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王宮入りは波乱に満ちて

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「王宮入りおめでとうございます、アリスさん」

 古びた宿屋から大通りへと繋がる静かな小道。少ない荷物を片手に歩いていた少女アリスは、すぐに立ち止まって振り向いた。聞き覚えのある声で自分の名を呼ばれたからだ。

 振り向いたアリスの視線の先には背の低い少女が一人。黒い頭巾をすっぽりと被っており、覗く口元が冷たい笑みを浮かべている。暗闇に紛れることができそうな黒装束に身を包み、髑髏どくろの彫刻が施された木製の杖を携えている様子は、台詞とは裏腹に祝福のためにやって来たようには見えない。

 アリスは穏やかな笑顔を意識的に作りつつ、王宮魔導師採用試験の最終選考対象者であった好敵手の少女に返事をした。

「ありがとう、ロディア」

 今日はアリスの十六の誕生日であり、王宮入りの日だ。採用試験中から世話になってきた宿屋を出て、今夜からは見習い王宮魔導師として宮殿に併設された宿舎で生活することになる。これから大通りの待ち合わせ場所に行き、迎えの馬車に乗って王宮に向かうという段取りなのだ。遅刻は許されない。

 そんな大事な場面に現れたロディアに、アリスは思わず警戒する。

 ――なんか嫌な感じがするわね……。

 ロディアが呪いを専門とする魔導師だということは選考中に何度か対峙しているので知っている。その彼女が、魔法を使うのに最も適した装備で目の前に立ちふさがっているのだ。これで不吉に思わないほうがむしろおかしいだろう。

「最終選考までともに進めたこと、心から感謝いたしますわ」

 頭巾の下からわずかに見えるロディアの微笑みには不気味な影がある。ふだんよりも赤く濡れている唇が、さらに嫌な気配を漂わせていた。

「いえ、こちらこそ。――試験は結果としてあたしが通過したけれど、ロディアには魔法の才能があるわ。また何処かで会える日を楽しみにしてる」

 ロディアの才能を認めていることには嘘偽りはない。扱える魔法に極端な偏りがあるアリスから見れば、ひと通りの魔法を適切に使い分ける彼女の方が魔導師としての技術や知識が上だと思うからだ。

「ええ、その通りですわ」

 アリスの皮肉めいた台詞を文面通りに受け取ったらしい。ロディアはほくそ笑んで続ける。

「わたくしには才能があるのですもの。あの王宮魔導師は一体何をご覧になってらしたのでしょう」

 低く呟くように告げるロディアに、アリスは笑みがひきつるのを堪えて続ける。

「わざわざ見送りに来てくれてありがとう。あなたのことだから、てっきり姿を現さないだろうと思っていたんだけど、ここで会えて嬉しかったわ。――でもごめんなさい。約束の時間に間に合わなくなるわ」

 彼女とのこういうやり取りは採用試験中も幾度となく交わしてきた。アリスとロディアは反りが合わないらしく、顔を合わせればいつでもこんな調子だ。

「そうですね」

 にんまりとロディアは笑んで素直に頷く。

 その様子に、アリスは拍子抜けした。そして、王宮入りを邪魔するのではないかと思っていた自分を恥じる。相手がどんな人間であろうと、端から疑ってかかるのは良くはない。

『信じなければ信じてもらえませんよ』

 最終面接官であった王宮魔導師師範代の青年の台詞が蘇る。

 ――このままじゃ、またあの師範代にどやされるわね……。

 彼のひんやりとした美貌を思い出し、憂鬱ゆううつな気分になる。優しさの欠片もない突き放した喋り方は、聞こえてくるだけでも背筋が伸びる。どやされるようなことはあって欲しくない。

