蒼き翅の乙女

一花カナウ

文字の大きさ
16 / 31
愛しき機織り娘

しおりを挟む


「おい、キース。好からぬ噂だ。耳に入れておけ」

「物騒な台詞で店に入ってきて欲しくはないものですがね、アルベルト」

 サンドラと出会い、満月の夜が三回ほど過ぎたある日の夕方。店の扉をやや乱暴に開けて、アルベルトがやってきた。彼がグレイスワーズ商店に現れるのは比較的珍しいことだ。

「いいじゃないか。この時間はあまり客がいないだろ?」

 アルベルトが指摘するように店内には人気がなく、キースは思わず苦笑する。

「――で、好からぬ噂ってなんだ?」

「君の惚気話にはほとほと飽きてきたところだったんだが、その彼女の話だ」

 勘定台をはさむように向き合い告げるアルベルトに、怪訝な顔をするキース。

「サンドラの?」

 指定の役場前の広場を離れ、わざわざここまでやってくるのは人に聞かれてはまずい話をするときだと決まっている。キースは鼓動が早くなっていくのを感じながら、話の続きを待つ。

 サンドラが配達のついでに食事をしていくようになったからか、彼女の栄養状態は劇的に良好に転じた。細かった身体にほどよく肉がつき、女性らしい丸みがでてきたほどだ。食事中に話すことが増えたおかげか、彼女の表情も明るいものになり、店の商品の被害もだいぶ減りつつあった。また、愛を語らうほどではないにせよ、互いを思いやるようにもなっていた。少なくともキースは、彼女が来るのを待ちわびて、店の仕事を差し置いてでも彼女の好物をそろえてやるようにはなっていた。

(せっかく打ち解けてきたっていうのに、何が……)

 アルベルトはキースの紺碧の瞳を真っ直ぐに見つめ、そして告げた。

「オスカーが君たちの仲を疑っている」

「はぁ? お前には誤解されているようだが、彼女とはまだ友だちの付き合いだぞ? 飯を食わせているだけで、やましいことは何もしてない」

 心外だとばかりにキースが返す。アルベルトはなおも真面目な顔で続ける。

「サンドラもそう言い張っているそうだ」

「そりゃそうだ。本当のことだからな」

 くだらない戯言だと言いたげに肩をすくめるキース。そんな彼に、アルベルトは自分の額に手を当ててわずかに俯く。

「あぁ、わかっているよ。君は奥手だからな。手をつけていないことは容易に想像できる」

「その言い方は実に不愉快だが、理解を得られて嬉しいよ。――しかし、そんなことを伝えにくるとは、お前らしくないな」

 ことの重大性に気付いていないようなのんきさが滲む台詞。キースはこの話題が人目を避けてまで親友が伝えねばならない内容だとは感じられなかった。

 アルベルトは自身の長い前髪をかき上げて、顔を上げる。そこには困っているような、不安そうな、そんな表情が浮かんでいた。彼らしからぬ顔だ。

「――君には言いにくい話だが、オスカーは彼女を妾にしようと考えているらしい」

「はぁっ?!」

 ばんっと勘定台を叩く音が店内に響く。キースは身を乗り出してアルベルトを睨む。

「どういうことだっ?! 適当な男と見合いをさせて厄介払いするという話は幾度か聞いたことがあるが、妾にだと?!」

 オスカーは若い娘を働き手として雇い、ある程度の年齢になったら町の男と結婚させ、その礼金をふんだくっているというのがもっぱらの噂だ。本当に好く思って結ばれて退職する娘もまれにはいるが、そのほとんどが強引なものであると聞く。それでも旦那になる相手は町でも有力な商人がほとんどで、喰う寝るに困るような相手ではない。そもそも、仕事に有利なように貢物として機織りの娘を差し出しているのだ、金の臭いがする場所に嫁げるのは間違いないはずだ。

「ほら、その……君が食事を与えているだろ? それで彼女は見違えるほど綺麗になった。手放すのが惜しくなったんじゃないか?」

「なんだよ、それ……」

(確かに、彼女は綺麗になったが……)

 栄養状態が悪かったのが影響していたのだろう。傷んでいた髪は艶と柔らかさを取り戻して黄金色に輝き、かさついてくすんでいた肌も、今は張りと瑞々しさが宿っている。体重も増えたらしく、細い枝に布を引っ掛けたような外見だった彼女も、胸や腰のふくらみを感じさせるようにはなっていた。

(元が良いとはいえ、女っぽくはなったよな)

「――それに、こう言っちゃ悪いが、あれは機織りしか才のない女だ。下手に嫁に行かせて自身の評価を落とすくらいなら、囲っちまった方が得だと考えたんだと思うぞ」

「あぁぁぁぁぁっ、それは僕でも否定できないぃぃぃっ」

 冷静なアルベルトの指摘に、思わずキースは頭を抱えて悶える。どれだけの商品を壊されたのか、それを思い出そうとしても思い出しきれないくらいの被害が出ている。金額は大したことはなくとも、それを直したり片付けたりするキースの労力は相当なものになっていた。

(破壊活動を抑えるために餌付けを続けてきたが、まさかそんな展開が待ち受けていようとはっ!)

