1 / 43
第一章 終わりの始まり
10月24日 AM7:08 茜
しおりを挟む
その日世界が終わるなんて、私はそれまでこれっぽっちも、砂粒ほども思ってなかった。
きっとそれは他の人にとってもそうだったと思う。
だってその日は爽やかな抜けるような青空で、その下を行き来する人たちもいつもとなんら変わりのないような顔をしていたから。
平和で退屈な日常が、突然になんの前触れもなく消えてなくなってしまうなんて、まったく露ほども思っていなかったのだから。
あらゆることには、原因がある。
例えば、私が今ものすごく慌ててバス停に向かって走っているこの状況も、また然りだ。
「あああああ~! 私のバカアホおたんこナス! なんで目覚まし時計が止まってたことに気づかなかったんだ~! 今日の私の運勢大凶だ~!」
朝食を食べる暇なんてあるわけもなく、髪をとかす暇も惜しい私は、我ながら自分のおたんこナスぶりに嫌気が差していた。どうでもいいけど、おたんこナスのナスってなんだろう。いや、おたんこっていうのも意味わかんない。
そんなどうでもいいことを考えながらも、なんとかバスの時刻には間に合ったようで、ギリギリバス停に停車していたバスのドアが閉まる直前に滑り込むことができたのだった。
「ふうーっ。なんとか間に合ったか……」
バスの車内で手すりに掴まり、私はそうつぶやく。
「滑り込みセーフってとこだな」
後方からそんな声が聞こえ、思わずどきりとした。
振り向くと、そこにいたのは京だった。眼鏡の奥の切れ長の目がこちらを見て笑っていた。
「ちょ、ちょっと今日は目覚ましが鳴らなかったのよ。ていうか、こっちは必死こいてるところに涼しげな京ってムカつく」
背が高いため、バスの天井に頭がつくんじゃないかといつも思う。
私と京はいつもそうするように、軽口を叩きあいながらバスに揺られた。
朝のバスのなかは、人が鮨詰め状態で、人いきれが車内に充満している。キラキラと窓越しに朝陽が射し込み、網膜を刺激する。
いつもの光景。変わらぬ時間。
気だるくて、爽やかな朝。
この朝がいつまでも続けばいい。
バスの小刻みな揺れを感じながら、私は眠気の残る目尻を指先で擦った。
白壁がまぶしく光っていた。四角い窓枠が規則正しく並ぶ校舎に、たくさんの生徒たちが吸い込まれていく。
十月下旬。季節は秋めいて、朝晩は肌寒く感じるようになってきていた。
そんな秋空の下、校庭では、野球部や陸上部のかけ声が響き、北校舎の二階からは音楽室から管楽器の音色が流れてきていた。
私はそんな忙しくも賑わしい日常を感じながら、京と一緒に昇降口に入っていく。と、そこで友人であり同じ写真部仲間の真由に出会った。
「おはよー。茜。水沢くん。相変わらず仲いいねー」
真由は首から提げているごついカメラをこちらに向けると、パシャリとシャッターをきった。
「ちょっ、なに勝手に撮ってるのよ! てゆうか、京とは幼馴染みで腐れ縁なだけだって前から言ってるでしょ」
私は靴を脱いで上履きに履き替えながら、真由に断固抗議した。
「まあ、そう照れなさんなって。仲良しなことには変わりないんだから」
真由は呵々と笑いながら、なおも私たちにカメラを向けようとするので、私は慌てて彼女のカメラから逃げた。
「だからやめなって! 今日は寝坊して慌てて出てきたから、顔もまともに洗ってきてないんだから~! 頭もボサボサだし~。京もぼーっと見てないでなんとか言ってよ」
すると京はポリポリと頭を掻きながら、ぽつりとつぶやくように言った。
「あー、えーと、……いい写真撮れるといいな」
そーじゃない! と全力で心のなかで私は叫んだが、真由はそれを聞いて嬉しそうに笑っていた。
教室は朝の明るさのなか、いつものように賑やかな声で満ちていた。
「おはよー」
「おはよう」
挨拶を交わしながら自分の席に着く。私の席の窓側、左隣の一つ後ろの席に、京も座った。
しばらくして、私の左隣の席にも一人、クラスメイトがやってきた。
「あー、朝練疲れたー!」
自分の机に突っ伏すようにしながら、席に着いた男子生徒は、少し色素の薄いくせっ毛が特徴の、飄々とした男の子だ。
