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13年目のやさしい願い
24.最期の願い2
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心の中に、ぽっかりと空洞ができたような、どうにも空虚な気持ちのままに、目が覚めた。
夢の中でポロポロと流れ落ちていた涙は、目が覚めても、やっぱりあふれ出していた。
うっすらと光る非常灯。
ピッピッと音を立てる心電図モニター。
かすかに見える点滴の袋。
……病院。
カーテンが閉められている。夜だった。
自分がいる場所は分かるのに、どうしてここにいるのかが、すぐには思い出せなかった。
頭にもやがかかったようで、まともに思考が回らなかった。
熱い。のどを通る空気が熱くて仕方ない……。
息苦しい。
……お水。お水、飲みたい。
ああ、そうか。熱があるんだ。
ナースコールを押すのもおっくうで、そのまま、また目を閉じた。
そうして、ようやく思い出した。
保健室で寝ていたら、カナのことを好きだという女の子と一ヶ谷くんが来て……。
女の子が帰っていった後、一ヶ谷くんと話をしていて……。
それから、話している最中に急に気分が悪くなって、我慢できなくて……。
一度は失われた意識も、繰り返し名前を呼ばれ、何度も浮き沈みを繰り返した。
気がつくと、いつもカナが手を握ってくれていた。
それだけで、なぜか大丈夫だという気がした。
……カナ。
あるはずがないと思いながらも、その手を探した。
やっぱり見つからず、分かっていたにも関わらず、何だかとても寂しかった。
わたしはどれくらい、意識を失っていたんだろう?
今が、金曜日の夜なのか、土曜日の夜なのかさえ分からなかった。
最後の記憶は、救急車の中だった。
「ハル、後少しで病院つくからな。早く楽にしてもらおうな」
カナの声は優しく落ち着いていて、思い出すと、なぜか悲しくなった。
たまらなく、カナに会いたかった。
息苦しい。
熱い。
……我慢するくらいしか、わたしにできることはなかったから、また目をつむった。
次に目が覚めた時には、少しでも楽になっていたらいいな、とそう思いながら。
だけど、身体には耐えがたい程に熱がこもり、酸素マスクをつけていてもなお息苦しくて、のどはカラカラに渇いていて……。
目をつむっても眠れずにいると、ふいにドアが開く音がした。
薄く目を開けると、廊下の薄明かりが病室内に差し込むのが見えた。
いつもの見回りだと思って、そのまま目を閉じる。
足音が静かに近づいて来た。
「陽菜ちゃん、氷まくらかえようね」
聞き覚えのある声が耳に入ると同時に、頭を持ち上げられた。
そっと下ろされた頭の後ろに、冷たい氷まくらの感触。
気持ちいい。
ふうっと思わず吐息がもれた。
「あれ? 陽菜ちゃん、意識ある? ……陽菜ちゃん!」
枕元の電灯がつけられた。
返事をする元気なんかなかったけど、呼ばれたので仕方なくうっすらと目を開けると、裕也くんの心配そうな顔が目に飛び込んできた。
「陽菜ちゃん。陽菜ちゃん、分かる?」
「……ゆ、や……く」
のどがカラカラで、まともに声が出なかった。
いざ、人の顔を見たら、なぜ今まで我慢できたのか不思議なくらいで、飛び出す言葉は一つだった。
「……ず、ほし…」
「ん?」
「お……み、ず」
「水? ちょっと待ってね」
バタバタと慌ただしい足音の後、「お待たせ」と差し出された吸い飲みから、ゆっくりと水を飲む。
ただの水が、冷えてもいない室温の水が、とてつもなくおいしかった。
慌てて飲んでむせたりしないよう、ゆっくりと飲み干して、ようやく人心地ついた。
「ごちそう、さま」
ようやく、しっかり目を開けて裕也くんの顔を見る。
空になった吸い飲みを受け取りながら、裕也くんはわたしのおでこに手を当てた。その仕草がお医者さまっぽくなくて、白衣とのギャップがどこか不思議だった。
「おかわりは?」
「も、いい」
吸い飲みをサイドテーブルに置き、裕也くんはポケットから聴診器を取り出した。
胸に当てた聴診器をゆっくりと丁寧に、裕也くんは動かしていく。
「雑音、聞こえた?」