 叫び絶望するキースを、アルベルトは呆れた表情で見つめる。

「キース、君の女なんだろ? 少しは弁護してやれよ」

「お前、僕がどれだけの苦労を重ねて彼女をここまで育てたと思っているんだ? 僕の店の商品を守るために、どれだけの努力をしてきたと思ってるんだ? え?」

「君のそれは、深い愛情ではなかったのかね? 抱くこともせず、口づけさえせず、ただ食事を与えて肥えさせるのが君の趣味なのか? 実に特殊な趣味なことだな、おい」

「む……」

 問われて、キースは口を噤む。

(別に好みの体型まで太らせたあとに刈ろうと思っているわけじゃないんだが……)

 ただ、機会を失ってしまっただけなのだ。サンドラと食事をしていてもそういう雰囲気になることはないし、彼女に美味しいといってもらえるだけで満たされた気分になってしまい、それ以上の欲が生まれないのだった。

(一度こっそり酒を飲ませたときは一瞬で寝てしまったから、それ以来飲ませてないし……)

 眠っているサンドラを見て心が和み、起きるまでなにもせずにずっと見守ってしまったときにはさすがに自分もどうかしていると思い、その話は胸の奥にしまったままにしている。

 キースが黙っていると、アルベルトはため息をついて続ける。

「俺ならば、食事をするところまでいったらそれとなく身体に触れて、抵抗なけりゃお持ち帰りだ。何もしないのは男の恥だからな」

「それはお前限定だろ?」

「男の家で飯食わせてもらっているんだ。襲われても構わないくらいに覚悟はしているもんだと思うがね」

「だがよく考えろ。あの女がそこまで考えていると思うか?」

 キースの反論に、しばし思案するアルベルト。そして苦笑した。

「自分のことで手一杯の彼女のことだ。深く考えちゃいないだろ?」

 なんとか言いたいことが伝わったらしい。キースは小さく肩をすくめ、店の仕事に取り掛かる。

(進展を望んでいないわけじゃない……ただ、彼女がどうしたいのかわからなくて、恐いんだ……)

 彼女が物事をうまく処理できないのは、一つのことに集中しすぎるあまり回りが見えなくなってしまうためだ。今でこそ、雇い主のオスカーに言われて商品を店に届けることに慣れ、そのついでに食事をして帰ると言う一連の行動ができるようにはなった。しかし、予期せぬことに対しては非常に弱く、店に荷物を運ぶ以外の頼まれごとがあると何かしらを壊して工房に帰っていく。まだ、行動に移すような時機ではない。

「だが――」

「まだ小規模のうちは良いが、甚大な被害が出ては困る。親父が残してくれたこの店を、僕が潰すわけにはいかないんだ」

「女よりも仕事を取るのか、君は」

 つまらなそうに鼻を鳴らす。しかし、キースのことを見下していたわけではなかった。キースはアルベルトの気持ちを察して、小さく笑う。

「僕も彼女と同じで、仕事しか取り柄のない男だ。細々とやっていくので精一杯だが、ありがたいことに喰うに困ることもない。この店がなくなってしまったら、僕には何も残らんよ」

「卑屈な言い方するな。俺が寂しいだろ?」

 奇妙な台詞に、作業の手を止めてアルベルトに顔を向けた。

「何で寂しいんだ?」

「君には俺という親友がいるじゃないか。俺は君にとって何の価値もない存在なのか?」

 意外と真面目な顔をして問うアルベルトを見て、キースは小さく噴き出した。

「ははっ。気色悪いこと言うなよ」

 笑い出したキースに、ほっとしたような顔をする。

「そんなふうに返せるなら、まだ大丈夫そうだな」

「ん? どういう意味だ?」

「いや、下らん戯言だ。忘れてくれ」

 言って、アルベルトはキースに背を向ける。

「仕事の邪魔をしたな。町役場に届け物があるときはいつもどおりに寄ってくれ」

「あ、あぁ、わかった」

 アルベルトは片手を挙げて小さく振ると、グレイスワーズ商店を静かに出て行ったのだった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

処理中です...