「朔、おはよう。陸上部お疲れ様だね。今日も結構走り込んだんだ?」
「おうよ。今朝も馬鹿みたいに十キロ。そして、もうすでにお腹空いてる。茜、なんか食べ物ない?」
「ええ? また? フリスクならあるけど……」
と私が鞄からフリスクを取り出すや、朔はそれを奪い取るようにして持っていった。
「え、あ、ちょっ……」
止める間もなく朔は私のフリスクをザラザラと口に入れていった。
「もー! 食べ過ぎ! 返してよ、私のフリスク」
「ちぇっ。やっぱりフリスクじゃお腹膨れねーや」
ボリボリとフリスクを噛んでいる朔に、後ろから冷たい声がかけられた。
「まったく、朝からいじきたない」
その声にすかさず朔が抗議の声を発した。
「おい、京! てめえ、いじきたないとは失礼だな。それを言うなら活きがいいと言え!」
「ブッ。活きがいいんだ朔」
「やっぱり馬鹿だな」
私と京はひとしきり笑い、朔をからかった。
「て、てめえら! 俺を馬鹿にすんな~」
いつもの朝。
平和で、当たり前の日常。
いつまでもこんな時間が続くんだって、私はこのとき、そう思っていたんだ。
きっとそれは他の人にとってもそうだったと思う。
だってその日は爽やかな抜けるような青空で、その下を行き来する人たちもいつもとなんら変わりのないような顔をしていたから。
平和で退屈な日常が、突然になんの前触れもなく消えてなくなってしまうなんて、まったく露ほども思っていなかったのだから。
あらゆることには、原因がある。
例えば、私が今ものすごく慌ててバス停に向かって走っているこの状況も、また然りだ。
「あああああ~! 私のバカアホおたんこナス! なんで目覚まし時計が止まってたことに気づかなかったんだ~! 今日の私の運勢大凶だ~!」
朝食を食べる暇なんてあるわけもなく、髪をとかす暇も惜しい私は、我ながら自分のおたんこナスぶりに嫌気が差していた。どうでもいいけど、おたんこナスのナスってなんだろう。いや、おたんこっていうのも意味わかんない。
そんなどうでもいいことを考えながらも、なんとかバスの時刻には間に合ったようで、ギリギリバス停に停車していたバスのドアが閉まる直前に滑り込むことができたのだった。
「ふうーっ。なんとか間に合ったか……」
バスの車内で手すりに掴まり、私はそうつぶやく。
「滑り込みセーフってとこだな」
後方からそんな声が聞こえ、思わずどきりとした。
振り向くと、そこにいたのは京だった。眼鏡の奥の切れ長の目がこちらを見て笑っていた。
「ちょ、ちょっと今日は目覚ましが鳴らなかったのよ。ていうか、こっちは必死こいてるところに涼しげな京ってムカつく」
背が高いため、バスの天井に頭がつくんじゃないかといつも思う。
私と京はいつもそうするように、軽口を叩きあいながらバスに揺られた。
朝のバスのなかは、人が鮨詰め状態で、人いきれが車内に充満している。キラキラと窓越しに朝陽が射し込み、網膜を刺激する。
いつもの光景。変わらぬ時間。
気だるくて、爽やかな朝。
この朝がいつまでも続けばいい。
バスの小刻みな揺れを感じながら、私は眠気の残る目尻を指先で擦った。
白壁がまぶしく光っていた。四角い窓枠が規則正しく並ぶ校舎に、たくさんの生徒たちが吸い込まれていく。
十月下旬。季節は秋めいて、朝晩は肌寒く感じるようになってきていた。
そんな秋空の下、校庭では、野球部や陸上部のかけ声が響き、北校舎の二階からは音楽室から管楽器の音色が流れてきていた。
私はそんな忙しくも賑わしい日常を感じながら、京と一緒に昇降口に入っていく。と、そこで友人であり同じ写真部仲間の真由に出会った。
「おはよー。茜。水沢くん。相変わらず仲いいねー」
真由は首から提げているごついカメラをこちらに向けると、パシャリとシャッターをきった。
「ちょっ、なに勝手に撮ってるのよ! てゆうか、京とは幼馴染みで腐れ縁なだけだって前から言ってるでしょ」
私は靴を脱いで上履きに履き替えながら、真由に断固抗議した。
「まあ、そう照れなさんなって。仲良しなことには変わりないんだから」
真由は呵々と笑いながら、なおも私たちにカメラを向けようとするので、私は慌てて彼女のカメラから逃げた。
