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辺境の地で
成長の先
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結局僕の決心がつかないまま、今夜もアランが部屋に来る。多分大人のアランに指南して貰うのが一番良いのだと僕も思う。
王都へ行ったローレンスが未だに僕を誘うのは、ここでは都合の良い相手が居ないせいなんだろう事は承知の上だ。伯爵家後継であるローレンスが未婚のご令嬢を相手に火遊びをするのは、後々面倒な事になるのだから。
貴族の体面を傷つける事もなく、男同士の話なら、それは高貴な者の遊びや嗜みとして暗黙のうちに受け入れられるんだ。
僕はこの数ヶ月でそんな貴族の裏事情を知ってしまっていた。少し前までは、まるで何も知らない素直な子供だったと言うのに。
そう思いながら久しぶりに騎士達の訓練を眺めていると、同世代の騎士見習い達が見違える様に大人びているのに驚いた。成長期だからと言う事もあるだろうけれど、身体つきだけでは無く、顔つきまで大人びている。
僕は滅多な事じゃアランや決まった騎士以外と剣を交える事がないので、騎士見習いとは話しも殆どした事がない。むしろアランに遠ざけられていた節もある。
僕は見習いの方ばかり見ていて気づかなかったけれど、騎士達の訓練に参加していたアランがこちらに近づいて来ていた。
「アンドレ様、皆の気が散りますので…。午後にはアンドレ様も訓練がございますので、後ほどこちらにいらしゃって下さい。」
僕は神妙な顔で頷くと、背中に視線を感じながら訓練場から屋敷の方へと戻って行った。確かに辺境伯一家の一員である僕が見ていると、彼らにとっては監視される気になるのかもしれない。
もう少し気を遣わないといけないと反省しながら、僕は図書室へ向かった。もう直ぐ家庭教師の先生がやって来る。従者のバトラよりもひと回り年配の僕の先生は、静かな物言いをする穏やかな先生だ。
蔵書から離れた窓際の一角にある重厚なテーブルと椅子が僕のいつもの勉強場所だった。
日差しから本を守るためにそこだけにある、細い三つの窓から光が差し込んで神聖な雰囲気がある。僕はその静かな空間が好きだった。
「おや、お待たせしてしまいましたかな。」
そう言いながら入って来たベルルデ先生は、いつも通り微笑みを浮かべて侍女に案内されて現れた。先生は子爵家の次男の出ながら、その優秀さで王立学校で研究室に入ったのちにこの仕事を選んだと聞いている。
しばらくカリキュラム通りに歴史や文学の教えを受けると、満足げな表情を浮かべた先生が教科書をパタンと閉じて言った。
「アンドレ様はお勉強がお好きですね。この分では王都へ行く前に充分予習も出来そうですぞ。」
僕は呼び鈴を響かせると、日差しに先生の白髪がきらめいているのを見つめながら微笑んだ。
「ベルルデ先生の教え方が上手なのです。最近僕も将来の事を考える様になりました。僕はこの辺境の地ではあまり貢献出来る事がないので、いっそ王立学校で勉強を極めて、先生の様に人に教える仕事も良い気がします。
ふふ、まだ王立学校へ入学もしていないのに、未熟な僕がそんな事を言うのはおこがましいのですが。」
ベルルデ先生は少し驚いた様に目を見開いて、それから考え込みながら閉じた本を後ろの台へそっと置いた。僕は先生から賛同が得られると思っていたので、この何か言いたげな空気に戸惑った。
丁度その時、侍女がお茶の用意をして図書室に到着した。
テーブルにお茶の用意がされると、僕らはホッとひと息つきながら、熱いお茶で喉を潤した。僕は目を伏せてお茶を楽しむ先生を盗み見て、なぜ先生はあんな反応をしたのかと考えていた。
「…アンドレ様が王立学校で、より多く学びを進めるのは賛成です。後継でない貴族の令息の多くは、騎士になるか王宮で勤めを得るかが多いでしょうから。
けれども実父でらっしゃる亡きブリアン伯爵の正統な後継は、アンドレ様ではございませんでしたか?私も詳しくはありませんが、成人になれば複雑に絡まったお家の後継の話も再熱するでしょう。」
