128 / 309
白水晶は未来を託す
*5* 9月13日金曜日
しおりを挟む
紅は絹ヶ丘にある自宅に帰ってきた。制服から着替える前に、まっすぐ祖父母の居室に向かう。千晶に絵画コンクールの結果を報告するためだ。いつだって紅を励まし応援してくれる優しい祖母に、学校で起きたことは何でも話していた。
「ただいまっ!」
襖を軽く叩いてから、紅は開ける。
「お帰りなさい、紅ちゃん」
温かな声で迎えてくれたのは千晶だった。占い師としての仕事から帰ってきたばかりらしく、まだ外出用のお洒落なスーツに身を包んだままだ。和室には千晶だけで祖父の姿はなく、この時間ならおそらくリビングの方にいるのだろうと想像する。
「今日は良いことでもあったのかい?」
着替えるのを中断して、千晶は紅に向き合った。穏やかな笑顔が向けられる。
「うん、あのね。美術部の活動で出した水彩画が一番下の賞を取ったのっ! 参加賞じゃなくて、その上なんだよっ!」
美術の成績はお世辞にも良いとはいえない。普通科では中の上くらい、美術科が存在する宝杖学院全体の括りなら真ん中あたりのはずである。美術部に入ったのが高等部に進級してからなので、絵やデザインの勉強を始めたのは遅い方だ。父のジュエリーデザイナーとしての仕事振りを紅は間近で見てはきたのだが、見ているのと自分でやってみるのとではかなり勝手が違う。デッサンが未だに苦手で、思うようにデザイン画を仕上げることができない。自分には才能がない――そう感じていただけに、今回の話はより嬉しい。
千晶のそばに立って興奮気味に伝えると、彼女の手が頭を撫でた。紅はくすぐったくて目を細める。
「がんばったわね、紅ちゃん。おめでとう」
「ありがとう、お祖母ちゃん。もっともっと上手に描けるように努力して、ジュエリーデザイナーになるからね!」
小柄な千晶をぎゅっと抱き締めると同時に玄関で物音がした。直後に声が響く。
「ただいまーっ! 誰かタオルと雑巾持ってきてっ!」
弟の蓮の声だ。部活か生徒会の仕事をしていてこの時間なのだろう。
――ってか、タオル?
紅は疑問に感じながら、祖父母の居室を出て玄関まで見通せる廊下に出る。
「あ、姉ちゃん。また制服のままで祖母ちゃんに報告かよ。ってか、雨に降られてなくてずりぃな」
頭から運動靴の先までずぶ濡れになった蓮が恨めしそうな目で紅を見ている。直後、稲光が玄関のガラス戸越しに見え、雷の音が轟いた。夕立に遭ったようだ。
「ふっふー、日頃の行いの良さってヤツ? ――ちょっと待ってなさい、取ってきてあげるから」
リビングに向かう途中の風呂場に寄って、紅は乾いたタオルと雑巾を出す。すぐに玄関に戻って蓮にタオルを投げてやった。
「サンキュー、姉ちゃん」
受け取ったタオルで蓮は髪につく雫を拭っている。シャツも完全に水を吸っているらしい。肌にぴったりとまとわりついていて、動きにくそうだ。
「この天気じゃ、兄貴も降られてんだろうな」
そんなことを蓮が呟くと、リビングの電話が鳴った。誰かが取ったらしく、すぐに音が止む。
「――紅、おつかいを頼まれてくれない?」
電話の音から少し経ってリビングから出てきたのは母親だった。夕食の準備をしていたらしく、エプロン姿だ。
「ん? 兄さんから?」
「北野駅に着いた途端に雨に降られたんだって。傘持ってないから、迎えに来てって」
「えー、傘ぐらい買えばいいのに」
さすがに財布くらいは持ち歩いているだろう。不満げに紅は返す。
「これ以上増やすなって言われたばかりだから、とも言ってたわ」
――あぁ、確かに……。
紅の兄、条は出掛ける際に荷物を極力減らす癖がある。その上雨男で、出掛けては雨傘が増えるため、祖父から注意を受けていたはずだ。
「しょうがないなぁ。着替えたらすぐに行くから」
玄関には蓮の姿がなかった。おつかいを頼まれたくなくて、さっさと風呂場にでも逃げ込んだのだろう。
階段をすたすたと上がり、自分の部屋に入る。掃き出し窓の外は集中豪雨といった様子で、ベランダに打ち付ける雨が滝のようだ。
ティーシャツにキュロットを合わせた格好になると、紅は再び階段に向かう。一階の廊下に出たところで、千晶と鉢合わせした。彼女も着替え終わったところらしい。
「おや、お出掛けかい?」
「条兄さんを迎えに北野駅までね」
さっさとおつかいを済ませたくて、紅は真っ直ぐに玄関に進む。傘立てには家族の人数よりも明らかに多い数の傘が並んでいる。そこに入りきらずに靴箱に掛かっているものさえあるのだから、条を叱った祖父の気持ちを察するのは容易い。
――あたしの傘は……あれ?
