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12年目の恋物語
5.陽菜の迷い
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「しーちゃん、一緒にお弁当食べてもいい?」
お昼休み。
わたしが、しーちゃんたちのところに行くと、しーちゃんはちょっと驚いた顔をした。
「もちろん!」
そう言いながらも、しーちゃんは不思議そうに続けた。
「叶太くん、風邪引いてたっけ?」
「ううん。元気……だと思う」
「じゃ、ケンカでもした?」
珍しいねって感じで、しーちゃんが笑う。わたしは、ううん、と首を横に振った。
これは、ケンカなんかじゃない。
そう答えたけど、しーちゃんと一緒に食べてる、亜矢ちゃん、梨乃ちゃんも、好奇心を抑えられないという顔。
亜矢ちゃんは中等部から一緒。梨乃ちゃんは、高等部から。二人ともとっても明るくて感じの良い子。
気持ちよく、「おいでおいで」と言って、隣の机を持って来て、わたしの席を作ってくれた。
「叶太くんが元気なのに、陽菜がわたしのとこに来るなんて、初めてじゃない?」
お弁当の包みを開けながら、わたしは小首を傾げた。
「そうだっけ?」
「そうだと思うよ~」
しーちゃんが、にこりと笑う。
そう。笑ってとぼけながらも、もちろん自分でも知っていた。
お弁当はいつもカナと食べていた。
いつの間にかそうなっていた。
女の子と一緒に食べたいなぁと思ったこともあった。
けど、休みがちなわたしは、親友と呼べる程に仲の良い友だちはいなくて……。
いつだって、気がつくとカナと一緒に食べるようになっていた。
と言っても、カナと二人きりというのは珍しくて、カナはクラスでも人気者だから、色んな人がやって来て一緒に食べた。
だけど最近、カナと一緒だと、胸が詰まる。カナが一生懸命話しかけてくれるのを見て、申し訳なくて仕方なくなる。
「たまには、ガールズトークもいいよね!」
しーちゃんが、わたしの肩をポンと叩いた。
食べながらのおしゃべりは、自然とわたしとカナの話になっていった。
「ホント、広瀬くんとハルちゃん、仲が良いよね」
亜矢ちゃんが言った。しーちゃんが続ける。
「そうそう。叶太くん、風邪引いてて陽菜に移したくない時とか、わたしんとこに陽菜を連れてくるんだよね~」
「うそー! ハルちゃん、愛されてるね~!!」
梨乃ちゃんが、驚いたようにわたしを見て、それからカナの方に目を向けた。
カナと食べる気詰まりとは別の疲れを感じながら、昼休み終了の予鈴で、わたしは自分の席に戻った。
「ありがとう」
そう言うと、しーちゃんたちは、口々に、
「いつでもおいで!」
と笑顔を見せてくれた。
しーちゃんは優しい。それから、明るくて、とても活発。肩までのサラサラのボブヘアは、小学生の頃から変わらない。正義感が強くて、男の子にだって負けていない。でも、高校生になって、前よりずっと女の子らしくなった。
カナがいなければ、もっと、ずっと仲良くなれたかも知れない……。
一瞬、そんな思考に捕らわれ、わたしは愕然とした。なんて恩知らずな……。
午後の授業を聞きながら、自分のふがいなさに、涙が出そうだった。
「ハル、帰ろう」
放課後、カナがわたしを呼びに来た。
「図書館に寄っていくから」
うちの学校の図書館は大きい。校舎とは別館になっているし、市立図書館並の蔵書を揃えている。
だから、図書室ではなく、図書館と呼ばれている。
「分かった」
カナは、そう言って、わたしの鞄に手を伸ばす。
「いいよ。一人で行くから」
「でも、」
カナの傷ついたような顔を見るのが、辛い。
