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根雪の章 その一

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 三月第一週の火曜日。除雪機の販売をしている「AMアム清水」の社長のスマートフォン宛てに一本の電話が入った。
「はい。清水愛生しみずあいなですが」
「あぁ、私です。飯河市市長の長林です」
 電話口の相手は飯河市の市長・長林哲司ながばやしてつじだった。長林は昨年六月の市長選で初当選した、御年65歳という、飯河市歴では最年少の市長である。
「まぁ、市長さん。お久しぶりですわね。市長選以来、でしょうか?」
「えぇ。当時は本当にお世話になりました」
「いいえ。ワタクシも除雪の件でお世話になっていますし、当然ですわ」
 愛生は革張りの大きな椅子をクルリと回転させ、背後にある窓から外の景色を見た。飯河市は長野県でも北に位置するため、雪は三月でも降ることが多い。現に今も、アスファルトの道路は雪で白くなりつつあった。
「それで、今回はどのようなご用件でしょうか?」
「それがですね、急ぎで除雪をお願いしたい場所がありまして」
「なるほど」
 愛生は木製のガッシリとした机に向き直り、パソコンモニターの横にあるメモ帳とボールペンを手元に用意した。
「それで、どこなのでしょう?」
「はぁ、それが……飯沢いいさわ神社なんですが」
 愛生の手元が一瞬止まるが、次の瞬間にはメモ帳にペンを走らせていた。
「飯沢神社ですね? いつもは他の業者様が除雪を行っていたはずですが」
 電話の向こうで長林が困っているのがわかった。
「そうなんですが……。その業者が不況に負けましてね、廃業したんですよ。それで、しばらくは除雪をせず様子を見ていたのですが、神社に参拝している近所の住民から『雪があって参拝できない』と、市の方にクレームがありましてね」
「なるほど」
 愛生はペンを走らせていく。
「それで、今回はAM清水にご依頼、というわけですね」
「はい。本当に、都合が良いのはわかっていますが……」
「かまいませんよ。ワタクシ達も仕事ですからね。ですが、いただくものはいただかないと」
 長林が息を飲む。
「除雪の費用、ですね」
「えぇ。今回は他社からの乗り換えということ、また初回ということで、五十万円にしてさしあげますわ」
「ご、五十万だと!?」
 長林の声が裏返った。
「えぇ。それが嫌であるなら、他社を当たってくださいな。といっても、この辺りで除雪を請け負えるのはワタクシの会社だけでしょうね」
 愛生は口元に笑みを浮かべた。電話口の向こうが静寂に包まれる。二十秒ほど経ったところで、愛生の方から切り出した。
「まぁ、無理にとは言いませんわ。それでは、この件は無かったことに」
「ま、待ってくれ。わかった。五十万は支払おう。除雪をお願いする」
「ふふ。ご依頼、ありがとうございます。心して取りかかりますわね」
 愛生は氷のような笑顔を浮かべる。
「それで、いつまでに行えばよろしいかしら?」
「なるべく早い方がいい。できれば一週間以内で頼む」
「承知しましたわ。それでは、除雪が完了しましたら、また連絡しますわね」
 愛生はそう言うと、スマートフォンの画面に表示されたボタンを押して通話を終えた。
「……さぁ、忙しくなりますわ」
 愛生はスッと立ち上がると、そのまま社長室の扉を開け、除雪を担当している「除雪課」に向かった。

***

 その週の土曜日の朝、愛生は「AM清水」直属の除雪部隊である「除雪課」の社員五名を引き連れ、飯沢神社へと向かっていた。車はワゴン車と、二台の二トントラック。二トントラックの荷台には、AM清水が開発したピンク色の除雪機が一機ずつ積まれていた。
 AM清水は基本的に除雪機の開発・販売を行っている企業だ。代名詞であるピンク色の除雪機「モモノー」は、愛生が社長になった年から開発をスタートし、三年後に商品化されたものだ。それまでの除雪機とは違いポップな色合いであること、また女性でも操作しやすいよう複雑なレバーなどがない、シンプルな作りになっていることから人気に火がついた。さらにSNSでも拡散され、一躍AM清水の名は全国に知られるようになったのだ。
そんな除雪機の開発・販売をメインに行っているAM清水だが、雪が多く降った年や、社長の愛生直々に依頼があった場合は、特例として除雪そのものを行っている。そして実際に除雪を行うのが、AM清水に設けられた「除雪課」だった。除雪課に所属している従業員は合計十名。男性八名、女性二名という割合だ。全員がAM清水で販売されている除雪機すべてを扱え、一年以上仕事を皆勤している社員で構成されている。今回の除雪では男性五名を愛生が率いる形になった。
 愛生達を乗せた車が飯沢神社へ向かう途中、愛生は前方に見慣れた姿を見つけた。モスグリーンのファー付きモッズコートに、オレンジ色の雪かきスコップを持った男性。間違いない。
「ごめんなさい。車を止めて」
 ワゴン車の運転手に声をかけ、愛生は車を止めさせた。愛生は男性の後ろに歩み寄ると「雪雄!」と声をかけた。その声に男性は一瞬体をこわばらせたものの、すぐに振り返り愛生の姿を確認した。
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