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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編
5-4.崩れ去るのは己か彼岸か
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痛みが心を生かしている。だが現実には、痛みだけで死んでしまえる心があった。悲しいとか苦しいとか、叫んだところで何一つ通らない。理不尽だと感じても、この手は指先一つ動かない。
「ふむ。すでに治療はされていますか。これでは医者の出る幕はありませんね。さすがは万能の魔法使い、というべきですか」
「皮肉はいい。確かに傷は塞ぎ、体力自体も補っている。だがこれ以上は私の手に余るののだよ。魔法とは所詮、人の生き死ににまでは関与できんのでな」
誰かがそばで囁いている。彼らの声はとても馴染みがあり、そして非常に因縁深い。けれど今の眠りにおいて重要なのは、自分が生きているという一点のみだった。感覚が蘇るにつれ、周囲を取り巻く音は鮮明になっていく。
「てか、あんた意味わかんねぇよ。なんで散々殺そうとしていた相手を助けてんだ。放っておけば死んでたのに、手間増やしてるのわけわかんねー」
「意味など理解されてもな。ただ、私としてもあれは不測の事態だったというだけの話だよ。キールが関わっている事象は、目に見える範囲だけで動いているわけではない」
「ならば、単刀直入に伺いましょう。フラメウ氏、あなたはそもそも、なんのためにキール君を殺そうとしていたのですか。彼の命を助けることと彼を殺すこと。それはどう考えても相反することだと思いますが」
ふっと、薄く笑ったのだろうか。苛立ったようなルパートの舌打ちが、空間に反響する。クルスは黙ったまま、衣摺れだけを響かせて言葉を待っているのだろう。ややあって低い男の声は、ゆるりと言葉を紡ぎ出す。
「全ては我が師であるオーリオール・アルジェント=イドラギヌスに関わることなのだ」
「おしさま……? おしさまが、どうしてですか?」
幼い声はノヴァのものだった。不安げな気配をにじませる声音に、フラメウは小さな笑み一つ返さない。淡々と事実を語り始めた魔法使いは、本当に忌々しげに呟きを漏らす。
「あやつめ、お前に喰われたかと思ったが……どうやら、しぶとく他の精神に渡ったようだな」
「どういう意味だ。キールの話じゃ、オーリオールってのは悪いやつじゃないんだろ。それが一体何をしたっていうんだよ」
「阿呆が。あれに善悪の概念などあるものか。あやつは自分の欲望のためには、幼き子の願いすら利用するようなやつだ。そんなものがいる時点で危険がないなどと、どうして思えるのか不思議でならんな」
理解の及ばない話なのだろう。ルパートは唸り声を上げると沈黙した。代わって声を上げたのはクルスで、彼は静けさを含んだ言の葉をフラメウに向けた。
「フラメウ氏、正確な答えにはなっていませんよ。私は何故、キールくんを殺そうとしているかと聞いているのです。言葉遊びで翻弄するのは結構ですが、それでは何の解決にもなっていない」
「答えずとも貴様らなら理解していると思っていたが。キールは危うい。魔法を扱う以前に、精神が脆弱すぎるのだ。そんな精神が、オーリオールと出会ったなら……やつの格好の餌食になるだけだ」
「整理させてください。あなたの言葉は遠回しすぎて。そもそも、あなたがキール君を殺そうとしていたのは、オーリオールの新たな宿主になる可能性があったからですか。それとも、あなたはキール君の危険性を放置することができなくなったため、殺そうとしていた。……のですか」
沈黙がその場を包んでいた。ルパートは呻き、ノヴァは何も言わずに鼻を鳴らす。重苦しい空気の中、フラメウは短く笑って疲れたため息を吐き出した。
「どちらもだ。オーリオールに喰われなかったとしても、私はキールを殺すだろう。それがあれを育てた私の責任だ。そんなもの責任でもないと、お前たちは言うのだろうがな」
「責任云々は正直理解に苦しむが……キールは、そんなに危険だっていうのか」
「弓聖、お前は知っているだろう。キールがお前たちの前に現れた時の状態を。あれは、多くの魔法石を喰らった後遺症だ。今は沈静化しているが、あの精神ではいつまた暴走するかわからない」
