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変化

過去と未来

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 侯爵夫人の後からついて行きながら、私は侍女も少し離れた距離で付いてくるのに気がついた。私が屋敷に居ても侍女が付き纏う事などないけれど、この侯爵夫人を一人にさせるのはなんだか心配な気持ちは分かる気がする。

けれどそれがまた彼女を追い詰めてしまったのかも知れないとも感じた。ふと、侯爵夫人は私に振り向いた。

「貴女は王都のあの中庭を好きだと仰って下さったわね。あの庭は私が子供たちと過ごす為に侯爵に作って頂いたものなの。小さな頃はダミアンもあそこが好きで、娘と三人で良くお茶を頂いたわ。

亡くなった娘は、私によく似ていたの。…でも本当の所はどうだったかしら。私がそう思い込んでいただけなのかも知れないけれど。私は結局亡くなったあの子に、自分の願いを押し付けてしまったの。」


 そうため息をついた侯爵夫人は最初の印象と違って、年相応に見えた。

「私が公爵家で求められて苦しかった事を、あの子にはさせまいと気をつけていたの。あの子には自由に伸び伸びと振る舞って欲しかった。

もちろん侯爵家の人間としての最低限の振る舞いや教養は不可欠だったけれど、それ以外に関しては私はあの子の好きなようにさせていたわ。

でも私はあの子に見本となるような貴婦人の社交性は見せられなかった。夜会に行く度に寝込むような私を侯爵は疎ましく思っていただろうし、子供たちも不安げな表情でそんな私を見つめていたわ。

私が教えたのは表面上取り繕う事ばかりで、大事な貴族令嬢としての自我と周囲との軋轢のバランスの取り方を教えられなかったの。それもそうよね、自分でも上手くできない事を教えることなんて無理だわ。」


 侯爵夫人の話に聞き入っていると、目の前に優しい水音が聞こえてきた。もしかして噴水があるのかしら。珍しい水の庭園は貴族の憧れのひとつだった。

刈り込まれた背の高いツゲの向こうに、まるでそこだけ別の世界が広がっていた。柔らかな自然樹形の、あの中庭を思わせる庭が広がっていた。優しい色合いの秋薔薇をメインに、色づいた草木が計算され尽くされて配置されている。

中心には美しい装飾が彫り込まれた石で作られた噴水が柔らかな水音を響かせていて、私が思わず喜びを感じて微笑むと、侯爵夫人が寂しげに笑みを浮かべた。


 「貴女は優しくて真っ直ぐな方ね。今は流行らないこの様な庭をそんな風に喜んでくれるのだから。この庭は娘が亡くなっってしばらくして侯爵が私の気晴らしになる様に作って下さったの。

…あの子が馬から落ちた時、私は後悔したの。私の様に手綱を引かせて型通りの乗馬だけ許すべきだったのではないかと。

私が許されなかった事をあの子にさせる事で、まるで私の人生が生まれ変わるのでは無いかと勘違いしたのね。あの子が顔を輝かせて馬を走らせる姿は見ていて本当に美しかった。

あの日無茶な走りをしていた訳では無いけれど、機嫌が悪かったあの子はあっという間に落ちたわ。あの子は二度と目を開かなかった。私たちは目の前の残酷な現実が信じられなかった。侯爵は私を責めなかったけれど、それが却って私には辛かった。

そして私のお母様やお姉様は、あまりの事に涙も出ない私を連れ出して言ったの。『貴女は何ひとつ満足に成し遂げられない。大事な子供まで死なせて。我が家の恥だ』って。

…そこからはあまり記憶がないの。現実なのか夢なのか分からなかった。ただ目を閉じて暗闇に蹲っていたかった。私が関わるとダミアンまで死んでしまう気がして、あの子の側にも寄ることが出来なくなったわ。

