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暮雪の章 その四

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 高野は目の前の植木の根元に向かって笑顔を見せた。
「精霊さん。僕はこのアパートを管理している高野将輔たかのしょうすけと言います。先代から二年ほど前に、ここの管理を引き継ぎました。もしかしたら、父の代からこの土地を守ってくれていたんですよね? 本当にありがとうございます。僕は精霊さんの姿が見えませんが、これからは精霊さん達に感謝しながらこの土地を守っていきますね」
 高野は言い終わると、植木の根元に向かって頭を下げた。雪雄の目がさらに大きく見開かれる。そこに和美もしゃがんで加わった。
「精霊さん! 私もあなた達の姿は見えません。でも雪雄がいるって言うなら、私も信じます。私の庭にも精霊さんがいるんですよね? 帰ったら、庭にもお礼を言います。いつも見守ってくれて、ありがとうございます!」
 和美も言い終わると頭を下げた。雪雄が精霊の様子を確認すると、精霊は淡い緑色ではなく眩い金色の光に包まれていた。同時にピーターパンに出てくるティンカーベルのような姿もはっきりと認識できた。
「精霊が、喜んでいる」
「本当!?」
「あぁ。こんな姿を見たのは、俺でも初めてだよ」
「そうか。良かった」
 精霊は三回、クルクルとその場で回ると、空気に溶けるように姿を消した。
「……満足して、いなくなったよ」
「そっか」
「あー。やっぱり私も見てみたいなぁ、精霊さんの姿」
 和美と高野はようやくその場から立ち上がった。いつしか太陽は沈み、アパートに面した道路にある街路灯が一つ、二つと灯りをともし始めている。
「あ、もう暗くなってる」
「そうだね。和美ちゃんはそろそろ帰らないと」
「うん。早く帰らないと、お祖父ちゃんにどやされる」
「もう暗いからね。僕が駅まで送っていくよ」
「本当!? ありがとう高野さん」
 しばらく考え込んでいた雪雄は、意を決したように二人に顔を向けた。
「あのさ、和美に高野さん」
「ん?」
「どしたの?」
 一呼吸間をおいて、雪雄は言葉を発した。
「俺が、精霊が見えることを受け入れてくれて、本当に感謝してる。でも、世の中には二人みたいに簡単に受け入れてくれない人の方が多い。それは二人もわかっているはずだ」
 和美と高野は黙って頷いた。
「だから、俺が見えるってことは内密にしてほしい。たとえ親しい友人知人に聞かれたとしても、だ」
 和美と高野は顔を見合わせる。雪雄が気まずそうに返事を待っていると、和美は雪雄の右手を再び握った。
「当たり前じゃん! 雪雄が困るようなこと、私、言ったりしないから安心して」
 和美は握った手をブンブンと上下に振る。
「わかってるよ、雪雄君。見えることは誰にも言わない。僕も和美ちゃんも、こう見えて口が堅いからね」
「そういうこと!」
 二人の笑顔を見て、雪雄の中に積もっていた固い氷のような思いがゆるゆると溶けていく。自分のことを受け入れてくれる存在が、両親以外にいること。その事実をどれほど待ち望んでいたのか。雪雄は初めて自分の本心に触れた気がした。そして理解してくれる存在が実際にできたこと。その喜びに目頭が熱くなっていった。
「……ありがとう、和美に、高野さん」
 雪雄が涙を堪えて柔らかい微笑みを浮かべる。その表情を見た和美の頬が一瞬赤くなった。
「お、お礼言われるようなことでもないし……」
 和美の変化を察した高野は、口元に手を当てながらフフッと声を漏らした。
「さ、二人とも。今日はこれでお開きにしよう」
「そうですね」
「うん!」
 夕暮れに降っていた雪は止み、空は濃紺色に染まっている。晴れているのか星々も明るく、空を賑やかせていた。



続く
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