何でもないことのように言ってのけ、フラメウは再びため息をこぼした。さらに重くのしかかってくる空気に、誰もが口を閉ざしていた。だが、ふとした短い言葉が、その場の空気を動かす。
「ねえ、フラメウ。おしさまは……ミレイユに宿っているんだよね」
「そうだな。あれを見る限りその可能性が高いだろう。精神魔法はあやつが最も得意とした魔法……おそらくあの娘の状態は、その影響であろうよ」
簡潔に言い切り、フラメウは沈黙した。ノヴァはしばらく何も言わないままだったが、不意に決然とした声を彼に向けた。
「なら、フラメウ。ノヴァたちに協力して」
「何だと?」
「キールちゃんを助けたフラメウならわかるはず。あなたは、理由もなく人の死を願える人じゃない。キールちゃんを殺そうとしたのだって、本当は今言った以上の理由があったんでしょう?」
「だとしたら何だ。なぜ私がお前たちに手を貸さなければならない」
「あなたがキールちゃんを大事だと思っているから。だから、キールちゃんを傷つけたおしさまを許さない。ねえ、フラメウ。あなたは独りでおしさまを消すつもりなんでしょう?」
唖然とした気配が漂っていた。フラメウは苛立たしげに舌打ちすると、何度目かのため息を漏らす。そんな魔法使いに向かって、ノヴァは淡々と論理を展開していく。
「なら、ノヴァたちに協力して。あなたの力があれば……ううん、あなたの力がなければ、ミレイユからおしさまを引き離せない。ノヴァやキールだけじゃ、どうしても足りないの。だからお願い。フラメウ……!」「断る。私が……魔法を振るうのは。私の手の中にあるもののためだけだ」
揺るぎない強さで拒絶し、フラメウはそれ以上語ることはなかった。ノヴァも言い募ることもなく、クルスやルパートは初めから何も言えず。この場は完全に凍り付いてしまったようだった。
もし、何かを変えられるなら。キールは自分の指先に力を込める。何もしないで眠っているのは、罪ではないのか。
指先でシーツを掴み、キールは呻きながらまぶたを引き剥がした。ぼやけた視界に映るのは、もはや見慣れてしまった面々。それぞれの反応を見るともなく眺めて、キールは壁際に立つ師に言葉を投げかけた。
「僕からも、お願いします」
「……キール」
「全てが終わった後に、あなたの望みを叶えますから。どうか……お願い。師さま……」
伝えたいだけを伝え切れたとは思えない。だがそれ以上を求めることは叶わず、キールの意識は再び、眠りへと引き戻されていくしかなかった。
「ふむ。すでに治療はされていますか。これでは医者の出る幕はありませんね。さすがは万能の魔法使い、というべきですか」
「皮肉はいい。確かに傷は塞ぎ、体力自体も補っている。だがこれ以上は私の手に余るののだよ。魔法とは所詮、人の生き死ににまでは関与できんのでな」
誰かがそばで囁いている。彼らの声はとても馴染みがあり、そして非常に因縁深い。けれど今の眠りにおいて重要なのは、自分が生きているという一点のみだった。感覚が蘇るにつれ、周囲を取り巻く音は鮮明になっていく。
「てか、あんた意味わかんねぇよ。なんで散々殺そうとしていた相手を助けてんだ。放っておけば死んでたのに、手間増やしてるのわけわかんねー」
「意味など理解されてもな。ただ、私としてもあれは不測の事態だったというだけの話だよ。キールが関わっている事象は、目に見える範囲だけで動いているわけではない」
「ならば、単刀直入に伺いましょう。フラメウ氏、あなたはそもそも、なんのためにキール君を殺そうとしていたのですか。彼の命を助けることと彼を殺すこと。それはどう考えても相反することだと思いますが」
ふっと、薄く笑ったのだろうか。苛立ったようなルパートの舌打ちが、空間に反響する。クルスは黙ったまま、衣摺れだけを響かせて言葉を待っているのだろう。ややあって低い男の声は、ゆるりと言葉を紡ぎ出す。
「全ては我が師であるオーリオール・アルジェント=イドラギヌスに関わることなのだ」
「おしさま……? おしさまが、どうしてですか?」
幼い声はノヴァのものだった。不安げな気配をにじませる声音に、フラメウは小さな笑み一つ返さない。淡々と事実を語り始めた魔法使いは、本当に忌々しげに呟きを漏らす。
「あやつめ、お前に喰われたかと思ったが……どうやら、しぶとく他の精神に渡ったようだな」
