12年目の恋物語

真矢すみれ

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番外編2 規格外の恋物語

本編

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 自分の中のほのかな恋心に、気がついた日。
 わたしは、先輩の姿を思い浮かべながら首をひねった。
 なんで、わざわざ、まったく自分の方を見ていない人を好きになったんだろう、わたし。

 まさか、この人を好きになるとは思いもしなかったから……。
 想像すらしたことがなかったから、自分の気持ちに気がついて、わたしはちょっと混乱していた。


   ◇   ◇   ◇


 去年、中三の夏。
 初めて男の子から告白された。
 夏の大会で負けてこれで部活は引退だって……、悔しくて泣いたあの日。
 バスケ部の男子から、告白された。

 みんなで泣いただけじゃスッキリできなくて、体育館の外の水飲み場で、顔を洗うフリをして、涙を洗い流そうとしていた、あの時。
 男バスみんなで応援に来てくれていた、その内の一人。結局、中学三年間で、一度も同じクラスにならなかった、男の子。
 同じバスケ部だったから、部活で話すことはあっても、色っぽい雰囲気になんて、一度だって、なったことはなかった。

「残念だったな」

「……うん」

 涙を見られたくなかった。
 だから、長々と、顔を洗い続けた。
 心の中で、早くどっか、行ってよって、ひそかに思いながら。
 まさか、この後に、あんな台詞が飛び出すなんて、思ってもいなかった。
 流れる水音をBGMに、背中ごしに聞こえた言葉。

「ずっと、好きだった」

 その言葉を耳にして、わたしの涙は一瞬で止まった。

「……え?」

 いきなりの事態に、言葉をなくすほどに驚いた。
 失礼ながら、彼のこと、まったく、そんな目で見ていなくて。

「ずっと、寺本のこと、見てた」

 でも、うれしいとか思うよりも、

 今、なに言ってんの!?
 そんな時じゃないでしょう?

 って、そんな風に思ってた。

 わたしの頭の中は、負け試合の中身ばかりが、渦巻いていた。
 あの時、こうすればよかった、もっと、ああすればよかった……って。
 だから、驚いた後に来たのは、嬉しさではなく、失礼ながら鬱陶しさ。

 ……で、

「ありがとう。でも、ごめん。今は、考えられない」

 そう、即答していた。
 水に濡れた顔をタオルで拭きながらした、色気のかけらもない答え。



 子どもだったなって、思う。
 でもあれから、少しだけわたし、女の子になったと思う。
 自分が女の子なんだって、あの時から、ようやく意識しはじめた。


   ◇   ◇   ◇


 先輩の視線の先にいるのは、わたしの親友。
 優しくて穏やかで、人の悪口なんて言ったこともないような心のキレイな子。
 心がとびきりキレイな上に、抜けるように白い肌と大きな目、ふわふわと柔らかそうな長い髪、折れそうに細い身体と、抜群に可愛い容姿。
 身体が弱くて、誰かに守られていなくちゃ生きていけないように見えるのに、その心は真っ直ぐで、本当はきっととても強い。

 ……先輩が惹かれるのもよく分かる。
 わたしが男の子でも、きっと、あんな子を好きになる。



 初恋はいつだっただろう?
 初恋らしい初恋はなかった。
 あえて言うなら、初等部四年の時の担任の先生。
 体育が専門だと言って、爆転、爆宙を軽々とやって見せた。ダンクシュートをしてみせてくれた。
 メチャクチャ、カッコよかった。惚れたね。

 ……けど、きっと、あんなの憧れの延長線上にあるもの。
 だって、私以外のみんなも、先生に夢中だったもの。


   ◇   ◇   ◇


 先輩と初めて会ったのは、高等部に上がって、くじで負けてなった図書委員の初会合。
 隣に座った先輩は文句なしに頭が良さそうで、眼鏡の向こうの切れ長の目は一見冷酷そうに見えた。
 だけど、間違いなく、この人、人気あるだろうなってくらい整った顔をしていて、文句なしにカッコよかった。
 わたしのぶしつけな視線を感じたのか、先輩はわたしの方を見た。

「あ、すみません!! あんまり先輩がカッコいいんで、思わず見とれてました」

 超絶率直な言いわけをしたら、先輩は目を丸くして、それからくすりと笑った。
 笑うと、表情が一気に軟らかくなる。
 ああ、本当にカッコいい。
 この笑顔に夢中になる女の子、たくさんいるだろうな。そう思った。

「はじめまして。2の1の羽鳥です」

「あ! はじめまして。1の8の寺本志穂です!」

 いかにも体育会系って感じで気合いを入れてフルネームを名乗ると、先輩はまた笑った。
 感じがいい人だと思いながらも、どこか目の奥が、本気で笑っていない気がして、得体が知れない人だとも思った。

「1の8か。……図書委員は、牧村さんだと思ってたよ」

 先輩が言った。

 ……牧村さん?