でも、ムリヤリでもこの手を離さなければ、きっとカナはいつまでも、わたしの面倒を見ようとしてくれる。
「一人で行くから」
「付き合うって」
カナも譲らない。
「本を選ぶ時とか、邪魔しないし」
カナは本はほとんど読まない。
だけど、わたしが書棚の前に立つ時には、大抵隣にいる。
そうして小声で面白そうに、「こんなの読むんだ。どんな話?」なんて聞いてくる。
そんな時間も今では懐かしい。
……楽しかったなぁ。また目が潤みそうになって、慌てて唇をぎゅっと引き結んだ。
「図書館だけじゃなくて、先輩に借りた本も返したいし」
「先輩に借りた本?」
「この前、カナが届けてくれたの。読み終わったから」
「ああ!! あれ!」
なぜかカナが目を見開いた。
「羽鳥先輩の!!」
「……よく覚えてるね」
カナは羽鳥先輩とは、しゃべったこともないし会ったこともないはずだ。
「そりゃ」
とカナは頭をかいた。
「いいよ。待ってるから」
カナが今度こそ鞄を取ろうとするのを見て、わたしは慌てて鞄を抱え込んだ。
「わたしがイヤだもん」
「なんで?」
「落ち着かないもの」
カナ。ごめん。
明らかにショックを受けている顔を見ていると、決意が鈍りそうになる。
「じゃあね、また明日」
わたしは立ち上がって、硬い表情でカナに手を振り歩き出した。
せめて笑顔を見せてあげたかった。
でも、どうしてもできなかった……。
「羽鳥先輩」
図書館の閲覧室。その窓際に置かれたテーブルで羽鳥先輩は分厚い本を開いていた。
「あ、ハルちゃん」
「こんにちは」
小声で挨拶すると、先輩はにっこりと微笑む。
眼鏡の奥の切れ長の目がスッと細くなり、優しい印象になる。
「こんにちは」
羽鳥先輩は読んでいた本にしおりを挟むと、隣の席を勧めてくれた。
テスト前でもなく、閲覧室には人はほとんどいない。
「本、ありがとうございました」
お借りした文庫本をテーブルに置く。
「あれ、もう読んだの?」
早いね、と羽鳥先輩は笑う。
「はい。面白くて」
「だよね?」
羽鳥先輩は嬉しそうに、そう言ってから、今度は申し訳なさそうに続けた。
「って言うか、ごめんね」
「なにがですか?」
「具合が悪くて寝込んでるのに、本なんか届けちゃって」
「いえ、ぜんぜん大丈夫です。本当に辛い時は読めないし」
「そりゃ、そうだ」
羽鳥先輩の笑顔がまぶしい。
先輩は、窓の外に目をやる。図書館の向こうには緑が広がっている。
「外行こうか?」
それは、ちょっとおしゃべりしようかという合図。挨拶や用を済ますくらいならともかく、図書館で長話は非常識だ。
「はい」
わたしはこくりと頷いた。
誰かと話したかったのかも知れない。
カナのことを知らない人と……。
もしかしたら中等部からの先輩だから、カナのことも知っているかも知れないけど。
それでもきっと、羽鳥先輩なら、何の先入観もなしにわたしと話してくれる気がしていた。
◇ ◇ ◇
中等部の二年生の時、本が大好きだったわたしは、初めて立候補して図書委員になった。
カナは例によって心配性で、委員なんてやるなよとか何とか言っていたけど、わたしはやってみたかったから。
そして初めての委員会で、羽鳥先輩に会った。
「あれ?」
と最初に言ったのは羽鳥先輩。
なんだろう、と小首を傾げると先輩はにっこり笑った。一見キツそうに見える眼鏡の奥の切れ長の目が細くなり、それだけでグッと人なつこい感じになる。
「市立図書館で会ったよね」
そう言われて思い出した。
中等部の図書室は小さくて、本の種類も少ない。だから、街の図書館に行ってみた。
そこで、棚の上の方にある本を取ろうと踏み台を探していたら、
「ここにあるよ」
と持って来てくれたのが、目の前の先輩だった。
背が高くて細身で眼鏡をかけている、とても頭が良さそうな人。一見、切れ者で冷たそうにも見えるのに、笑うととても優しい。
小声で、
「ありがとうございます」
と言うと、先輩は気さくに、
「どういたしまして」
と言って、そのまま書棚に並ぶ本の背表紙に、視線を戻した。
「あの時は、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、先輩は手をひらひらと振って笑った。
「お礼を言われる程のことじゃないよ」
委員会はまだ始まらない。
「本好き?」
「はい」
「……って、そりゃそうか。図書委員だもんね」
「先輩も好きですよね?」
「もちろん」
それから、委員会が始まるまでの間、どんな本が好きかとか色んな話をした。
じきに、本の貸し借りをするようになり、それは先輩が卒業するまで続いた。
◇ ◇ ◇
羽鳥先輩は図書館を出ると建物の裏手へと回った。
「ここ、落ち着くでしょ?」
見ると壁際に木製の古いベンチが並べられていた。だけど誰もいない。
大きな木が風に揺れてサワサワと葉ずれの音を立てる。夕方の少し傾いた日に照らされたその場所は、とても綺麗だった。
「ここで人に会ったことないんだ。穴場だよ」
そう言って、羽鳥先輩は先にベンチに座り、隣をトントンと手のひらで叩いた。
「ハルちゃんも座って座って」
そう言われて、わたしは先輩の隣にそっと腰を下ろした。先輩はむやみに話しかけてきたりしない。
並んで木漏れ日を眺めた。
うんと遠くから、運動部の人たちの声が聞こえてくる。そよ風が頬をなでる。
どれくらい、ぼんやりしていただろう?
「……で、ハルちゃんは何を悩んでるの?」
何気ない口調で問われて、わたしは言葉に詰まった。
「……あの、」
カナのことを話してしまいたい気持ちと、こんなことは誰にも話せないという気持ちが、わたしの中でせめぎ合う。
羽鳥先輩はそんなわたしの気持ちを見抜いたのか、ふっと笑った。
「いいよ。無理に話すことはないからね」
わたしがまだ何も言えずにいると、
「だけど、もし話したくなったら、話せばいい。ボクはそのためにここにいるんだから」
羽鳥先輩は、わたしの背中をぽんぽんと優しく叩いた。
不意に、中等部にいた頃のことが脳裏に浮かんだ。
◇ ◇ ◇
その頃、わたしは、親友と呼べる女友だちがいないことを寂しく思っていた。
カナがいつも側にいてくれる。それは嬉しかったし、楽しかった。
でも、クラスの女の子たちが、誰々ちゃんは誰々ちゃんと親友だ……なんて話で盛り上がっているのを聞いて、わたしも憧れた。
だけど、いつもカナといるせいか、学校公認カップルなんて言われているせいか、ただの友だちはいるけど、お互いの家に泊まりに行ったり悩みごとを打ち明け合ったりするような親しい友だちはいなかった。
一番仲が良かったのはしーちゃん。
だけど、しーちゃんには親友はいなくても、わたしくらいには仲の良い子が何人もいた。
その日、カウンター当番をしながら、わたしは知らず知らずの内にため息を吐いていた。
そして、一緒に当番をしていた羽鳥先輩が、わたしを気遣って声をかけてくれたのだ。
「どうした? 大丈夫?」
ちょうどカウンターには人がいなくて、閲覧室にいる数名も奥の書棚の方に行っていて、周りには人がいなかった。
「あ、はい。元気です」
わたしが疲れたような顔をすると、カナはすぐに過剰に心配をする。だから、わたしはこういう時、いつもすぐに満面の笑顔を見せられる。
「じゃあ、悩みごと?」
だけど羽鳥先輩は、わたしが作った偽りの笑顔の壁をサクッと飛び越えて、わたしの心の中に飛び込んできた。
「え……っと」
