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第四章 思い出と星空と戸惑いと
思い出と星空と戸惑いと4
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そんな昔の記憶が一瞬にして蘇ったのは、間違いなく京から伝わる手の温もりからのせいだろう。遠慮がちに触れてきた手の温もり。さりげない優しさは昔と変わらない。
「……落ち着いたか?」
胸に染み渡るような低く落ち着いた声に、私はこくりとうなずく。濡れた顔を手で拭い、息を整えてから顔を上げると、その先に酷く心配した表情を浮かべる京がいた。
「……ごめん」
ついそう口にすると、京は今度は途端に眉をしかめる。
「なんでそこで謝る?」
「いや、だって、なんか急に泣いたりなんかしちゃったしさ」
「泣くのは悪いことじゃない。こんなわけのわからない状況で、平常心を保ち続けていくほうが難しいことだ」
普段と変わらず冷静な京に、私は思わずくすりとした。
「……ありがと」
すると京もようやく安堵した様子で鼻で息を吐いた。
「我慢、すんなよ。茜はときどき一人で抱え込むところがあるから」
「え? そんなことあった?」
「……ほら。長かった髪をばっさり切ったときあったろ」
「え?」
「ずっと伸ばしていた長い髪を切ってまで悩んでいたことがあったっていうのに、結局最後までなんにも言わずに一人で解決してたんだよな。少しは僕に頼ってもよさそうなものを」
京の言葉に、私は驚きを隠しきれず激しく瞬きをする。
「あのこと、覚えてたんだ?」
「当たり前。忘れられるわけないだろう? 茜の長い髪の毛姿がそれを最後に見られなくなったんだ。なにかが吹っ切れたみたいにどんどんおしとやかさから遠ざかっていったあの一件は、茜をずっと見てきた僕からしたらかなりの大きな事件だった」
「な、悪かったわね。おしとやかじゃなくて」
「まあ、僕としては今の元気な茜のが好ましくはあるけど……」
そう言った瞬間、京はふと我に返ったように目を見開き、慌てて視線を遠くへと逸らした。
なに? その反応。
そう思ったけれど、そんなふうに言ってくれたことが嬉しかった。
「ブランコ一緒に漕いだの、楽しかったよね」
星空に目をやり、昔の記憶をたぐり寄せる。
懐かしい、昔の思い出。
「あれからもうそろそろ五年も経つんだよね。京と知り合ったのはもっと前だったから……」
「十年」
横でぽつりと低い声。
「茜が僕の家の近所に越してきてから十年だ」
京の言葉に、どくんと心臓が高鳴った。
十年。それは、今まで生きてきた人生のうちの三分の二を京とともに過ごしてきたということだ。京とともに成長し、歩んできた私の歴史。
それは決して短くはない時間。
「そんなに一緒に過ごしてきたんだ。なんか、信じられない」
「まあ、この空の星の光が地球に届く時間に比べたら、ほんの一瞬なんだろうけどな」
呼吸をするくらいに当たり前に一緒に過ごしてきた。心地よくて安心できる存在である京は、それこそ家族みたいで。
「…………ふう」
突然、京が深く息をつき、そのまま腕を組んで俯いた。
「なに? 急にため息なんかついちゃって。なにかあったの?」
「……ああ、いや。なんでもない。こっちのこと」
そんな様子に訝しんでいると、ふと彼が朔となにかを相談していたことを思い出した。
「あ、もしかして朔となにか話してたこと? なにか私には言えないようなことでも企んでるんでしょ」
「そ、そんなこと企んでなんかないって」
「じゃあなに? 私だけのけものとかずるいんだけど?」
私が詰め寄ると、京は心底困ったような表情を浮かべていた。そして、しばらく沈黙したあと、彼は意を決したように私の顔を見つめた。
「茜」
突然真剣な表情を向けられ、私は困惑して思わず少し仰け反った。
「今から僕が言うことは、ひとつの賭けだ」
「賭け?」
京はうなずくと、真剣な表情を崩すことなく続けた。
「もうすぐこの世界は終わるかもしれない。だとしたら、茜が今日自分の祖母を訪ねたように、心残りをできるだけ残さないように限られた時間を過ごすことは正しいことだと思う」
「うん」
「だから、僕も朔と賭けをしたんだ。その賭けに僕は負けた。だからその約束を僕は果たさなければならない」
「うん」
京が言いたいことのひとつもそのときの私にはわかっていなかったが、ただ彼がとても真剣なのだということは伝わってきた。夜空のように深い瞳が私を釘付けにする。
「茜」
静かな声。けれどそこには秘めたる熱を含んでいるようで。
「僕は、ずっときみのことが……」
京がそう言いかけたときだった。
「茜ちゃん、どこー?」
家のほうからおばあちゃんのそんな呼び声が聞こえてきた。
「あ、おばあちゃんが呼んでる。……ごめん、京。話の途中だったのに」
それを機に、私は京の真剣な瞳から逃げるかのように、慌てて視線を逸らせた。
「……ああ」
耳に届いたのは、先程よりも幾分沈んだような京の声。その直後に、再びお祖母ちゃんが私を呼ぶ声が家のほうから聞こえてきた。
「僕のことはいいから、早く行ってくるといい」
「うん。ごめんね。話、またあとで聞くね」
私はそう言うと、慌てたように家のほうへと走っていった。ちらりと見えたどこか京の様子は、なぜか落胆しているようにも見えた。そんな姿に後ろ髪が引かれたが、私は走る速度を緩めなかった。
耳に残る京の声。真剣なまなざし。
動悸が激しくなったような気がするのは、走っているせいばかりではないだろう。
――僕は、ずっときみのことが……。
そのあとに続く言葉がなんだったのか。
今の私にそれを聞く勇気があるのかどうか、わからなかった。
「……落ち着いたか?」
胸に染み渡るような低く落ち着いた声に、私はこくりとうなずく。濡れた顔を手で拭い、息を整えてから顔を上げると、その先に酷く心配した表情を浮かべる京がいた。
「……ごめん」
ついそう口にすると、京は今度は途端に眉をしかめる。
「なんでそこで謝る?」
「いや、だって、なんか急に泣いたりなんかしちゃったしさ」
「泣くのは悪いことじゃない。こんなわけのわからない状況で、平常心を保ち続けていくほうが難しいことだ」
普段と変わらず冷静な京に、私は思わずくすりとした。
「……ありがと」
すると京もようやく安堵した様子で鼻で息を吐いた。
「我慢、すんなよ。茜はときどき一人で抱え込むところがあるから」
「え? そんなことあった?」
「……ほら。長かった髪をばっさり切ったときあったろ」
「え?」
「ずっと伸ばしていた長い髪を切ってまで悩んでいたことがあったっていうのに、結局最後までなんにも言わずに一人で解決してたんだよな。少しは僕に頼ってもよさそうなものを」
京の言葉に、私は驚きを隠しきれず激しく瞬きをする。
「あのこと、覚えてたんだ?」
「当たり前。忘れられるわけないだろう? 茜の長い髪の毛姿がそれを最後に見られなくなったんだ。なにかが吹っ切れたみたいにどんどんおしとやかさから遠ざかっていったあの一件は、茜をずっと見てきた僕からしたらかなりの大きな事件だった」
「な、悪かったわね。おしとやかじゃなくて」
「まあ、僕としては今の元気な茜のが好ましくはあるけど……」
そう言った瞬間、京はふと我に返ったように目を見開き、慌てて視線を遠くへと逸らした。
なに? その反応。
そう思ったけれど、そんなふうに言ってくれたことが嬉しかった。
「ブランコ一緒に漕いだの、楽しかったよね」
星空に目をやり、昔の記憶をたぐり寄せる。
懐かしい、昔の思い出。
「あれからもうそろそろ五年も経つんだよね。京と知り合ったのはもっと前だったから……」
「十年」
横でぽつりと低い声。
「茜が僕の家の近所に越してきてから十年だ」
京の言葉に、どくんと心臓が高鳴った。
十年。それは、今まで生きてきた人生のうちの三分の二を京とともに過ごしてきたということだ。京とともに成長し、歩んできた私の歴史。
それは決して短くはない時間。
「そんなに一緒に過ごしてきたんだ。なんか、信じられない」
「まあ、この空の星の光が地球に届く時間に比べたら、ほんの一瞬なんだろうけどな」
呼吸をするくらいに当たり前に一緒に過ごしてきた。心地よくて安心できる存在である京は、それこそ家族みたいで。
「…………ふう」
突然、京が深く息をつき、そのまま腕を組んで俯いた。
「なに? 急にため息なんかついちゃって。なにかあったの?」
「……ああ、いや。なんでもない。こっちのこと」
そんな様子に訝しんでいると、ふと彼が朔となにかを相談していたことを思い出した。
「あ、もしかして朔となにか話してたこと? なにか私には言えないようなことでも企んでるんでしょ」
「そ、そんなこと企んでなんかないって」
「じゃあなに? 私だけのけものとかずるいんだけど?」
私が詰め寄ると、京は心底困ったような表情を浮かべていた。そして、しばらく沈黙したあと、彼は意を決したように私の顔を見つめた。
「茜」
突然真剣な表情を向けられ、私は困惑して思わず少し仰け反った。
「今から僕が言うことは、ひとつの賭けだ」
「賭け?」
京はうなずくと、真剣な表情を崩すことなく続けた。
「もうすぐこの世界は終わるかもしれない。だとしたら、茜が今日自分の祖母を訪ねたように、心残りをできるだけ残さないように限られた時間を過ごすことは正しいことだと思う」
「うん」
「だから、僕も朔と賭けをしたんだ。その賭けに僕は負けた。だからその約束を僕は果たさなければならない」
「うん」
京が言いたいことのひとつもそのときの私にはわかっていなかったが、ただ彼がとても真剣なのだということは伝わってきた。夜空のように深い瞳が私を釘付けにする。
「茜」
静かな声。けれどそこには秘めたる熱を含んでいるようで。
「僕は、ずっときみのことが……」
京がそう言いかけたときだった。
「茜ちゃん、どこー?」
家のほうからおばあちゃんのそんな呼び声が聞こえてきた。
「あ、おばあちゃんが呼んでる。……ごめん、京。話の途中だったのに」
それを機に、私は京の真剣な瞳から逃げるかのように、慌てて視線を逸らせた。
「……ああ」
耳に届いたのは、先程よりも幾分沈んだような京の声。その直後に、再びお祖母ちゃんが私を呼ぶ声が家のほうから聞こえてきた。
「僕のことはいいから、早く行ってくるといい」
「うん。ごめんね。話、またあとで聞くね」
私はそう言うと、慌てたように家のほうへと走っていった。ちらりと見えたどこか京の様子は、なぜか落胆しているようにも見えた。そんな姿に後ろ髪が引かれたが、私は走る速度を緩めなかった。
耳に残る京の声。真剣なまなざし。
動悸が激しくなったような気がするのは、走っているせいばかりではないだろう。
――僕は、ずっときみのことが……。
そのあとに続く言葉がなんだったのか。
今の私にそれを聞く勇気があるのかどうか、わからなかった。
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