 1の8には、牧村さんは一人しかいない。
 牧村陽菜はるな。わたしの親友。
 わたしはどうやら怪訝な顔をしていたらしい。
 先輩は笑顔で付け足した。

「中等部で、一緒に図書委員をしていたことがあってね」

 本好き同士、かなり気があっていたらしい。
 残念ながら、わたしは本などまるで読まない。くじで負けて図書委員になったと言うと、先輩は笑った。
 そして、くじ引きをしたその日、陽菜が体調を崩して休みだったというと、残念だったなと言った。



 そんな、どこにでもありそうなわたしたちの出会い。
 その時から、もうわたしと先輩の間には、陽菜の存在があった。


   ◇   ◇   ◇


 先輩が陽菜を好きなのだと気づいた時、わたしにとって、先輩の存在は、特別でも何でもなかった。
 だから、幼なじみの叶太かなたくんとの関係がこじれて、陽菜が悩んでいた時にも、二人を結びつけるために先輩に手を貸してもらうことに、何の葛藤もなかった。
 先輩は陽菜のために、陽菜には一言も想いを告げないまま叶太くんに手を貸し、二人を恋人同士に仕立て上げた。

 潔い人だなと思った。
 胡散臭いなんて思って、何考えてるか分からないなんて思って、ごめんなさいって思った。
 でも相変わらず、陽菜への気持ち以外には何も読めないから、やっぱり何考えてるか分からない人だった。



「先輩って、何考えて生きてるんですか?」

 試験期間で部活が休みのその日、たまたま駅で一緒になった。
 端正なその顔を見ていて、思わず口をついて出た言葉。
 唐突に飛び出した、あまりに率直なその問いに、さすがの先輩も面食らったらしい。
 先輩は爆笑した。

「寺本さんは、本当に面白いよね!」

 本気で笑う先輩の顔を見て、そう言えば、わたしは、いつもこんな風に笑われている気がする……って思った。

「で? 何考えてるんですか?」

「しかも、引かない。押しも強い」

「先輩?」

「キミこそ、何を考えているの?」

「え? わたしですか? 今は、先輩が何を考えて生きてるんだろうって考えてますよ?」

 当たり前じゃないですかと言うと、先輩はこらえきれないという様子でお腹を抱えて笑い出した。

「ちょっと、先輩、失礼ですよ」

 先輩に笑われる。
 先輩がこの素の笑顔を見せることはほとんどないと気がついたのは、いつだっただろう?



 包み込むような優しい微笑は、陽菜のために。
 この爆笑は、わたしのために。
 なんか違うと思いつつも、気がついたら、わたしの目はいつも先輩を追っていた。


   ◇   ◇   ◇


 どうやら、先輩を好きになってしまったらしい。
 そう気がついたのは、いつだったのかな?

 いつになく幸せそうな先輩の視線の先を見ると、そこにはいつも同じ、わたしの親友陽菜の笑顔があった。
 それが、たとえ、恋人の叶太くんによってもたらされた笑顔でも、先輩はかまわないらしい。
 陽菜を自分のものにしたいとは思わないのだろうか?



「先輩、なんで、叶太くんと陽菜の仲を取り持ったんですか?」

 先輩の横顔を見ていると不思議になって、気がつくと、そう聞いていた。
 図書館のカウンター当番。その日は珍しく、先輩と一緒だった。
 先輩は細い目を大きく見開いた。

「……なんでって、寺本さんが聞くかな?」

 呆れたような先輩の声。
 そりゃそうだ。
 だって、先輩を頼って、先輩に二人の仲を取り持たせたのは、他ならぬわたしだったのだから。

「うーん。だって、先輩、まだ陽菜のこと、好きでしょう?」

 先輩、絶句。
 あ。そうか。
 そんな話、したことないんだ。
 先輩は、わたしが先輩の陽菜への恋心に気づいているとは、知らないはずだ。
 絶句する先輩に頭を下げた。

「すみません! 失言でした」

 そう言うと、先輩はぷっと吹き出した。

「ホント、寺本さんは面白いね」


   ◇   ◇   ◇


 もうすぐ、高一も終わる三学期。
 偶然に会った渡り廊下。

「先輩!」

「ん? なに?」

 先輩、今日は何が飛び出すんだ、って面白そうな顔でわたしを見た。
 わたしが教室まで押しかけたんだったら、きっと先輩は陽菜に何かあったのかと心配する。
 だけど、偶然会った時にはそんな心配はない。

 秋の選挙で予想通り、生徒会長になった先輩。
 すっかり忙しい人になったのに、わたしと会うと足を止めてくれる。
 そして、たいてい楽しげに笑ってくれる。と言うか、大笑いしてくれる。

