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選出者の刻印

魔導師の思惑

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「しかしまぁ、あなたは、相手がマイト君であるというだけで気を許してしまっていけませんね」

 すっかりのびてしまっているマイトは寝台に放置し、あたしは部屋にあった小さな机を挟んで、クロード先輩と向かい合わせに座っている。彼は頬杖をついて面白くなさげだ。

「う、うるさいわね! 今までマイトに迫られたことなんてないし、そういうことするような奴に見えないからすぐに動けないのよっ!」

 指摘されて、身体が火照るのを感じながらあたしは反論する。
 力の差ももちろんある。今までのようにマイトを負かすことができないか弱い自分に気付いている。相手がマイトだからと甘く見ているわけではないつもりだ。でも、動けないものは動けないのだから仕方がない。マイトに押さえつけられてしまえば、あたしは跳ね除けることなどできない。

「――結局、今回はそこをうまく突かれてしまったわけですが」

 言って、クロード先輩はため息をついた。

「む……」

 確かにごもっともだ。あたしの弱点がマイトにあるのは間違いない。

「……そ、そうだ。まだお礼言ってなかったわ。――助けてくれてありがとうございます、クロード先輩」

 話を変えるために、あたしは礼を言っていないことを思い出して告げる。何が起こっていたのかわからなかったので、すっかり後回しになってしまった。これほど絶妙な時機に現れるだなんて、なかなかできるもんではない。本当に助かった。

 ――あのとき、クロード先輩に助けを求めていたことは黙っていよう、付け上がると厄介だから。

 するとクロード先輩はわずかに微笑んだ。

「そうおっしゃっていただけるなら光栄です。あなたが望んでいるのであれば野暮なちょっかいだとも思ったのですが」
「望んでって……馬鹿なこと言わないでよ。あたしはそんなこと――」
「そうですか?」

 言って、彼は空いている手をあたしに伸ばし、頬をそっと撫でる。

「あなたがそんなに肌を露出しているのは、てっきり誘っているものだと思っていましたが」
「なんつーこと考えてんじゃっ!」

 あたしはクロード先輩の手を思いっきり弾いて立ち上がる。
 どきどきどき。

「何言っているんですか? オレだって男ですよ? あなたを思う一人の男です。肌を見せられれば抱きたいと思うこともありますよ?」

 からかう様子はなく、えらく真面目に答えるクロード先輩。あたしは思わず、ずさささっと後退する。

 ――め、眼鏡にも触れなかったってことは、嘘でも冗談でもないとな?!

「な、ななな……」

 ドキドキしていて言葉にならない。しかし、何をどう台詞にしようとしているのか不明だ。

「あぁっ、警戒しなくても今は大丈夫ですよ? それに、マイト君と違って、オレには魔術耐性があります。そう簡単に術にはまることはないと思いますよ」
「し……信用できないもんっ!」

 あたしは距離を置いたままクロード先輩に向かって叫ぶ。彼は手招きしていたのを寂しげに揺らし、苦笑した。

「そのくらい警戒していただいた方がオレとしては安心ですよ。対マイト君でもそういう動きが出来ると本当に良いのですがね」
「うっさい! うるさい! あたしに指図するなっ!」

 むっとして膨れる。怒りや恥ずかしさでちょっと涙目なのだが、クロード先輩からは見えないだろう。

 ――って。

 あたしは少し落ち着いて、クロード先輩の台詞を反芻する。さりげなく、何か大事なことを言っていなかったかしら?

「……ねぇ、クロード先輩?」
「はい? なんでしょう」

 興奮状態が一段落したのがわかる声で問うと、彼もまた普段どおりの調子で答えてくれる。それでとりあえず一安心。

「なんで、ここに来たの?」

 マイトがやってきてから少し時間があったはずだ。どうしてそんな時間差があったのかがわからない。

「食事が済んで、メアリさんと少し話していたんです。どうしてこの町に来たのかとか、そういう他愛のない話ですよ。魔術について話したがらなかったのは、そこにこの屋敷の人間がいたからなのでしょうけど」
「それで?」

 あたしは椅子に戻る気も失せて、その場に腰を下ろす。毛の長いふかふかとした絨毯は座り心地も悪くなかった。

「お暇しようと話を切ろうとしたのですが、彼女はオレを解放してくれませんでして。そのうちに、マイト君がお手洗いに行くといって席を立ったんです」
「まぁ、自然よね。だいぶ長居していたんですから」
「きっと、その場にいてもあなたの眼から見たらそう映っていたと思いますよ」

 言って、クロード先輩は口の端に笑みを浮かべた。なかなか絵になる冷たい笑顔。

「――どういうこと?」

 意味ありげに低めた声で告げられた台詞に、あたしはごくりと唾を飲み込む。

「あの食事には魔術が仕込んであった。あなたの心を弱らせて、そこをオレたちに襲わせる、そんな術が」
「……そんな魔術があるの?」
「性に関したものってかなり多いんですよ? 人間の本能に近いところにあるからか、好奇心や探究心を刺激するんでしょうね」
「で、でも、なんでそんな魔術をあたしたちに使うわけ?」