「じゃあ、また――」

「お待ち下さいな。あなたにはなむけがありますの」

 頭を下げて去ろうとしたアリスの腕を、ロディアは走り寄って掴んだ。その力は尋常なものではない。ぐいっと引き寄せられたかと思うと、ロディアの真紅の唇が囁いた。

「あなたに太陽と月の祝福を」

 その言葉に反応して展開する魔法式。それは祝福の気持ちなど微塵もない呪詛じゅその言葉。

 対抗魔法を唱えることもできたはずなのに、アリスは困惑して反応できなかった。まもなく視界に変化が現れる。

 景色が遠くになって霞んでゆく。強く掴まれていたはずの腕からは力が感じられない。

 やがて状況が落ち着き、ロディアはのけぞった。高笑いがひと気のない小道に響く。

「いい気味ですわ! 辺境の田舎娘のあなたには、そのお姿が大変似合っていましてよ」

「なっ……!?」

 アリスは自分の手を見て驚く。色白の長い腕は獣のような短い毛で覆われてしまっている。脚も同様だ。

「ご自分でもよくよくご覧になりたいでしょう?」

 上機嫌な様子でロディアが差し出してきたのは小さな手鏡。アリスはそこに映し出された自分の姿に絶句した。

 くりっとした紅玉の瞳、頭の上についた小さな丸い耳。ピンと伸びた灰色のヒゲ。アリスの特徴的な長い髪が置き換わったかのようなしなやかな尻尾。赤みがある灰色の毛皮に包まれた一匹のネズミの姿が映し出されていた。

「ふふっ。あなたはこの姿で残りの一生を送りますのよ。あぁ、傑作ですわ」

「あなたって人は……」

 怒りがこみ上げてくる。警戒を緩めるのではなかったと後悔してももう遅い。

「あらあら、声が小さくて聴こえませんでしてよ? もっとも、チュウチュウと言っているようにしか聴こえませんけど」

 ケラケラと声高らかに笑いながら、ロディアはくるりと向きを変える。

「さ、わたくしも準備をはじめませんと。アリスさんが王宮入りできなくなったとなれば、次にお声がかかるのはわたくしですものね」

「ちょっとっ! 待ちなさいよ! あたしを元に戻してってばっ!」

「頑張りなさいな、アリスさん。ごめんあそばせ」

 黒い頭巾の下から、ロディアは侮蔑の気持ちを隠さない深紅の瞳でアリスを一瞥する。そして早足で立ち去った。

「ロディアっ!」

 アリスは叫ぶが、その背が見えなくなるまでロディアは一度も振り向かなかった。

 ――これってやっぱり、ネズミよね?

 手でペタペタと触ってみるが、伝わる感触は小動物を撫でているかのようなものだ。

 アリスはため息をつくと、あらためて回りを見る。ブラウス、ベスト、スカート――アリス自身が身につけていた服が辺りに散らばっていて、さながら海のようだ。

 ――と、とにかく、いつまでもおろおろしている場合じゃないわ。

 そう自分を励ますも、不安で仕方がない。アリスは自力で呪いを解く方法を知らなかったのだ。自分の不勉強を呪ってやりたい心持ちである。

 ――まずは、この状況を誰かに知らせよう。あたし一人ではどうにもならないもの。

 アリス自身を知らせるものは辺りに散乱している。ならばあまりここから離れない方が得策――そう判断したところで、アリスは辺りが暗くなったことに気づいた。視線をゆっくり上げていく。

「うっ!?」

 そこにいたのは巨大な――と言っても、今のアリスから見た時の印象だが――野良犬が彼女をじっと見下ろしていた。

 恐怖でアリスの身体が震える。

「お……美味しくないよ?」

 獲物を狙う目であることは直感的にわかった。出していた舌を引っ込めると、野良犬は鼻先をアリスに向けてくんくんさせる。

 がたがた震えながらも、アリスは短い前足で自分の頭を守る。野良犬はパクリとはせずに、離れていった。

 ほっとして、アリスはそむけていた顔を上げて野良犬を見る。野良犬が次に向かって行ったのは彼女の荷物だった。

「そこに食べ物はありませんよー?」

 犬が興味を示しそうな持ち物はなかったはずだと思い出しながら、アリスは恐々と話しかける。いろいろ荒らされたくはない。すぐにでも止めさせたかった。

「あの――」

 何度も呼びかけたからだろう。野良犬は邪魔するなと言いたげに鋭い目つきでアリスをにらむと、彼女の荷物が入った鞄の取っ手をくわえ――そのまま走り出した。

「ちょっ……待って! 待ちなさいってば! それはあたしのっ!」

 荷物にはほとんど金目のものはない。魔法に必要な道具も、勉強に必要な書物も彼女は持っていないからだ。だが、アリスが魔法知識をこつこつとまとめてきた雑記帳を失うのは手痛い。

 小さい身体でアリスは懸命に追いかけた。しかし、何倍も違う体格の差もあってすぐに離されてしまう。

「うそ……最悪……」

 ぜいぜいと息を切らし、アリスは野良犬を見失ったところで立ち止まった。夢中で駆けたために、先ほどの場所が遠くなっている。人間の大きさならたいした距離ではないのだろうが、今のアリスからすればかなりのものだった。

「も……戻ろう」

 このままでは人間に戻る機会を失ってしまう。アリスは危険を感じ、来た道を遡ることにしたのだった。
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