多重世界シンドローム

一花カナウ

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調査と報告書

委員会の仕事

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 《多重世界シンドローム》――委員会(モイライ)の人間はある現象のことを便宜的にそう呼んでいる。その現象とは『願うことで、すでに決まっていた未来を書き換えてしまう』ことを指し、それが修正範囲内に収まるように管理するのが位相管理委員会――通称モイライ――の主な仕事なのである。

 委員会(モイライ)に所属する多くの人間は次のいずれかの任務を与えられている。

 一つは多重世界シンドロームを発症していると疑われる人間の監視だ。任意の数日間を監視し、発症しているか、している場合はどのような願いを叶えているのか、その影響範囲がどの程度であるのかを委員長(モイラ)に報告する義務を持つ。この提出された報告書が、多重世界シンドローム発症者からその能力を奪うか、あるいは委員会(モイライ)の管理の下でその力を使わせるかの判断材料となるのである。

 そしてもう一つの仕事は、多重世界シンドローム発症者の補佐だ。委員会(モイライ)の管理下におくことが決定した多重世界シンドローム発症者に対し、《紡ぎ手(クロトー)》《導き手(ラケシス)》《断ち切り手(アトロポス)》と呼ばれる能力者が三人一組で派遣される。それぞれの役割は異なり、三人が協力して多重世界シンドローム発症者の行使する力に対処することになっていた。

 すべては委員長(モイラ)が決めた終焉に導くためにあり、そのためであるならどんな手段でも実行する。――それが委員会(モイライ)に所属する能力者たちの暗黙の了解になっていた。




 綺麗に磨かれた白い石で囲まれた部屋。委員長(モイラ)をはじめとする上位の能力者たちがコの字に並べられた机についている。

 その中心で宙に浮かぶ光る文字列を読み上げているのは緒方あやめだった。これまでに何度も報告を行なっているはずだが慣れるものではなく、緊張で強ばった表情を浮かべている。

 彼女に最も近い席に霧島縁も座っていた。ただし、縁は上位の能力者たちが並ぶ席であるが。

「――以上が監視の結果です」

 数日間に及ぶ貴家礼於の監視結果をちょうど報告しているところだ。今までのあやめであれば、その監視報告を終えるとすぐに席に戻るのであるが、今回は違った。

(――言わなくては)

 光る文字列が消え去ったあと、あやめは自身の正面に座る委員長(モイラ)を真っ直ぐに見つめる。

「――他に何か?」

 普段とは異なるあやめの行動に、委員長(モイラ)は口元に妖しげな笑みを浮かべて問う。

 あやめは意を決して口を開く。口の中がすっかり渇いてしまっているが、それでも言わねばならない。

「はい」

 頷いたあとに小さく深呼吸。発言の機会を得られただけでもだいぶ気持ちが楽になっていた。

 あやめは続ける。

「――今回の監視対象者の件に関しては、与えられたこの数日間の行動からでは判断するに足りないと思っております。――どうか監視の続行をワタシに命じくださいませ」

 言ってあやめは丁寧に頭を下げる。この報告会において自分の意見を述べたのは初めてであった。

 おそらくそのような発言をしたのは彼女の人生で初めてというだけでなく、この報告会が開かれるようになってからもなかったことのようだ。

 予期していなかった事態に室内がざわめきだす。驚きの声があちらこちらから漏れる。

 しかしその声の中には縁のものも委員長(モイラ)のものも混じっていなかった。縁は愉快そうに小さく喉の奥で笑い、委員長(モイラ)はわかりきっていたかのような態度で艶めいた笑みを浮かべているだけだったのだ。

「――良かろう」

 委員長(モイラ)の声で辺りは再び静寂を取り戻す。

 あやめはゆっくりとした動作で頭を上げていく。

「しかし、汝がそのようなことを申すとはな。我が手足のように忠実な者と思うていたのに」

 委員長(モイラ)の蒼い瞳の奥で暗い炎が揺らめく。

 あやめはその目を見るなり声を出せなくなってしまった。背筋を冷たいものが伝ってゆく。

「汝が上司《紫の断ち切り手(アトロポス)》に感化されたか?」

 言って、男とも女ともつかぬ端整な顔が縁に向けられる。

「私とは関係がありませんよ、委員長(モイラ)殿」

 縁は涼しげな顔でやり過ごす。委員長(モイラ)に対しても縁は特に態度を変えない。それが原因であるのか、はたまた別の理由があるのか、委員長(モイラ)と縁の仲が悪いということは周知の事実となっている。それだけにあやめはこの発言をするのに気を揉んだのであるが、おそらく縁はそんなこととはつゆ知らずこの場にいたことだろう。

「そうかえ? てっきりお主の入れ知恵であるかとばかり」

「ご冗談を」

 細められた目が縁を射抜くが、彼女は全く動じない。

 明らかに険悪な空気であるのだが、この間に割って入ろうとする者などいなかった。皆、自分自身を守るのに必死なのだ。委員長(モイラ)に意見する者はこの委員会(モイライ)の中でもただ一人霧島縁しかいなかったし、その霧島縁も一定の権力と《断ち切り手(アトロポス)》として強力な能力の使い手である以上、飛び火で巻き込まれないように遠くから見守るので精一杯であった。