すぐに見つかった赤いギンガムチェックの傘は紅のものであるが、もう一本あったはずだ。煌めくようなルビー色の大きな傘が。記憶に鮮明に残っているその雨傘が、傘立てに見当たらない。
「ただいまっ!」
襖を軽く叩いてから、紅は開ける。
「お帰りなさい、紅ちゃん」
温かな声で迎えてくれたのは千晶だった。占い師としての仕事から帰ってきたばかりらしく、まだ外出用のお洒落なスーツに身を包んだままだ。和室には千晶だけで祖父の姿はなく、この時間ならおそらくリビングの方にいるのだろうと想像する。
「今日は良いことでもあったのかい?」
着替えるのを中断して、千晶は紅に向き合った。穏やかな笑顔が向けられる。
「うん、あのね。美術部の活動で出した水彩画が一番下の賞を取ったのっ! 参加賞じゃなくて、その上なんだよっ!」
美術の成績はお世辞にも良いとはいえない。普通科では中の上くらい、美術科が存在する宝杖学院全体の括りなら真ん中あたりのはずである。美術部に入ったのが高等部に進級してからなので、絵やデザインの勉強を始めたのは遅い方だ。父のジュエリーデザイナーとしての仕事振りを紅は間近で見てはきたのだが、見ているのと自分でやってみるのとではかなり勝手が違う。デッサンが未だに苦手で、思うようにデザイン画を仕上げることができない。自分には才能がない――そう感じていただけに、今回の話はより嬉しい。
千晶のそばに立って興奮気味に伝えると、彼女の手が頭を撫でた。紅はくすぐったくて目を細める。
「がんばったわね、紅ちゃん。おめでとう」
「ありがとう、お祖母ちゃん。もっともっと上手に描けるように努力して、ジュエリーデザイナーになるからね!」
小柄な千晶をぎゅっと抱き締めると同時に玄関で物音がした。直後に声が響く。
「ただいまーっ! 誰かタオルと雑巾持ってきてっ!」
弟の蓮の声だ。部活か生徒会の仕事をしていてこの時間なのだろう。
――ってか、タオル?