それまでに、もう数十冊は本の貸し借りをしていた。本の内容について、ああだこうだ言いながら、自分の話をしたり先輩の話を聞いたり。
悩みごとを打ち明けるような場面はなかったけど、自分だったらこうしたとか、先輩だったらどうするとか、そんな話もしていた。
だから、先輩の質問もとても自然に受け止められた。
「女の子の友だちができないんです」
そう言ってから、慌てて言い直した。
「あの、いえ。普通にしゃべる子はいるんですけど、あの……親友が」
「そっか」
先輩は、いつものように、そのままだとキツく見える切れ長の目を細めて、優しく笑った。
「女の子は、やっぱり親友とかって欲しいんだね」
「え? 男の子は違うんですか?」
そんなことを話していたら、カウンターに生徒がやってきた。わたしたちは、慌てて会話をストップした。
それから少しして、その日のカウンター当番が終わり、校舎に向かって、羽鳥先輩と一緒に渡り廊下を歩いていた時、
「きっと、さ」
羽鳥先輩は前振りなく話し始めた。
「友だちなんて、作ろうと思って作るものじゃないし、親友なんてなろうと思ってなるものでもない」
作ろうと思って作るものじゃない。なろうと思ってなるものでもない。
先輩の言葉が静かに耳に飛び込んできた。
「気が付いたら友だちになっていた。この子、もしかしたら親友かもってそう思っていた、そんなもんじゃないかな?」
羽鳥先輩は前を見たまま、そう言って、それから、わたしの方に視線を移した。
「ハルちゃん、おしゃべりするだけの友だちなら、もういるでしょう? それ以上の友だちなんて、持っている人の方が少ないと思うよ」
そうして、微笑を浮かべると、わたしの背中をトントンと二度、優しく叩いた。
気がついたら友だちになっていた。
この子、もしかしたら親友かもって、そう思っていた。
先輩の言葉がストンと胸に落ちてきた。
胸にしみいるように、その言葉がわたしの中に落ちてきた。
わたしたちは、その後、しばらく無言で歩いた。
渡り廊下を渡り終えて、迎えの車が来る裏口に行く分かれ道のところでわたしは立ち止まり、先輩を見上げた。
「ありがとうございます」
心からの笑顔でお礼を言った。
「どういたしまして」
羽鳥先輩もにっこり笑った。
◇ ◇ ◇
あの頃と変わらず先輩は優しかった。
あの時とは違って、何も言えないのに、先輩は何も言えないわたしを受け入れて、ただ、そこにいてくれた。
先輩の隣では、楽に、自然に息をすることができた。
お昼休み。
わたしが、しーちゃんたちのところに行くと、しーちゃんはちょっと驚いた顔をした。
「もちろん!」
そう言いながらも、しーちゃんは不思議そうに続けた。
「叶太くん、風邪引いてたっけ?」
「ううん。元気……だと思う」
「じゃ、ケンカでもした?」
珍しいねって感じで、しーちゃんが笑う。わたしは、ううん、と首を横に振った。
これは、ケンカなんかじゃない。
そう答えたけど、しーちゃんと一緒に食べてる、亜矢ちゃん、梨乃ちゃんも、好奇心を抑えられないという顔。
亜矢ちゃんは中等部から一緒。梨乃ちゃんは、高等部から。二人ともとっても明るくて感じの良い子。
気持ちよく、「おいでおいで」と言って、隣の机を持って来て、わたしの席を作ってくれた。
「叶太くんが元気なのに、陽菜がわたしのとこに来るなんて、初めてじゃない?」
お弁当の包みを開けながら、わたしは小首を傾げた。
「そうだっけ?」
「そうだと思うよ~」
しーちゃんが、にこりと笑う。
そう。笑ってとぼけながらも、もちろん自分でも知っていた。
お弁当はいつもカナと食べていた。
いつの間にかそうなっていた。
女の子と一緒に食べたいなぁと思ったこともあった。
けど、休みがちなわたしは、親友と呼べる程に仲の良い友だちはいなくて……。
