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第9話 エレノアとミリア

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「……なかなか食えない子だな、彼女は」

 ミリアがくぐった扉がゆっくり閉まっていくのを見送りながら、丈がつぶやく。

「ほう。色男のお前でも、ものにするのはムズイのか」

「…………」

「……すまん、こういうギャグは嫌いだったな。なかったことにしてくれ」

 突き刺すような丈の視線にさらされた椎名は、その身に物理的な痛みさえ感じて、自分の方から折れた。

「こんなところにおられましたか!」

 謝ってもまだ刺してきそうな丈の瞳に、身を縮まらせていた椎名だったが、後ろから飛び込んできたその女性の声を天の助けとばかりに、踊るように振り返った。
 椎名達の後ろにいたのはルフィーニ。今までずっと探していたのだろう、二人を見つけたその表情には安堵感が溢れている。

「おっ、ルフィーニさん! 俺を探してくれてたの? なになに、何の用?」

「別にシーナ殿だけをお探ししていたわけではありませんが……」

 ルフィーニは椎名のあまりのはしゃぎように少々戸惑う。

「お二人はこの晩餐会の主役なのです。そのお二人が揃っていなくなられては、晩餐会が意味のないものになってしまいます。お二人にご挨拶をしたいとおっしゃる方々は大勢おられますので、すぐにお戻りください」

「たははは。そりゃそうだよな。ゴメン、ゴメン。すぐに戻るよ、すぐに。いやぁ、ルフィーニさんに迷惑かけちゃったみたいだなぁ」

 椎名は照れと緊張とで多少顔を赤らめながら、急いで中に戻ろうとする。

「ジョー様もお願いします」

「ああ」

 椎名と違って丈はいつも通り、あるいは、いつも以上に不愛想とも思えるほどクールに答えて、ゆっくりと動き出す。

「…………」

 そのやりとりに無性に腑に落ちないものを感じたのは椎名だった。

「……なぁ、一つ聞くけどさ」

 丈とルフィーニ、どちらに言うとでもなく、またはどちらにも言うかのように、陰気な口調で問うてみる。

「なんで俺が『シーナ殿』で、丈の奴が『ジョー様』なんだ?」

 言ってる自分でも気づいていない無意識のことだったのか、ルフィーニは驚いた顔をして開いた口を手で覆う。顔色も一瞬白くなったかと思ったら、すぐに紅潮していく。

「い、いえ! 別に何か深い意味があるわけではなく、ただ、そのなんと言いますか……」

 ルフィーニにしては珍しくしどろもどろになっている。女性ながらに騎士であり、ラブリオン隊の隊長もやっているため、男に馬鹿にされないようにと常に凛とした態度をとっている彼女のこんな姿を見るのは、椎名も丈も初めてのことだった。彼女の部下達にしても、恐らく見たことはないだろう。

「まぁ、別にいいけどさ。様と殿のどっちが偉いかなんて考える気はないし。……それにジョー様ってなんか『女王様』に聞こえるし」

「…………」
「…………」

 あまりのバカな発言に、丈は歩み止めて固まった。ルフィーニも、失言に紅潮していた顔色も元に戻って呆れている。
 そして、当の椎名も自分で言っておいて、思わず、仮面をつけてハイヒールで誰かを踏みつけながらムチを振るっている丈の姿を思い描いてしまい、現実の丈とのそのあまりのギャップに気持ち悪くなっていた。

 気を取り直して祝勝会の会場に戻った三人を待っていたのは、これからこの国を代表する有名人になるであろう二人の戦士に今のうちに少しでも顔を売っておこうとする各界の著名人達の洪水だった。
 次々に人が現れてきて、とても顔と名前が一致しない──というより、顔も名前も何も記憶に残らないといった感じである。それでも、椎名は何人かの顔と名前だけは必死に記憶に留めようと無駄な努力をしていた。

「さっきの赤いドレスの娘がエニルで、髪の長かった娘がティファ……。ああっ、その前の金色の髪の娘は何て名前だっけ!?」

 それらがすべて父親らについてきて挨拶していく娘達、その中でも特に可愛い娘であるあたりはいかにも椎名らしい。

「なぁなぁジョー、さっきの金髪の娘は何て名前だっけ?」

「……覚えてるわけないだろ」

「なんだよ、お前なら会った女の子の顔と名前はすべて覚えていると思ったのに」

「お前は俺を何だと思ってるんだ?」

 呆れた顔を浮かべた丈だったが、周りを取り囲んでいる人々の間に緊張が走るのを敏感に感じ取り、顔を真顔に戻す。周囲の者達は心なし丈達から一歩引いたようにさえ思える。
 丈にはその理由がわかっていた。
 後ろから高貴な雰囲気≪ラブパワー≫をまとった存在が近づいてきているのだ。正視するのがためらわれ、近づくだけでひれ伏してしまいそうなこんな雰囲気≪ラブパワー≫を持っている人物など、丈の知る限り一人しかいない。