紅は疑問に感じながら、祖父母の居室を出て玄関まで見通せる廊下に出る。
「あ、姉ちゃん。また制服のままで祖母ちゃんに報告かよ。ってか、雨に降られてなくてずりぃな」
頭から運動靴の先までずぶ濡れになった蓮が恨めしそうな目で紅を見ている。直後、稲光が玄関のガラス戸越しに見え、雷の音が轟いた。夕立に遭ったようだ。
「ふっふー、日頃の行いの良さってヤツ? ――ちょっと待ってなさい、取ってきてあげるから」
リビングに向かう途中の風呂場に寄って、紅は乾いたタオルと雑巾を出す。すぐに玄関に戻って蓮にタオルを投げてやった。
「サンキュー、姉ちゃん」
受け取ったタオルで蓮は髪につく雫を拭っている。シャツも完全に水を吸っているらしい。肌にぴったりとまとわりついていて、動きにくそうだ。
「この天気じゃ、兄貴も降られてんだろうな」
そんなことを蓮が呟くと、リビングの電話が鳴った。誰かが取ったらしく、すぐに音が止む。
「――紅、おつかいを頼まれてくれない?」
電話の音から少し経ってリビングから出てきたのは母親だった。夕食の準備をしていたらしく、エプロン姿だ。
「ん? 兄さんから?」
「北野駅に着いた途端に雨に降られたんだって。傘持ってないから、迎えに来てって」
「えー、傘ぐらい買えばいいのに」
さすがに財布くらいは持ち歩いているだろう。不満げに紅は返す。
「これ以上増やすなって言われたばかりだから、とも言ってたわ」
――あぁ、確かに……。
紅の兄、条は出掛ける際に荷物を極力減らす癖がある。その上雨男で、出掛けては雨傘が増えるため、祖父から注意を受けていたはずだ。
「しょうがないなぁ。着替えたらすぐに行くから」
玄関には蓮の姿がなかった。おつかいを頼まれたくなくて、さっさと風呂場にでも逃げ込んだのだろう。
階段をすたすたと上がり、自分の部屋に入る。掃き出し窓の外は集中豪雨といった様子で、ベランダに打ち付ける雨が滝のようだ。
ティーシャツにキュロットを合わせた格好になると、紅は再び階段に向かう。一階の廊下に出たところで、千晶と鉢合わせした。彼女も着替え終わったところらしい。
「おや、お出掛けかい?」
「条兄さんを迎えに北野駅までね」
さっさとおつかいを済ませたくて、紅は真っ直ぐに玄関に進む。傘立てには家族の人数よりも明らかに多い数の傘が並んでいる。そこに入りきらずに靴箱に掛かっているものさえあるのだから、条を叱った祖父の気持ちを察するのは容易い。
――あたしの傘は……あれ?
すぐに見つかった赤いギンガムチェックの傘は紅のものであるが、もう一本あったはずだ。煌めくようなルビー色の大きな傘が。記憶に鮮明に残っているその雨傘が、傘立てに見当たらない。
0
あなたにおすすめの小説
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕
男が少ない世界に転生して
美鈴
ファンタジー
※よりよいものにする為に改稿する事にしました!どうかお付き合い下さいますと幸いです!
旧稿版も一応残しておきますがあのままいくと当初のプロットよりも大幅におかしくなりましたのですいませんが宜しくお願いします!
交通事故に合い意識がどんどん遠くなっていく1人の男性。次に意識が戻った時は病院?前世の一部の記憶はあるが自分に関する事は全て忘れた男が転生したのは男女比が異なる世界。彼はどの様にこの世界で生きていくのだろうか?それはまだ誰も知らないお話。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』
月影 朔
歴史・時代
江戸の町外れ、鬼灯横丁で「玄庵診療所」を営むのは、人間離れした美貌を持つ謎の医師・玄庵。常人には視えぬ妖怪や穢れを視る力で、奇病に苦しむ人間や妖怪たちを癒やしています。ひょんなことから助手を務めることになった町娘のおみつは、妖怪の存在に戸惑いながらも、持ち前の行動力と共感力で玄庵の治療を手伝い、彼と共に成長していきます。
飄々とした情報屋の古狐妖怪・古尾や、言葉を解する化け猫・玉藻など、個性豊かな面々が診療所を彩ります。玄庵の過去にまつわる深い謎、人間と妖怪の間に立つ退魔師・竜胆との衝突、そして世界を混乱に陥れる「穢れ」の存在。様々な事件を通して、人間と妖怪の間に紡がれる絆と、未来への希望が描かれる、和風ファンタジー医療譚です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる