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隣国の皇太子 2

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 約束した通り、セトは翌日もあたしが寝起きする屋敷にやってきた。爽やかな良い天気。陽が照らす露台でお茶を楽しみつつ、話に花が咲く。

「――君は心底そのエンシという名の絡操技師を慕っているのですね」

 何度も話に登場したからだろう。聞き役に徹していたセトが目を細めて語りかけてきた。

「そりゃあ尊敬してますもの。あたしと一つしか変わらないというのに、エンシは国で一、二を競う絡操技師ですのよ?」
「……それだけですか?」

 ――それだけか、ですって?

 あたしはセトの問いの意味がわからず、目を瞬かせて首をかしげる。

「いえ、彼が羨ましく思えまして。君の心の中には、まだ僕の居場所がないのだなと」

 言って、彼は立ち上がる。

「こういう気持ちを嫉妬というのでしょうね」

 寂しげな笑みをこちらに見せるセト。あたしは何も応えられない。

「すっかり長居してしまいました。公務に戻ります。――また、明日もよろしいですか?」
「えっあっ……はい。喜んで」

 彼の問いがなんとか頭に入ってきて、懸命に笑顔を作ると彼を見送る。
 あたしは立ち去る背に切なげな色を見つけて、心の中で彼に詫びた。ただ母国のことを懐かしむだけじゃなくて、セトのことも考えなくては。彼とはこれからずっと付き合っていくことになるのだから。




 それから毎日、彼は屋敷に顔を出した。宮殿に立ち入ることが許されていないあたしの代わりに、わざわざ通ってくれているらしかった。
 しばらく穏やかな日々が続いた。陽射しが届く日中は露台でお茶をしながら祖国の話を聞いてもらう。屋敷にほぼ一人でこもっているあたしには、いつの間にかセトがいるこの時間が待ち遠しいものになっていた。

「――しかし、軍事技術開発は悪いことばかりではないのですよ?」

 ――悪いことばかりじゃないですって? 

 あたしがアスター王国の絡操技術の平和的利用を熱く語っていると、セトが話の間に入ってきた。彼の言っていることがよくわからなくて黙っていると、セトは続ける。

「メローネさんはこの街にどうやってきましたか?」

 唐突に思える質問に疑問を感じながら、あたしは答える。

「アスター領内は馬車で、国境からは鉄道でしたが」

 ここまでの旅は丸三日かかったが、ロゼット帝国に入ってからの旅程には目をみはるものがあった。初めて乗った鉄道の移動の早さに興奮しっぱなしだったのは記憶に新しい。

「ロゼット帝国の交通網や乗り物は、軍事技術を民間に転用したものなんですよ。鉄道も車も飛行機も、軍事から生まれた絡操技術です」
「あの鉄道が? 信じられないわ」
「元は物資輸送の効率化を目的としたものです。今は人を運ぶことに特化しておりますが」
「へぇ……」

 アスターでは当たり前のことがロゼットでは違ったり、またその反対もあってとても面白い。言葉の通じる隣の国だというのに、こんなにも違うなんて。この数日で知ったことは城の中では知りえなかったことばかりだ。

「軍事増強は父からですが、それによって得られた恩恵も多いのです」
「――しかし、それはそれ、ですわ」

 あたしはこの国の皇帝の顔を思い出し、セトをきっと睨み付ける。危うく彼の柔らかな物言いに惑わされるところだった。あたしは続ける。

「我がアスター王国を焼いたのはあなた方ロゼット帝国の人間です。それを可能にしたのがその優秀な軍事技術であったことをお忘れではありませんか?」

 聞いた話では、彼は戦場に立っていない。あの凄惨さを目の当たりにしたあたしとは見ているものが違う。あんな体験は二度としたくはない。

「すみません。我が国の実情にご理解いただければと思っただけで――」

 ――ロゼットの実情を理解しろ、ですって? 冗談じゃない!

「あたしの国が焼けたのは紛うことなき事実です。あたしの目の前で消えていった命もありましたのよ?」

 失ったものはたくさんある。これ以上永遠に失われるものが出てはつらい、そう思ったからこそアスター王国は敗北宣言をし、言われるがままあたしを差し出した。
 あたしは身体が震えそうになるのを堪えて台詞を繋ぐ。

「あなたは現実を見ていないわ! あなたのその優しさは守られているからこそ培われたもの。それを認識すべきですわ」
「――発展の前には少なからず犠牲を払うものだ、我が国に併合されることで得られることも多かろう」

 はっきりと告げられるセトの台詞。彼の父親に似た瞳に冷やかな色が映る。

「これは父の言葉ですが、この払われた犠牲を意識している人間が少ないのも、また事実でしょう。――僕は無知だ。戦場にいた君と違って。だからこそ、知らなければならないのです。お互いのことを」

 ――互いのことを知ったところで、分かり合えるかしら。戦場は想像を簡単に超えていく。言葉で伝えられるわけがないわ。

 怒りと恐怖が収まらない。睨み続けていたあたしに、彼は寂しげに微笑んだ。

「――今日はこれで失礼いたします」

 セトはそう告げて露台を去った。

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