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選出者の刻印

閉じ込められて……貞操の危機ですか?

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 何がどうしてそうなったのかよくわからない。いや、たぶん原因は窃盗犯からまともに喰らった蹴りによるところがあるのだろう。
 用意してもらった豪華な食事をいただいていた途中で気分が悪くなり、少し休んでいったらよいと部屋に案内された。食事が終わったら執事のサニーに宿屋まで送らせると告げたメアリの言葉を信じ、あたしはおとなしくふかふかの高級そうな寝心地の良い寝台を借りていたわけだ。

 ――そのはずなのだが。

「……遅い」

 食事の中盤で抜けたとはいえ、だいぶ時間は経っていた。気分も回復してきており、いつまでも長居をしているわけにはいかない。さっさと宿屋に戻るつもりでいたのに、あれから誰も部屋に現れなかった。

 ――マイトはここに泊まることに賛成のようだったけど、クロード先輩は違ったはず。もしも話の流れから泊まらざるを得ない状況になったとしても、そろそろどうするかを知らせに来ても良いと思うんだけど。

 また、静か過ぎるのも気になった。通された部屋は食堂から結構離れた場所にある客室。あたしたちが借りている宿屋よりも充分に広そうで立派な部屋である。とても静かで、この階だけでも十数部屋ありそうなのに人の気配が感じられなかった。
 たまたま人がいなくて、だからこそあたしたちの部屋を用意するような余裕があるのかもしれないが、だとしてもあたしは引っかかりを感じずにいられない。うまく行き過ぎている、と言うか。これも幸運の一つなのだといってしまえばそうなのかもしれないが、なぜか胸の奥がもやもやとしていて晴れない。

「早く来ないかな……」

 マイトもクロード先輩も何をしているのだろう。自分の体調不良が原因とはいえ、離れるのは得策ではなかったと反省する。

 ――そんなに食事が美味しかったのかしら? 話が弾んでいるのかしら? それとも……。

 そこでふと、呪い殺してやると告げたメアリの凍った笑顔が脳裏を過ぎった。あたしは咄嗟に起き上がる。

 ――疑うのってよくないけど、新手の敵だったりしないかしら? ……いや。

 メアリはクロード先輩に用事がある。クロード先輩の持つ魔導書の知識に興味があるようだったからだ。彼を引き止めるために、何かを企てて実行している可能性は高い。

 ――でも、あのクロード先輩が簡単に落とされるとも思えないんだけど。

 あたしの体調が悪いことを利用して迫っているのかもしれない。だとしても、泊まることを決めたのなら知らせに来るはず――そう信じていてもいいのよね?

「……よし」

 この部屋で待っていても仕方がない。様子を見に出て行くことに決める。広い屋敷ではあるが、食堂までの道はわかりやすい一本道だ。迷うこともないだろうし、歩いていれば屋敷の人間にも会うだろう。そこで事情を説明すればよいはずだ。
 あたしは角灯が照らす室内を扉に向かって歩く。足元のふかふかの絨毯が心地よい。他も客をもてなすにしてはかなりのお金がかけられていそうな調度品ばかりである。メアリの親は何をしている人間なのだろうか。
 取っ手に手をかけて回そうとし、そこで気付いた。

 ――鍵?

 カチャカチャと揺すってみるが回らない。押してみたり引いてみたりしたが扉が開く気配はなかった。

 ――閉じ込められた?

 油断していた。部屋に案内されたときは気分が悪くて気付かなかったが、扉には鍵がかけられている。

 ――そ、そこまでしてクロード先輩を引き止めたいわけ?

 だったらそう言ってくれれば、クロード先輩を置いてマイトと先に帰るってことも考えたのに。クロード先輩本人は嫌がるだろうけども、それはそれ、これはこれだ。
 冷や汗が背筋を撫でる。

 ――あの子、ちょっとおかしい……。

 強引に扉を開けてしまおうか、そんなことを考える。しかし、ちょっとやりすぎなような気がして躊躇し、しぶしぶ扉に耳を近づけて様子を窺うにとどめることにした。誰かが通りかかったらこの扉を叩いて異常を知らせ、とにかく開けてもらおう。水が欲しいとか何とか言い訳をすれば、それで充分な理由にはなるだろう。
 耳を扉にくっつけると、早速誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。