「――しかし、私も緒方と同意見です。委員長(モイラ)殿が許可をくださったことに感謝いたします」

「ふむ。お主もその少年に興味を抱きおったか」

 そう呟くと委員長(モイラ)は口の端をわずかに持ち上げ、視線をあやめに向けた。

「汝が心行くまで調査すると良い。しかし、報告は忘れぬよう。また、汝が補佐に霧島縁をつける。ようは監視じゃ」

「は、はい」

 上司としての監督責任が縁にはあったが、今度はあやめが何をするかを監視するようになるという。そこにあやめは引っ掛かりを感じたが、問えるような空気ではなかったので黙っていることにした。

「――では、以上をもって閉会とする。ご苦労であった」

 言うと、委員長(モイラ)は背後にある自分専用の扉を抜けて退室してしまう。他の上位の能力者たちも次々と部屋を出てゆく。最後まで残っていたのはあやめと縁だった。

「――今日は援護してくださり、ありがとうございました。これで失礼いたします」

 早くこの場を去りたいと思っていたあやめは、席に座ったままの縁に頭を深々と下げると、返事も待たずに部屋の後方にある扉に向かう。

「――監査部(ノルニル)に聞いたぞ」

 縁の声にあやめの足が止まる。思わず息も止まっていた。

「…………」

 固まった表情のまま振り向いて縁を見る。縁はそこでようやく自分に与えられた席を立った。

「貴様の動きがおかしかったので、依頼したのだ」

 監査部(ノルニル)――それは位相管理委員会(モイライ)の監査を行う機関として存在する独立部署の名。監査部(ノルニル)も委員会(モイライ)のように特殊な能力者たちによって構成されている。彼らは主に下界にいる委員会(モイライ)所属の能力者たちの行動記録を取っており、委員会(モイライ)の上位の能力者の依頼に応じてその記録を瞬時に出力するというのが仕事である。そんな都合上、委員会(モイライ)の人事に関わる仕事を兼任する縁にとって馴染みのある部署でもあった。

「そう……ですか……」

 《紫の断ち切り手(アトロポス)》を前に隠し通せるわけがないだろうとあやめは覚悟していた。それでも自分から報告できなかったのは、自分の気持ちをどう処理したものかわからなかったからだ。

 つまり、あやめは報告会を終えた現在であっても、誰にも、委員長(モイラ)にさえも、貴家礼於に名を明かした事実を伝えていなかった。

(――処分を受けることになるのでしょうか)

 鼓動が強く早くなる。実際には一瞬であったのに、縁が口を開くまでの時間がとても長く思えた。

「貴様にしては珍しいミスだ。顔と名を覚えられるなど」

「…………」

 縁があの日のことを知ってしまったのだと、あやめはその台詞から判断した。血の気がひいていく。

「だが、嘘はつかなかったのだな。多重世界シンドロームの影響を受けてあの事態に陥ったというのは正しい」

 自身の腕を組み、どこか遠くに視線を向けたまま淡々と縁は告げる。

「そしてあの少年、自身の力を確信して使用しているふしがある。今までになかった症例だ」

 凍ったまま動けないあやめの横に移動すると、縁は彼女の顔を見た。綺麗にまとまった縁の顔には緊張の色がにじんでいる。

「――貴様が進言しなくとも、私が調査の続行を指示するつもりだった。委員長(モイラ)の敵となるのは私だけで充分だ。何故、相談しなかった?」

 縁が『報告』という単語ではなく『相談』という単語を使ったことに、あやめは驚いていた。この件に関しての報告は、事実を伝えないというかたちで隠していた。だからあやめは、縁が『報告』を求め、さらには貴家礼於からその力を、あやめ自身からもその能力を奪うだろうとばかり考えていた。ゆえにずっと恐れていたのである。

「それは……その……」

 あやめは顔を下に向ける。

「私が信用ならないか。――まぁ仕方があるまい。この委員会(モイライ)の中でも異端だからな」

 縁の独白めいた台詞に、あやめは勢いよく顔を上げて首を横に振る。

「いえっ! 決してそのようなことは!」

「私の機嫌をうかがう必要はないぞ?」

「機嫌など関係がございませぬ。ワタシはただ……」

「ただ?」

 言葉を詰まらせたあやめの心を探るかのように縁は目を細める。笑っているような、睨んでいるような複雑な表情。

 しばし沈黙。静まりかえった会議室にあやめの早まった息遣いが響く。

「――まぁいいか、些細なことだな」

 縁はふっと顔を綻ばす。常に不機嫌そうにしている縁にしては珍しい表情だ。

「委員長(モイラ)殿もああ仰ったことだし、気が済むまで貴家礼於に付き合うといい。この件に関しては黙っているから」

「――はい!」

 縁の台詞を聞いて心がはずむ。あやめは縁に後押ししてもらえたような気がして嬉しかった。

「――それと」

「?」

 言うか言うまいか悩んでいるかの様子に、あやめは小さく首をかしげる。

「貴様、表情が増えたな。悪いことではないが、どんな心境の変化だ?」

「え?」

 全く意識していなかった指摘に、あやめは目を丸くする。

(表情が……増えた……?)

 感情の起伏が以前よりも大きくなったとは自覚していたあやめであったが、表情まで変わっているとは考えていなかった。

「……ふん。くだらないことを訊いたな。忘れてくれ」

 言うと、縁は藤色の着物の裾を翻して足早に去る。

「……くだらないこととは思いませぬが」

 縁の姿が完全に見えなくなったところで、彼女と仕事以外の話をしたことがなかったことに気付く。そして何故かこそばゆく感じた。


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