「わたし、」

 先輩を真っ直ぐに見つめる。
 先輩がわたしの方をしっかり見たのを確認して、一息で言った。

「先輩を好きになってしまったみたいです!」

 先輩、目が点になった。……としか言いようがない顔をした。
 さすがに、今日は笑われなかった。
 先輩の返事を待っていると、先輩は首を傾げた。

「……で?」

「それだけです! 言いたくなったんで、言ってみました」

 そう告げると、先輩はまた吹き出した。

「寺本さんは、本当に、飽きさせないキャラだね」

「先輩、いくらなんでも、それは失礼ですよ」

 口をとがらせると、先輩は不思議そうな顔をした。

「これでも一応、勇気を出して告白したんだから」

「それは、失礼」

 先輩は、ぜんぜん失礼だなんて思っていない顔で言った。
 ……まあ、そうだよね。
 勇気を出したと言っても、たまたま、出会った渡り廊下。
 周りにちょうど人がいなくて。実のところ、つい言ってしまったんだ。
 多少の勇気は必要だったけど、それは勇気を振り絞ったといえるほどのものではない。

 とはいえ、その言いようはないと思う。
 最近、わたしと話す時にはまったく優等生の仮面をつけない先輩。
 だんだん腹が立ってきた。

 困らせてやる。

 そう思って、わたしは続けた。

「だから、先輩、つきあってください!」

 さすがの先輩も、まさかその言葉が飛び出すとは思っていなかったようで、切れ長の目を見開いた。

「……ごめん。ムリ」

「何でですか?」

「キミが聞く?」

 と先輩は言った。
 相変わらず、先輩の視線の先には陽菜がいて、陽菜の隣には叶太くんがいる。
 だけど、先輩が陽菜を見つめる目はひたすらに優しい。

「いいじゃないですか」

「ん?」

「陽菜を好きなままで。……どうせ、叶わないんだから」

 先輩は苦笑いを浮かべた。

「手厳しいね」

「自分でも分かってるくせに」

「そうだね」

 先輩は悲しそうでも寂しいそうもない、穏やかな微笑を浮かべた。
 あ、仮面付けたって気づいて、悔しくなった。

「あのっ! わたしも、陽菜、大好きだから、」

 いったい何を言い出すんだって感じで、先輩が不思議そうな顔をした。

「先輩、わたしと一緒に陽菜の幸せを見守りましょう!!」

 本気で言ったのに、先輩は数秒後、またしても爆笑した。

「あははっ! 何それっ!!」

 ちょっと、先輩、笑いすぎですよ。
 人が真面目に告白してるのに。
 だけど、先輩の笑いの発作は一向におさまる気配を見せない。
 いったい、どれだけ笑ったら気がすむんだろう?

「もう。先輩、いい加減に笑うの、やめてくださいよ」

「……いや、それ、ムリだからっ!」

 更にしばらく待ったけど、笑いの発作はおさまらない。
 いったい、どこのツボにはまったのやら。

「もう、いいです」

 はあぁ、と珍しく、わたしは禁断のため息をついた。
 幸せ、逃げちゃうじゃんか、先輩のバカ。

「じゃ、また」

 そのままその場を立ち去ろうとしたら、お腹を抱えて笑いながら、

「ちょっと、待って」

 と先輩がわたしの手をつかんだ。

「先輩?」

「いいよ」

「は?」

「いいよ、それで、キミがいいのなら」

「え? 何のことですか?」

 わたしの言葉に、先輩は絶句した。

「……おいおい。自分で言ったんじゃないか」

「は?」

「一緒に、ハルちゃんの幸せを見守ろう」

 え?

「……えええっ!?」

 思いもかけない返事に、わたしは大声を上げていた。

「ホントですか、先輩!?」

わたしのその反応を見て、先輩はまた大爆笑。

「ああ。ホント」

「わたし、つきあってくださいって言ったんですけど」

「知ってる知ってる」

 先輩は、

「あんまり笑わせないでよ。もう、面白すぎ!」

 って笑いながら、イタタタってお腹を押さえた。

「……先輩は、失礼すぎですよ」

「そう?」

 と言いながらも、先輩の笑いはおさまらない。
 腹を立てればいいのか、一緒に笑えばいいのか?

「まあ、いいですよ。惚れた弱みです」


   ◇   ◇   ◇


 先輩の視線の向こうには、相変わらず、陽菜がいる。
 先輩は、優しく陽菜に微笑みかける。
 お勧めの本を貸し借りしたり紹介したり。とても楽しそうに陽菜と話す。



 陽菜に、

「羽鳥先輩と、つきあうことになったよ」

 って言ったら、つぼみが開くようにぱあっと笑顔が花開いて、

「おめでとう!」

 と言ってくれた。

 陽菜は聞かない。
 いつどこでとか、何がきっかけでとか、どっちから告白したのとか。
 そういう泥臭い話を、陽菜はしない。
 ただ、わたしの顔をそっと覗いて、わたしが笑顔を見せるとにこっと笑った。



 先輩は相変わらず、わたしを前にするとよく笑う。
 わたしたちは未だに、「先輩」、「寺本さん」と呼び合っている。

 わたしたちはきっと、規格外の恋人同士。

 二人一緒に、わたしの親友の、先輩の想い人の幸せを見守っている。
 陽菜には見せないバカ笑いを、わたしには遠慮なく見せる先輩。

「面白いなぁ、ホント!」

 いつも、そういって笑う先輩。



 ……最近、手をつないで歩くようになった。
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