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愛しき機織り娘
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しおりを挟む「おい、キース。好からぬ噂だ。耳に入れておけ」
「物騒な台詞で店に入ってきて欲しくはないものですがね、アルベルト」
サンドラと出会い、満月の夜が三回ほど過ぎたある日の夕方。店の扉をやや乱暴に開けて、アルベルトがやってきた。彼がグレイスワーズ商店に現れるのは比較的珍しいことだ。
「いいじゃないか。この時間はあまり客がいないだろ?」
アルベルトが指摘するように店内には人気がなく、キースは思わず苦笑する。
「――で、好からぬ噂ってなんだ?」
「君の惚気話にはほとほと飽きてきたところだったんだが、その彼女の話だ」
勘定台をはさむように向き合い告げるアルベルトに、怪訝な顔をするキース。
「サンドラの?」
指定の役場前の広場を離れ、わざわざここまでやってくるのは人に聞かれてはまずい話をするときだと決まっている。キースは鼓動が早くなっていくのを感じながら、話の続きを待つ。
サンドラが配達のついでに食事をしていくようになったからか、彼女の栄養状態は劇的に良好に転じた。細かった身体にほどよく肉がつき、女性らしい丸みがでてきたほどだ。食事中に話すことが増えたおかげか、彼女の表情も明るいものになり、店の商品の被害もだいぶ減りつつあった。また、愛を語らうほどではないにせよ、互いを思いやるようにもなっていた。少なくともキースは、彼女が来るのを待ちわびて、店の仕事を差し置いてでも彼女の好物をそろえてやるようにはなっていた。
(せっかく打ち解けてきたっていうのに、何が……)
アルベルトはキースの紺碧の瞳を真っ直ぐに見つめ、そして告げた。
「オスカーが君たちの仲を疑っている」
「はぁ? お前には誤解されているようだが、彼女とはまだ友だちの付き合いだぞ? 飯を食わせているだけで、やましいことは何もしてない」
心外だとばかりにキースが返す。アルベルトはなおも真面目な顔で続ける。
「サンドラもそう言い張っているそうだ」
「そりゃそうだ。本当のことだからな」
くだらない戯言だと言いたげに肩をすくめるキース。そんな彼に、アルベルトは自分の額に手を当ててわずかに俯く。
「あぁ、わかっているよ。君は奥手だからな。手をつけていないことは容易に想像できる」
「その言い方は実に不愉快だが、理解を得られて嬉しいよ。――しかし、そんなことを伝えにくるとは、お前らしくないな」
ことの重大性に気付いていないようなのんきさが滲む台詞。キースはこの話題が人目を避けてまで親友が伝えねばならない内容だとは感じられなかった。
アルベルトは自身の長い前髪をかき上げて、顔を上げる。そこには困っているような、不安そうな、そんな表情が浮かんでいた。彼らしからぬ顔だ。
「――君には言いにくい話だが、オスカーは彼女を妾にしようと考えているらしい」
「はぁっ?!」
ばんっと勘定台を叩く音が店内に響く。キースは身を乗り出してアルベルトを睨む。
「どういうことだっ?! 適当な男と見合いをさせて厄介払いするという話は幾度か聞いたことがあるが、妾にだと?!」
オスカーは若い娘を働き手として雇い、ある程度の年齢になったら町の男と結婚させ、その礼金をふんだくっているというのがもっぱらの噂だ。本当に好く思って結ばれて退職する娘もまれにはいるが、そのほとんどが強引なものであると聞く。それでも旦那になる相手は町でも有力な商人がほとんどで、喰う寝るに困るような相手ではない。そもそも、仕事に有利なように貢物として機織りの娘を差し出しているのだ、金の臭いがする場所に嫁げるのは間違いないはずだ。
「ほら、その……君が食事を与えているだろ? それで彼女は見違えるほど綺麗になった。手放すのが惜しくなったんじゃないか?」
「なんだよ、それ……」
(確かに、彼女は綺麗になったが……)
栄養状態が悪かったのが影響していたのだろう。傷んでいた髪は艶と柔らかさを取り戻して黄金色に輝き、かさついてくすんでいた肌も、今は張りと瑞々しさが宿っている。体重も増えたらしく、細い枝に布を引っ掛けたような外見だった彼女も、胸や腰のふくらみを感じさせるようにはなっていた。
(元が良いとはいえ、女っぽくはなったよな)
「――それに、こう言っちゃ悪いが、あれは機織りしか才のない女だ。下手に嫁に行かせて自身の評価を落とすくらいなら、囲っちまった方が得だと考えたんだと思うぞ」
「あぁぁぁぁぁっ、それは僕でも否定できないぃぃぃっ」
冷静なアルベルトの指摘に、思わずキースは頭を抱えて悶える。どれだけの商品を壊されたのか、それを思い出そうとしても思い出しきれないくらいの被害が出ている。金額は大したことはなくとも、それを直したり片付けたりするキースの労力は相当なものになっていた。
(破壊活動を抑えるために餌付けを続けてきたが、まさかそんな展開が待ち受けていようとはっ!)