「だからやめなって! 今日は寝坊して慌てて出てきたから、顔もまともに洗ってきてないんだから~! 頭もボサボサだし~。京もぼーっと見てないでなんとか言ってよ」
すると京はポリポリと頭を掻きながら、ぽつりとつぶやくように言った。
「あー、えーと、……いい写真撮れるといいな」
そーじゃない! と全力で心のなかで私は叫んだが、真由はそれを聞いて嬉しそうに笑っていた。
教室は朝の明るさのなか、いつものように賑やかな声で満ちていた。
「おはよー」
「おはよう」
挨拶を交わしながら自分の席に着く。私の席の窓側、左隣の一つ後ろの席に、京も座った。
しばらくして、私の左隣の席にも一人、クラスメイトがやってきた。
「あー、朝練疲れたー!」
自分の机に突っ伏すようにしながら、席に着いた男子生徒は、少し色素の薄いくせっ毛が特徴の、飄々とした男の子だ。
「朔、おはよう。陸上部お疲れ様だね。今日も結構走り込んだんだ?」
「おうよ。今朝も馬鹿みたいに十キロ。そして、もうすでにお腹空いてる。茜、なんか食べ物ない?」
「ええ? また? フリスクならあるけど……」
と私が鞄からフリスクを取り出すや、朔はそれを奪い取るようにして持っていった。
「え、あ、ちょっ……」
止める間もなく朔は私のフリスクをザラザラと口に入れていった。
「もー! 食べ過ぎ! 返してよ、私のフリスク」
「ちぇっ。やっぱりフリスクじゃお腹膨れねーや」
ボリボリとフリスクを噛んでいる朔に、後ろから冷たい声がかけられた。
「まったく、朝からいじきたない」
その声にすかさず朔が抗議の声を発した。
「おい、京! てめえ、いじきたないとは失礼だな。それを言うなら活きがいいと言え!」
「ブッ。活きがいいんだ朔」
「やっぱり馬鹿だな」
私と京はひとしきり笑い、朔をからかった。
「て、てめえら! 俺を馬鹿にすんな~」
いつもの朝。
平和で、当たり前の日常。
いつまでもこんな時間が続くんだって、私はこのとき、そう思っていたんだ。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
王の影姫は真実を言えない
柴田はつみ
恋愛
社交界で“国王の妾”と陰口を叩かれる謎の公爵夫人リュミエール。彼女は王命により、絶世の美貌を誇る英雄アラン公爵の妻となったが、その結婚は「公爵が哀れ」「妻は汚名の女」と同情と嘲笑の的だった。
けれど真実は――リュミエールは国王シオンの“妾”ではなく、異母妹。王家の血筋を巡る闇と政争から守るため、彼女は真実を口にできない。夫アランにさえ、打ち明ければ彼を巻き込んでしまうから。
一方アランもまた、王命と王宮の思惑の中で彼女を守るため、あえて距離を取り冷たく振る舞う。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
あなたへの愛を捨てた日
柴田はつみ
恋愛
公爵夫人エステルは、冷徹な夫レオニスを心から愛していた。彼の好みを調べ、帰宅を待ちわび、献身的に尽くす毎日。
しかし、ある夜会の回廊で、エステルは残酷な真実を知る。
レオニスが、未亡人クラリスの手を取り囁いていたのだ。
「君のような(自立した)女性が、私の隣にいるべきだった」
エステルは悟る。自分の愛は彼にとって「重荷」であり、自分という人間は彼にとって「不足」だったのだと。その瞬間、彼女の中で何かが音を立てて砕け散る。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
さようなら、私の初恋
しょくぱん
恋愛
「さよなら、私の初恋。……もう、全部お返しします」
物心ついた時から、彼だけが世界のすべてだった。 幼馴染の騎士団長・レオンに捧げた、十数年の純粋な初恋。 彼が「無敵」でいられたのは、アリアが無自覚に与え続けた『治癒の加護』があったから。
だが婚約直前、アリアは知ってしまう。 彼にとって自分は、仲間内で競い合う「賭けの対象」でしかなかったことを。
「あんな女、落とすまでのゲームだよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる