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本編
04.条件付きで結婚を承諾しましょう
もう既に令嬢の仮面は剥がれてしまっている。
リュカ本人が説明したいと言っているのだから、クロエ自ら切り込んでも許されるだろう。
この辺りの可愛げのなさが十代の内に結婚出来なかった要因だと自嘲しつつ、クロエはずばりと尋ねた。
「結婚を焦られる理由を聞かせてもらえますか?」
リュカは覚悟していたようにこくりとうなずき、固い表情で話し出した。
「……半月ほど前のことです。僕の部屋の窓に一羽の遣い魔がやって来て手紙を置いていきました。東の魔王からの手紙でした」
「東の魔王から……」
また壮大な話になった、とクロエは内心でつぶやいた。
この世界の生態系の頂点に立つのは、人である。
精霊はこの枠に当てはまらない。
精霊は世界を構成する元素の循環を助ける為に生まれた存在とされている。
普通の人には見えないが、この世界の大抵の場所に居るものだ。
対して魔族と呼ばれる種族が住むのは、この世界と微妙に重なりあった別の世界だった。
昔から人界と魔界は所々自然とつながる穴が空いている状態で、多くはないものの官民共に交流が続いており、古の協定により平和なやりとりをしていた。
魔族は人ほど数が多くない代わりに、力や寿命が多い。
また魔界も人界同様、いくつかの国がある。
東の魔王は、魔界の国の中で一番栄えている東方大魔王国という国の国王のことだ。
確か、もう在位二百年ほどになるのではなかっただろうか。
東の魔王に関する情報を思い出しながら続きを促す。
「それで、東の魔王からの手紙には何と?」
「その……」
リュカが言い淀む。伏せられたまつげが壮絶に色っぽい。
憂い顔にそそられかけたクロエは、思わず『言いたくなければ言わなくて良いのよ!』と言いそうになった。
しかし、それでは話が進まない。
(へ、平常心、平常心……)
心の中でそう唱えながら、リュカが話すのを待つ。
リュカは何度か言い淀んだ後、陰鬱な表情でぼそりとつぶやくように言った。
「僕の十六の誕生日に迎えに行く。結婚の約束を果たそう、と」
「…………まぁ」
結婚を急いでいると分かってから半ば予想していたことだが、本当にそうだったのだなぁとクロエはなんとも言えない表情でリュカを見やる。
「驚かれないのですか?」
リュカが驚愕したように尋ねてくる。
クロエは何故リュカの方が驚いているのかと思いつつ、曖昧にうなずいた。
「……その、リュカ様のお噂はかねがね」
「えっ」
さぁっとリュカが青ざめる。
「ど、どんな……」
「私が聞いたことがあるのは、貴族学校でリュカ様をめぐって男子生徒が血みどろの決闘を繰り広げ、二十人以上が退学になった話と、某男爵がリュカ様にしつこく付きまとった挙げ句に気を引くために狂言自殺を起こし、精神喪失の診断が下りて爵位返上になった話ですね」
本当は他にもいろいろと噂は聞いているが、特に有名な話はこの二つだ。
いくつかの事件の発端になって以降、ラ・トゥール伯爵家の三男は公の場どころか、屋敷からも滅多に出なくなったという。
クロエも噂というものは大抵面白おかしいようにふくらませるものだと思って話半分に聞いていた。
他人の人生を狂わせる美貌など、大げさにし過ぎだと。
しかも、女性ではなく男性で。
けれど、こうして本人を目の前にしてみれば、それほど大げさな話ではないと分かる。
それなりに人生経験を積んでいる両親や国王夫妻でさえ、今にも泣き出しそうな顔をするリュカに一瞬、生唾を飲み込んだのだから。
性的衝動の強い十代二十代の男子であれば、血迷う者もいるだろう。
かく言うクロエも不自然に脈が早くなるのは止めようがなかった。
しかし、そこで踏みとどまるだけの理性はある。