叫び絶望するキースを、アルベルトは呆れた表情で見つめる。
「キース、君の女なんだろ? 少しは弁護してやれよ」
「お前、僕がどれだけの苦労を重ねて彼女をここまで育てたと思っているんだ? 僕の店の商品を守るために、どれだけの努力をしてきたと思ってるんだ? え?」
「君のそれは、深い愛情ではなかったのかね? 抱くこともせず、口づけさえせず、ただ食事を与えて肥えさせるのが君の趣味なのか? 実に特殊な趣味なことだな、おい」
「む……」
問われて、キースは口を噤む。
(別に好みの体型まで太らせたあとに刈ろうと思っているわけじゃないんだが……)
ただ、機会を失ってしまっただけなのだ。サンドラと食事をしていてもそういう雰囲気になることはないし、彼女に美味しいといってもらえるだけで満たされた気分になってしまい、それ以上の欲が生まれないのだった。
(一度こっそり酒を飲ませたときは一瞬で寝てしまったから、それ以来飲ませてないし……)
眠っているサンドラを見て心が和み、起きるまでなにもせずにずっと見守ってしまったときにはさすがに自分もどうかしていると思い、その話は胸の奥にしまったままにしている。
キースが黙っていると、アルベルトはため息をついて続ける。
「俺ならば、食事をするところまでいったらそれとなく身体に触れて、抵抗なけりゃお持ち帰りだ。何もしないのは男の恥だからな」
「それはお前限定だろ?」
「男の家で飯食わせてもらっているんだ。襲われても構わないくらいに覚悟はしているもんだと思うがね」
「だがよく考えろ。あの女がそこまで考えていると思うか?」
キースの反論に、しばし思案するアルベルト。そして苦笑した。
「自分のことで手一杯の彼女のことだ。深く考えちゃいないだろ?」
なんとか言いたいことが伝わったらしい。キースは小さく肩をすくめ、店の仕事に取り掛かる。
(進展を望んでいないわけじゃない……ただ、彼女がどうしたいのかわからなくて、恐いんだ……)
彼女が物事をうまく処理できないのは、一つのことに集中しすぎるあまり回りが見えなくなってしまうためだ。今でこそ、雇い主のオスカーに言われて商品を店に届けることに慣れ、そのついでに食事をして帰ると言う一連の行動ができるようにはなった。しかし、予期せぬことに対しては非常に弱く、店に荷物を運ぶ以外の頼まれごとがあると何かしらを壊して工房に帰っていく。まだ、行動に移すような時機ではない。
「だが――」
「まだ小規模のうちは良いが、甚大な被害が出ては困る。親父が残してくれたこの店を、僕が潰すわけにはいかないんだ」
「女よりも仕事を取るのか、君は」
つまらなそうに鼻を鳴らす。しかし、キースのことを見下していたわけではなかった。キースはアルベルトの気持ちを察して、小さく笑う。
「僕も彼女と同じで、仕事しか取り柄のない男だ。細々とやっていくので精一杯だが、ありがたいことに喰うに困ることもない。この店がなくなってしまったら、僕には何も残らんよ」
「卑屈な言い方するな。俺が寂しいだろ?」
奇妙な台詞に、作業の手を止めてアルベルトに顔を向けた。
「何で寂しいんだ?」
「君には俺という親友がいるじゃないか。俺は君にとって何の価値もない存在なのか?」
意外と真面目な顔をして問うアルベルトを見て、キースは小さく噴き出した。
「ははっ。気色悪いこと言うなよ」
笑い出したキースに、ほっとしたような顔をする。
「そんなふうに返せるなら、まだ大丈夫そうだな」
「ん? どういう意味だ?」
「いや、下らん戯言だ。忘れてくれ」
言って、アルベルトはキースに背を向ける。
「仕事の邪魔をしたな。町役場に届け物があるときはいつもどおりに寄ってくれ」
「あ、あぁ、わかった」
アルベルトは片手を挙げて小さく振ると、グレイスワーズ商店を静かに出て行ったのだった。
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