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第26話 追い詰められたコニー

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 車は市街をトロトロと低速で走っている。たまに行き交う車も似たようなもの。通行人がいきなり道路を横断するので、そんなに速度を上げることが出来ない。
 でも市街の様子はのんびりムード一色。人々の表情も穏やかだし、その歩みもゆっくりだ。
 とても危険なテロ国家の市民とは思えない。
 彼らの皮相的な部分にしか目を止めないから、そう思えるのか。クルシア国民の取材映像を観る限り、誰もが近隣諸国とアムリア連邦に激しい敵意を抱いているように思える。彼らもわたしたち同様、平和を希求しているとしたら? それが国家指導者のように、口先だけの希求でないとしたら? アムリア国民とクルシア国民との間に、きっと平和が訪れる。

 キューン、キューン!

 ああ、平和の希望はいつも銃声によって破られる。
 ルームミラーに映る追跡者の影。バンダナと警備兵の片割れが、車窓から身を乗り出して発泡している。
 ともかく早いとこ、テロリストを撒いてしまわねば。そして秀一郎さんの収容された病院へ、一刻も早く辿り着くのだ。
 
 あら、どこへ消えたのかしら?

 思わずルームミラーを凝視した。
 追跡車の影は跡形もなく消えていた。わたしの車を見失ったのか、それとも追跡を諦めたのか。
 
 アッ!

 わたしは驚いて目を剥いた。
 前方に道路を塞ぐ格好で、あの追跡車が停車していた。

 しまった! 先回りされた!

 ステアリングを切って避けるには、余りにも道幅が狭すぎる。
 咄嗟の判断でサイドブレーキを引いて、同時にブレーキペダルを踏み込んだ。

 お願い、ぶつからないで!

 反射的に目を閉じた。身体が激しく外へ振られた。
 タイヤは軋む音を立てながら、それでも回転を止めなかった。
 車は車体後部で大きな半円を描くと、百八十度方向転換した形で停車した。

 な、なんなの?

 驚いて足元を見ると、あら、なんてこと、ブレーキペダルを踏んだつもりが、間違えてアクセルペダルを踏んでいた。
 きっと、そのお陰で車がお尻を振ってうまくUターンしたんだ。
 なんか、よくわからないけど、ともかくラッキー。
 再びアクセルを踏んで車を発進させた。そしてフロントミラーを覗くと、連中の車がようやく方向転換したのが見て取れた。
 少しは時間稼ぎになったみたい。ホッと安堵したのも束の間、不意に巨大な影が目の前を横切った。

 あっ、トラックだ!

 ブレーキを踏みながら、ステアリングを思い切り右に切った。
 トラックの巨体が間近に迫る。リアガラス一杯に、吃驚に歪む運転手の顔が広がった。
 瞬間、物凄い衝撃が全身を激しく揺さぶった。

 ああ、神様! どうか死ぬ前に、一目だけでも秀一郎さんに会わせて!

 恐怖に視界を閉ざすと、暗闇の中から秀一郎さんの姿が浮かび上がった。
 
 ■■■

「疲れたのかい? なんか寝入ってたようだけど」

 双眼を見開くと、ぼんやりした視界の中に秀一郎さんがいた。

「いえ、別に」

 慌てて嘘で取り繕った。本当はとても疲れてる。全身に拭い難い疲労感が沈殿している。
 できればディナーなど取らずに、このままベットに潜り込みたいくらい。
 
「まあ、無理もないな」

 秀一郎さんはそう言って食前酒に口をつけた。

「交渉の下準備はすべて君に任せたんだ。実際、君はよくやってくれたよ。お陰で交渉はスムーズにまとまった。交渉先の重役たちも、君のこと褒めていたし」

 わたしは微笑みを向けるのが、やっと……。肩の荷を降ろしたとたん、張り詰めた気持ちにポッカリと穴が開いてしまった。それでも大仕事を成し得た達成感は、心の底にしっかりと根付いていた。
 
「君が集めてくれた現地の資料だけど、重役連中も感銘を受けたようだ。ぼくが百の言葉を積み重ねるより、ずっと説得力があった」

 秀一郎さんの褒め言葉が疲れた心に染み渡ってゆく。
 食前酒、パラダイスガイアの爽快感が乾いた咽喉を潤してゆく。
 三十か国の通信社の記者、現地からの帰還兵、避難民などを当たって作成した、ゴルニア内戦の惨状を伝える資料だ。ほんと、苦労した甲斐があったというもの。
 
「いえ、部長さんの苦労に比べれば大したことありません」

 むしろわたしの方が感謝したいくらいだ。
 今回調査の対象となった多くの人々が、わたしにゴルニア市民を飢餓から救うよう懇願した。
 計画を成就することで、その願いは些かなりとも叶えられた。
 調査に協力してくれた人々の顔が、今更ながら思い返される。
 まさか秘書という仕事に、これほどまでの遣り甲斐を感じようとは。

「援助物資が届くのは万禺節エイプリルフールの日だ。我が社の名前で、弾薬の代わりにミルクが届くんだ。これこそ最高の冗談さ。ゴルニア政府の腐敗官僚も、これで少しは目を覚ますだろう」

 不意に秀一郎さんがわたしの手を取った。
 
 なんなの?

