多重世界シンドローム

一花カナウ

文字の大きさ
5 / 24
調査と報告書

調査対象として

しおりを挟む


 貴家礼於、十七歳。私立世継学園高等部二年生。家族構成は父、母、本人。しかし現在、彼の両親は海外にいる。よって事実上は独り暮らしだ。

 朝食はしっかりと摂る人間であり、きちんと自炊しているらしい。片付けまで終えると身支度を整え、余裕を持って出掛ける。それが貴家礼於の朝のパターンだ。

(――ですから、今日もここにいれば逢えますよね?)

 彼の住まいは駅からやや離れた高層マンションにある。二十四階建ての七階。オートロックで容易に中に入れないようになっているので、あやめは仕方なくエントランスに立っていた。委員会(モイライ)所属の人間は空間を自由に行き来できるのであったが、彼の部屋の前で待っていると不自然だと判断したのだった。

(それにしても――)

 あやめは下界に来る前のことを思い出す。

 ――多重世界シンドロームの存在を知らない人間が聞いたら、ただの自信過剰男だな。

 指示の伝達と見送りのために来た縁が言った台詞がよぎる。貴家に対する縁の印象を表したものが先の台詞であった。

(何もそんな言い方をしなくても良いでしょうに……)

 少し腹が立ったが、問題はそこではないと思考を切り替える。

(……願ってしまったことを詫び、叶ったことに関しては真摯に向き合う――その姿勢は数日の監視からもわかります)

 あの時あやめに告げた台詞の意味を確認すること――それが今回、彼女が直接貴家に会う理由だ。

 縁がその任務を命じたのは彼女なりに気になるところがあったからだろうとあやめは考える。何故なら縁が、貴家に会いたがっているあやめの気持ちを察して気を回すようなタイプではないと思っていたからだ。

(――そう、これは任務なんです。決して逢い引きなどではありませぬ。仕事なんです)

 そう心の中で繰り返し呟くが、浮かれた気分が鎮まる気配はない。任務中に、いや、自由時間であっても、あやめはこんな状態に陥ったことはなかった。まるで自分が自分でなくなってしまったかのようだ。そんな心境の変化にあやめは戸惑い、悩む。

(うぅん……。こんな落ち着かない気持ちのままでうまく聞き出せましょうか。やはり出直したほうが――)

 おろおろとしながらエントランス内をうろうろし始めたとき、ガラス扉の向こうに影が生まれた。背の高い、細身のシルエットだ。

 それに気付いたあやめはぴたりと立ち止まって、やってくるだろう人を待つ。その人影が貴家本人であるとは限らないが、エントランス内を行ったり来たりしていては不審がられてしまうだろう。そんな姿をさらしたくはなかった。

 建物の中から出るときには自動で開くようになっているらしい。すっと開いたガラス扉の向こうに見知った少年が立っていた。

「おはよう。あやめ」

 顔を合わせるなり名を呼ばれる。そんな自然な光景に、あやめの鼓動はびくんとはね上がった。

「お、おはようございますっ。貴家さまっ」

 緊張のあまり早口で告げると、あやめはペコリと頭を下げた。普段の丁寧さがなかったのは、すぐに視線をそらしたかったからだ。どういうわけか照れてしまって、直視できないのである。

 その仕草のせいか、貴家はクスッと小さく笑った。

「なんで『さま』付けかなぁ。オレ、呼び捨てで構わないけど? サスガとかレオとかさ。そんなに歳は変わらないだろ? 好きなほうで呼べよ」

 歳と言われて、あやめは困ってしまう。記憶がある時点からざっと見積もってみても明らかに貴家よりも長生きしている。外見はある程度なら自由に変えられるので、今は貴家と話しやすいような年齢設定をしているにすぎない。

