やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

2-5.手繰り寄せる必然の朝

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「君にはぜひ、この子を真の意味で人間にしてもらいたいのだよ」

 そんな風に口火を切った魔法使いは、少女の身体を指差し微笑んだ。その笑顔はひどく穏やかで、奇妙なほど優しげ見えた。真意を測りきれず眉根を寄せたキールに、オーリオールは静かに言葉を続ける。

「見ての通り、この子は正確な意味で言うなら……そう、人間ではない。身体的な意味はもとより、精神的な面に関しても。だからこそ、私はこの子が生きていくために……人であることを望んでいる」
「言っている意味がわからない……お前の言う『この子』が完全な人でないことは僕にも理解できる。けれど、この子を真の意味で人間にしてくれって? さすがに話が飛躍しすぎているよ……いくら魔法が万能の側面を持つからといって、命というものの根源的なあり方に干渉すれば……無事では済まない」

 そもそも魔法使いであるなら、それがは理解しているはずだ。暗にそう含めると、オーリオールは力なく肩をすくめた。幼い両手をそっと握りしめる様は、帰る道をなくした迷子のようにさえ見える。それほどまでに頼りない表情のまま、魔法使いは言う。

「そう、だからこそ私は。魔法使いの掟を破ったがために……」
「……まさか」

 薄々感じていた答えを裏付けされて、キールはふらつきながら頭を押さえた。。呻きとともに言葉を吐き出した若者に、老い声で魔法使いは告げる。

「生命の理《ことわり》——世界の定める禁忌に触れ、私は《肉体を失った》。それだけなら死に逝く事も出来ただろう。しかし世界は、それを許さなかった。……質問の答えにもなっているかな」
「つまり……お前は禁忌を侵したことで世界から抹消され、その代償によって《魂だけがその子の中に宿っている》……そう言うことなのか」
「さすがフラメウの子。理解が早くて助かるよ。君の言う通り、私は魂だけの存在。この子の中に宿ることでしか存在することのできない……亡霊なのだよ。だからもう魔法も満足に使えず、次に理に触れれば……魂の根源さえ打ち砕かれ、存在を抹消されることだろう」

 恐るべきことだった。キールはあまりの暴挙に頭を抱えるしかない。魔法使いでありながら、そんな事を意識的に行う者がいるとは。青年がいかに年若いといっても、それがいかにでたらめか理解できる。

 この世界には認識できない因果律《ルール》が存在し、その内側であらゆる命は循環している。それを人は運命と呼ぶが——魔法使いはそのルールを読み解き理解することができた。

 それが魔法の真髄であり、そのルールこそ魔法使いの掟といってもいい。にもかかわらず、ルールを知りながらわざわざそれを破壊するような輩が存在することは——世界への反逆でしかないというのに。

「むしろ、その状態で存在していることが僕には理解不能だよ。いったいどんな裏技を使ったんだ」
「私はフラメウのようにあらゆる魔法に精通しているわけではない。だがね、ただ一つだけどんな魔法使いにも真似できない強みがあってね。……精神魔法、そう言えば君には理解できるだろう?」
「……! 精神の檻を破壊することによって起こる、魂の分離と肉体からの解放……⁉︎ まさか、お前は……いや、……」

 キールは青ざめ、目の前の少女の姿を見つめる。突然全てが繋がったかのように、あらゆることが明瞭になっていく。魔法使い同士は、基本的に誰にも干渉しない。その例外が師弟関係であり、それはあらゆる関係性を超えるほどに強い繋がりをもつ。

 血よりも濃く、呪いよりも深い。故にキールは理解できてしまった。己をフラメウの子と呼ぶ、この魔法使いが自分にとってどういう意味を持つか——

「愛しき孫弟子よ。至らぬ我が子に代わり謝罪しよう。そして、頼む……どうか、この子を人間にして欲しい。それが……私がこの世に遺したただ一つの心残りであるが為に」

 それだけを告げ、オーリオールはゆっくりとまぶたを下ろす。緩やかに少女の体から力が失われ、キールはそっとその身体を受け止める。温かな身体、静かな寝息。魔法使いが深くに潜ったのを理解し、青年は長いため息を吐き出した。

「どうしろっていうんだよ……もう」

 この願いを無視することは容易い。それにきっと、オーリオール自身、叶うことを信じているわけではいのだ。キールなどよりも偉大であったはずの魔法使いですら叶えることができなかった願い。それが師はもとより、兄弟子にすら敵わない出来損ないが叶えられるはずもないのに。

「まったく、みんなして勝手なんだから」
「……うー……おしさまー……?」

 唐突に、少女が身じろぎした。ふるふると頭を振りながら、ゴシゴシと目をこする。そうして顔を上げたその子は、キールを見つめて不思議そうな顔をした。

「あれぇ……お兄ちゃんだれ……? お師さまはどこ……?」

 ——ひとつだけ、私から贈らせてもらおう。その子の……失われた想いを。

 その声は、キールにしか聞こえない。頭の中に響いた声に呼応して、手の中に白い花が咲く。大輪のソフィラもまた、キールにしか見えない。それでも今はただ、起こせる限りの奇跡を願う。

「おはよう。……僕はキール。君のお師匠さまの孫弟子だよ。よければ……君の名前を教えてくれないか」

 奇跡とは本来、積み重なった想いの上に咲く花のようなもの。願い願われ、叶えようとした先にしか存在しない。そう、信じるからこそ、信じればこそ——

「なまえ……名前。お名前は『ノヴァ』だよ! よろしくね、キールおにいちゃん!」

 奇跡は、信じたものの上にしか降り注がない。だからそれは運命ではなく、信じ続ける心が手繰り寄せた、必然なのだ——。

 
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