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第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

6-4.きっといつか、君に会いたい

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「おしさまは、どうしてノヴァのためにそこまでしてくれるんですか?」

 目を開くと夢は消えていた。切ない胸の残滓に何度も瞬きを繰り返し、キールは乱暴に目をこすった。現実の状況は、悪化へと傾き始めている。ルパートもクルスも、そしてフラメウさえも、夢に囚われたまま動きを止めていた。

 立ち尽くす彼らを庇うように、ノヴァはオーリオールと向き合い続けている。虚空に身を浮かべた黄金の魔法使いは、そんな幼い子を見下ろし、緩慢に首を横に振った。

「お前は、分からなくて良いのだよ。全て私の責任なのだから。アステリア、お前が人として不完全なのは、私の身勝手が理由なのだ。だから何をしても、私はお前に対する責任を果たさねばならない」
「それが、何の罪もないミレイユを操って、キールを傷つけることだっていうの。そんなことまでさせたのに、身体まで奪って……! ノヴァは、わたしは、おしさまがまちがっていると思うの!」

 我が子の反応に戸惑いを募らせたオーリオールは、黄金の瞳をキールに据える。お前が何かを吹き込んだのか。確信をもって向けられた敵意は、理不尽以外のなにものでもない。

 ノヴァが自ら選び出した答えなら、尊重してやるのが親というものではないか。受け止めもせず、意に沿わないからと言って意見を叩き潰すのは、明らかに何かが間違っている。

「ノヴァは自分で考えて答えを出せる子だ。僕が何か言ったからって、それに倣ったりしない」
「ならば、どうしてこの子は私が間違っているなどと言うのだ! 私の子が、私を否定するなど」
「それはあなたが間違っているからだ、オーリオール。子供は親の道具でも、隷属物《れいぞくぶつ》でもない」

 まっすぐに相手を睨み返し、キールは水際に立つノヴァに並んだ。目線は違えども、並び立つ想いに差はない。一度目を合わせ、二人は頷きあった。そんな子供たちに、オーリオールは憎しみに顔を歪める。

「子供は、親のものであろう……! ならば、我が心を理解し寄り添うのは当然であるはずだ!」
「勝手なことを言うなよ。相手を自分から理解し尊重もしないで、どうして寄り添ってもらえるんだ。お前はただ、自分が寂しいからノヴァを好きに使おうとしているだけだろう⁉︎」
「煩い……! お前のような未熟な子に我が孤独の何が理解できると言うのだ! 長き時をただ独りで生き続ける苦痛など、出来損ないの貴様らにわかるものか——‼︎」

 絶叫が迸り、魔法使いは両手を前に突き出し衝撃波を放つ。水面を砕き、風を蹂躙する一撃は、見境なく二人に襲いかかる。反射的にキールはノヴァを押しのけ、片手を前に差し出す。

「確かに、僕は出来損ないだ。それは認めるし、否定なんてできない。だけど!」

 キールの背中をノヴァが抱きしめた。小さなぬくもりに励まされるように、キールの手の中でソフィラが咲き乱れる。それは呪いにも似た美しさで舞い散りながら、彼らの周囲へと広がっていく。

「出来損ないの魔法でも叶えられる願いがある。だから僕は、二度と諦めない」

 衝撃が花の壁を砕く。一枚、また一枚と散っていきながらも、何度も壁は再生する。諦めない意志に呼応し、魔法はその強さを増す。オーリオールは歯噛みして、さらなる追い討ちを彼らに与えようと手を振り下ろす。

「出来損ないは出来損ないらしく、大人しく消えよ……!」
「ノヴァたちは、おしさまにだけは負けたりしない!」

 キールの腕に、ノヴァが手を添える。近づいた距離の分だけ強まった力は、ソフィラを強く咲き誇らせていく。打ち出された魔法と相対する花の乱舞。水上で激突した二つの力の衝撃が、湖を割る。

「なぜわからない。私は、アステリアノーヴァ、お前を本当の人間にしたいだけなのだ。そのためならば世界すらも敵に回そう。誰であろうと犠牲にしよう。それがお前を生み出した私の贖罪なのだ」
「そんなのノヴァは望んでいない。おしさまはミレイユやキールたちを犠牲にするつもりなの? そうやってこの耳や尻尾をなくしても、ノヴァは何も嬉しくないよ。誰かを苦しませて手に入れた普通なんて、幸せなんかじゃないもの!」
「だが、そうしない限り、お前は遠からずのだぞ!」
「それでも!」

 手に込められた感情の温度は、体温などより高い。キールはノヴァを引き寄せ、彼女の波動に意識を合わせた。ソフィラの花はキールの心の象徴であり、精神魔法から派生した名もなき魔法でもある。

 心を繋ぎわせ、思いを具現する力。それは不完全な魔法使いだからこそできる、孤独に拠らないキールだけの魔法だった。兄弟子であるイクスの魔法が『やさしい時間』を残すためのものであるのなら、彼のこの力は『壊れた時間』を再生させるものだ。

 バラバラになった想いをつなぎ合わせ、ソフィラの花に変えて力を打ち出す。願いをまとった魔法は、あらゆる孤独の魔法を打ち破り、今、古の孤独である魔法使いに到達する。

「それでも、ノヴァはみんなが大好きだよ。たとえ消えてしまうとしても——みんなと生きていたいんだ!」

 魔法は孤独。孤独は寂しさ。寂しさゆえに誰かを求め、求めるがためにいずれ魔法は力を失う。それでも人は願いを込めて約束を口にする。たとえば「いつかまた会おう」なんて、不確かな言葉すらも信じてしまえる。

 もしかすると、キールたちの魔法は本来の魔法ではないのかもしれない。孤独であれと呪いをかけられたとしても、誰かを求め信じさえする。そんな風な心が生み出した力が魔法でないのだとしても、キールは二度と己を卑下したりしない。

 手を伸ばすと、小さな手が握り返してくれる。どんなに離れても、どれほど時間が流れても、「大好きだよ」と告げられる。温かくも純粋な願いを込めた手のひらを——

「ああ、そうか」

 ——彼らは、生涯ただ一度の『奇跡』と呼んだ。

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