若社長は面倒くさがりやの彼女に恋をする

真矢すみれ

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「ねえ、お母さん、今日の夕飯なぁに?」

「今日はお鍋よ」

「やったー! 肉団子入れてね!」

「つみれ、ね」

 お母さんが笑いながら言い直す。

「お父さんも早く帰ってくるの?」

「ええ。七時には帰ってくるって。響子も準備、手伝ってくれる?」

「うん!」

「じゃあ、お箸ととんすい並べてちょうだい」

「はーい」



 懐かしい夢を見た。
 母の夢なんて、何年ぶりだろう……。
 すごく楽しくて幸せで、なのに夢だと分かっているせいか、やけに切ない。
 お母さんは死んじゃったから。
 お父さんも死んじゃったから。
 胸を吹き抜ける寂しさと、もっとこの夢の世界に浸かっていたいという気持ちに心が乱れる。
 まだ、お父さんに会ってない。
 続きを見させて。
 そう思いながら、目が覚めた。


 鼻をくすぐる良い匂い。
 ……お鍋の匂い?
 目に入るのは見慣れたアパートの天井。
 あれ? ……なんで?
 一人暮らしのこの家でお鍋の匂いがするとか有り得ない。そもそも、家に土鍋がない。そして、未だかつて一度もここでお鍋などしたことがないのだ。でも、隣の部屋から漏れ入った匂いとは思えないほど、しっかりとした懐かしく美味しそうな匂いが立ち込めている。

「目、覚めました?」

 ん? これ、昨日も聞いた気がする。
 と、声のする方を見ると、満面の笑顔の男性に顔を覗き込まれた。

「……牧村さん?」

 そうだ。偽物じゃなく本物の、どでかい会社の社長さん。

「はい。何でしょう?」

「……匂いが」

「ああ、食べやすいかなと思ってお鍋にしたんですが、大丈夫でした? もしかして、苦手でした?」

「いえ。……好きです」

「それは良かった。今、一時過ぎです。少し遅めの昼ご飯。いかがですか?」

「食べます」

 昨日みたいな義務感からじゃない、今朝のような流されてでもない、「食べたい」という気持ちがお腹の底からふつふつとわいてくる。
 考える間もなく答えていた。
 そんな私を見て、牧村さんは嬉しそうに笑った。

「すぐ用意しますね」

 テーブルにはカセットコンロがセットされていた。それから、とんすいに質の良さそうな割り箸も並べてある。
 程なく運ばれてきたのは、良い感じに使い込まれた大きな土鍋。
 ……懐かしい。
 でも、一体どこからこんなものを?
 当然だが、自炊もしない一人暮らしのこの家には、こんなファミリー向けの土鍋なんてあるはずがない。
 疑問が顔に出ていたようで、

「すみません。響子さんの側を離れがたくて、実は鍋と材料は家から持ってきてもらいました」

「え? これ、牧村さんちの鍋ですか?」

「はい。古いもので申し訳ないです」

「いえ全然問題ないです」

「もしかして、これも?」

 とカセットコンロやとんすいを指さすと、

「はい。あれこれ一式」

 そう答えながら、牧村さんは鍋の蓋を開けた。
 うわぁ。
 これまでも良い匂いがしていると思っていたけど、蓋を開けると一気に匂いにやられる。
 湯気の向こうにはぐつぐつ煮込まれた白菜、ネギ、春菊、豆腐、えのき、白滝……。

「美味しそう」

「響子さん、病み上がりなので、味に癖のない水炊きにしておきました」

「水炊き……懐かしい」

 そう。昔、母がよく作ってくれたのは水炊きだった。

「良かった。寄せ鍋と悩んだんです。味付けはポン酢で大丈夫ですか?」

「はい」

 ん? でも、ポン酢なんてうちにはなかった気が……。
 と一瞬考えるが、気にしないことにした。土鍋にとんすいが出てくるくらいだ。ポン酢も出てきたって何もおかしなことはない。
 ぼんやりしている間に牧村さんが鍋の具を取り分けてくれる。

