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第一幕「小公女リゼットとおかしな装丁たち」

4.壊れた封印と散らばる魔法

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「弟子にしてください!」
「いい加減帰れ! しつこい!」

 そんな問答を延々と繰り返すこと、しばし。

 迫りくるリゼットの圧に耐えかねたのか、クライドはふらふらと長机の上に倒れ込んだ。完全にげっそりしてしまった魔法図書館館長に、猫が慌てて駆け寄ってくる。

「主さま~、しっかりしてにゃ!」
「俺のことはいい。お前はあの変態を追い出してくれ」

 邪険に指差されて、リゼットはむっとしながらクライドたちを見る。二人(正確には一人と一匹だが)は完全にリゼットを面倒なものとして認識している。非常に遺憾ではあるが、そう言われても引けないものは引けない。

「追い出そうったってそうはいきませんよ! そもそもそっちが私の本を盗んだのが悪いんですからね!」
「お前の本を盗んだ……? なんだそれは、猫?」

 クライドに問われ、猫は耳を伏せながらリゼットの装丁本を取り出した。
 間違うことなどありえない、紫の装丁本。『恐るべき魔性の女百選』に指を突き付け、リゼットはかっと目を見開いた。

「これです! わたしが今日買った本を、その猫が盗んだんです!」
「どういうことだ? なんでわざわざそれを持って来たんだ」
「にゃ……それは、そのぅ」

 ごにょごにょと言いにくそうにする猫に、クライドは前髪を引っ張りながらため息をついた。それだけで猫は申し訳なさそうにひげを下げる。

「責めているわけじゃない。理由を教えて欲しいだけだ」
「う、あのぅ。どうしてか、この本から魔法のにおいがして……急に助けなきゃ、って、思って……にゃ」
「魔法のにおい?」

 クライドは眉間にしわを寄せ、猫の手から本を取り上げる。どこからどう見ても、ちょっと古いだけの装丁本でしかない。顎に手を当てながら、黒髪の男は低くうなる。

「特に何も感じないが」
「にゃ、はい……。もしかしたら、気のせいだったかもしれず。ご、ごめんなさいにゃ」
「気のせい、ねぇ」

 しばらく装丁本を検分してから、クライドは無言でリゼットを手招いた。不可解な会話過ぎてリゼットはただただ困惑するしかない。そんな様子を前にして、クライドは頭痛をこらえるような表情で頭を下げた。

「まず一つ。どうやらこの装丁本に関しては、完全にこちらの落ち度らしい。謝罪する。できれば許してもらえるとありがたい」
「は、はあ。まあ、返してもらえるならいいですけど……」
「そしてもう一つ。先ほどは邪険に言ったが、ルリユールとしての俺は未熟だ。弟子をとるほどの実力はない。だから、それについても了承してもらえると嬉しい」
「え、ええ……う……そんな風に言われますとね……」

 何となく畳みかけられている気がする。もともと、本を盗まれてここにたどり着いたのだから、返してもらえればそれでよかった。

 だが、リゼットはもうすでに『ルリユール』という存在に興味がわいてしまっている。今更それを無視して何もなかったことにするのは難しい。

 ちらちらと様子をうかがうリゼットに、クライドはそれ以上何も言わせず、装丁本をそっと腕の中に落とした。

「お引き取りください、高貴な方。ここはあなたが来るような場所ではない」

 明確な拒絶。リゼットも引き下がることはできず、背を押されるままに、魔法図書館をあとに――。


「……ええと、ここどこでしょうねぇ?」

 ――しなかった。出口の扉まで来たものの、すぐさまわき道に入りこみ、逃走。

 そしてそのまま、図書館内を闊歩し現在に至る。足音が聞こえないほど毛足の長い赤じゅうたんを踏みしめながら、リゼットはゆったりと周囲を観察する。

 この場所はとても静かだった。白い壁紙を軽く叩いても、その音さえすぐ遠くなる。淡い光を放つスズランのランプがところどころに置かれている以外は、特に変わったところのない廊下だった。分岐もなく、隠れられそうな場所もない。まっすぐに続くその先を見ると、たった一枚だけ、複雑な文様が刻まれた扉が見える。

 リゼットが辿ってきた他の道にも扉はあった。しかしどれも鍵がかかっていて、中を見ることは叶わなかった。あの扉が最後だとしたら、もう見るべきところは――。

「……ん?」

 かさり。思案にふけっていると何かの音が聞こえた。振り返ると、ランプの置かれたテーブルの影に小さな尻尾が三つ、揺れている。

「……んー?」

 かさかさ。しばらくの間、じっと見つめてみる。するとひょこっと、耳の長いリスっぽい生き物と、鱗の生えた小型犬っぽいものと、あと火のついた鳥っぽい存在が――。

「……」
「…………」

 彼らは一体、何を思ってリゼットを見つめていたのだろう。クライドの差し金かとも思ったが、それにしては隠れ方がお粗末すぎる。何となく指を振ってみると、三匹の生き物たちは興味深そうな顔で駆け寄ってくる。

「きゅ」

 リスっぽい生き物が後ろ足で立ち上がり、リゼットを見つめる。なんだかとても愛らしい。手を伸ばすと逃げてしまうから、とりあえずはそのままにして扉の前へと進む。

「ふむふむ。なんでしょうね、ここ」

 幾層にも円が重ねられた文様と、複雑怪奇な文字のようなもの。それらが不可思議な図形を描き出し、異様な気配を周囲に投げかけている。触れていいのかさえ判然としない扉を前に、リゼットは腕を組みながら周囲を観察する。

「特に鍵のたぐいはついていないんですね? ということは、普通に開くのでしょうか」
「きゅぅー」
「違うのです? よくわからないけど……触れちゃいけない感が半端ないですよねぇ」

 触れたらどうなるのだろう。好奇心が首をもたげるが、首を振って打ち消す。よくわからないものに触れて大変なことになったら。なったら……どうなると?


『開かれよ』

 頭の中が一瞬、暗くなった気がした。

 ぼんやりとした面持ちで正面を見て、リゼットはためらうことなく扉の表面に触れる。かちり、小さな音がしてわずかだが扉が開かれた。その隙間に体を滑りこませ、少女はその先へと進む。

「きゅ、きゅぅう?」

 三匹の生き物が周りを走り回る。そこは薄暗い部屋だった。中央には複雑な文様が刻まれた石が置かれ、その周囲の台座には四つの装丁本が乗せられている。

 リゼットは迷わず中央の石まで歩み、そっと手をかざした。再びの開錠音。今度は石が宙に浮かび上がり、いくつもの円と無数の文字が台座へと向かって飛んでいく。


『開かれよ、あまねく万物の扉』

 激しい風と、熱気と、蒸気が襲い――わずかだが地面も揺れる。目の前で複数の光の筋が舞い踊り、いくつもの色彩が視界を覆いつくす。その瞬間、激しい衝撃がリゼットを吹き飛ばした。ごろごろと地面を転がり、顔を上げた少女はその光景を『視た』。

「……あ……」

 ふわりと力なく浮かび上がっていく三匹の生き物。それらは三つの装丁本内に取り込まれ、ひときわ強い輝きと共にいずこかへ飛び去って行った。

 呆然と、リゼットはそれを見つめていた。

 何が起こったかなんて、到底理解できない。ただ一つ言えることがあるとしたら。

「……おい、お前……! 一体何をした!?」

 強い腕に掴みかかられ、思う。


 ああ、わたしは。
 たぶん、取り返しのつかないことを――。

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