世界の終わり、茜色の空

美汐

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第一章 終わりの始まり

10月24日 AM7:08 茜

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 その日世界が終わるなんて、私はそれまでこれっぽっちも、砂粒ほども思ってなかった。
きっとそれは他の人にとってもそうだったと思う。
 だってその日は爽やかな抜けるような青空で、その下を行き来する人たちもいつもとなんら変わりのないような顔をしていたから。
 平和で退屈な日常が、突然になんの前触れもなく消えてなくなってしまうなんて、まったく露ほども思っていなかったのだから。



 あらゆることには、原因がある。
 例えば、私が今ものすごく慌ててバス停に向かって走っているこの状況も、また然りだ。

「あああああ~! 私のバカアホおたんこナス! なんで目覚まし時計が止まってたことに気づかなかったんだ~! 今日の私の運勢大凶だ~!」

 朝食を食べる暇なんてあるわけもなく、髪をとかす暇も惜しい私は、我ながら自分のおたんこナスぶりに嫌気が差していた。どうでもいいけど、おたんこナスのナスってなんだろう。いや、おたんこっていうのも意味わかんない。
 そんなどうでもいいことを考えながらも、なんとかバスの時刻には間に合ったようで、ギリギリバス停に停車していたバスのドアが閉まる直前に滑り込むことができたのだった。

「ふうーっ。なんとか間に合ったか……」

 バスの車内で手すりに掴まり、私はそうつぶやく。

「滑り込みセーフってとこだな」

 後方からそんな声が聞こえ、思わずどきりとした。
 振り向くと、そこにいたのは京だった。眼鏡の奥の切れ長の目がこちらを見て笑っていた。

「ちょ、ちょっと今日は目覚ましが鳴らなかったのよ。ていうか、こっちは必死こいてるところに涼しげなきょうってムカつく」

 背が高いため、バスの天井に頭がつくんじゃないかといつも思う。
 私と京はいつもそうするように、軽口を叩きあいながらバスに揺られた。
 朝のバスのなかは、人が鮨詰め状態で、人いきれが車内に充満している。キラキラと窓越しに朝陽が射し込み、網膜を刺激する。

 いつもの光景。変わらぬ時間。
 気だるくて、爽やかな朝。

 この朝がいつまでも続けばいい。
 バスの小刻みな揺れを感じながら、私は眠気の残る目尻を指先で擦った。





 白壁がまぶしく光っていた。四角い窓枠が規則正しく並ぶ校舎に、たくさんの生徒たちが吸い込まれていく。
 十月下旬。季節は秋めいて、朝晩は肌寒く感じるようになってきていた。
 そんな秋空の下、校庭では、野球部や陸上部のかけ声が響き、北校舎の二階からは音楽室から管楽器の音色が流れてきていた。
 私はそんな忙しくも賑わしい日常を感じながら、京と一緒に昇降口に入っていく。と、そこで友人であり同じ写真部仲間の真由まゆに出会った。

「おはよー。あかね水沢みずさわくん。相変わらず仲いいねー」

 真由は首から提げているごついカメラをこちらに向けると、パシャリとシャッターをきった。

「ちょっ、なに勝手に撮ってるのよ! てゆうか、京とは幼馴染みで腐れ縁なだけだって前から言ってるでしょ」

 私は靴を脱いで上履きに履き替えながら、真由に断固抗議した。

「まあ、そう照れなさんなって。仲良しなことには変わりないんだから」

 真由は呵々と笑いながら、なおも私たちにカメラを向けようとするので、私は慌てて彼女のカメラから逃げた。

「だからやめなって! 今日は寝坊して慌てて出てきたから、顔もまともに洗ってきてないんだから~! 頭もボサボサだし~。京もぼーっと見てないでなんとか言ってよ」

 すると京はポリポリと頭を掻きながら、ぽつりとつぶやくように言った。

「あー、えーと、……いい写真撮れるといいな」

 そーじゃない! と全力で心のなかで私は叫んだが、真由はそれを聞いて嬉しそうに笑っていた。





 教室は朝の明るさのなか、いつものように賑やかな声で満ちていた。

「おはよー」

「おはよう」

 挨拶を交わしながら自分の席に着く。私の席の窓側、左隣の一つ後ろの席に、京も座った。
 しばらくして、私の左隣の席にも一人、クラスメイトがやってきた。

「あー、朝練疲れたー!」

 自分の机に突っ伏すようにしながら、席に着いた男子生徒は、少し色素の薄いくせっ毛が特徴の、飄々とした男の子だ。

さく、おはよう。陸上部お疲れ様だね。今日も結構走り込んだんだ?」

「おうよ。今朝も馬鹿みたいに十キロ。そして、もうすでにお腹空いてる。茜、なんか食べ物ない?」

「ええ? また? フリスクならあるけど……」

 と私が鞄からフリスクを取り出すや、朔はそれを奪い取るようにして持っていった。

「え、あ、ちょっ……」

 止める間もなく朔は私のフリスクをザラザラと口に入れていった。

「もー! 食べ過ぎ! 返してよ、私のフリスク」

「ちぇっ。やっぱりフリスクじゃお腹膨れねーや」

 ボリボリとフリスクを噛んでいる朔に、後ろから冷たい声がかけられた。

「まったく、朝からいじきたない」

 その声にすかさず朔が抗議の声を発した。

「おい、京! てめえ、いじきたないとは失礼だな。それを言うなら活きがいいと言え!」

「ブッ。活きがいいんだ朔」

「やっぱり馬鹿だな」

 私と京はひとしきり笑い、朔をからかった。

「て、てめえら! 俺を馬鹿にすんな~」

 いつもの朝。
 平和で、当たり前の日常。
 いつまでもこんな時間が続くんだって、私はこのとき、そう思っていたんだ。


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