 ――お、これは良い兆候だわ。

 すぐに機会が巡ってきたことを素直に喜び、扉を叩いて外部に知らせようと離れる。そして――。

「はひゃっ!?」

 手を伸ばしたところで扉が開いた。がたいの良い影。あたしは視線を上げる。

「な、なんだ。マイトかぁ。いきなり扉が開いたからびっくりしちゃったじゃない」

 そこに立っていたのはマイトだった。一人だけのようである。どきどきする胸に手を当てて、あたしは笑顔を作る。

「クロード先輩は? やっぱりメアリさんに捕まっちゃった?」

 マイト一人だけと言うことは、クロード先輩の不在も示す。クロード先輩がメアリにつき合わされている可能性は高い。
 しかし、マイトは反応しなかった。

「――ん?」

 様子がおかしい。あたしは首を傾げる。

「何かあった? 泊まるのか帰るのか、そろそろどっちかに決めなきゃいけないと思うんだけど……」

 マイトの表情は暗くてよく見えない。廊下側の明かりの方が強いからかもしれない。

「マイト?」

 焦点が定まっていないように感じられて、あたしは彼の顔の前で手のひらを振ってみる。
 と。
 さっとその手を掴まれた。しかも、放すまいとするかのようにしっかりと。

「な、なんだ。見えているんじゃん……って」

 掴んだ手はそのままに、彼は空いている手をあたしの肩に置き、そのまま一歩、さらに一歩と室内に踏み込む。

「ちょ……」

 この展開はなんだかまずい。マイトは部屋に、そして寝台に向かって進む。あたしは引きずられるかのように後ずさりをするのみ。
 扉から完全に離れると自動的に閉まり、カチャリと音を立てた。外部からは鍵を開けることが可能だが、内部からはできない作りのようだ。

 ――うっそ。マイトと一緒に閉じ込められた!? しかも、この調子だと……。

 案の定、寝台に押し倒された。

「ま……マイト? 冗談だったらここでやめときましょ? ね?」

 扉に気を取られていて逃げる機会を失ってしまった。ふかふかの寝台に両手は押し付けられ、あたしの身動きを封じるようにマイトがのしかかっている。

「ほ、ほら、あたし、体調が悪いし、そういうときにこういうことするのって、卑怯じゃない? マイト、そういうの、嫌いじゃないかな? ね?」

 ――マイトの馬鹿力! 動けないでしょうがっ!

 身をよじるがびくともしない。そういう位置を選んで乗っかっているらしかった。

 ――まずい、まずいわよ、この状況!

 選出者を辞退する場合についてルークが説明していたことを思い出す。このままでは意図せずに辞退することになってしまうではないか。

「こらっ! マイト! あんた正気なのっ――?!」

 唇をふさがれた。マイトと口付けをしたのはこれが二回目。しかし、あの時とはまた違った。

「んんっ……」

 声を出せないようにするためらしい、愛情のないもの。

 ――や、やだ。こんなのやだっ!!

 ばたばたとあがいているうちに両手首を片手で押さえられてしまい、マイトの片手が自由になってしまった。その手があたしの薄い上着の裾を強引にまくる。

「んんんっ!」

 ごつごつとした指が肌を撫でる感触。徐々に胸の膨らみに近付いてくるのがわかる。

 ――やめて! やめてよマイト!

 あたしは硬く目を閉じた。そこに思い浮かべたのは、長い髪を三つ編みに束ねた眼鏡の青年。

 ――助けて! クロード先輩!

 なぜか、そこでマイトが動かなくなった。力なく崩れて、あたしの上に乗ったままだらんとしている。

 ――何が起きて……。

 あたしがそっと目を開けると、マイトの気絶しているらしい顔が横にあるのに気付く。そして、見慣れた三つ編みが目に入った。

「危機一髪でしたね、ミマナ君」
「クロード……先輩……?」

 彼は安心させるように微笑むと、あたしの頭をそっと撫でた。

「もう大丈夫です。どうかマイト君を責めないでやってくださいね。彼は悪くない。ちょっと心に隙があったのがよくなかっただけです」

 ――心に隙、とな?

 あたしの心臓はまだばくばくと激しく動いている。クロード先輩の言っている意味が飲み込めずに目をしばたたかせていると、彼は続けた。

「説明しましょう。――その前に、彼をどかしましょうか」
「あ、え、あ……そうね……」

 いつまでも圧し掛かられたままというわけにはいかない。ちょっぴりいらついているらしいクロード先輩の手を借りて、あたしはようやっと解放されたのであった。
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