何でもないふりをするだけの面の厚さもだ。
「……リュカ様は東の魔王にご面識がお有りだったのですか?」
「え?」
「東の魔王と以前、会ったことが?」
クロエが重ねて尋ねると、リュカは驚きながらもそろそろとうなずいた。
「あの、僕は覚えていないのですが、二歳くらいの時に祖父のところへ遊びに行った際、東の魔王が祖父のところへ押し掛けてきて、そこで会ったようなのです。それでどうも気に入られてしまったらしくて、祖父が席を外した時に『大人になったら私と結婚するか?』と。僕もたぶんよく分かってなかったと思うのですが、『あい』とうなずいてしまったらしくて……」
「親戚の叔父などが冗談で言ったりする常套文句ですね」
「はい。ですが、件の手紙が来て祖父を通して先方の意志を確認したところ、どうも本気のようで……。改めてお断りしても、諦めて頂けない状態です」
「なるほど。もう一つ確認しておきたいのですが」
「何でしょう?」
「東の魔王は、男性でしたよね?」
リュカはクロエの言いたいことを読みとったようで、暗い表情でうなずいた。
「はい。この国では同性婚は許可されませんが、東方大魔王国では可能なのだそうです」
「そうでしたか」
クロエが納得してうなずくと、リュカがこわごわといった様子で尋ね返してきた。
「クロエ様は……僕のことを不潔で猥褻な存在だと思いますか? 男性にも好かれて気持ち悪いと思いますか?」
「難儀な体質だとは思いますが、そんな悪感情はありませんよ」
多少、あざといな、と思える仕草もあるが、大半は素のようだ。
己の外見や魅力を自覚していることには、返って好感が持てる。
だいたい、リュカの超絶な可愛らしさと壮絶な色気は、本人がどうにか出来る範疇ではないだろう。
(けれど、今、私にそんなことを聞いてくるということは……)
「誰かに何か言われましたか?」
クロエが尋ねると、リュカは悲しげに目を伏せた。
「とある教会の奉仕活動に参加した時、司祭様に。淫らに誘惑する悪魔のようだと」
「誘惑したのですか?」
「してません!」
リュカがきっぱりと否定する。
それを聞いたクロエは、淡く微笑んだ。
「それならあなたに非はないでしょう。そのようなことを言うのは、己の心の弱さをあなたに押しつけているだけのクズですよ」
(まぁ、意図して誘惑しなくても、目があったり、会釈して微笑まれただけで勘違いする輩はいるでしょうね。それだけで暴走するのは、やはりクズだけど)
品のない単語であるが、そういう輩を表すのにお上品な言い方は合わない。
母から『はしたない』という視線を頂戴しているのを、軽く無視しておく。
良い人ぶりつつも口悪くすることで、リュカが幻滅してくれないかな、と二欠片くらい思っていたが、どうやら効果はなかった。
むしろ、憂い顔から変化し、期待に目がきらきら輝き出した。
十代の時の見合い相手は、クロエがそうした下品な言葉をうっかり口にしたら即、顔を歪めて破談になったというのに。
しまったな、と思いつつ、クロエは好感度を下げる為に下劣な質問をする。
「東の魔王に嫁ぐ選択肢はないのですか? 彼の王は賢君と聞きますし、かなりの美丈夫だとか。同性同士とはいえ大事にしてもらえるのなら有りではないでしょうか」
クロエの言葉を聞いたリュカは、身を乗り出し、顔を真っ赤にして主張し出した。
「ぼ、僕は女性の方が好きです! 特にクロエ様みたいに凛々しくて優しい年上の女性が、というか、クロエ様が好きです!」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
あまりのリュカの勢いに、クロエは腰が引け気味になる。
クロエが引いた分、リュカが身を乗り出し、熱っぽい目で言った。
「僕をお婿さんにしてくださいますか?」
「それはちょっと……」
すっと、クロエは目をそらす。