「どういう意味だ。キールの話じゃ、オーリオールってのは悪いやつじゃないんだろ。それが一体何をしたっていうんだよ」
「阿呆が。あれに善悪の概念などあるものか。あやつは自分の欲望のためには、幼き子の願いすら利用するようなやつだ。そんなものがいる時点で危険がないなどと、どうして思えるのか不思議でならんな」
理解の及ばない話なのだろう。ルパートは唸り声を上げると沈黙した。代わって声を上げたのはクルスで、彼は静けさを含んだ言の葉をフラメウに向けた。
「フラメウ氏、正確な答えにはなっていませんよ。私は何故、キールくんを殺そうとしているかと聞いているのです。言葉遊びで翻弄するのは結構ですが、それでは何の解決にもなっていない」
「答えずとも貴様らなら理解していると思っていたが。キールは危うい。魔法を扱う以前に、精神が脆弱すぎるのだ。そんな精神が、オーリオールと出会ったなら……やつの格好の餌食になるだけだ」
「整理させてください。あなたの言葉は遠回しすぎて。そもそも、あなたがキール君を殺そうとしていたのは、オーリオールの新たな宿主になる可能性があったからですか。それとも、あなたはキール君の危険性を放置することができなくなったため、殺そうとしていた。……のですか」
沈黙がその場を包んでいた。ルパートは呻き、ノヴァは何も言わずに鼻を鳴らす。重苦しい空気の中、フラメウは短く笑って疲れたため息を吐き出した。
「どちらもだ。オーリオールに喰われなかったとしても、私はキールを殺すだろう。それがあれを育てた私の責任だ。そんなもの責任でもないと、お前たちは言うのだろうがな」
「責任云々は正直理解に苦しむが……キールは、そんなに危険だっていうのか」
「弓聖、お前は知っているだろう。キールがお前たちの前に現れた時の状態を。あれは、多くの魔法石を喰らった後遺症だ。今は沈静化しているが、あの精神ではいつまた暴走するかわからない」
何でもないことのように言ってのけ、フラメウは再びため息をこぼした。さらに重くのしかかってくる空気に、誰もが口を閉ざしていた。だが、ふとした短い言葉が、その場の空気を動かす。
「ねえ、フラメウ。おしさまは……ミレイユに宿っているんだよね」
「そうだな。あれを見る限りその可能性が高いだろう。精神魔法はあやつが最も得意とした魔法……おそらくあの娘の状態は、その影響であろうよ」
簡潔に言い切り、フラメウは沈黙した。ノヴァはしばらく何も言わないままだったが、不意に決然とした声を彼に向けた。
「なら、フラメウ。ノヴァたちに協力して」
「何だと?」
「キールちゃんを助けたフラメウならわかるはず。あなたは、理由もなく人の死を願える人じゃない。キールちゃんを殺そうとしたのだって、本当は今言った以上の理由があったんでしょう?」
「だとしたら何だ。なぜ私がお前たちに手を貸さなければならない」
「あなたがキールちゃんを大事だと思っているから。だから、キールちゃんを傷つけたおしさまを許さない。ねえ、フラメウ。あなたは独りでおしさまを消すつもりなんでしょう?」
唖然とした気配が漂っていた。フラメウは苛立たしげに舌打ちすると、何度目かのため息を漏らす。そんな魔法使いに向かって、ノヴァは淡々と論理を展開していく。
「なら、ノヴァたちに協力して。あなたの力があれば……ううん、あなたの力がなければ、ミレイユからおしさまを引き離せない。ノヴァやキールだけじゃ、どうしても足りないの。だからお願い。フラメウ……!」「断る。私が……魔法を振るうのは。私の手の中にあるもののためだけだ」
揺るぎない強さで拒絶し、フラメウはそれ以上語ることはなかった。ノヴァも言い募ることもなく、クルスやルパートは初めから何も言えず。この場は完全に凍り付いてしまったようだった。
もし、何かを変えられるなら。キールは自分の指先に力を込める。何もしないで眠っているのは、罪ではないのか。
指先でシーツを掴み、キールは呻きながらまぶたを引き剥がした。ぼやけた視界に映るのは、もはや見慣れてしまった面々。それぞれの反応を見るともなく眺めて、キールは壁際に立つ師に言葉を投げかけた。
「僕からも、お願いします」
「……キール」
「全てが終わった後に、あなたの望みを叶えますから。どうか……お願い。師さま……」
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