そう聞くと、裕也くんは苦笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇
数年前、まだ中学生だった頃。国家試験に受かった裕也くんは、研修に入る前にと家まで会いに来てくれた。
そして、ひとしきりおしゃべりをした後、聴診をさせて欲しいと頼まれた。
裕也くんは、真顔でゆっくりと、とても丁寧に聴診器を動かした。
聴診器がわたしの身体から離れたところで、
「雑音、聞こえた?」
そう聞くと、裕也くんは、
「……多分」
と自信なさげに答えた。
瑞希ちゃんのために医者を目指した裕也くん。
瑞希ちゃんがいなくなってから、医者になった裕也くん。
本当は、瑞希ちゃんにこうしたかったんだろうな、と思った。
「次に会う時には、ちゃんと診察できるようになってるから、待ってて」
裕也くんは、真面目な顔でそう言った。
今、裕也くんは約束通りに白衣を着て、病室にいた。
◇ ◇ ◇
「雑音、聞こえた?」
そうして、あの時と同じ質問に真顔で答えてくれた。
「盛大に。……陽菜ちゃん、つらいだろ?」
「ん? 大丈夫」
「これで大丈夫なら、逆に問題だよ」
裕也くんは顔をしかめた。
確かに、熱いし息苦しいし、イヤな動悸もある。
身体は重くて、ベッドの上に起きあがるのもムリだと思うくらいだけど、それでも発作の時の苦しさからしたら、むしろ天国だとすら思う。
「……氷まくら、気持ちいいよ。ありがとう」
脈絡もなくそう言うと、裕也くんは心配そうにわたしの頭をなでた。
「そう? それはよかった。じゃあ、脇も冷やそうか」
氷まくらの準備は、いつもなら看護師さんがしてくれる。
「なんで裕也くんが?」
「ああ。ナースの皆さん、忙しそうだったからね。陽菜ちゃんの様子も見たかったし、ついでに。……待ってて。用意してくるから」
そう言うと、裕也くんは足早に病室を後にした。
再会してから今日まで、裕也くんから瑞希ちゃんの名を聞くことは一度もなかった。
不自然なくらいに、一度も話題にならなかった。
裕也くんだけじゃなく、カナだって、忘れているはずはないと思うのに、瑞希ちゃんのことは話さない。
……瑞希ちゃんは、もういない。
裕也くんが出て行った後の病室で、目をつむると、やはり思い出すのは瑞希ちゃんだった。
だけど、楽しかったエピソードはどこかに飛んでいってしまったのか、思い出すのは、瑞希ちゃんがいなくなってからの寂寥感ばかり。
……瑞希ちゃんは、もうどこにもいない。
一人でいると、寂しさに胸がちぎれそうになる。
忘れていいよ。
幸せになって。
ふいに、空から降るように、瑞希ちゃんの最期の言葉が脳裏に浮かび上がり、消えていった。弱々しくて小さくて、でもどこか凛とした声が……。
「お待たせ」
裕也くんがそっと病室に入って来た。
声を出したら、泣いてしまいそうな気がして、何も言わずにいると、裕也くんは、
「陽菜ちゃん? 寝ちゃった?」
そう言いながら、そっと脇の下に熱冷ましのための氷のパックを挟んでくれた。
気持ちいい。
思わず、また吐息が出る。
「陽菜ちゃん? 大丈夫?」
裕也くんが気遣わしそうに、わたしの頬に手を当てた。
「……忘れられた?」
思わず、本当に、思わず、ポロリとこぼれ落ちた言葉。
しまったと思ったけど、取り消す元気もなかった。
何を言っているのか通じなければいいのに、そう思ったのに、裕也くんはすぐに答えをくれた。
「忘れられるわけないでしょ」
寂しそうだけど淡々と落ち着いた声に、少しだけホッとした。
「……そうだよね」
わたしだって忘れられないんだ。ましてや、裕也くんが忘れられるはずがない。
分かっていたのに、答えなんて分かり切っていたのに、だけど、思わず聞いてしまった。
重なるんだ。
……カナ。
カナもわたしが死んだら、きっと泣くんだろうな。
わたしが何も言えずにいると、裕也くんが穏やかに続けた。
「だけどね、陽菜ちゃん。いつか、もし、心から愛せる人ができたら、ちゃんと好きになるよ」
裕也くんが優しく、ひたすらに優しく、ゆっくりとわたしの頭をなでた。
「まあ、瑞希以上に想える人が、そう簡単に現れるはずないのは、仕方ないよね?」
「……裕也くん」
「心配してくれてありがとう。ボクは大丈夫だよ」
「……うん」
……瑞希ちゃんは、何を願ったんだろう?
「忘れて欲しい」ではなく、「忘れていいよ」だったから、忘れることに罪悪感を持つことはないよ、きっと、そう言いたかったのだと思う。
裕也くんは瑞希ちゃんを忘れてはいない。
だけど、ちゃんと気持ちは未来を向いている。
寂しいなんて思わなかった。
裕也くんの言葉に、ただホッとした。
わたしがいなくなった後のカナが、嘆き悲しむ姿なんて想像もしたくなかった。
少しは仕方ない。少しの間は、きっと悲しんだって仕方ない。
だけど、いつかはちゃんと思い出にして欲しい。
裕也くんの中で、瑞希ちゃんの存在はまだ大きい。でも、いつでも思い出になる準備はできている。
ホッとしたら気が抜けたのか、急に強い眠気に襲われた。
「裕也……くん」
「ん? どうした?」
話しながら、ベッドの上にいるはずの身体がどこまでも沈み込み、ずぶずぶと闇の中に入り込んでいくような錯覚におちいる。
「……のね、お願いが……あるの」
今、話さなきゃいけない気がしてならないのに、何だかろれつが回らなくなってきていた。
「ん? なに?」
「……たしが、……だ……と」
裕也くんが、額の汗をやさしくぬぐってくれた。
わたしが死んだ後、カナの話、聞いてあげて。
カナの力になってあげて。
そう言いたかったのだけど、もう、ちゃんと声が出ていたのかも分からなかった。
こんなこと、裕也くんにしか頼めない。
裕也くんが、何か言っているのは聞こえたけど、それが、「もう一回言って」なのか「分かった」なのか、「おやすみ」なのかも、もう分からなかった。
意味の取れない裕也くんの言葉を聞きながら、ゆっくりと、わたしの意識は闇に沈み、やがてプツリと途切れた。
夢の中でポロポロと流れ落ちていた涙は、目が覚めても、やっぱりあふれ出していた。
うっすらと光る非常灯。
ピッピッと音を立てる心電図モニター。
かすかに見える点滴の袋。
……病院。
カーテンが閉められている。夜だった。
自分がいる場所は分かるのに、どうしてここにいるのかが、すぐには思い出せなかった。
頭にもやがかかったようで、まともに思考が回らなかった。
熱い。のどを通る空気が熱くて仕方ない……。
息苦しい。
……お水。お水、飲みたい。
ああ、そうか。熱があるんだ。
ナースコールを押すのもおっくうで、そのまま、また目を閉じた。
そうして、ようやく思い出した。
保健室で寝ていたら、カナのことを好きだという女の子と一ヶ谷くんが来て……。
女の子が帰っていった後、一ヶ谷くんと話をしていて……。
それから、話している最中に急に気分が悪くなって、我慢できなくて……。
一度は失われた意識も、繰り返し名前を呼ばれ、何度も浮き沈みを繰り返した。
気がつくと、いつもカナが手を握ってくれていた。
それだけで、なぜか大丈夫だという気がした。
……カナ。
あるはずがないと思いながらも、その手を探した。
やっぱり見つからず、分かっていたにも関わらず、何だかとても寂しかった。
わたしはどれくらい、意識を失っていたんだろう?