いつだって、気がつくとカナと一緒に食べるようになっていた。
と言っても、カナと二人きりというのは珍しくて、カナはクラスでも人気者だから、色んな人がやって来て一緒に食べた。
だけど最近、カナと一緒だと、胸が詰まる。カナが一生懸命話しかけてくれるのを見て、申し訳なくて仕方なくなる。
「たまには、ガールズトークもいいよね!」
しーちゃんが、わたしの肩をポンと叩いた。
食べながらのおしゃべりは、自然とわたしとカナの話になっていった。
「ホント、広瀬くんとハルちゃん、仲が良いよね」
亜矢ちゃんが言った。しーちゃんが続ける。
「そうそう。叶太くん、風邪引いてて陽菜に移したくない時とか、わたしんとこに陽菜を連れてくるんだよね~」
「うそー! ハルちゃん、愛されてるね~!!」
梨乃ちゃんが、驚いたようにわたしを見て、それからカナの方に目を向けた。
カナと食べる気詰まりとは別の疲れを感じながら、昼休み終了の予鈴で、わたしは自分の席に戻った。
「ありがとう」
そう言うと、しーちゃんたちは、口々に、
「いつでもおいで!」
と笑顔を見せてくれた。
しーちゃんは優しい。それから、明るくて、とても活発。肩までのサラサラのボブヘアは、小学生の頃から変わらない。正義感が強くて、男の子にだって負けていない。でも、高校生になって、前よりずっと女の子らしくなった。
カナがいなければ、もっと、ずっと仲良くなれたかも知れない……。
一瞬、そんな思考に捕らわれ、わたしは愕然とした。なんて恩知らずな……。
午後の授業を聞きながら、自分のふがいなさに、涙が出そうだった。
「ハル、帰ろう」
放課後、カナがわたしを呼びに来た。
「図書館に寄っていくから」
うちの学校の図書館は大きい。校舎とは別館になっているし、市立図書館並の蔵書を揃えている。
だから、図書室ではなく、図書館と呼ばれている。
「分かった」
カナは、そう言って、わたしの鞄に手を伸ばす。
「いいよ。一人で行くから」
「でも、」
カナの傷ついたような顔を見るのが、辛い。
でも、ムリヤリでもこの手を離さなければ、きっとカナはいつまでも、わたしの面倒を見ようとしてくれる。
「一人で行くから」
「付き合うって」
カナも譲らない。
「本を選ぶ時とか、邪魔しないし」
カナは本はほとんど読まない。
だけど、わたしが書棚の前に立つ時には、大抵隣にいる。
そうして小声で面白そうに、「こんなの読むんだ。どんな話?」なんて聞いてくる。
そんな時間も今では懐かしい。
……楽しかったなぁ。また目が潤みそうになって、慌てて唇をぎゅっと引き結んだ。
「図書館だけじゃなくて、先輩に借りた本も返したいし」
「先輩に借りた本?」
「この前、カナが届けてくれたの。読み終わったから」
「ああ!! あれ!」
なぜかカナが目を見開いた。
「羽鳥先輩の!!」
「……よく覚えてるね」
カナは羽鳥先輩とは、しゃべったこともないし会ったこともないはずだ。
「そりゃ」
とカナは頭をかいた。
「いいよ。待ってるから」
カナが今度こそ鞄を取ろうとするのを見て、わたしは慌てて鞄を抱え込んだ。
「わたしがイヤだもん」
「なんで?」
「落ち着かないもの」
カナ。ごめん。
明らかにショックを受けている顔を見ていると、決意が鈍りそうになる。
「じゃあね、また明日」
わたしは立ち上がって、硬い表情でカナに手を振り歩き出した。
せめて笑顔を見せてあげたかった。
でも、どうしてもできなかった……。
「羽鳥先輩」
図書館の閲覧室。その窓際に置かれたテーブルで羽鳥先輩は分厚い本を開いていた。
「あ、ハルちゃん」
「こんにちは」
小声で挨拶すると、先輩はにっこりと微笑む。
眼鏡の奥の切れ長の目がスッと細くなり、優しい印象になる。
