12年目の恋物語

真矢すみれ

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13年目のやさしい願い

7.交差点

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「んー!! いい汗かいた~!!」

 自転車に荷物を積み終わり、両手を空に突き上げて伸びをしていると、

「叶太、何か食ってかない?」

 と、空手仲間の谷村たにむらじゅんが声をかけてきた。
 こいつとは、小学生の頃から一緒だ。道場に通い出したのは、確かオレが一年からで、こいつが二年から。

 土曜日。今日はハルは通院日で、オレは空手の日。
 早朝から顔を出して、基礎練習、型や組み手。ほどよい汗をかいた後、後半は小学生の練習相手。それも終わって、今は昼前。

「悪い。オレ、寄るとこあるから」

 ハルがまだ病院にいるだろうから、迎えに行くんだ。

「病院?」

 つきあいが長いそいつは、オレの彼女が病弱で、しょっちゅう入院してるのを知っている。

「ああ。でも、今日は通院。終わった後、病棟に寄ってるはずだから迎えに行くんだ」

「絵本の読み聞かせだったっけ?」

「そ。後、よく折り紙折ったり、工作したりしてる」

 ハルは小さい子が好きだ。入院中でも調子がいい時は、よく小児科の大部屋やプレイルームで、子どもたちと遊ぶ。あと通院が終わった後とか、長期の休みの時とかにも、病棟に顔を出すんだ。
 そういうボランティアもあるらしいけど、ハルは多分、ボランティアだと思っていない。小さい頃、同じように、優しいお姉さんに遊んでもらってすごく嬉しかったから、自分もやるんだって言う。

「陽菜ちゃんだっけ。いい子だよな~」

「だろ?」

 思わず顔がゆるむのを見て、淳は笑う。
 オレは子どもの頃から、いつだってハルのことばっかりだったから、以前はよくからかわれていた。会わせろ会わせろって、あんまりうるさいから、去年一度会わせたら、それからはからかわれなくなった。

「じゃ、また来週!」

「ああ! またな!」

 オレは淳に手を振ると、ペダルをグッと踏み込んだ。

 ハルとは相変わらず、どこかぎこちない。だけど去年のように、オレを避けたり、黙り込んでしまうようなことはない。
 ハルがオレを置いて三十分も早く行ってしまった次の日、オレが一時間も早くに家を出て、裏口で待ち伏せしたからか、その翌日からは、いつもの時間に登校するようになった。

 でも、ハルが物思いにふける時間が増えた気がする。
 会話もあまり弾まない。
 例のオレの所行については、言っても今さらどうにもならないと分かっているからか、ハルはオレを責めるようなことは言わない。だけど、そう簡単に割り切れないのかも知れない。

 ただでさえ、そんな不安定な状況なのに、ハルに横恋慕中の一ヶ谷は連日、ハルの元を訪れる。
 もう、カンベンしてくれよ! って思いつつ、オレはハルについて一ヶ谷を追い払いに行く。
 朝は待ち伏せで、

「陽菜ちゃん、おはよう!」

 だし、昼休みにもほぼ毎日やって来て、

「牧村先輩、お願いします!」

 と元気に呼び出し、
 ハルが行くと、「牧村先輩」ではなく「陽菜ちゃん」と呼ぶ。
 ハルに一体どういうことか聞いても、

「入学式の日の朝に会ったの」

 としか言わない。
 オレがおいてけぼりを食ったあの日、ハルが貧血を起こして倒れたあの日。
 教室に初めて来た時の「ごめんね」は何? って聞いたら、

「裏口に迷い込んでいたから、クラス発表の場所に案内しようとしたの」

 とハルは言う。そこへ向かう途中で貧血を起こしたらしい。
 保健室へ運んでくれたのは羽鳥先輩だと聞いたから、そこを突っ込むと、具合を悪くしてしゃがみ込んだハルに、イチ早く気づいて飛んできてくれたのが羽鳥先輩だというだけだと言う。