ベルルデ先生にそう言われて僕は顔を顰めた。
伯爵である父が亡くなった時、母はあまりにも若く世間知らずだった。1人っ子だった父上の家督を奪う様に、父上の従兄弟方の誰かが母もろとも引き継ぐと言う話が起きたのは、噂に名高い母上の美貌も目当てだったのだろう。
けれど母上はそれを嫌悪して、父上の親友だった辺境伯に相談を持ちかけたのが再婚のきっかけだったと聞いている。
母と僕が食い物にされない様に、辺境伯が亡き父上の従兄弟と話をつけた様だけれど、僕は詳しい話は聞いていない。それに今更ブリアン伯爵家の家督には正直興味も関心も無かった。
後継者であるシモン兄上や、ローレンス達が名声と財とを引き換えに自分の自由を失っていくのを見ていると、僕は好んでその道を選びたいとは思えなかった。
「先生、僕はしがらみを今更手にしたくはないのです。自由を知ってしまったら、そんな立場は苦しく感じるのではありませんか?」
すると先生は苦笑して呟いた。
「…時として、立場というものは大きな力になるのですよ。アンドレ様は今はまだ周囲に守られていますから、その瑞々しい自由を楽しめているのです。
自分の願いのままに生きて来た私が言っても響かないかもしれませんが、貴族の男が立場もなく1人で立つというのは、なまじか簡単な事ではありません。時々、泥水を飲む思いもするのです。
…けれど、学ぶ事はアンドレ様がどう人生を選ぶにせよ大きな助けになるでしょう。王都でアンドレ様が周囲から軽んじられないくらいには、私も協力させていただきますよ。」
僕はベルルデ先生も順風満帆にご自分の立場を得て来たわけでは無いのだと感じて、僕にそう忠告してくれた事を有り難く思った。僕は目の前の口溶けの良い焼き菓子を先生に勧めて、自分もひとつ手に取った。
「確かに勉強の疲れを癒してくれる好物の焼き菓子が出て来るのを見れば、僕は明らかに周囲から守られている様ですね。先生、僕もう少し色々考えてみたいと思います。率直にお話しして下さってありがとうございました。」
僕も騎士見習いの様に、知らず知らずのうちに大人になっていくのだ。その進む道が正しいと信じて。
王都へ行ったローレンスが未だに僕を誘うのは、ここでは都合の良い相手が居ないせいなんだろう事は承知の上だ。伯爵家後継であるローレンスが未婚のご令嬢を相手に火遊びをするのは、後々面倒な事になるのだから。
貴族の体面を傷つける事もなく、男同士の話なら、それは高貴な者の遊びや嗜みとして暗黙のうちに受け入れられるんだ。
僕はこの数ヶ月でそんな貴族の裏事情を知ってしまっていた。少し前までは、まるで何も知らない素直な子供だったと言うのに。
そう思いながら久しぶりに騎士達の訓練を眺めていると、同世代の騎士見習い達が見違える様に大人びているのに驚いた。成長期だからと言う事もあるだろうけれど、身体つきだけでは無く、顔つきまで大人びている。
僕は滅多な事じゃアランや決まった騎士以外と剣を交える事がないので、騎士見習いとは話しも殆どした事がない。むしろアランに遠ざけられていた節もある。
僕は見習いの方ばかり見ていて気づかなかったけれど、騎士達の訓練に参加していたアランがこちらに近づいて来ていた。
「アンドレ様、皆の気が散りますので…。午後にはアンドレ様も訓練がございますので、後ほどこちらにいらしゃって下さい。」
僕は神妙な顔で頷くと、背中に視線を感じながら訓練場から屋敷の方へと戻って行った。確かに辺境伯一家の一員である僕が見ていると、彼らにとっては監視される気になるのかもしれない。
もう少し気を遣わないといけないと反省しながら、僕は図書室へ向かった。もう直ぐ家庭教師の先生がやって来る。従者のバトラよりもひと回り年配の僕の先生は、静かな物言いをする穏やかな先生だ。
蔵書から離れた窓際の一角にある重厚なテーブルと椅子が僕のいつもの勉強場所だった。
日差しから本を守るためにそこだけにある、細い三つの窓から光が差し込んで神聖な雰囲気がある。僕はその静かな空間が好きだった。
「おや、お待たせしてしまいましたかな。」
