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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

5-3.第一次森林迎撃戦

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 走り抜ける。その度に飛礫《つぶて》が舞い、むき出しの肌をかすめて行く。ルパートと並走しながらも、キールの呼吸は限界に近づいていた。いくら自身の時間を操作し加速しようとも、体力の低さは補えない。

 魔法の効果は、術者自身には及ばないのだ。例外的に自身の内的時間に働きかけることができるだけ。それすらもこの場においては付け焼き刃にすぎないだろう。息を切らし、キールはついに足を取られて倒れ込んだ。膝を強く打ち、歯を食いしばって悲鳴をこらえる。無様だ。そう思えども変えることができな自信がもどかしい。

 少し先で足を止めたルパートは、背後を警戒しながらキールに手を差し出す。無言でその手を取ったキールは、引き上げられるに任せ何とか立ち上がった。だが状況は膠着状態《こうちゃくじょうたい》から、徐々に悪い方へ傾いきつつあった。いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。けれど、必勝の一手などあるはずもなく。

「ここいらが潮時だな。キール、迎え撃つぞ」
「ルパートさん……すみません。僕が不甲斐ないばかりに」
「そういう自虐はここを切り抜けてからにしてくれ。どのみち、俺が退いたらお前に後はない。わかってるな? あの野郎は何としてもここで倒す。——来たぞ、構えろ」

 鋭く言い放つなり、ルパートは弓を引き絞り矢を放った。正確無比の一撃は、森の木々などものともせずに対象へ到達する。高い音が鳴り響き、同時に飛礫の反撃がキールたちを襲う。

「まだだ——キール!」「“Asutoraryuze隆起せよ大地”!」

 キールが両手を地面についた瞬間、一気に足元の地面が隆起する。そのままの勢いで跳ね上げられたルパートは、落下とともに上段から無数の矢を放つ。どれもが一撃必殺。岩をも砕く矢の雨が、幻影に包まれたフラメウを炙り出す。

「……ラッセンの弓聖の名は飾りではないか。ならばこちらも少しは本気を出そう」

 破れた幻影から抜け出し、フラメウは指を三回打ち鳴らす。刹那、風が唸りを上げ、着地したルパートに殺到する。

「甘いんだよっ!」

 ルパートは襲い来る風の刃に構わず、フラメウに向かって矢を放つ。魔法の風すらも貫く、それは森の疾風か。矢を中心に霧散する魔法の効果を目にして初めて、フラメウの表情が動いた。

「精霊術か……! 貴様、森の民の末裔だな?」
「なんのこっちゃだよ。こちとらそんなもんにこだわって生きてないもんでね……! ほら、脇ががら空きだぜ!」
 弓を片手に掲げたまま、森の弓聖と渾名された男は、湾曲した木片を投げつけた。それは回転しながらフラメウの側面へと襲いかかる。魔法使いは歯噛みし後退したが、真正面と頭上から矢の洗礼が降り注ぐ。

「魔法の効きが悪すぎる……! 森が私を拒んでいるのか」
「少なくとも、この場において俺が負ける要因はない! さあて!」

 鋭い一撃を放ち、ルパートは地面を蹴ってフラメウに肉薄する。必死の表情に構わず繰り出される拳。辛くも交差した腕で受け流し、フラメウは地面を滑るように後退してく。だが追撃は終わらない。横合いから連続で叩きつけられる衝撃に、魔法使いは血を吐くような叫びをあげた。

「ふざけるな……! お前のようなやつに構う暇などないというのに!」
「知るか! 邪魔されんのはテメェの悪行の結果だろうが! さっさと黙って沈みやがれ‼︎」

 鈍い音が響き、魔法使いの鳩尾に強烈な一撃が決まる。そのままの勢いで吹き飛ばされたフラメウは、呻きをあげながら地面を転がった。

「……く、冗談ではないな……」
「こっちも冗談じゃねぇよ。……おい、キール」

 返事の代わりに、フラメウの周囲を淡い光の帯が取り囲み始める。それは無数の色彩を虚空に描き出すと、魔法使いを光の檻へと封じ込めて行く。それは魔法殺しの結界の一種であり、無論それを知るフラメウは、苦々しげに木の陰に立つキールを睨む。

「お仲間に先陣を切らせて、自分は高みの見物か。偉くなったものだな」
「どうとでも言ってください。僕ではどう足掻いてもあなたの相手はできませんから。……ルパートさん」

 言葉を向けられたルパートは、一つ頷き彼らから離れて行く。大きな背中が木立の向こうに消えるのを見送って、キールは改めてフラメウと向き合った。

「フラメウ、あなたは今まで何をしていたんですか。生きていたのなら、僕を殺すことなんてもっと前に出来たはずです」
「単に、動けなかったから、では納得しないのか。まったく、以前は刺殺で今度は撲殺とは。一体お前は誰に教えを受けたというのだろうね」
「誰ってあなたにでしょう……真面目に答えてください。一体何を考えて、あなたは僕のところへやってきたんですか?」

 至極真面目に問えば、フラメウはため息混じりに身を起こした。面倒そうな所作は、彼自身が真実そう感じているからだろう。だが、再び答えを口にするより早く、重大なことに気づいたように目を見開いた。そして一転して険しい表情をキールに向ける。

「それは、……いや、今はいい。キール、早くこれを解け。今すぐにだ」
「何言って。そんなことできるわけないでしょう。あなた、ご自分の状況を理解してますか」
「この馬鹿者! なぜ気づかない! 今お前の後ろに——!」

 え。と、確かに口にしただろうか。けれど、キールの意識は自分の背に押し付けられた異物に吸い込まれて行く。ぶすり、そんな冗談のような音を立て、彼の背中に鋭い刃が突き立てられ。

「え……なん、で?」

 急に体から力が抜け、キールはそのままうつ伏せに倒れ込んだ。背中の一点が、焼けるように熱い。フラメウが叫んでいるが、はっきりとそれを聞き取ることもできなかった。何故、一体何が。いや、そもそも誰が。

「……キールさんが悪いんですよ。ボクのこと、選んでくれなかったから」

 寂しげな声音が聞こえたのは、途絶えそうになる意識が見せた幻想だったのだろうか。どちらにせよ確かめるすべもなく、キールの意識は暗闇へと沈んでいく。

 閉ざされて行く世界で最後に響いたのは、小さな嗚咽と遠ざかって行く靴音だけだった——。

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