 しかし、彼女が貴家を『さま』付けで呼ぶのは年齢には関係がなかった。誰に対しても『さま』を付けるのがあやめの習慣になっていた、ただそれだけである。

「ですが……」

 顔を上げたあともあやめは視線を別の場所に向けたまま喋る。

「呼ばれる側としては照れ臭いもんなんだが」

 その理屈はわからないこともないな、とはあやめも思った。しかし呼び捨てには抵抗があるし、だからといって『さん』付けではよそよそしく感じてならない。

「……そんなに悩むことか?」

 あやめが黙っていると、貴家が不思議そうに問う。

「い……今まで、誰かを『さま』付けなしでお呼びしたことがなかったものですから……」

 そう答えるのが精一杯だった。

「もしかして君、本物のメイドさん? あのとき着ていたのってメイド服だったよね?」

「いえ、あの格好は変装のつもりでして……」

 実際は好んで着ているのであるが、それを正直に話したら不自然だから言うなと縁から釘を刺されている。縁だっていつも和装を通しているというのに、何がおかしいのだろうかとあやめは疑問に感じていた。

「ふーん」

 言って、貴家はあやめの今の格好を頭のてっぺんから爪先まで見る。

「それにしてはやけに馴染んでいたけどな。今日の服装はそれはそれで似合っているけど」

「そ……そうでしょうか?」

 もじもじとしながらあやめは問う。じっと見ていられないのでちらちらと横目で貴家の動きを確認する。

 頭にはキャスケット、少々厚めの秋冬用のジャケットにチェックのキュロット、ショートブーツ。今日のあやめの服装は、前回の貴家の格好に倣っている。そのいずれもが貴家が愛用しているブランドであったりメーカーであったりした。着慣れたメイド服姿で下界に向かおうとしたあやめを縁が注意し、彼女の助言でこうなったのである。

(ああ、そうよ。いつもと着ているものが違うからなんですよ。ですから落ち着かないのです。きっときっとそうなんです)

 そう思い込むことで、あやめはやっと普段の調子を取り戻し始める。

「オレに合わせて揃えてくれたみたいなところも、悪くない」

 言って、貴家はあやめににっこりと笑んだ。

「さて、どこに行こうか?」

「どこへでもお供いたしますが?」

「行きたいところはないのか?」

「あなた様が行くところならどこでも構いませぬ」

 あまりにもきっぱりとあやめが言い切るからだろうか。貴家は自身の腕を組んで天井を見つめる。

「あの……普段はどちらに出掛けていらっしゃるのですか?」

 あやめはそんな貴家に不安になりながら問うた。

 休日の数日間を監視していたあやめであったが、貴家が目的を持って出歩いていたようには見えず、ずっと不思議に感じていたのだ。朝は必ず家を出て夕方に帰宅する。その間に行く場所には決まりがなく、特に誰かに会うというわけでもなく、ただふらふらと外を散策しているのだった。

「これといっては決まってないよ」

「家にいられない事情でもあるのですか?」

 あやめの問いに、貴家は怪訝そうな目を向ける。

「その質問をしてくるってことは、あの日以外のオレの行動を知っているってことか?」

 指摘されて、あやめははっと口元を押さえた。

(ワタシとしたことが……失言だなんて)

 気まずくなって、あやめは貴家に背を向ける。

(あの日以外にもワタシがつけていたなど、彼が知っているとは限りませぬ)

 自分の失敗を反省すると同時に、怖くなった。

(嫌われてしまったでしょうか……?)

 肝心の用件を片付ける前にそうなっては困る。嫌われてしまったら聞き出せなくなってしまう。

 しかし仕事の成功如何に関係ないところで揺れ動く別の感情があった。

(彼に嫌われたくはありませぬ……)

 どう対処すれば良いのかわからなくて、すっかりパニックに陥っていた。今すぐにでも彼の前から去ってしまいたい。なかったことにしてしまいたい。

 そんな泣き出してしまいそうな気持ちになっていたあやめの肩に温かいものが置かれた。

「野暮なことを訊いて悪かったよ。だから泣くな」

 優しい貴家の声。

「な……泣いてなどおりませぬ」

 肩に載っていたのは貴家の手だった。

 あやめは顔を上げる前にさりげなく目の端を拭う。念のためだったが、指先がわずかに濡れた。

「あと、はにかみ屋さんなんだろうとは思うが、もうちょっと顔を見て話してくれると嬉しい」

「えっと……それはその……」

「顔にコンプレックスでもあるのか? あのときだって日傘で顔を隠していたし」

 それは顔を覚えられないためだ、とは言えない。嘘をつくのが苦手なあやめにとって、正直に答えると警戒されてしまうというこの状況を回避するのはなかなかに難易度の高い仕事だった。