リュカがこの世の終わりが来たような顔になった。
「クロエェ……」
両親と国王夫妻の視線が痛い。
『この人でなし』と目が語っている。
リュカの美しい瞳から、涙がぽろぽろと溢れてくるのを見ると、クロエも大変胸が痛む。
その涙を優しく拭ってあげたくなる。
しかし、ぐっと堪えて目をそらした。
この婚姻を断ることで仲人の国王夫妻の不興を買うといった不利益はあるが、受けることでの利はほとんどない。
ラ・トゥール家との縁くらいだろうか。
リュカと結婚することで、恨み妬みだけではなく少年趣味の変態の謗りを受けることは必至。
おまけにリュカに婚姻を申し込んでいるのは、東の魔王だという。
クロエはそれなりに面の皮は厚いつもりだが、心臓に毛が生えているほどではない。
火中の栗を拾う度胸は、クロエにはなかった。
「ブランセル嬢」
黙ってやりとりを見守っていたラ・トゥール伯爵が口を開く。
クロエが伯爵の方を向くと、伯爵は不敵な笑みを浮かべていた。
「ブランセル嬢は、リュカとの婚姻には利より損が多いと考えておられるのでしょう」
「……」
クロエは微笑んだまま、黙って伯爵の目を見返す。
伯爵はさもありなんとうなずいた。
「リュカ自身に価値を見い出せなければ、そうでしょうね。そこでご相談ですが、リュカに通常の持参金を持たせるほか、ブランセル嬢に同額の支度金をお渡しするというのはどうでしょう。無論、支度金の方は万が一離縁した場合も返却は不要です」
持参金は嫁や婿の個人資産となり、仮に婚家が持参金を使い込んでいた場合、離縁する時は借金をしてでも返さなければならないものだ。
クロエはにこやかな笑みを浮かべて言った。
「これでもそれなりの俸禄を頂いておりますから、金銭には困っておりません」
金銭で動くような輩だと思われるのは心外だ、と匂わせる。
しかし、相手も一筋縄ではいかない。
伯爵もにっこり笑い、いやいやと手を振った。
「これは迷惑料のようなものです。それとこの婚姻は、他の者と結婚してまで東の魔王とは結婚したくないと主張する為のもの。世間にもそう説明すればよろしいのです」
「父様!」
それは違うと声を上げるリュカを一にらみで黙らせ、伯爵がクロエに向き直る。
「とりあえずの婚姻期間はリュカが成体になるまで。成体になれば、魅了の力の調整も利くようになるでしょうし、腕っ節も強くなる。不埒な輩も自力で撃退出来るようになるでしょう。それまでの保護者なら、筆頭女性騎士であられるブランセル嬢が最も適役。ブランセル嬢は望まぬ婚姻を迫られたリュカを哀れみ、騎士としての義憤で結婚した。そういう脚本ならば、ブランセル嬢の名誉も守られましょう」
騎士としての義憤とは、ラ・トゥール伯爵も上手い所を突いてくる。
クロエは騎士であることに誇りを持っている。
騎士として困っている者を見捨てるのかと言われると、自己保身に走ることは出来ない。
それにリュカが成体となるまでなら、あと一、二年ということだという。
「そういうことであれば……」
それまでの期間、騎士として保護者となるだけならば、と心が傾きかけたところでリュカが立ち上がった。
ぐっと眉根を寄せ、涙をこらえるようにして言う。
「ぼ、僕は本気で、クロエ様のことをっ、離縁前提なんて!」
「まぁ、リュカ。落ち着きなさい」
「父様!」
「落ち着きなさいと言っている。普通に求婚して断られた息子の縁談を、条件付きとはいえまとめようとしている父を見る目ではないぞ。それと、ブランセル嬢の目の前だということを忘れるな」
伯爵に言われたリュカは、はっとした顔をしてしおしおと椅子に座り込み、クロエに頭を下げる。
「すみません。みっともないところをお見せしました」
「いえ。私は気にしておりませんから、リュカ様もお気を病まれず」
リュカの性質をだいたい理解したクロエは、社交辞令半分で微笑む。
「さすがブランセル嬢。騎士の鑑ですな」
すかさずクロエを煽てた伯爵は、うなだれるリュカに目を向け、にやりと笑った。
「それに、成体になった時、必ずしも離縁しなければならないわけではない。それまでにブランセル嬢に好きになってもらえれば、婚姻を継続して真の夫婦となっても何の問題もないだろう」
「なるほど!」
泣いた烏がもう笑った。
ぱぁっと輝くような笑顔になったリュカがクロエを見る。
クロエはそのあまりの笑顔の眩しさに、うっと胸を押さえて固まってしまった。
その隙に、王妃が満面の笑みで手を打つ。
「それは良い考えね! ねぇ、アベル」
「あぁ、とても良い考えだ」
国王が満足げにうなずく。
(しまった。婚姻継続の件を断る機を逃してしまった)
顔を引きつらせるクロエの元に、席を立ったリュカがトコトコと駆けてくる。
そして椅子に座るクロエの横にちょこんと両膝を付いた。
ほっそりと美しいリュカの手が、無骨な肉刺を手袋で隠したクロエの手に伸び、ぎゅっと握る。
上目遣いのあざとい角度でクロエを見上げ、リュカはとっておきの愛くるしい笑みを浮かべた。
「僕、クロエ様に好きになってもらえるように、一生懸命頑張りますね!」
「いや、そんなに頑張らなくてもよいのでは……」
「末永くよろしくお願いします!」
「……成体になられるまでの間だけのつき合いになるでしょうが、それまでは騎士としてお守りします」
「クロエ様のいけず。でも僕、諦めませんからね!」
ぷくっと齧歯類の頬袋のように頬をふくらませたリュカを見下ろすクロエは、自身の理性の限界が試される結婚生活になりそうだと乾いた笑みを浮かべたのだった。
リュカ本人が説明したいと言っているのだから、クロエ自ら切り込んでも許されるだろう。
この辺りの可愛げのなさが十代の内に結婚出来なかった要因だと自嘲しつつ、クロエはずばりと尋ねた。
「結婚を焦られる理由を聞かせてもらえますか?」
リュカは覚悟していたようにこくりとうなずき、固い表情で話し出した。
「……半月ほど前のことです。僕の部屋の窓に一羽の遣い魔がやって来て手紙を置いていきました。東の魔王からの手紙でした」
「東の魔王から……」
また壮大な話になった、とクロエは内心でつぶやいた。
この世界の生態系の頂点に立つのは、人である。
精霊はこの枠に当てはまらない。
精霊は世界を構成する元素の循環を助ける為に生まれた存在とされている。
普通の人には見えないが、この世界の大抵の場所に居るものだ。
対して魔族と呼ばれる種族が住むのは、この世界と微妙に重なりあった別の世界だった。
昔から人界と魔界は所々自然とつながる穴が空いている状態で、多くはないものの官民共に交流が続いており、古の協定により平和なやりとりをしていた。
魔族は人ほど数が多くない代わりに、力や寿命が多い。
また魔界も人界同様、いくつかの国がある。
東の魔王は、魔界の国の中で一番栄えている東方大魔王国という国の国王のことだ。
確か、もう在位二百年ほどになるのではなかっただろうか。
東の魔王に関する情報を思い出しながら続きを促す。
「それで、東の魔王からの手紙には何と?」
「その……」
リュカが言い淀む。伏せられたまつげが壮絶に色っぽい。
憂い顔にそそられかけたクロエは、思わず『言いたくなければ言わなくて良いのよ!』と言いそうになった。
しかし、それでは話が進まない。
(へ、平常心、平常心……)
心の中でそう唱えながら、リュカが話すのを待つ。
リュカは何度か言い淀んだ後、陰鬱な表情でぼそりとつぶやくように言った。
「僕の十六の誕生日に迎えに行く。結婚の約束を果たそう、と」
「…………まぁ」
結婚を急いでいると分かってから半ば予想していたことだが、本当にそうだったのだなぁとクロエはなんとも言えない表情でリュカを見やる。
「驚かれないのですか?」
リュカが驚愕したように尋ねてくる。
クロエは何故リュカの方が驚いているのかと思いつつ、曖昧にうなずいた。
「……その、リュカ様のお噂はかねがね」
「えっ」
さぁっとリュカが青ざめる。
「ど、どんな……」
「私が聞いたことがあるのは、貴族学校でリュカ様をめぐって男子生徒が血みどろの決闘を繰り広げ、二十人以上が退学になった話と、某男爵がリュカ様にしつこく付きまとった挙げ句に気を引くために狂言自殺を起こし、精神喪失の診断が下りて爵位返上になった話ですね」
本当は他にもいろいろと噂は聞いているが、特に有名な話はこの二つだ。
いくつかの事件の発端になって以降、ラ・トゥール伯爵家の三男は公の場どころか、屋敷からも滅多に出なくなったという。
クロエも噂というものは大抵面白おかしいようにふくらませるものだと思って話半分に聞いていた。
他人の人生を狂わせる美貌など、大げさにし過ぎだと。
しかも、女性ではなく男性で。
けれど、こうして本人を目の前にしてみれば、それほど大げさな話ではないと分かる。
それなりに人生経験を積んでいる両親や国王夫妻でさえ、今にも泣き出しそうな顔をするリュカに一瞬、生唾を飲み込んだのだから。
性的衝動の強い十代二十代の男子であれば、血迷う者もいるだろう。
かく言うクロエも不自然に脈が早くなるのは止めようがなかった。
しかし、そこで踏みとどまるだけの理性はある。
何でもないふりをするだけの面の厚さもだ。
「……リュカ様は東の魔王にご面識がお有りだったのですか?」
「え?」
「東の魔王と以前、会ったことが?」
クロエが重ねて尋ねると、リュカは驚きながらもそろそろとうなずいた。
「あの、僕は覚えていないのですが、二歳くらいの時に祖父のところへ遊びに行った際、東の魔王が祖父のところへ押し掛けてきて、そこで会ったようなのです。それでどうも気に入られてしまったらしくて、祖父が席を外した時に『大人になったら私と結婚するか?』と。僕もたぶんよく分かってなかったと思うのですが、『あい』とうなずいてしまったらしくて……」
「親戚の叔父などが冗談で言ったりする常套文句ですね」
「はい。ですが、件の手紙が来て祖父を通して先方の意志を確認したところ、どうも本気のようで……。改めてお断りしても、諦めて頂けない状態です」
「なるほど。もう一つ確認しておきたいのですが」
「何でしょう?」
「東の魔王は、男性でしたよね?」
リュカはクロエの言いたいことを読みとったようで、暗い表情でうなずいた。
「はい。この国では同性婚は許可されませんが、東方大魔王国では可能なのだそうです」
「そうでしたか」
クロエが納得してうなずくと、リュカがこわごわといった様子で尋ね返してきた。
「クロエ様は……僕のことを不潔で猥褻な存在だと思いますか? 男性にも好かれて気持ち悪いと思いますか?」
「難儀な体質だとは思いますが、そんな悪感情はありませんよ」
多少、あざといな、と思える仕草もあるが、大半は素のようだ。
己の外見や魅力を自覚していることには、返って好感が持てる。
だいたい、リュカの超絶な可愛らしさと壮絶な色気は、本人がどうにか出来る範疇ではないだろう。
(けれど、今、私にそんなことを聞いてくるということは……)
「誰かに何か言われましたか?」
クロエが尋ねると、リュカは悲しげに目を伏せた。
「とある教会の奉仕活動に参加した時、司祭様に。淫らに誘惑する悪魔のようだと」
「誘惑したのですか?」
「してません!」
リュカがきっぱりと否定する。
それを聞いたクロエは、淡く微笑んだ。
「それならあなたに非はないでしょう。そのようなことを言うのは、己の心の弱さをあなたに押しつけているだけのクズですよ」
(まぁ、意図して誘惑しなくても、目があったり、会釈して微笑まれただけで勘違いする輩はいるでしょうね。それだけで暴走するのは、やはりクズだけど)
品のない単語であるが、そういう輩を表すのにお上品な言い方は合わない。
母から『はしたない』という視線を頂戴しているのを、軽く無視しておく。
良い人ぶりつつも口悪くすることで、リュカが幻滅してくれないかな、と二欠片くらい思っていたが、どうやら効果はなかった。
むしろ、憂い顔から変化し、期待に目がきらきら輝き出した。
十代の時の見合い相手は、クロエがそうした下品な言葉をうっかり口にしたら即、顔を歪めて破談になったというのに。
しまったな、と思いつつ、クロエは好感度を下げる為に下劣な質問をする。
「東の魔王に嫁ぐ選択肢はないのですか? 彼の王は賢君と聞きますし、かなりの美丈夫だとか。同性同士とはいえ大事にしてもらえるのなら有りではないでしょうか」
クロエの言葉を聞いたリュカは、身を乗り出し、顔を真っ赤にして主張し出した。
「ぼ、僕は女性の方が好きです! 特にクロエ様みたいに凛々しくて優しい年上の女性が、というか、クロエ様が好きです!」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
あまりのリュカの勢いに、クロエは腰が引け気味になる。
クロエが引いた分、リュカが身を乗り出し、熱っぽい目で言った。
「僕をお婿さんにしてくださいますか?」
「それはちょっと……」
すっと、クロエは目をそらす。
リュカがこの世の終わりが来たような顔になった。
「クロエェ……」
両親と国王夫妻の視線が痛い。
『この人でなし』と目が語っている。
リュカの美しい瞳から、涙がぽろぽろと溢れてくるのを見ると、クロエも大変胸が痛む。
その涙を優しく拭ってあげたくなる。
しかし、ぐっと堪えて目をそらした。
この婚姻を断ることで仲人の国王夫妻の不興を買うといった不利益はあるが、受けることでの利はほとんどない。
ラ・トゥール家との縁くらいだろうか。
リュカと結婚することで、恨み妬みだけではなく少年趣味の変態の謗りを受けることは必至。
おまけにリュカに婚姻を申し込んでいるのは、東の魔王だという。
クロエはそれなりに面の皮は厚いつもりだが、心臓に毛が生えているほどではない。
火中の栗を拾う度胸は、クロエにはなかった。
「ブランセル嬢」
黙ってやりとりを見守っていたラ・トゥール伯爵が口を開く。
クロエが伯爵の方を向くと、伯爵は不敵な笑みを浮かべていた。
「ブランセル嬢は、リュカとの婚姻には利より損が多いと考えておられるのでしょう」
「……」
クロエは微笑んだまま、黙って伯爵の目を見返す。
伯爵はさもありなんとうなずいた。
「リュカ自身に価値を見い出せなければ、そうでしょうね。そこでご相談ですが、リュカに通常の持参金を持たせるほか、ブランセル嬢に同額の支度金をお渡しするというのはどうでしょう。無論、支度金の方は万が一離縁した場合も返却は不要です」
持参金は嫁や婿の個人資産となり、仮に婚家が持参金を使い込んでいた場合、離縁する時は借金をしてでも返さなければならないものだ。
クロエはにこやかな笑みを浮かべて言った。
「これでもそれなりの俸禄を頂いておりますから、金銭には困っておりません」
金銭で動くような輩だと思われるのは心外だ、と匂わせる。
しかし、相手も一筋縄ではいかない。
伯爵もにっこり笑い、いやいやと手を振った。
「これは迷惑料のようなものです。それとこの婚姻は、他の者と結婚してまで東の魔王とは結婚したくないと主張する為のもの。世間にもそう説明すればよろしいのです」
「父様!」
それは違うと声を上げるリュカを一にらみで黙らせ、伯爵がクロエに向き直る。
「とりあえずの婚姻期間はリュカが成体になるまで。成体になれば、魅了の力の調整も利くようになるでしょうし、腕っ節も強くなる。不埒な輩も自力で撃退出来るようになるでしょう。それまでの保護者なら、筆頭女性騎士であられるブランセル嬢が最も適役。ブランセル嬢は望まぬ婚姻を迫られたリュカを哀れみ、騎士としての義憤で結婚した。そういう脚本ならば、ブランセル嬢の名誉も守られましょう」
騎士としての義憤とは、ラ・トゥール伯爵も上手い所を突いてくる。
クロエは騎士であることに誇りを持っている。
騎士として困っている者を見捨てるのかと言われると、自己保身に走ることは出来ない。
それにリュカが成体となるまでなら、あと一、二年ということだという。
「そういうことであれば……」
それまでの期間、騎士として保護者となるだけならば、と心が傾きかけたところでリュカが立ち上がった。
ぐっと眉根を寄せ、涙をこらえるようにして言う。
「ぼ、僕は本気で、クロエ様のことをっ、離縁前提なんて!」
「まぁ、リュカ。落ち着きなさい」
「父様!」
「落ち着きなさいと言っている。普通に求婚して断られた息子の縁談を、条件付きとはいえまとめようとしている父を見る目ではないぞ。それと、ブランセル嬢の目の前だということを忘れるな」
伯爵に言われたリュカは、はっとした顔をしてしおしおと椅子に座り込み、クロエに頭を下げる。
「すみません。みっともないところをお見せしました」
「いえ。私は気にしておりませんから、リュカ様もお気を病まれず」
リュカの性質をだいたい理解したクロエは、社交辞令半分で微笑む。
「さすがブランセル嬢。騎士の鑑ですな」
すかさずクロエを煽てた伯爵は、うなだれるリュカに目を向け、にやりと笑った。
「それに、成体になった時、必ずしも離縁しなければならないわけではない。それまでにブランセル嬢に好きになってもらえれば、婚姻を継続して真の夫婦となっても何の問題もないだろう」
「なるほど!」
泣いた烏がもう笑った。
ぱぁっと輝くような笑顔になったリュカがクロエを見る。
クロエはそのあまりの笑顔の眩しさに、うっと胸を押さえて固まってしまった。
その隙に、王妃が満面の笑みで手を打つ。
「それは良い考えね! ねぇ、アベル」
「あぁ、とても良い考えだ」
国王が満足げにうなずく。
(しまった。婚姻継続の件を断る機を逃してしまった)
顔を引きつらせるクロエの元に、席を立ったリュカがトコトコと駆けてくる。
そして椅子に座るクロエの横にちょこんと両膝を付いた。
ほっそりと美しいリュカの手が、無骨な肉刺を手袋で隠したクロエの手に伸び、ぎゅっと握る。
上目遣いのあざとい角度でクロエを見上げ、リュカはとっておきの愛くるしい笑みを浮かべた。
「僕、クロエ様に好きになってもらえるように、一生懸命頑張りますね!」
「いや、そんなに頑張らなくてもよいのでは……」
「末永くよろしくお願いします!」
「……成体になられるまでの間だけのつき合いになるでしょうが、それまでは騎士としてお守りします」
「クロエ様のいけず。でも僕、諦めませんからね!」
ぷくっと齧歯類の頬袋のように頬をふくらませたリュカを見下ろすクロエは、自身の理性の限界が試される結婚生活になりそうだと乾いた笑みを浮かべたのだった。
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これは、無自覚な恋を抱えながら学園の事件に首を突っ込んでいく少女の物語。
※全128話
前半ラブコメ、後半第二章以降シリアスの三部構成です。
※「私にキスしたのは誰ですか?」と同じ世界感ですが、単品で読めます。
※アルファポリス先行で他サイトにも掲載中
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
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