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第一部「君と過ごしたなもなき季節に」編

―epilogue―

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「そして子供は、本当の居場所を得た。めでたし、めでたし。というところだね」

 少しカビ臭い本の匂い。壁の棚を埋め尽くしているのは、古い本ばかりだ。背表紙を見れば重厚感のある蔵書ばかりだが、低い場所にはなぜか絵本が並んでいる。
 そんなやや不思議な配置の書斎で、彼は子供たちに『物語』を聞かせていた。

「めでたしめでたし? でもそのあとは? 魔法使いはどうなったの? その子は魔法使いに会えたの? ねえ、ねえってば」
「ぼ、ぼくもしりたい……どうなったの?」
「お前たちは本当にそればっかりだねえ」

 苦笑いすると、彼は膝にしがみついてくる二人の子供の頭を撫でた。
 二人は双子の兄妹だが、性格はまるで正反対だった。男の子は大人しいが、女の子は活発でおしゃべりだ。ただ、二人ともに共通しているのはかなりの『知りたがり』だということだろう。

 物語ってものは想像の余地を残した方がいいと思うんだけどね——そう呟いたところで、幼い子供たちには通用しないだろうが。

「まあ、言っておくことがあるとしたら」

 わざとらしく咳払いをして、軽く斜め上を眺める。そんな仕草だけで目を輝かせるのだから、子供というのは純粋なものだ。そう考えるぶん、自分が大人になってしまったのだと少しだけ苦笑いする。

「そうだね。子供は確かに幸せになったよ。良い人や良いものに出会えたし、多くのものを得た。その多くは彼を人間にしてくれたし、彼もまたその多くに感謝できる人間になれた」

 子供たちは首を傾げていた。わからないよね。再び頭を撫でてから、微笑みながら彼は続ける。

「……人の手ってあたたかいんだよ。それだけがわかっていれば、きっと大丈夫なんだ」

 よくわかんない。疑問符だらけの小さな二つの頭に、彼は笑って手を乗せる。

「わからなくていいんだよ。きっとお前たちは、『やさしい』ものになれるだろうから」

 子供たちは知らなくてもいい。この感情を知ることは決して幸せなことではなかった。ただ普通に与えられるべき感情を知っているということ。子供たちにそれを教えられたなら、かつての子供は自分を誇れるだろう。

「ねえ、魔法使いは? 魔法使いはどうなったの?」

 しばらく考えていたらしい。女の子は我慢しきれずに声を上げる。それに続いて男の子もおずおずと問いかけてきた。『知りたがり』の探究心に苦笑いして、彼は腰を上げた。

「魔法使いに会いたければ、玄関を開けてごらん。きっとすぐに会えるよ」
「ええー?」

 その時、タイミングを見計らったかのように玄関の方から音がした。
 子供たちは顔を見合わせ、『魔法使い?』と囁きを交わす。確かめたくてうずうずしている二人に向かって、彼は優しく笑って手を振った。

「行っておいで、シフ、ソフィラ」
「うん、行ってくるねお父さん!」

 手を振って子供たちは駆け行く。楽しげな姿を笑顔で見送って、彼はそっと白いページにペンを走らせた。


 ——その手の温かさを、忘れることはない。
 くじけそうになった時、涙した瞬間にも思い出す。この記憶があったから、私は生きていけた。

 だから私は、あなたにこの言葉を贈ろうと思う。

『ありがとう』——何度だって、はあなたに会いにいく。

                             『やさしい時間の残し方』
                                            トワル・シュタイツェン=ヴァールハイト著



 ー了ー
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