君の知らない物語

こうらい ゆあ

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3.いつもの教室

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 昼休みの教室は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
 窓の外では、春陽が校庭を照らし、桜の木の枝に残る最後の花びらが風に揺れている。
 つい先日まで、校庭には散った桜の花びらでできた淡いピンクの絨毯が作られていたけど、今ではすっかりなくなってしまった。
 窓から差し込む光が、ノートの白いページに柔らかな模様を描き、教室の喧騒を遠くに感じさせる。
 風がカーテンの裾を軽く持ち上げ、教室の空気に海の塩気を運び込む。
 机の表面に指で触れると、木のざらついた感触が指先に残り、ノートに書かれた文字が光の中でかすかに揺れているように見えた。

 僕はいつものように教室の隅の席で、本を開いて読むふりをしている。
 読む気はあるんだけど、昨日の図書準備室での出来事が頭の中をぐるぐるしてしまって、文章が頭に入ってこない。
 同じページを繰り返し読んでは戻り、読んでは戻りを繰り返して、一向に内容が入ってこない。
 相沢が急にあんなことを言うから……
 あんな笑顔を向けられるなんて、思いもしなかった。

「お前の書くやつ、なんか心にくるんだよね」
 昨日、相沢が言った言葉が、何度も何度も、耳の奥で反響している。
 相沢の穏やかな視線や声を思い出すだけで、心臓が少し速く鳴る。

 あの狭い部屋で、彼が僕のノートを手に持つ姿が、頭から離れない。
 彼の声が、彼の仕草が……図書準備室の狭い空間で響いたあの言葉が、僕の心に小さな波を立てて、僕の心を揺れ動かす。
 手がじんわりと温かくなり、読んでいた本をそっと閉じる。
 今日はもうこれ以上読んでいても意味がないかも……
 全然頭に入ってこなければ、今自分がどこを読んでいるのかすらわからなくなってしまった。

 代わりに次の授業で使うノートと教科書を取り出して準備する。
 引き出しの中にいれていた、僕の創作ノート。
 誰かに見られると困るから、本当はカバンの中に入れておく方がいいんだけど……
 授業中、コッソリ続きを書きたくなってしまう衝動に駆られることも最近しばしばあって……

 引き出しの中のノートを手で触れ、昨日書いた内容を思い出す。
 ただ静かな海の町。
 こことは違って、人が少ない場所。
 人以外にも精霊みたいなのがいて……彼が待っている人は……

「涼!最近絶好調だよね!」
 僕が物語の世界に引っ込まれそうになっていると、教室の中央から彼を呼ぶ声が聞こえた。
 こっそり教科書の影に隠れて、教室の中央を見やると、相沢が仲間たちと笑い合っていた。
 クラスの人気者の彼は、いつも誰かの注目を集めている。

「涼、週末の試合はスタメン?応援行ってあげようか?」
 背が低く、淡い栗色の髪の女の子が相沢と親し気に話しをしている。
 彼女の声は高く弾み、教室の空気を軽やかに揺らす。
 彼女の顔を見ているだけで、なんとなく、彼女も相沢に気があるんだとわかってしまった。
 明るい笑顔の可愛らしい彼女は、相沢の顔を見上げながら精一杯主張している。
 ピョンピョンと跳ねるたび、柔らかそうな髪がふわりと跳ね、ここからでも花のようないい匂いがしてきそうな気がした。
 相沢の周りに集まる仲間たちはみんな笑顔に溢れていて、教室を明るく染めあげている。

 教室の中心で響く彼らの笑い声が、僕の隅の席まで届き、胸に小さな棘を刺す。
 僕は、あの輪の中には入ることすらできない。
 
「ん~、ベンチだけど、監督が出してくれそうな気がする。まぁ、どうなるかわかんねぇけど」
 ポリポリと頬を指で掻きながら、いつもと変わらない軽い笑みを浮かべて話す相沢。
 でも、僕はそんな相沢を見て、なんとなく……違和感を感じた。
 いつもと変わらないはずの笑顔なのに、その笑った目の奥はどこか少し寂しそうな色が見え隠れしている。
 図書準備室で僕に見せてくれた柔らかい笑顔とも何かが違って、どこか寂しそうで……
 どう言い表せばいいのかわからなかった。
 でも、そんな表情は一瞬だけで、一緒にいる相沢の仲間は誰も気付いていない。
 相沢が不意に見せる、ちょっと寂しそうな顔に、誰も気付いてない様子だった。

「……相沢……?」
 無意識に彼の名前を口にしてしまう。
 なんで?どうして……?
 相沢はどうしてあんな顔をしているのか気になってしかたない。
 今すぐ彼の手を取って、誰もいない図書室で話を聞きたいけど、そんなことをする勇気が、僕にはない。
 僕が呟いた彼の名前は、誰の耳にも届くことはなく、静かに教室の空気に溶けた。

 相沢の笑顔の裏に、何かが隠れている気がした。
 きっと、今は誰にも相談できない何か……
 僕でいいなら、相沢の相談に乗るのに……
 でも、こんなことを思っても意味がないんだと思う。

 放課後、相沢は僕に構ってくれるけど、あれは相沢の気まぐれな優しさからだ。
 別に、僕たちは友だちってわけじゃないと思う。
 実際、この教室の中では、相沢と僕は違う世界の住人だから……
 でも……でも、もし、相沢が何か苦しんでるなら、僕に話して欲しいなぁ……
 相沢の気持ちが少しでも軽くなるなら、僕はなんでもするのに……

 相沢を見ると、もうさっきみたいな寂しそうな顔はしていなかった。
 いつもと変わらない、周りを明るく元気付ける光を放ち、みんなの視線を集める相沢。
 僕はその光を遠くから見つめるだけで、近づく勇気はない。

 放課後のあの時だけが、相沢と僕が一緒にいることができて、話しをすることができる。
 僕たちだけの秘密の時間。
 相沢が気まぐれに図書準備室に来てくれて、僕のちっぽけな物語を読んでくれる。
「本なんてあんまり読まないけど、岡崎の書くやつは好きなんだよ」
 彼の言葉が、僕の中で木魂する。
 教室では見せない彼の表情に、僕の心が波のように揺れるのを感じる。
 穏やかな相沢の笑顔。
 ページをめくる音が、僕の心臓の鼓動と重なる。
 僕の物語を静かに読みながら、コロコロと変わる表情。
「コレなんて読むの?」って聞いてくる声に、誤字を見つけて恥ずかしくなって、慌てて書き直す。
 相沢も嬉しそうに笑っていて……
 僕と相沢の二人だけの静かな空間。
 
 彼が物語を読み、笑顔で感想を言ってくれるたび、僕の世界が少しだけ広がる気がする。
 でも、どこかでわかっている。
 この時間は、彼の気まぐれが作り出した一瞬の奇跡にすぎない。
 教室の中心にいる彼と、隅にいる僕の距離は、決して縮まらない。

 それでも、図書準備室のドアが開く音を聞くたび、胸が高鳴るのを抑えられない。
 窓の外では、最後の桜の花びらが風に舞い、校庭を超えて海へと飛んで行くのが見える。
 潮風が教室に流れ込み、ノートのページをそっと揺らす。

 僕は誰にも見つからないようにペンをギュッと握ってノートに文字を走らせる。
 相沢の笑顔を胸に描きながら、物語の主人公が一歩を踏み出すシーンを書き始める。
 その一歩は、僕自身の心の動きを映し、相沢に届く日をそっと願う。

 たとえそれが、僕だけの秘密のページだとしても。
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