今が、金曜日の夜なのか、土曜日の夜なのかさえ分からなかった。
最後の記憶は、救急車の中だった。
「ハル、後少しで病院つくからな。早く楽にしてもらおうな」
カナの声は優しく落ち着いていて、思い出すと、なぜか悲しくなった。
たまらなく、カナに会いたかった。
息苦しい。
熱い。
……我慢するくらいしか、わたしにできることはなかったから、また目をつむった。
次に目が覚めた時には、少しでも楽になっていたらいいな、とそう思いながら。
だけど、身体には耐えがたい程に熱がこもり、酸素マスクをつけていてもなお息苦しくて、のどはカラカラに渇いていて……。
目をつむっても眠れずにいると、ふいにドアが開く音がした。
薄く目を開けると、廊下の薄明かりが病室内に差し込むのが見えた。
いつもの見回りだと思って、そのまま目を閉じる。
足音が静かに近づいて来た。
「陽菜ちゃん、氷まくらかえようね」
聞き覚えのある声が耳に入ると同時に、頭を持ち上げられた。
そっと下ろされた頭の後ろに、冷たい氷まくらの感触。
気持ちいい。
ふうっと思わず吐息がもれた。
「あれ? 陽菜ちゃん、意識ある? ……陽菜ちゃん!」
枕元の電灯がつけられた。
返事をする元気なんかなかったけど、呼ばれたので仕方なくうっすらと目を開けると、裕也くんの心配そうな顔が目に飛び込んできた。
「陽菜ちゃん。陽菜ちゃん、分かる?」
「……ゆ、や……く」
のどがカラカラで、まともに声が出なかった。
いざ、人の顔を見たら、なぜ今まで我慢できたのか不思議なくらいで、飛び出す言葉は一つだった。
「……ず、ほし…」
「ん?」
「お……み、ず」
「水? ちょっと待ってね」
バタバタと慌ただしい足音の後、「お待たせ」と差し出された吸い飲みから、ゆっくりと水を飲む。
ただの水が、冷えてもいない室温の水が、とてつもなくおいしかった。
慌てて飲んでむせたりしないよう、ゆっくりと飲み干して、ようやく人心地ついた。
「ごちそう、さま」
ようやく、しっかり目を開けて裕也くんの顔を見る。
空になった吸い飲みを受け取りながら、裕也くんはわたしのおでこに手を当てた。その仕草がお医者さまっぽくなくて、白衣とのギャップがどこか不思議だった。
「おかわりは?」
「も、いい」
吸い飲みをサイドテーブルに置き、裕也くんはポケットから聴診器を取り出した。
胸に当てた聴診器をゆっくりと丁寧に、裕也くんは動かしていく。
「雑音、聞こえた?」
そう聞くと、裕也くんは苦笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇
数年前、まだ中学生だった頃。国家試験に受かった裕也くんは、研修に入る前にと家まで会いに来てくれた。
そして、ひとしきりおしゃべりをした後、聴診をさせて欲しいと頼まれた。
裕也くんは、真顔でゆっくりと、とても丁寧に聴診器を動かした。
聴診器がわたしの身体から離れたところで、
「雑音、聞こえた?」
そう聞くと、裕也くんは、
「……多分」
と自信なさげに答えた。
瑞希ちゃんのために医者を目指した裕也くん。
瑞希ちゃんがいなくなってから、医者になった裕也くん。
本当は、瑞希ちゃんにこうしたかったんだろうな、と思った。
「次に会う時には、ちゃんと診察できるようになってるから、待ってて」
裕也くんは、真面目な顔でそう言った。
今、裕也くんは約束通りに白衣を着て、病室にいた。
◇ ◇ ◇
「雑音、聞こえた?」
そうして、あの時と同じ質問に真顔で答えてくれた。
「盛大に。……陽菜ちゃん、つらいだろ?」
「ん? 大丈夫」
「これで大丈夫なら、逆に問題だよ」
裕也くんは顔をしかめた。
確かに、熱いし息苦しいし、イヤな動悸もある。
身体は重くて、ベッドの上に起きあがるのもムリだと思うくらいだけど、それでも発作の時の苦しさからしたら、むしろ天国だとすら思う。
「……氷まくら、気持ちいいよ。ありがとう」
脈絡もなくそう言うと、裕也くんは心配そうにわたしの頭をなでた。
「そう? それはよかった。じゃあ、脇も冷やそうか」
氷まくらの準備は、いつもなら看護師さんがしてくれる。
「なんで裕也くんが?」
