を逸らせることなど無理だ。私はクレアをこの腕の中から離したくないのだ。
そんな時、クレアが私の耳元に柔らかな声を響かせた。
「ダミアン様のせいではありませんわ。…契約しているんですもの、こんな事も起きるって想定しておかなければならなかったんですわ。」
その残酷な言葉は私を一気に現実へと突き落とした。そうだ、私達は契約した間柄だ。こうして寄り添っているのも、クレアが私の腕の中で気を許しているのも、全て秘密の契約を結んでいるからなのだ。
私は他人より賢いと思っていた自分のしでかした事に、今や鎖の様に縛られている事に気がついた。私は思わずクレアの身を引き剥がして、強張った顔を取り繕う事もできずに立ち上がった。
「急用を思い出した。…ゆっくり休んでくれ。見送りはいいから。」
クレアが目を見開いているのを感じながら、私は逃げ出す様に屋敷から立ち去ったのだった。
クレアの短い悲鳴にテラスから駆けつけると、彼女が床に倒れ込んだ姿に一気に怒りが噴き出して手が出ていた。床に転がった手応えのないあの男は、自分より弱いものにしか吠えない、まさに負け犬の様な人間だった。
そんな男に殴られて、クレアの赤くなった頬を見た時のショックはいかほどだっただろう。一瞬、立ち塞がった私の姿に恐怖を顔に浮かべた気がしたけれど、私だと知ると目を見開いて驚いていた。
私の呼びかけに、なぜか柔らかな空色の瞳を潤ませながら少し笑った。けれども頬を打たれたショックなのか、身体を震わせて頬を涙が伝うのを見たら、私は抱き寄せてもう大丈夫だとそう言うのが精一杯だった。
あの時私は彼女に何と言っただろう。大丈夫、私が側に居る、そう言ったのか?
今まで決して令嬢や貴婦人に言わなかったその言葉が自然に溢れ出した事実に、私は思わず立ち止まった。それからまた歩き出しながら、自問自答した。
気を許しているクレアだから、そう言ったまでだ。決して深い意味は無い。そう、彼女は私の秘密の小箱なのだから、心配するのは当然だ。
私は目の前に見える事実を知るのが怖くなって、いっそこの屋敷から立ち去ってしまいたいと思うほどだった。
けれど侍女と一緒に、まだ赤い頬を指で隠しながら私の前に現れたクレアを見て、瞬時にあの男をもう一発殴っておくべきだったと新しい怒りを感じた。一方でクレアに尋ねられた事に答えを持っていない事に気づいて慌ててしまった。
「ダミアン様、先ほどは危ない所を助けて下さってありがとうございました。ダミアン様がいらっしゃられなかったら、どうなっていたか考えますと、本当に恐ろしいです。…でもどうしてあそこにダミアン様がいらっしゃったのですか?」
貴族会議でクサクサしていたから、クレアに会いに行きたくなったのだとか、母上の手紙を読んだ感想を聞きたい気がするのだとか、正面切って答えるのはどちらも妙な答えになる気がして、私は困ってしまった。
「…近くに来たから寄ったのだが、丁度来客だった様で帰ろうと思ったのだ。だが家令にあまりクレアが望まぬ客だと聞いて、それなら別室から様子を見ようと申し出たのだよ。
それがまさか、私への逆恨みであんな事になるとは。クレアに私のとばっちりを食らわせてしまって本当に申し訳ない。すまなかった。」
するとクレアはにっこり笑って、次の瞬間には痛みで顔を顰めて苦笑した。
「元々ジョバンニ様を我が家に招き入れたのは私ですもの。あの方が私への求婚者として好意を寄せている訳ではないと言うのは感じていましたし。私、男の方を甘く見ていたのですわ。
どんなに私が向こう見ずでも、力が明らかに違いますのに…。とは言え、あの方はダミアン様の前では棒切れか何かの様に倒されてしまいましたわね?
こう言っては何ですけど、スッキリいたしましたわ。」
温室のベンチに並んで座っていると、いつもは意識しないクレア自身を改めて認識する事になった。私に物怖じしない様子で憎まれ口を叩くクレアに慣れていたせいか、私は彼女が本来儚げな美しい令嬢なのだと、本当の意味では気づいていなかったのかもしれない。
それだけにサラリとした銀色の髪の間から覗く赤らんだ頬が痛々しかった。ぼんやり私を見上げるクレアの顔に手を伸ばして、そっと指先で顎を掴むとじっと赤い頬を見つめた。
それから潤んだクレアの春の空色の瞳を覗き込んだ。目の周りが赤らんでいる。
「…さっきまで随分泣いていたのだな。最近の君は私の前で泣いてばかりだな。まだ痛むだろう?もっと冷やそう。」
テーブルに置かれたミント水でハンカチを絞ると、そっとクレアの頬に押し当てた。私のやる事を素直に目を閉じて受け入れているクレアは、幼い少女の様だった。ああ、この守られるべき彼女は、近いうちに花籠や、手紙をよこす貴族の男達の中から誰かを選ぶのだろう。
それは私の望んでいた事だったはずなのに、なぜか息が出来なくなる気がした。
目を閉じたまま、楽しげにクレアは言った。
「ダミアン様は、こうする事に随分と慣れていらっしゃるみたいですわ。きっと若い頃殴り合いなど日常茶飯事だったのではありませんか?そうでなくては、あの男と言えども、一発で床に伸びたりはしませんわ。」
私は自分の気持ちが漏れ出す事を恐れて、そっとクレアの瞼の上にも布をずらし置いて呟いた。
「…無かったとは言えないね。貴族同士ではそうある話では無いけれど、お忍びで夜の街を徘徊すれば、危ない相手とも一触即発の状況になる事もあった。自慢する様なことでは無いが。」
クスクスと可愛らしく笑うクレアの唇が弧を描くのを見つめながら、私は指先が疼くのを感じた。
「私も男だったらどんなに良かったかしら。令嬢達の振る舞いを見ていると、私にはとことん淑女としての適性が無いのではと感じてしまいます。ダミアン様もおっしゃったでしょう?私は理性的じゃないって。それって向こう見ずだって事でしょう?」
私はクレアの唇が、可愛らしい小さな白い歯を時々覗かせながら動くのを見つめていた。不意にその唇の動きが止まって、私はハッとしてクレアに見つめられているのに気がづいた。
いつの間にか布がずれていて、クレアの目と見つめ合ってしまった。ドクリと心臓が重く響いて、私は思わず目を逸らした。
「…この赤みが早くなくなると良いのだが。このての怪我は明日の方が見た目が悪くなるんだ。腫れは治ってくるだろうが、青く変わるだろうね。」
クレアは私を面白そうに眺めると、弾む様な声を立てて言った。
「お医者様みたいですわ、ダミアン様。ふふ、意外に世話焼きですのね?」
そうふざけるクレアに私は思わず語気を強めた。
「笑い事ではないんだ、クレア。この程度で済んだのは幸運だ。君の顔の皮膚は薄くて柔らかい。それなのに…!」
途端にクレアは顔を歪めて目を潤ませた。私はハッとしてクレアを膝の上に座らせて抱き寄せると、髪に口づけて呟いた。
「すまない、文句を言ったわけではないんだ。私のクレアが殴られた事に腹立ちが治らないだけだ。誰にも君を傷つけさせたくは無かったのに…。」
そう呟くと、クレアの華奢な柔らかな身体を腕の中に感じて、二度と離したくないと感じたのは私の身勝手な思いだろうか。
クレアの手が私の背中に感じると、私はまるで若造の様に舞い上がって一気に胸の鼓動を高まらせた。ああ、もう目を逸らせることなど無理だ。私はクレアをこの腕の中から離したくないのだ。
そんな時、クレアが私の耳元に柔らかな声を響かせた。
「ダミアン様のせいではありませんわ。…契約しているんですもの、こんな事も起きるって想定しておかなければならなかったんですわ。」
その残酷な言葉は私を一気に現実へと突き落とした。そうだ、私達は契約した間柄だ。こうして寄り添っているのも、クレアが私の腕の中で気を許しているのも、全て秘密の契約を結んでいるからなのだ。
私は他人より賢いと思っていた自分のしでかした事に、今や鎖の様に縛られている事に気がついた。私は思わずクレアの身を引き剥がして、強張った顔を取り繕う事もできずに立ち上がった。
「急用を思い出した。…ゆっくり休んでくれ。見送りはいいから。」
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