「こんにちは」
羽鳥先輩は読んでいた本にしおりを挟むと、隣の席を勧めてくれた。
テスト前でもなく、閲覧室には人はほとんどいない。
「本、ありがとうございました」
お借りした文庫本をテーブルに置く。
「あれ、もう読んだの?」
早いね、と羽鳥先輩は笑う。
「はい。面白くて」
「だよね?」
羽鳥先輩は嬉しそうに、そう言ってから、今度は申し訳なさそうに続けた。
「って言うか、ごめんね」
「なにがですか?」
「具合が悪くて寝込んでるのに、本なんか届けちゃって」
「いえ、ぜんぜん大丈夫です。本当に辛い時は読めないし」
「そりゃ、そうだ」
羽鳥先輩の笑顔がまぶしい。
先輩は、窓の外に目をやる。図書館の向こうには緑が広がっている。
「外行こうか?」
それは、ちょっとおしゃべりしようかという合図。挨拶や用を済ますくらいならともかく、図書館で長話は非常識だ。
「はい」
わたしはこくりと頷いた。
誰かと話したかったのかも知れない。
カナのことを知らない人と……。
もしかしたら中等部からの先輩だから、カナのことも知っているかも知れないけど。
それでもきっと、羽鳥先輩なら、何の先入観もなしにわたしと話してくれる気がしていた。
◇ ◇ ◇
中等部の二年生の時、本が大好きだったわたしは、初めて立候補して図書委員になった。
カナは例によって心配性で、委員なんてやるなよとか何とか言っていたけど、わたしはやってみたかったから。
そして初めての委員会で、羽鳥先輩に会った。
「あれ?」
と最初に言ったのは羽鳥先輩。
なんだろう、と小首を傾げると先輩はにっこり笑った。一見キツそうに見える眼鏡の奥の切れ長の目が細くなり、それだけでグッと人なつこい感じになる。
「市立図書館で会ったよね」
そう言われて思い出した。
中等部の図書室は小さくて、本の種類も少ない。だから、街の図書館に行ってみた。
そこで、棚の上の方にある本を取ろうと踏み台を探していたら、
「ここにあるよ」
と持って来てくれたのが、目の前の先輩だった。
背が高くて細身で眼鏡をかけている、とても頭が良さそうな人。一見、切れ者で冷たそうにも見えるのに、笑うととても優しい。
小声で、
「ありがとうございます」
と言うと、先輩は気さくに、
「どういたしまして」
と言って、そのまま書棚に並ぶ本の背表紙に、視線を戻した。
「あの時は、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げると、先輩は手をひらひらと振って笑った。
「お礼を言われる程のことじゃないよ」
委員会はまだ始まらない。
「本好き?」
「はい」
「……って、そりゃそうか。図書委員だもんね」
「先輩も好きですよね?」
「もちろん」
それから、委員会が始まるまでの間、どんな本が好きかとか色んな話をした。
じきに、本の貸し借りをするようになり、それは先輩が卒業するまで続いた。
◇ ◇ ◇
羽鳥先輩は図書館を出ると建物の裏手へと回った。
「ここ、落ち着くでしょ?」
見ると壁際に木製の古いベンチが並べられていた。だけど誰もいない。
大きな木が風に揺れてサワサワと葉ずれの音を立てる。夕方の少し傾いた日に照らされたその場所は、とても綺麗だった。
「ここで人に会ったことないんだ。穴場だよ」
そう言って、羽鳥先輩は先にベンチに座り、隣をトントンと手のひらで叩いた。
「ハルちゃんも座って座って」
そう言われて、わたしは先輩の隣にそっと腰を下ろした。先輩はむやみに話しかけてきたりしない。
並んで木漏れ日を眺めた。
うんと遠くから、運動部の人たちの声が聞こえてくる。そよ風が頬をなでる。
どれくらい、ぼんやりしていただろう?