「劣等感などありませぬ――好きっていうわけでもありませぬが」

 視線を外し、あやめは自分の足下を見つめる。うまくごまかせたか心配しながら。

「なら良かった。だったら前を向いて歩け」

 貴家は言ってあやめの手を取る。そしてぐいっと引いた。

「ひゃあっ」

 突然のことで身体が反応しない。バランスを崩してつんのめったところを、素早く貴家が支えた。

「君って、案外とどんくさいほう?」

「い、いえ……すみませぬ」

 そそくさと体勢を整えて謝る。わずかに鼓動が高鳴っていた。

「オレ的にはどっちも好みだけどね」

「……?」

 貴家の言っている意味がわからない。あやめは小さく首をかしげる。

「んじゃ、行こうか」

 あやめの疑問に答えることなく、貴家は彼女の手を引いて外へと歩きだす。

「――行くってどちらへ?」

 やや早い貴家の歩調に合わせながら、あやめは問う。

「良いところ」

 貴家はそう短く答えたあと、何かに気付いたような顔をあやめに向けた。

「そういえば君、オレが行くなら何処へでもついてくるみたいなことを言っていたけど、ホテルに連れこもうとしたらどうした?」

 からかっているわけではないらしい。今日は良い天気ですね、というような世間話の口調で貴家は問う。

「……意地悪な質問ですね」

 だからあえて指摘する。自分のペースを保っていなくてはという使命感で、あやめは揺らぐ気持ちをやっとのことで押さえつけた。

「――ですが、この場で貴家さまがその選択をすることはないでしょう。部屋に連れ込むほうが手っ取り早いでしょうから」

「うん。それが的確な回答だろうな」

 あやめの返事に、満足げに貴家は頷く。

「やっと君は普段の調子を取り戻してきたみたいだね。さっきの恋する乙女モードも捨てがたいが」

「こ……恋する乙女など……。それに、あなた様はワタシのことを存知ぬはずですが?」

 貴家の言動には違和感がある。何故、彼はこうも断言できるのか。

「そりゃ出会ったばかりだからね。君だってオレのことを表面くらいしか知らないだろ? ストーキングしてみたところでもさ」

「ですが――」

 反論しようとするあやめを貴家は片手で制する。

「君を知るにはこの数分だけで充分だった。その理由を説明するから、今日一日は付き合ってくれ」

 そんな台詞を告げる貴家の声はとても真面目で、冗談でもないように聞こえた。

(一体何をしようとしていらっしゃるのでしょうか)

 一日と言わず、ずっとそばにいられないものかなどと思ってしまったことは、心の奥にしまっておくことにする。

「は……はい」

 あやめは貴家の横顔を見ながら頷くと、手をひかれるままに連行されたのだった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

まずはお嫁さんからお願いします。

桜庭かなめ
恋愛
 高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。  4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。  総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。  いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。  デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!  ※特別編7が完結しました!(2026.1.29)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想をお待ちしております。

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル

ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。 しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。 甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。 2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。

『専属メイド全員が重すぎる愛で迫ってくる!~大学生の僕、11人?の美女に24時間甘やかされ尽くす生活~』

まさき
青春
僕は、ちょっと普通じゃない日常を送ることになった――それは、専属メイドが全員僕のことを溺愛してくれる暮らしだ。 朝は髪を整えてくれるリナ、朝食で笑顔を見せてくれるミユ、どの瞬間も全力で僕を甘やかす。掃除、料理、悩み相談まで、僕のためだけに動くメイドたち。 「ご主人様の笑顔が見たいんです」 その一言で、僕の毎日はちょっとドキドキ、ちょっと幸せ。 全員が僕を独占したいと競い合う日常の中、僕はどうやってこの溺愛地獄(?)を生き抜けばいいのか――!? 甘々、至れり尽くせりの日常ラブコメ、開幕。

処理中です...