 振り向けば、案の定、そこには足音さえ立てずに優雅に近づいて来るエレノア女王の姿があった。

「楽しんでいただいおりますか?」

 パーティーの最初にエレノアからは、形式的なねぎらいの言葉をもらっているので、今の彼女の言葉は堅さのない、気さくなものだった。

「はい。このような盛大なパーティーを開いていただき、感謝の言葉もありません。この身が朽ち果てるまで女王の御為≪おんため≫に戦う決意がより一層固まりました」

 女王の口調に反して、丈の言葉は堅いものだった。だが、その言葉には心からの真実味が含まれていた。周りの者が一瞬にして丈を真の騎士と認めてしまうほどの真実味が。
 だが、それは真実味であって真実ではない。それが真≪まこと≫の心であるかどうかは丈のみぞ知る。

「お、俺……じゃなく私も誠に光栄に思っております! あまりに光栄すぎて、少しこうえい(怖い)くらいです」

 椎名は、普段は緊張などとは縁遠い人間だったが、女性の前、殊に自分が好意を持っている女性の前ではいつもの奔放さなど見る影もないほどに緊張してしまう。そして緊張して舞い上がった椎名は、つい訳のわからない余計なことを口走ってしまう。

「女王、申し訳ありません。シーナはまだ戦いの興奮が冷めないようで……(バカか、シーナ!?)」

「いえ。楽しい方で……。わたくしもユーモアのある方は好きですから」

「おい、ジョー! 聞いたか!? エレノア女王が俺のこと好きだって!」

 耳元で喜びの声を囁いてくる椎名に、丈は心の中で溜息をつく。

「お前のことが好きだと言ったわけではなく、ユーモアのある人間という一つのくくりに好感を持つと言っただけだ。ユーモアのある人間イコールお前オンリーというのは、論理の飛躍だ」

 椎名にだけ聞こえるように説明してやるが、果たして今の椎名にそれが理解できたかどうか。

「こちらです! さぁ、わがまま言わずにちゃんと歩いてください!」

「なんで私がこんなとこに来なきゃなんないのよ!」

「何故って……あなたはこの国の王女なのですから、挨拶くらいしていただきませんと」

 駄々っ子とその親とのやりとりのような騒がしい会話をする者が、椎名達の方へと近づいてきた。
 聞いていて気持ちのいい会話ではないので、できることなら無視しておきたかったが、その中に王女とかいう聞き捨てならない単語を耳にしてはそういうわけにもいかない。
 椎名達は声の主の方に目を向ける。

「あっ!」

 椎名と丈は視線の先にいる者を見て、驚き、互いに顔を見合わせた。
 そこにはいたのは、先程二人と議論を交わしたミリアと同じ顔をした女の子だった。同じ顔をした人物とは言えても、同一人物だと言い切れないのには理由≪わけ≫があった。
 まずはその衣装。先は機能優先の質素な服装だったのに、今のこの娘がまとっているのはこの晩餐会に参加している淑女達が着ているドレスの中でも、特に目を引く程の意匠を凝らした光沢輝く純白のドレス。椎名達にはドレス姿のミリアなどとても想像できない。
 そして、何より決定的に違うのはその顔つき。顔の作り自体には違いなど見受けられないのだが、その顔つきは丈達と話していたミリアのものとは決定的に異なっていた。
 あの時は人当たりのよい笑顔を浮かべ、好奇心に輝くその瞳の中に溢れんばかりの知性の光を宿していたのに、今目の前にいるこの娘は、口をへの字に歪め、鋭く尖った目には暗い反骨心を宿しているだけ。
 先のやりとりで好印象を受けていただけに、二人には今のこの娘がミリアと同一人物だとはとても思えなかった。

「妹のミリアです。さぁ、ミリア。こちらが我が国のために戦ってくださるジョー様とシーナ様です。ご挨拶なさい」

 椎名と丈はエレノア女王の言葉に愕然とする。
 先のミリア・イコール・目の前の娘。しかも、エレノアの妹ということは、この国の王位継承者の一人であるということだ。さっき王女と呼ばれていたのもこれで理解できる。しかし、理解できないのは、自分の知っているミリアと目の前のミリア──その二人のミリアのギャップだった。
 二人は神妙な面もちでミリアの言葉を待つ。

「異世界の人間を呼び込んでまで戦争に勝とうなんてあさましい限りだわ! みんな戦いのことばかり考えて、野蛮なのよ。よその国のことなんて無視して、私達は私達で自由気ままに暮らしていればそれでいいじゃない! この人達と顔を合わせているのも、こんな場にこれ以上いるのも不愉快よ。私はこれで失礼させてもらうわ!」

 ミリアは自分をここまで引っ張ってきたお付きの者の手を振り払い、きびすを返すと、優雅なエレノアとは天と地ほどの差がある大股でズカズカした歩き方でさっさと椎名達の前から離れて行った。

「…………」
「…………」

 椎名と丈はあまりのことに、言葉もなくただ立ち尽くしながら、ミリアの背中を見送った。
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