「ああ。ナースの皆さん、忙しそうだったからね。陽菜ちゃんの様子も見たかったし、ついでに。……待ってて。用意してくるから」
そう言うと、裕也くんは足早に病室を後にした。
再会してから今日まで、裕也くんから瑞希ちゃんの名を聞くことは一度もなかった。
不自然なくらいに、一度も話題にならなかった。
裕也くんだけじゃなく、カナだって、忘れているはずはないと思うのに、瑞希ちゃんのことは話さない。
……瑞希ちゃんは、もういない。
裕也くんが出て行った後の病室で、目をつむると、やはり思い出すのは瑞希ちゃんだった。
だけど、楽しかったエピソードはどこかに飛んでいってしまったのか、思い出すのは、瑞希ちゃんがいなくなってからの寂寥感ばかり。
……瑞希ちゃんは、もうどこにもいない。
一人でいると、寂しさに胸がちぎれそうになる。
忘れていいよ。
幸せになって。
ふいに、空から降るように、瑞希ちゃんの最期の言葉が脳裏に浮かび上がり、消えていった。弱々しくて小さくて、でもどこか凛とした声が……。
「お待たせ」
裕也くんがそっと病室に入って来た。
声を出したら、泣いてしまいそうな気がして、何も言わずにいると、裕也くんは、
「陽菜ちゃん? 寝ちゃった?」
そう言いながら、そっと脇の下に熱冷ましのための氷のパックを挟んでくれた。
気持ちいい。
思わず、また吐息が出る。
「陽菜ちゃん? 大丈夫?」
裕也くんが気遣わしそうに、わたしの頬に手を当てた。
「……忘れられた?」
思わず、本当に、思わず、ポロリとこぼれ落ちた言葉。
しまったと思ったけど、取り消す元気もなかった。
何を言っているのか通じなければいいのに、そう思ったのに、裕也くんはすぐに答えをくれた。
「忘れられるわけないでしょ」
寂しそうだけど淡々と落ち着いた声に、少しだけホッとした。
「……そうだよね」
わたしだって忘れられないんだ。ましてや、裕也くんが忘れられるはずがない。
分かっていたのに、答えなんて分かり切っていたのに、だけど、思わず聞いてしまった。
重なるんだ。
……カナ。
カナもわたしが死んだら、きっと泣くんだろうな。
わたしが何も言えずにいると、裕也くんが穏やかに続けた。
「だけどね、陽菜ちゃん。いつか、もし、心から愛せる人ができたら、ちゃんと好きになるよ」
裕也くんが優しく、ひたすらに優しく、ゆっくりとわたしの頭をなでた。
「まあ、瑞希以上に想える人が、そう簡単に現れるはずないのは、仕方ないよね?」
「……裕也くん」
「心配してくれてありがとう。ボクは大丈夫だよ」
「……うん」
……瑞希ちゃんは、何を願ったんだろう?
「忘れて欲しい」ではなく、「忘れていいよ」だったから、忘れることに罪悪感を持つことはないよ、きっと、そう言いたかったのだと思う。
裕也くんは瑞希ちゃんを忘れてはいない。
だけど、ちゃんと気持ちは未来を向いている。
寂しいなんて思わなかった。
裕也くんの言葉に、ただホッとした。
わたしがいなくなった後のカナが、嘆き悲しむ姿なんて想像もしたくなかった。
少しは仕方ない。少しの間は、きっと悲しんだって仕方ない。
だけど、いつかはちゃんと思い出にして欲しい。
裕也くんの中で、瑞希ちゃんの存在はまだ大きい。でも、いつでも思い出になる準備はできている。
ホッとしたら気が抜けたのか、急に強い眠気に襲われた。
「裕也……くん」
「ん? どうした?」
話しながら、ベッドの上にいるはずの身体がどこまでも沈み込み、ずぶずぶと闇の中に入り込んでいくような錯覚におちいる。
「……のね、お願いが……あるの」
今、話さなきゃいけない気がしてならないのに、何だかろれつが回らなくなってきていた。
「ん? なに?」
「……たしが、……だ……と」
裕也くんが、額の汗をやさしくぬぐってくれた。
わたしが死んだ後、カナの話、聞いてあげて。
カナの力になってあげて。
そう言いたかったのだけど、もう、ちゃんと声が出ていたのかも分からなかった。
こんなこと、裕也くんにしか頼めない。
裕也くんが、何か言っているのは聞こえたけど、それが、「もう一回言って」なのか「分かった」なのか、「おやすみ」なのかも、もう分からなかった。
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