 わたしが小首を傾げると、秀一郎さんが感謝の眼差しを投げかけてきた。

「ゴルニアの赤ん坊を救えたのは、君の尽力があればこそだ。赤ん坊は口が利けないから、代わりにぼくから礼を言わせてもらうよ」
「いえ、そんな。わたしの方こそ、部長さんと共にお仕事が出来て、これ以上の喜びはありません」

 わたしは気恥ずかしくなって、手を引っ込めようとした。でも秀一郎さんは手を放してくれなかった。なんか頬が赤らんでしまう。顔を見られたくなくて俯き加減にしていると、あの人は念を押すように呟いた。

「ぼくと一緒に仕事をすることで、君は少なからぬ喜びを感じているようだが……。その言葉に嘘偽りはない?」
「えっ? ええ……」
「なら生涯、ぼくの側で秘書を務めてほしい」

 わたしは慌てふためいた。

「あ、あの、生涯って、もしかして定年までですか?」

 そ、そんな歳まで秘書という仕事が務まるものだろうか?
 そのとき秀一郎さんの手に力が籠った。手が痺れそうなくらいに。
 真剣な眼差しが、わたしの目を射た。

「いや、違うよ。共に墓に入るまでさ」

 こ、これって、もしかしてプロポーズ!?
 
 不意打ちにも等しい告白に、わたしは戸惑いを隠せない。
 ああ、なんか胸が息苦しくなってきた。あと一押し。秀一郎さんに背中を押してほしかった。
 最後の確信を与えてくれたら、わたしは何のためらいもなく、あの人の胸に飛び込んでゆけるのに。
 上目遣いに秀一郎さんを見やると、その顔に優しい微笑みが浮かび上がった。

「どう? ぼくの申し出、受けてくれる?」
「……はい」

 ■■■

 突然、胸がズキリと痛んだ。
 咄嗟に手を押し当てて、息を深く吸い込んだ。すると少しだけ痛みが和らいだ。
 
 そうだ、わたしの車、トラックと衝突したんだ。
 なんてツイてないの。
 
 目を見開くと、フロントガラス越しに接近してくるテロリストの姿が見えた。
 バンダナは拳銃を、そして警備兵二人はいずれも小銃を構えていた。
 身体を起そうとして、また胸に激痛が走った。どうやらステアリングに胸を強くぶつけたみたい。
 車から逃げ出そうにも、身体が言うことを聞かなかった。仕方がないので、助手席に手を伸ばして、置いてあった小銃を探し求めた。でもシートの感触以外、手に触れる物はなにもなかった。
 わたしは絶望に打ちひしがれた。

「おい、あのアマは小銃を所持している。もし発砲したら容赦なく射殺しろ」

 バンダナは警備兵にそう命じると、車のドアを手荒く開けた。

 痛ッ!

 厳つい手で、いきなり髪を鷲掴みにされた。そのまま車外へ引きずり出された。

「どうやら大した怪我はないようだ。まったく手間かけさせやがって。帰ったら、きつくお仕置きしなくちゃな」

 わたしが抵抗できないと見たのだろう。
 バンダナは尻のポケットに拳銃を挟むと、わたしの顎に手をかけて、強引に顔を上向きにした。

「可愛い顔して、とんだお転婆娘だぜ。こうなったら、こっちも遠慮はしねえからな。なーに、殺しやしねえさ。ボスからそう命じられているからよ。でも疵物にするなとは言われてねえんでね。まあ、せいぜい楽しませてもらうぜ」

 バンダナの顔が視界一杯に広がった。
 
 アッ……。

 舌先にささくれ立った唇の感触。前歯がカチンと触れ合う音を立てた。
 頭の中にかかった靄が一瞬で吹っ飛んだ。
 
 イヤァ~! あの不潔なテロリストに唇奪われたぁ~!
 なんてこと、なんてこと、なんてこと……。
 わたしは汚されてしまった。秀一郎さんに操を立てたのに、まさか、こんな形で破られるなんて~!
 
 バンダナはなおも執拗に、わたしの唇を吸ってくる。
 ねっとりとした舌の感触が、レロレロと口蓋を徘徊する。
 なんか食べた物が込み上げてきそうで。夕食抜きでよかった! なんて言ってる場合じゃない!

 ああ、助けて、秀一郎さん!

 必死の思いで噛み付いた。刹那、バンダナが口を押えて仰け反った。
 ザマアミロ! あいつの舌を噛んでやった。

「このアマ!」

 雄叫びと一緒に、バンダナの平手が飛んできた。

 バシッ!

 頬を押さえて路上に倒れ込んだ。
 それでも腹の虫が治まらないのだろう。バンダナは尻のポケットに手を回すと、再び拳銃を引き抜いた。

「この野郎、ぶっ殺してやる!」
「いいの? わたしを殺しても」

 埃塗れの顔を上げて、バンダナを睨み付けた。
 直情バカに、わたしが大切な人質だってこと思い出させてあげなきゃ。でもバンダナは拳銃を下げなかった。それどころか口元に喜悦の笑みすら浮かべている。

「フン、かまわねえさ。人質は男一人いりゃ十分だ。おまえは小銃を奪い取って逃げたんだ。射殺したって、ボスはなんにも言わねえさ」

 もはや、わたしの命は風前の灯。最後の希望も儚く潰えた。
 背後に控える二人の警備兵も、あえて止める気はないようだ。監禁状態にあったとき、さんざん悪態をついたから、内心いい気味とでも思っているのだろう。
 地面に手を着いて、上半身を起こすと、目の前に銃口の黒い穴が見えた。それ以外、何も見えない。
 きっとこれが絶望なんだ。

 気力を失って、ガックリと首を垂れた。

 とうとう秀一郎さんとお別れの時。サヨウナラ、あなた……。
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