最初は気遣っていた侯爵も、諦めた様に私から距離を置いたわ。それも仕方がないの。侯爵の顔を見ると申し訳なくて胸が苦しくなってしまったのだから。」


 私はダミアンから距離を置いた侯爵夫人が、恐怖からそうしたのだと知って、悲しみが襲ってきた。誰も悪くは無かった。子供のダミアンは勿論だけど、侯爵夫人も自分のせいで娘が死んだと思いこんでしまったせいで、この一家はバラバラになってしまったのだわ。

けれど、この庭を侯爵夫人のために作ってくれた侯爵は、やっぱりこの方を愛していたのではないかしら。ダミアンに似ているとすれば、きっと余計な事など言わなかったせいで、その心が侯爵夫人に届かなかったのだわ。


 「きっと亡き侯爵は侯爵夫人の心が少しでも癒される様にと、愛を持ってこの庭を作らせたのではないですか?もし侯爵がお二人の愛を諦めてしまったのなら、この様な手の込んだものを用意するはずはありません。

この噴水もまるで王宮にあってもおかしくはないものですもの。侯爵夫人はとても愛されていたのですわね。」

思わずそう言うと、侯爵夫人は目を見開いて、それから唇を震わせた。

「…そうかしら。私は何も見えていなかったのね。私の欲しいものは目の前にあったのに、手を伸ばす勇気もなくてこっそり見ているだけだったんだわ。ああ、本当に気づくのが遅いわ。」


 静かに涙を溢す侯爵夫人にハンカチを差し出しながら、私は囁いた。

「まだ遅くはないですわ。侯爵夫人の目の前にダミアン様がいらっしゃるんですから。ダミアン様はもう大人ですもの、侯爵夫人の真実を知ればきっとわだかまりもとれると思います。

それは侯爵夫人だけのためでなくて、ダミアン様のためでもあるんです。お願いです。彼に今の話をしてあげて下さい。」

侯爵夫人は、顔を上げて私を見て微笑んだ。


 「貴女は本当にあの子を愛してくれているのね。ありがとう、本当に。ええ、私もあの子と話しがしたいわ。もう後悔するのは嫌なの。あの子が許せなくても謝りたい。そしてありがとうと伝えたいの。」

そう言った侯爵夫人の表情はどこか吹っ切れた様で、明るかった。それから私たちはゆっくりと美しい庭園を巡り歩いた。会った時は少し青ざめていた侯爵夫人も、心の枷が外れたせいなのか頬に血色が戻ってきていた。



 夕食後、先に部屋に戻っていた私は、湯浴みを済ませて一人掛けの椅子で小物箱を縫っていた。侯爵夫人に差し上げようと、以前から作っていた物を仕上げていたのだ。

内扉が開く音がして、目元を少し赤くしてダミアンが入ってきた。その明るい表情に私は手仕事をテーブルに置いてダミアンの側に近寄った。

それから何も言わずにそっと抱きしめた。ダミアンは私の髪に顔を埋めると、ぎゅっと抱きしめて囁いた。


 「君は一体何者だい?母上とこんな風に心を開いて話が出来る事など、考えもしなかったよ。それに母上は仰ったんだ。父上の愛を失うのが怖くて手を伸ばせなかったって。そういえば忙しい中でも父上はいつも母上の事を気にしていた。…あの二人は愛し合っていたんだね。

だから早く君に会いたくて廊下を走ったよ。私は君にいつも手を伸ばして言葉にすると誓う。君がそっぽを向いても振り向くまで愛していると伝える。

私は彼らの様に愛し合っていたのにすれ違うなどと、愚かな真似はしないつもりだ。少なくとも私と母上は間に合った。君がそう言ってくれたんだろう?」


 私はダミアンが喜びで顔を輝かせているのを見つめて、思わず嬉し泣きしてしまった。

「…ああ、ダミアン。愛しているわ。私も貴女を捕まえて離さないわ。ダミアンも私を離さな…。」

私の言葉はダミアンの唇に飲み込まれてしまった。貪る様なその口づけは私の願う通りだったし、私の口の中で優しくなぞりあう舌は、直ぐに物足りなさを感じた。ああ、もっと欲しい。ダミアンそのものを私に頂戴。




 











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