「……で、ハルちゃんは何を悩んでるの?」
何気ない口調で問われて、わたしは言葉に詰まった。
「……あの、」
カナのことを話してしまいたい気持ちと、こんなことは誰にも話せないという気持ちが、わたしの中でせめぎ合う。
羽鳥先輩はそんなわたしの気持ちを見抜いたのか、ふっと笑った。
「いいよ。無理に話すことはないからね」
わたしがまだ何も言えずにいると、
「だけど、もし話したくなったら、話せばいい。ボクはそのためにここにいるんだから」
羽鳥先輩は、わたしの背中をぽんぽんと優しく叩いた。
不意に、中等部にいた頃のことが脳裏に浮かんだ。
◇ ◇ ◇
その頃、わたしは、親友と呼べる女友だちがいないことを寂しく思っていた。
カナがいつも側にいてくれる。それは嬉しかったし、楽しかった。
でも、クラスの女の子たちが、誰々ちゃんは誰々ちゃんと親友だ……なんて話で盛り上がっているのを聞いて、わたしも憧れた。
だけど、いつもカナといるせいか、学校公認カップルなんて言われているせいか、ただの友だちはいるけど、お互いの家に泊まりに行ったり悩みごとを打ち明け合ったりするような親しい友だちはいなかった。
一番仲が良かったのはしーちゃん。
だけど、しーちゃんには親友はいなくても、わたしくらいには仲の良い子が何人もいた。
その日、カウンター当番をしながら、わたしは知らず知らずの内にため息を吐いていた。
そして、一緒に当番をしていた羽鳥先輩が、わたしを気遣って声をかけてくれたのだ。
「どうした? 大丈夫?」
ちょうどカウンターには人がいなくて、閲覧室にいる数名も奥の書棚の方に行っていて、周りには人がいなかった。
「あ、はい。元気です」
わたしが疲れたような顔をすると、カナはすぐに過剰に心配をする。だから、わたしはこういう時、いつもすぐに満面の笑顔を見せられる。
「じゃあ、悩みごと?」
だけど羽鳥先輩は、わたしが作った偽りの笑顔の壁をサクッと飛び越えて、わたしの心の中に飛び込んできた。
「え……っと」
それまでに、もう数十冊は本の貸し借りをしていた。本の内容について、ああだこうだ言いながら、自分の話をしたり先輩の話を聞いたり。
悩みごとを打ち明けるような場面はなかったけど、自分だったらこうしたとか、先輩だったらどうするとか、そんな話もしていた。
だから、先輩の質問もとても自然に受け止められた。
「女の子の友だちができないんです」
そう言ってから、慌てて言い直した。
「あの、いえ。普通にしゃべる子はいるんですけど、あの……親友が」
「そっか」
先輩は、いつものように、そのままだとキツく見える切れ長の目を細めて、優しく笑った。
「女の子は、やっぱり親友とかって欲しいんだね」
「え? 男の子は違うんですか?」
そんなことを話していたら、カウンターに生徒がやってきた。わたしたちは、慌てて会話をストップした。
それから少しして、その日のカウンター当番が終わり、校舎に向かって、羽鳥先輩と一緒に渡り廊下を歩いていた時、
「きっと、さ」
羽鳥先輩は前振りなく話し始めた。
「友だちなんて、作ろうと思って作るものじゃないし、親友なんてなろうと思ってなるものでもない」
作ろうと思って作るものじゃない。なろうと思ってなるものでもない。
先輩の言葉が静かに耳に飛び込んできた。
「気が付いたら友だちになっていた。この子、もしかしたら親友かもってそう思っていた、そんなもんじゃないかな?」
羽鳥先輩は前を見たまま、そう言って、それから、わたしの方に視線を移した。
「ハルちゃん、おしゃべりするだけの友だちなら、もういるでしょう? それ以上の友だちなんて、持っている人の方が少ないと思うよ」
そうして、微笑を浮かべると、わたしの背中をトントンと二度、優しく叩いた。
気がついたら友だちになっていた。
この子、もしかしたら親友かもって、そう思っていた。
先輩の言葉がストンと胸に落ちてきた。
胸にしみいるように、その言葉がわたしの中に落ちてきた。
わたしたちは、その後、しばらく無言で歩いた。
渡り廊下を渡り終えて、迎えの車が来る裏口に行く分かれ道のところでわたしは立ち止まり、先輩を見上げた。
「ありがとうございます」
心からの笑顔でお礼を言った。
「どういたしまして」
羽鳥先輩もにっこり笑った。
◇ ◇ ◇
あの頃と変わらず先輩は優しかった。
あの時とは違って、何も言えないのに、先輩は何も言えないわたしを受け入れて、ただ、そこにいてくれた。
先輩の隣では、楽に、自然に息をすることができた。
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