そう言いながら入って来たベルルデ先生は、いつも通り微笑みを浮かべて侍女に案内されて現れた。先生は子爵家の次男の出ながら、その優秀さで王立学校で研究室に入ったのちにこの仕事を選んだと聞いている。
しばらくカリキュラム通りに歴史や文学の教えを受けると、満足げな表情を浮かべた先生が教科書をパタンと閉じて言った。
「アンドレ様はお勉強がお好きですね。この分では王都へ行く前に充分予習も出来そうですぞ。」
僕は呼び鈴を響かせると、日差しに先生の白髪がきらめいているのを見つめながら微笑んだ。
「ベルルデ先生の教え方が上手なのです。最近僕も将来の事を考える様になりました。僕はこの辺境の地ではあまり貢献出来る事がないので、いっそ王立学校で勉強を極めて、先生の様に人に教える仕事も良い気がします。
ふふ、まだ王立学校へ入学もしていないのに、未熟な僕がそんな事を言うのはおこがましいのですが。」
ベルルデ先生は少し驚いた様に目を見開いて、それから考え込みながら閉じた本を後ろの台へそっと置いた。僕は先生から賛同が得られると思っていたので、この何か言いたげな空気に戸惑った。
丁度その時、侍女がお茶の用意をして図書室に到着した。
テーブルにお茶の用意がされると、僕らはホッとひと息つきながら、熱いお茶で喉を潤した。僕は目を伏せてお茶を楽しむ先生を盗み見て、なぜ先生はあんな反応をしたのかと考えていた。
「…アンドレ様が王立学校で、より多く学びを進めるのは賛成です。後継でない貴族の令息の多くは、騎士になるか王宮で勤めを得るかが多いでしょうから。
けれども実父でらっしゃる亡きブリアン伯爵の正統な後継は、アンドレ様ではございませんでしたか?私も詳しくはありませんが、成人になれば複雑に絡まったお家の後継の話も再熱するでしょう。」
ベルルデ先生にそう言われて僕は顔を顰めた。
伯爵である父が亡くなった時、母はあまりにも若く世間知らずだった。1人っ子だった父上の家督を奪う様に、父上の従兄弟方の誰かが母もろとも引き継ぐと言う話が起きたのは、噂に名高い母上の美貌も目当てだったのだろう。
けれど母上はそれを嫌悪して、父上の親友だった辺境伯に相談を持ちかけたのが再婚のきっかけだったと聞いている。
母と僕が食い物にされない様に、辺境伯が亡き父上の従兄弟と話をつけた様だけれど、僕は詳しい話は聞いていない。それに今更ブリアン伯爵家の家督には正直興味も関心も無かった。
後継者であるシモン兄上や、ローレンス達が名声と財とを引き換えに自分の自由を失っていくのを見ていると、僕は好んでその道を選びたいとは思えなかった。
「先生、僕はしがらみを今更手にしたくはないのです。自由を知ってしまったら、そんな立場は苦しく感じるのではありませんか?」
すると先生は苦笑して呟いた。
「…時として、立場というものは大きな力になるのですよ。アンドレ様は今はまだ周囲に守られていますから、その瑞々しい自由を楽しめているのです。
自分の願いのままに生きて来た私が言っても響かないかもしれませんが、貴族の男が立場もなく1人で立つというのは、なまじか簡単な事ではありません。時々、泥水を飲む思いもするのです。
…けれど、学ぶ事はアンドレ様がどう人生を選ぶにせよ大きな助けになるでしょう。王都でアンドレ様が周囲から軽んじられないくらいには、私も協力させていただきますよ。」
僕はベルルデ先生も順風満帆にご自分の立場を得て来たわけでは無いのだと感じて、僕にそう忠告してくれた事を有り難く思った。僕は目の前の口溶けの良い焼き菓子を先生に勧めて、自分もひとつ手に取った。
「確かに勉強の疲れを癒してくれる好物の焼き菓子が出て来るのを見れば、僕は明らかに周囲から守られている様ですね。先生、僕もう少し色々考えてみたいと思います。率直にお話しして下さってありがとうございました。」
僕も騎士見習いの様に、知らず知らずのうちに大人になっていくのだ。その進む道が正しいと信じて。
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