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第35話 B級の意地 田中さんの覚悟!(後編)
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茫然と佇む田中さん。
初めて対戦するS級勇者の実力に、改めて実力差を思い知らされたって感じだ。
それは会場の観客も同様らしく、誰もが息を呑んで咳一つ、声一つ立てない。
勇者の自信に満ちた声が響く。
「さあ、次は三本だ、三連打だ!」
「次は四本、四連打だ!」
勇者に言われるがままに、田中さんは次々に連打を放つが、そのたびに矢は一本も掠ることなく、真っ二つに叩き落とされてゆく。
「早くしろ! 次は五本、五連打だ!」
「……」
田中さんが力なく首を振った。
五連打は不可能という意思表示だ。
勇者が微かに笑った。
「フフッ、さすがはB級、まさか四連打で終わりとは……。こんなことではお客さんに満足してもらえないなあ」
なにを思ったのか、突然、野郎は木刀を投げ捨てた。
そして田中さんに指を一本突き付けた。
「さあ、最初は一本だ。わたしの心臓目がけて矢を放て」
会場がどよめきで満たされた。
誰もが野郎の無謀な挑戦を訝しんだ。
S級勇者だ。矢を避けることなら容易だ。たぶん野郎は矢を素手で受けようというのだ。
不意に隣の席で観戦していた魔導士さんが席を立った。
「わたしはこれで失礼するよ」
観客全員が固唾を呑んで試合場を注視している中、なぜか魔導士さんだけは、試合の帰趨を見届けることなく会場を後にした。
俺は試合場から目が離せなかった。
誰もが結果のわからぬ行く末を息を潜めて見守った。
だが田中さんだけが、明らかに戦意を失って、弓を構えようとはしなかった。
やはり勇者の要求を危険と判断したのか。
そんな田中さんの良識ある態度を、野郎は哄笑と共に嘲った。
「臆病者め! そんな簡単なこともできないのか? そんなことでは敵を倒すどころか、我が身を守ることすら出来ないぞ!」
「……」
「もしおまえが矢を放てないというのなら、今度はわたしがおまえを打つことになる。茶番とはいえ、客を納得させるだけの結末は必要だからな。だが、B級のおまえに……」
勇者の唇に嫌らしい笑みが浮かんだ。
「わたしの、S級の一撃をかわせるかな?」
「……!」
田中さんが長弓を構えた。
勇者の要求に応じたのではない。
身の危険を感じたのだ。
試合は顔見せ興行の域を超えて、倒すか倒されるかの真剣勝負の様相を呈していた。
田中さんの危惧していたことが現実となったのだ。
「さあ、わたしの心臓を狙い打て! 死にたくなかったら……」
その言葉が終わらぬうちに、田中さんは矢を放った。
放たれた矢は一直線に勇者の胸めがけて飛翔した。
だが次の瞬間、矢は勇者の手に掠め取られていた。
オオッ!
会場内から、どよめきが起こった。
もはや誰もが神に選ばれし選民、S級勇者の実力を疑いはしなかった。
野郎は握り締めた矢を床へ投げ捨てると、
「さあ、次は二本だ。生き延びたかったら死力を尽くせ。死にぞこないの魔生物みたいにな」
「クッ!」
必死の形相の田中さん。
だが続けざまに放たれた二本の矢は、再びやつの両手に握られていた。
二本の矢はカランと虚しい音を立てて床へ落ちた。
「次は三本……、いや、四本だ。これを外したら、もう、おまえに生き延びる余地はない。現世の家族とも、今生の別れとなるだろう」
勇者の野郎、田中さんの背景まで入念に調べてやがった!
B級相手に、下調べに時間を割くところなど、さすがはS級勇者、隙がないって感じなんだけどぉ~!
そこまで知っていながら、なぜ田中さんに追い込みをかける?!
ねっ、ねっ、あんた、ほんとに人なの? もしかして人の姿をした鬼なんじゃないの?
おまえの血は何色だあああああ~~~~~! って叫びたいよ、俺。
獅子は兎を狩るのに全力を尽くす。
わたしも常にそうありたい。
ふと、そんな言葉が脳裏を過った。
道案内の最中にやつが漏らした言葉だ。
パトラの震えを帯びた呟きが、俺の耳朶を打った。
「あの目です。あの酷薄な目でぼくを睨んだんです!」
見れば、勇者の瞳は人の色を成していなかった。
淡く薄く、あらゆる感情を排した人外の瞳。
やつは手を抜くことなど考えちゃいなかった。
やつはやつなりの方法論で、初めから真剣勝負を望んでいたのだ。
「さあ、最後の機会だ。生き延びたくば、わたしを殺せ!」
田中さんが目を閉じた。
十秒、二十秒、三十秒……。
覚悟を決めると、矢筒から最後に残った五本の矢を引き抜いた。
「そうか、五連打か。よかろう、おまえの最期の連撃、受けて立とうではないか」
勇者が腰を落として、両腕を胸前で十字させた。
田中さんが最良の矢頃を求めて、弓を目一杯引き絞る。
そのままの姿勢で三十秒。
黒眼鏡の奥で、田中さんの線のように細い目がカッと見開かれた。
刹那、ほぼ当時に放たれた四本の矢が、勇者に向かって飛翔した。
だが最後の一本だけが、惜しむらくは五本目の矢だけが、びぃーんと弦に弾かれて、前方には飛ばずに、天井へ向かってクルクル回りながら飛んでいった。
ああ、田中さ~ん!
俺は思わず座席から立ち上がった!
「笑止! そんな矢で、このわたしが倒せるかぁ!」
そう叫ぶや、勇者は木刀を素早く拾い上げ、わずかな反動を利して宙高く舞い上がった。
その時間、わずか0・05秒。
動体視力の優れたパトラだけが目撃できた早業だ。
その残像を縫うように、四本の矢がやつの元いた場所を突き抜けた。
勇者は木刀を振り被ると、獲物を狙う猛禽のごとく降下した。
その口元に悪魔の笑いと見紛う微笑を漂わせて。
観客が息を呑んだ。それは予期した事象を覆されたときの驚愕の表情だった。
なに!?
勇者の顔が一瞬で凍り付いた。
天井付近まで弾きとばされた五本目の矢が、くるくると落下して、田中さんの手中にすっぽりと収まったのだ。
偶然か? いや、違う! 田中さんは狙っていたのだ。
意図的に五本目の矢を上方へ飛ばすことで、相手の読みから外す隠し矢としたのだ。
田中さんが最後の力を振り絞って放った矢は、確実にS級弓使いのそれだった。
なぜなら、その矢は目にも止まらぬ速さで一直線に伸びて、勇者の頬を掠めて飛び去ったのだから。
そうだ、俺は見たんだ。
田中さんの蜂のひと刺しを、敵わぬまでも野郎にひと傷浴びせた意地のひと矢を。
勇者が空中でバランスを崩した。
それでも体勢を立て直すと、すべての矢を失って佇む田中さんの頭頂へ木刀を叩き付けた。
カーンという乾いた金属音が館内に鳴り響いた。
田中さんがひっくり返って尻餅をついた。
被っていた兜が真っ二つに割れて、妙に大きな音を立てて床へ落下した。
勇者は片手で握った木刀を、田中さんの頭頂へ打ち下ろしたままの姿勢を崩さない。その頬には血の滲んだ一筋の切り傷があった。
そのままの状態で三十秒の時が過ぎた。
審判員が徐に片手を上げた。
「それまで!」
直後、館内を拍手と大歓声が渦巻いた。
やつはその場から立ち去ろうとして、腰を抜かして動けない田中さんを顧みた。
「最後のひと矢、あれは見事だった。褒めてやるぞ」
やつは試合場の中央に佇むと、木刀を捨てて、右手を高く掲げて叫んだ。
「アロンダイト!」
本部席に安置されたアロンダイトが消えて、勇者の手に舞い戻った。
野郎はそれを背負うと、大勢のファンに揉みくちゃにされながら、花道の奥へと姿を消した。
田中さんもよろよろと立ち上がると、関係者の手を借りて試合場を後にした。
俺は脱力して座席に腰を下ろした。
よかったぁ~、田中さんが無事で。
たぶん最後のひと矢が、田中さん自身の命を救ったのだ。
あの一撃がなければ、勇者はバランスを崩すことなく、急所に木刀を打ち込めたはずなのだから。
初めて対戦するS級勇者の実力に、改めて実力差を思い知らされたって感じだ。
それは会場の観客も同様らしく、誰もが息を呑んで咳一つ、声一つ立てない。
勇者の自信に満ちた声が響く。
「さあ、次は三本だ、三連打だ!」
「次は四本、四連打だ!」
勇者に言われるがままに、田中さんは次々に連打を放つが、そのたびに矢は一本も掠ることなく、真っ二つに叩き落とされてゆく。
「早くしろ! 次は五本、五連打だ!」
「……」
田中さんが力なく首を振った。
五連打は不可能という意思表示だ。
勇者が微かに笑った。
「フフッ、さすがはB級、まさか四連打で終わりとは……。こんなことではお客さんに満足してもらえないなあ」
なにを思ったのか、突然、野郎は木刀を投げ捨てた。
そして田中さんに指を一本突き付けた。
「さあ、最初は一本だ。わたしの心臓目がけて矢を放て」
会場がどよめきで満たされた。
誰もが野郎の無謀な挑戦を訝しんだ。
S級勇者だ。矢を避けることなら容易だ。たぶん野郎は矢を素手で受けようというのだ。
不意に隣の席で観戦していた魔導士さんが席を立った。
「わたしはこれで失礼するよ」
観客全員が固唾を呑んで試合場を注視している中、なぜか魔導士さんだけは、試合の帰趨を見届けることなく会場を後にした。
俺は試合場から目が離せなかった。
誰もが結果のわからぬ行く末を息を潜めて見守った。
だが田中さんだけが、明らかに戦意を失って、弓を構えようとはしなかった。
やはり勇者の要求を危険と判断したのか。
そんな田中さんの良識ある態度を、野郎は哄笑と共に嘲った。
「臆病者め! そんな簡単なこともできないのか? そんなことでは敵を倒すどころか、我が身を守ることすら出来ないぞ!」
「……」
「もしおまえが矢を放てないというのなら、今度はわたしがおまえを打つことになる。茶番とはいえ、客を納得させるだけの結末は必要だからな。だが、B級のおまえに……」
勇者の唇に嫌らしい笑みが浮かんだ。
「わたしの、S級の一撃をかわせるかな?」
「……!」
田中さんが長弓を構えた。
勇者の要求に応じたのではない。
身の危険を感じたのだ。
試合は顔見せ興行の域を超えて、倒すか倒されるかの真剣勝負の様相を呈していた。
田中さんの危惧していたことが現実となったのだ。
「さあ、わたしの心臓を狙い打て! 死にたくなかったら……」
その言葉が終わらぬうちに、田中さんは矢を放った。
放たれた矢は一直線に勇者の胸めがけて飛翔した。
だが次の瞬間、矢は勇者の手に掠め取られていた。
オオッ!
会場内から、どよめきが起こった。
もはや誰もが神に選ばれし選民、S級勇者の実力を疑いはしなかった。
野郎は握り締めた矢を床へ投げ捨てると、
「さあ、次は二本だ。生き延びたかったら死力を尽くせ。死にぞこないの魔生物みたいにな」
「クッ!」
必死の形相の田中さん。
だが続けざまに放たれた二本の矢は、再びやつの両手に握られていた。
二本の矢はカランと虚しい音を立てて床へ落ちた。
「次は三本……、いや、四本だ。これを外したら、もう、おまえに生き延びる余地はない。現世の家族とも、今生の別れとなるだろう」
勇者の野郎、田中さんの背景まで入念に調べてやがった!
B級相手に、下調べに時間を割くところなど、さすがはS級勇者、隙がないって感じなんだけどぉ~!
そこまで知っていながら、なぜ田中さんに追い込みをかける?!
ねっ、ねっ、あんた、ほんとに人なの? もしかして人の姿をした鬼なんじゃないの?
おまえの血は何色だあああああ~~~~~! って叫びたいよ、俺。
獅子は兎を狩るのに全力を尽くす。
わたしも常にそうありたい。
ふと、そんな言葉が脳裏を過った。
道案内の最中にやつが漏らした言葉だ。
パトラの震えを帯びた呟きが、俺の耳朶を打った。
「あの目です。あの酷薄な目でぼくを睨んだんです!」
見れば、勇者の瞳は人の色を成していなかった。
淡く薄く、あらゆる感情を排した人外の瞳。
やつは手を抜くことなど考えちゃいなかった。
やつはやつなりの方法論で、初めから真剣勝負を望んでいたのだ。
「さあ、最後の機会だ。生き延びたくば、わたしを殺せ!」
田中さんが目を閉じた。
十秒、二十秒、三十秒……。
覚悟を決めると、矢筒から最後に残った五本の矢を引き抜いた。
「そうか、五連打か。よかろう、おまえの最期の連撃、受けて立とうではないか」
勇者が腰を落として、両腕を胸前で十字させた。
田中さんが最良の矢頃を求めて、弓を目一杯引き絞る。
そのままの姿勢で三十秒。
黒眼鏡の奥で、田中さんの線のように細い目がカッと見開かれた。
刹那、ほぼ当時に放たれた四本の矢が、勇者に向かって飛翔した。
だが最後の一本だけが、惜しむらくは五本目の矢だけが、びぃーんと弦に弾かれて、前方には飛ばずに、天井へ向かってクルクル回りながら飛んでいった。
ああ、田中さ~ん!
俺は思わず座席から立ち上がった!
「笑止! そんな矢で、このわたしが倒せるかぁ!」
そう叫ぶや、勇者は木刀を素早く拾い上げ、わずかな反動を利して宙高く舞い上がった。
その時間、わずか0・05秒。
動体視力の優れたパトラだけが目撃できた早業だ。
その残像を縫うように、四本の矢がやつの元いた場所を突き抜けた。
勇者は木刀を振り被ると、獲物を狙う猛禽のごとく降下した。
その口元に悪魔の笑いと見紛う微笑を漂わせて。
観客が息を呑んだ。それは予期した事象を覆されたときの驚愕の表情だった。
なに!?
勇者の顔が一瞬で凍り付いた。
天井付近まで弾きとばされた五本目の矢が、くるくると落下して、田中さんの手中にすっぽりと収まったのだ。
偶然か? いや、違う! 田中さんは狙っていたのだ。
意図的に五本目の矢を上方へ飛ばすことで、相手の読みから外す隠し矢としたのだ。
田中さんが最後の力を振り絞って放った矢は、確実にS級弓使いのそれだった。
なぜなら、その矢は目にも止まらぬ速さで一直線に伸びて、勇者の頬を掠めて飛び去ったのだから。
そうだ、俺は見たんだ。
田中さんの蜂のひと刺しを、敵わぬまでも野郎にひと傷浴びせた意地のひと矢を。
勇者が空中でバランスを崩した。
それでも体勢を立て直すと、すべての矢を失って佇む田中さんの頭頂へ木刀を叩き付けた。
カーンという乾いた金属音が館内に鳴り響いた。
田中さんがひっくり返って尻餅をついた。
被っていた兜が真っ二つに割れて、妙に大きな音を立てて床へ落下した。
勇者は片手で握った木刀を、田中さんの頭頂へ打ち下ろしたままの姿勢を崩さない。その頬には血の滲んだ一筋の切り傷があった。
そのままの状態で三十秒の時が過ぎた。
審判員が徐に片手を上げた。
「それまで!」
直後、館内を拍手と大歓声が渦巻いた。
やつはその場から立ち去ろうとして、腰を抜かして動けない田中さんを顧みた。
「最後のひと矢、あれは見事だった。褒めてやるぞ」
やつは試合場の中央に佇むと、木刀を捨てて、右手を高く掲げて叫んだ。
「アロンダイト!」
本部席に安置されたアロンダイトが消えて、勇者の手に舞い戻った。
野郎はそれを背負うと、大勢のファンに揉みくちゃにされながら、花道の奥へと姿を消した。
田中さんもよろよろと立ち上がると、関係者の手を借りて試合場を後にした。
俺は脱力して座席に腰を下ろした。
よかったぁ~、田中さんが無事で。
たぶん最後のひと矢が、田中さん自身の命を救ったのだ。
あの一撃がなければ、勇者はバランスを崩すことなく、急所に木刀を打ち込めたはずなのだから。
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