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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

5-5.消え去っても残る想い

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 再び目を開くと、周囲は薄暗かった。誰の気配も感じられず、戸惑いとともに上体を起こす。どうやら夜更けらしい。そう理解したのは、傍でうとうと舟を漕ぐ少女の姿を見つけたからだ。

「……ノヴァ」

 椅子に腰掛けていたノヴァは、目をこすりながらキールを見る。幼げな瞳に微笑みかけると、少女は耳を伏せ目尻を下げて笑みを作った。心配と安堵の滲むその笑みに、キールは訳もなく胸が熱くなる。

「ずっとそばにいてくれたのか」
「うん。みんなは他にやることがあるみたい。ルパートとクルスは、ファナに事情を説明してくるって。万が一の場合も含めてって……」
「万が一、か」

 万が一なんてあってはならない。けれど皆が万能である訳もないのだ。もしミレイユに万が一のことがあれば、キールはきっと自分を許すことはできないだろう。

 精神魔法は、対象の望みを強く反映する。だとしたら、ミレイユの行動はキール憎さからなのだろうか。わからない。それすらも理解できないのに、彼女を救おうなどと甘いにもほどがある。

「フラメウは、行ってしまいました。でも、協力だけはしてくれるみたい。……フラメウって、ものすごくわかりにくいけど、キールちゃんのことだけは大切なんだね」
「どうなのかな、僕にもわからないや。今思い出すと、悪いことばかりじゃなかった気がするのに。残ってるのは理解不能な感情ばかりなんだ。特にフラメウは、いつまで経っても何を考えているかわからない」
「じゃあ、ノヴァと一緒だね。ノヴァも、おしさまが本当は何を望んでいるのかわからないよ」

 わからないもの同士。こっそり笑い合うと、お互いに寂しげに眉を下げる。大切になるほど、その心は見えなくなっていく。少し離れた方がよく互いが見えるのだろうけれど、そのたった一歩が離れがたく。

 気づけば、近づきすぎて傷つけ合っているのだな、と。思いついたことはどうしようもないことばかりだった。大好きだとも、大嫌いだとも言えない。ただただ傷つけ合うだけとわかっているのに、離れられない。諦めきれない。

 それがきっと、フラメウとキールの関係性なのだ。何も言わなくてもいい。振り返ってくれなくてもいい。降り積もる雪の中で繋いだ手だけを、ずっと繋いでいてほしい。そんなものは、幼い我が儘だとわかっていたけれど。

「でもね、わからないけど。ノヴァはおしさまを諦めたくない。やっちゃダメなことをしたら、ちゃんとダメだった言ってあげたい。ミレイユだって、きっとそうだったんだと思う。キールちゃんに、それはダメだって言って欲しかったんだよ。……目の前にいる自分を、ちゃんと見て欲しかったんだよ」

 ノヴァに指摘されて、キールは自分がいかに鈍いか痛感する。自分の感情ばかりに敏感で、他人が本当に考えていることまでには思い至らない。自分が見ているものと他者の視点は明らかに違うというのに、どうしてこんな風に混同してしまうのだろう。

「だから、キールちゃんはミレイユのこと見てあげないとダメ。振り向いてくれないつらさは、キールちゃんだってわかるでしょ」
「う、ん。まあ、僕が鈍いのはよくわかった。本人がいないところで言うのもなんだけど」

 人を刺すのが自己主張だと言われれば、さすがに何度もは遠慮したいところだが。惚れた腫れたはそもそもそう言う側面を秘めているのやもしれず、キールは答えに困って言葉を濁す。

 どのみち本人がいないところで結論を出しても仕方ない。一つ息を吐いてキールは頰を叩く。軽い痛みとともに視界は少し明瞭になり、闇の向こうすらも見通せるような気がする。

「……ノヴァは、オーリオールと戦うと決めたんだな」
「うん。ノヴァがどこまでできるかはわからないけど、おしさまはノヴァのおしさまだから。大事な人がダメなことしたら、ノヴァがちゃんと止めてあげる。それがきっと、ノヴァにできるおしさまへの恩返しだから」
「誰かが傷つくのだとしても?」
「誰も傷つけさせない。だってノヴァたちは一人じゃない。ルパートやクルスや……フラメウだっている」

 足を揺らし、尻尾に力を込めて。ノヴァは力強く言い切った。迷いのないその様子に、キールは苦笑いして顔を俯かせる。どうやっても自分は、そんな風に強く言い切れない。もしフラメウがまた、キールを殺すと言ったとしても、違うと言って拒めるだろうか。

 そんな迷いを見透かしたように、少女の瞳が真正面からキールを捉える。

「キールちゃん。キールちゃんは、フラメウのことが好き?」

 まっすぐに貫く想いはきっと、どんな言葉に代えても表現できない。それでもノヴァの想いはキールにも届いていた。誰かを想うことは決して無駄ではないと、少女の輝く瞳は訴えている。

 だからだろうか。普段なら言えないような言葉も、すっと唇から滑り出してしまうのは。

「ああ、たぶんね。どうしようもなければ殺されてもいいくらいには好きだよ」
「だったら、諦めちゃダメ。全部は手に入らないってわかってる。けどそれは諦める理由にはならないんだよ。大切なら、大切な人と一緒に生きる道を探さなきゃ。……だって、生きてなければその人を大切だって、想うこともできないんだから」

 生きる。そのことすらも厭わしく思った季節があった。認められたくて、もう一度笑って欲しくて。ただそれだけが欲しくて全てを壊した愚かな少年。その頃よりも、少しは前に進めているだろうか。確かなことは何も言えない。けれどそれでも、失いたくないものはこの手の中にあった。

「僕に、僕たちに、生きろって言うんだね」
「つらくても生きる。多分それってとても残酷なことだとは思うの。だけど、生きてしか果たせないことがあるのなら、どうやっても生き続けないと。死んで果たせることなんて、一時しのぎの溜飲を下げることだけだって、ルパートも言ってた」

 愚かな少年は、いつしかその先に立っていた。大人になることで失うものもあるだろう。しかし同時に多くを得ている。幼い我が儘を、我が儘だけで終わらせるのか。まっすぐな論理に変えていけるのか。それは所詮、これからの生き様で決まることなのだろう。

「そうだね。生きるよ。何があっても……出来るなら、フラメウとも」
「うん。ノヴァも、今決めました」
「決めたって、何を」

 一瞬で消えてしまう流星のように、儚くも優しい光。そんな風な笑顔をキールに向けて、ノヴァはぱっと椅子から飛び降りた。

「えへへ、秘密です。キールちゃんがフラメウとのことに答えを出せたら、教えてあげるね」
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