「はい、どうぞ」

「……あ、鶏肉だ」

「はい。悩んだんですが、今日はサッパリと鶏肉にしました。何か好きな具はありますか?」

「つみれ」

「良いですね! 魚は無理ですが、鶏肉で良ければ今作りますよ」

「え、本当に?」

 私が肉団子と言っていたくらいで、我が家の鍋に入れるつみれは鶏肉だった。

「まだ肉が残っているので、ちゃちゃっと作ってきますね。それ食べながら待っててください」

 笑顔がまぶしい。
 食べながら待っていてと言われたけど、気になって台所の方をチラチラ見てしまう。
 牧村さんは最初にネギを刻み、次に冷蔵庫から肉を出すと今度は手際よく肉も刻み始めた。トントンとリズミカルに響く包丁の音。
 本当に料理できるんだ。
 ……できるって言うか、かなり手際が良い気がする。少なくとも、私より料理上手だと思う。
 そんなことを考えていると、ボウルに肉、ネギ、それから何やら色々入れて手で練り込みながら、牧村さんはこっちを向いた。

「冷めないうちに食べてくださいね。もうできますから」

「はい」

 うん。確かに、せっかく作ってもらったんだ。あったかい内に食べなくては。
 ポン酢をかけて、白菜からまずは一口。
 美味しい。
 次はネギ。それから、豆腐。

「あつっ」

 慌てて水を飲む。
 春菊、えのき、鶏肉。夢中で口に運ぶ。

「お口に合いましたか?」

 気がつくと、牧村さんが戻ってきていた。

「ムチャクチャ美味しいです」

 そう答えると、

「それは良かったです」

 と、本当に嬉しそうに笑ってくれた。

「つみれもすぐ煮ますね。その前に二杯目はいかがですか?」

「お願いします」

 とんすいを差し出すと、また同じようにバランス良く具材を入れてくれる。

「手際、良いですね」

「そうですか?」

 笑いながら、牧村さんはつみれを器用にスプーンで落とし始めた。

「やります」

 と手を伸ばす。
 子どもの頃、つみれを落とすのは私の役目だった。つみれの元は作れないけど、これならできる。

「良いんですか?」

「むしろやりたいです」

 そう言うと、牧村さんは「じゃあ、お願いします」とつみれの入ったボウルを渡してくれた。



「ごちそうさまでした」

 手を合わせると、

「お粗末様でした」

 と返事が返ってくる。

「いえ、全然、お粗末じゃないです。ものすごく美味しかったです」

 そう。胃の腑に染み渡るだけじゃなく、心に染み渡る味だった。
 こんなもの一人で食べたら泣くぞと思う。あまりに懐かしすぎて……。

「そうですか? ありがとうございます」

 牧村さんはまたにこりと笑う。
 本当に笑顔がまぶしい。

「ごちそうさまでした」

 牧村さんも手を合わせて挨拶をし、それから鍋の蓋を閉め土鍋をキッチンのコンロに移動する。
 すごく美味しかったけど、締めのうどんまでは食べられなかった。食べたい気持ちはあったけど、さすがに入らない。
 食べたいなと言う気持ちは顔にしっかり出ていたようで、牧村さんは「それじゃ、夕飯は鍋の残りでうどんにしますか?」と言ってくれた。こくこく頷くと、牧村さんはまた嬉しそうに笑っていた。



 昼食後、やけに満たされた気分で布団にもぐり込んだ。
 よく寝て、よく食べて、薬も飲んだし、きっと明日には元気になっているだろう。
 明日からまた激務開始だ。それまでに、しっかり鋭気を養っておかなくては。

 台所では牧村さんが洗い物をしている。
 ……こんな人もいるんだなぁ。
 鍋も絶品だったし、つみれもムチャクチャ美味しかった。食べた後には後片付けまでしてくれるし、こんな良い人がなんで独り身なんだろう? しかも、大企業の社長さん? 嘘でしょう?