「そんだけで、何でいきなり告白されてんの!?」

 と聞くと、途方に暮れたような顔で、ハル、オレの顔を見た。

「……わたしにも、分からないよ」

 オレが怒っていると思ったのか、ハルはそのまま黙ってしまい、会話は途切れた。
 しまった。と思ったけど、後の祭り。

 ハルは可愛い。正直、惚れた欲目とかそんなんじゃなく、可愛い。
 抜けるような白い肌に、黒目がちな大きな目、ふわふわと色素の薄い柔らかそうな長い髪。学年でも一、二を争う可愛い顔立ちをしている。その上、穏やかで優しくて性格はピカイチ。

 ……そう。
 これまで、誰も手を出そうとしなかったことの方が、不思議なのかもしれない。

 小学生の頃から、オレたちは学校公認カップルだと言われていた。
 正式に付き合い始めた去年……高等部一年の六月。未だに、「世紀の大告白」と話題に上るような告白をして、OKをもらったオレ。
 だから、ハルに手を出そうなんてヤツは、去年は一人も現れなかった。

 だけど、一ヶ谷は新入生だ。しかも、別の中学から入ってきた外部生。
 アオチはオレとハルが、どれほどの絆で結ばれているかを知らないのだ。
 花の蜜に寄ってくる虫を追い払うかのように、オレは一ヶ谷を追い払う。なのに、アイツは執拗に、諦めることなくやってくる。

「あのね。どれだけ来てもらっても、わたし、一ヶ谷くんとはつきあえない」

「もう、つきあっている人がいるから」

「……別れないよ」

 昨日、ハルが一ヶ谷に言った。
 ハルが一ヶ谷相手に、しっかりと断りを入れたのが嬉しくて、オレはもうハルと仲直りしたような気持ちになる。
 けど、別に何も変わっていない。

 入学式の日からハルに笑顔がない。
 ハルに笑っていて欲しいのに。ハルを幸せにしたいのに。

 とにかく、二人きりの時間を増やしたかった。
 天気も良いし気候も良い。今日は迎えの車は頼まず、自転車に二人乗りで帰る予定だ。
 ハルは自転車に乗れない。だからか、初めて後ろに乗せた去年の秋、ハルはスゴく喜んでくれた。

「自転車って、お尻、痛いんだね」

 なんて言いながらも、赤く上気した頬が、キラキラと輝く瞳が、本当に楽しそうで。ハルの笑顔が眩しくて、オレは本当に幸せだった。
 目の前に見える、スクランブルの交差点を越えたら、もう病院は目の前だ。
 その大きな交差点で、信号待ちをしていると、

「……っ!」

 隣から、息をのむような声が聞こえてきた。
 その歩行者のおじさんの視線の先を見ると、一台の青い乗用車。

 ……………おいっ!

 その車は、交差点に向かって突進中だった。
 オレのところには、来ない。
 だけど!
 その進路の先には、オレとは逆の歩行者信号を待って、明後日の方向を向いて立っている制服姿の女の子がいて!!
 オレは、考えるより先に、自転車を放り出して、駆け出していた。

 間に合う。
 そう踏んで、その子の腕を引いた。
 危ないと叫ぶ間もなく、力いっぱい引いた。

 そのままの軌跡だったら、車は、オレの方には来ないはずだった。
 ……なのに、
 なんで、こっちにハンドル切るんだよっ!!

「クソッ!」

 オレは、女の子を引く力を強くした。
 反対の腕で、その子の背を力いっぱい突き飛ばした。
 どこかで、甲高い悲鳴が聞こえた。

 キキキィィッ!!

 今更ながら、急ブレーキをかける音が鳴り響いた。
 目の前に車の青いボディが見えた。
 衝突の衝撃はうまく受け流せた気がする。きっと、長く格闘技をやってきたおかげだ。

 だけど、まともに車にぶつかったオレの身体は宙を舞い、とっさに頭をかばったにも関わらず、オレは後頭部をアスファルトに強打した。
 血相を変えてかけ寄る人たちの姿が、かすむ視界のすみに入ってきた。
 先頭は隣に立っていたおじさんか。
 こんな状況なのに、オレはやけに冷静で、音はなく、スローモーションで動く世界は、まるで映画か何かのようで……。

 ふと、脳裏にハルの顔が思い浮かんだ。
 大好きな笑顔ではなくて、今にも泣き出しそうな……哀しげなハルの顔が。

 ハル、ごめん。
 ……オレ、なんか、迎えに行けなさそう。

 そのまま、オレの意識は暗転した。
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