 そんなことに一体何の得があるのだろうか。あたしが襲われたとして、メアリに得があるとも思えない。

「今回のは魔術と言っても呪術的なもの。誰かに試してみたかったんじゃないか、そう思っていたんですがね」

 眼鏡の奥のクロード先輩の瞳が暗く光る。何かを探るような、確かめるかのようなねっとりとした視線を感じる。

「ん? 何よ、その含みのある物言いは」

 いつになく真面目な雰囲気に耐えられず、あたしはわざとらしく軽めの口調で返す。

「――オレに隠し事をしていませんか? 選出者に関して、例の神の使いって奴から何か忠告を受けたのでは?」

 ――鋭い。

 あたしは思わず視線を外す。

「あぁ、やっぱりそうなんですね」

 クロード先輩はあたしの反応を見てすぐに頷いた。

「よくありがちな話ですと、純潔じゃないといけないという制約が付き物ですよね。そういう類いではありませんか?」
「……」

 たぶん、耳まで赤くなっている。この距離と暗さならわからないと思っていたが、クロード先輩の観察眼は侮れない。

「なるほど。あなたが言いたがらないわけだ。マイト君の前ではなおさら言いにくいかもしれませんね」
「ま、マイトは関係ないもん……」

 あたしがむすっとして黙ると、クロード先輩はくすくすと笑う。

「そんな返事をする時点で、充分に意識していると言うことですよ。まったく、あなたって人は」
「ほっといて」

 話がそれていることに気付き、あたしは小さく咳払いをする。

「――で、マイトのあとをすぐに追ったってわけ?」
「様子が少々おかしかったので。お酒に酔っているような、と言う感じでしょうか。あれほど素直にかかることはなかなかないと思いますよ? 現に、あなたは気分を悪くしただけで、そういう気分にならなかったわけで」
「……って、下手したらあたしも正気じゃなかったと!?」
「えぇ、可能性としては。食事の途中で抜けたのが良かったのかもしれませんが」

 ――やっぱりあたしには幸運の女神がついているわね……。

「話し続けて」

 あたしは自分の頭を掻きながら促す。まったくやってられない。

「オレにもいろいろ盛られていたのは気付いていましたので、術にかかった振りをして部屋を訪ねたわけです。そしたら、まぁ、……押し倒されたあなたがいたわけで」
「抵抗したの! したけど敵わなかったんだって!」

 思わず感情に任せて反論してしまったが、問題はそこではない。思考を切り替えて続ける。

「――で、でも、よくあたしを助けられたわよね? 腕力じゃ、クロード先輩はマイトに勝てるはずがない……」

 よくよく考えてみればおかしな話だ。クロード先輩が登場するなり、マイトはおとなしくなってしまっている。どんなカラクリがあるものか。

「えぇ。腕力で勝負しようなどと思いませんよ。痛いのは嫌いです」
「じゃあ、どうやって?」

 目を閉じていたために見ていない。目を開けていてもあの状況下じゃ把握できなかっただろう。実際、あたしはクロード先輩が部屋に入ってきていたことに気付いてさえいなかったのだから。

「魔術にかかりやすいのがマイト君です。ならば、他の魔術もあっさりかかると考えるのは自然でしょう」
「……え? どういうこと?」

 他の魔術にだってかかりやすいという道理には納得ができる。しかし、魔術を扱うのは並大抵の人間ではできないことなのだ。知識も要るし、素質もいる。誰でも習得できるわけではない――はずなのだが。
 クロード先輩は満面の笑みをこちらに向けた。

「独学で魔術を習得した魔導師なんですよ? 気付かなかったんですか? 避けの技術、あれも生まれ持った身体能力ではなく、魔術だったんですが」
「な……なんですとっ?!」

 ――いや、落ち着け。

 あたしは大きく息を吸って吐く。
 よくよく考えてみれば、彼の言う話もわからないでもない。クロード先輩の知識欲があれば、あるいは魔術を身につけることが可能なのかもしれない。メアリが握っていた本についての知識も、そこに関連しているのだろう。
 なるほど。どおりでマイトが魔導師のことを悪く言ったことに対してあれほどつっかかるわけだ。ふだんのクロード先輩なら軽く流すであるだろうところをしっかり反論してきたのにはそんな理由があったのだ。

 ――ん? あれ、じゃあ、マイトは自分が魔術にかかりやすいってことを自覚しているからこそ、異常に魔導師を嫌っている?

 あたしはちらりとマイトを見て、そしてクロード先輩を見る。

「魔導師と言っても、大したことはできませんけどね。攻撃魔法は向いていないらしく使い物になりませんし。あなたやマイト君を強化することならおそらくできますが」

 避ける魔法というのは肉体を強化するものということか。ふむとあたしは頷く。

「なんでそれを黙っていたの? 秘密にする必要なんてなかったのに」
「どうでしょうか。マイト君は魔導師を目の敵にしている節がある。偏見の目があるのもわかっていますからね。――でも、あなたはちょっと違うようだった。少なくとも拒否するところはないように見えた。ですから明かしただけ。マイト君にはナイショですよ」

 言って、クロード先輩は人差し指を立てて微笑む。

「そうね……余計にギクシャクするのも得策といえないし、黙ってしばらくは様子を見ることにするわ」

 マイトに対して秘密を持つのはなんとなく気がひけるが、しかしこれは旅の安全のためだ。やむを得ない。

「――ところで、なんだけど」
「なんです?」

 あたしは大事なことを思い出し、視線を扉に向ける。鍵のかかる扉はきっちりと閉ざされたままだ。

「閉じ込められている状況なんだけど、どうにかならないかしら?」

 魔術的なもので鍵がかけられているのではないか、期待してクロード先輩に目をやると、彼は肩を竦めた。

「残念ながら、あれはカラクリのようですね。物理的に破壊するしか、出ることはできないでしょう」
「あぁ、やっぱり……」

 そこまでの運はなかったようだ。

「いいじゃないですか。このまま朝を迎えてしまいましょう」
「せっかく部屋がたくさんあるっていうのに、なんで三人でまた同じ部屋なのよ……」

 二人が来るまで別れて行動するのは得策ではないと反省したのとは別のことを考えている自分のことを、なんとも都合のいいやつだと罵りながらあたしは大きなため息をついたのだった。
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