 ホント、やっぱり結婚詐欺なんじゃないかな?
 ほら、本物の牧村さんのそっくりさんとか。
 そうか。そうだよね。うん。
 名刺なんて幾らでも作れるし、偽装免許証だってお金出せば買えるんじゃなかったっけ? 社員証なんて、それっぽく作っておけば分かりっこないし。
 記事はごまかせないけど、そっちは顔がそっくりなら本人のものを拝借すれば問題なしだ。
 お世話になったしご飯美味しかったし、まだ何もされてないから別に良い。

 そっか。お礼しなきゃと思ってたんだ。
 そうだな。少しくらいならお礼代わりにだまされたフリしてお金出してあげても良いのかも。
 詐欺は良くないけど、分かってて出すなら良いよね……。
 ああでも、他に被害者出ると大変だからダメかも。

 そんな失礼なことを考えながら、徐々に意識が遠のいていく。
 ここ数日間の睡眠不足、いや、ここ数年の睡眠不足を補うかのように、幾ら眠っても眠り足りなかった。



 夕飯は鍋の残りで〆うどん。
 だけど、残り物って感じじゃなくて、野菜も増えているし卵とじになってるし、味付けも変わっていて最高に美味しかった。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「いえ、全然お粗末じゃないです! ものすごく美味しかったです」

 昼と同じような会話に、牧村さんはまた嬉しそうに笑った。

「それは良かったです」

 使い終わった食器を片付けながら、

「本当はこの後に雑炊もしたいところですが」

 と言われて、思わず声を上げる。

「雑炊!」

 ほぼ汁だけになった鍋を見ながらうっとりしてしまう。子どもの頃、鍋の翌朝は鍋の残りで雑炊というのが定番だった。
 美味しいだろうなぁ……。

「でも、お腹いっぱいです」

「ですよね」

 牧村さんはにこりと笑った。

「明日の朝、雑炊作りに来ましょうか?」

「……え?」

 思わずうなずきそうになって、思い出す。

「いえ、明日は仕事なんで」

 と答えながら、残念だと思っている自分に気づく。
 
「出勤は何時ですか?」

「家を出るのは八時前くらいです」

「作りに来ましょうか?」

「え?」

「いえ、私は休日なので、こちらまで来るのはまったく問題ないですよ?」

「さすがに、そんな訳には――」

「大丈夫ですよ。七時で良いですか?」

「いえでも」

「うーん。今日作っちゃうと美味しくないだろうしなぁ。ご飯炊いておくので、明日の朝、ご自分で作ります?」

 ――それは無理だ。
 いやさすがにこの鍋とうどんの残りにご飯を入れて卵を溶き入れるくらいはできる。
 ただ、面倒なんだ。美味しいのは分かってるけど自分で作るまでではない。

 ああ、食べたかったなぁ。
 美味しかっただろうなぁ。
 と、つい恨めしい顔で大きな土鍋を見てしまう。

「やっぱり来ますよ。どうせ暇してるんです。ご遠慮なく」

「いえ、そんな」

「食べたくないですか? お鍋の残りで〆雑炊」

 牧村さんはにこりと笑った。
 ほんっとうに、この人、どうしてこうも私の弱点を突いてくるかな……。

「……食べたいです」

 結局、迷ったのはたった数秒で、私は食べたいと答えてしまった。



「それじゃあ、また明日。今日は早く寝てくださいね。病み上がりですし、無理は禁物ですよ?」

 帰り際、玄関先で牧村さんが言う。

「はい。幾らでも寝られそうなんで、お風呂入ったらもう寝ます。後、明日、すみません。えーっと、楽しみにしてます」

 謝るのも変だなと思ってそう付け加えると、牧村さんはまた満面の笑みを浮かべてくれた。
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