12年目の恋物語

真矢すみれ

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番外編3 未練と祝福

本編

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 杜蔵学園高等部、2年2組。
 どんよりと曇った空に見下ろされた窓際の一席。
 昼休みまで後一時間。友人の話をぼんやり耳に入れながら、腹減ったな~なんて思いつつ、窓の外をチラ見していた、そんな時。

「……は?」

 一つ前の席に座る水森が口にした思いもかけない話に、オレの思考はストップした。

「おーい。聞こえてる?」

 水森はオレの目の前で、手のひらをゆらゆらと動かす。

「……なんだって!?」

 二拍ほど遅れて、オレが大きな声を上げると、水森は面白そうにニヤリと笑って、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「お前の愛しの牧村先輩が、」

「結婚!?」

 言葉を奪い取るように続けると、水森は「なんだ」と呟いた。

「聞こえてるじゃん」

「高校生だろ!?」

 結婚って、……結婚って何だよ!?
 いや。婚約の間違えだよな?
 それでも早過ぎるけど、二人とも相当な良家の子女。だったら、高校生で婚約していてもおかしくない……いや、ホントか!?
 貧乏じゃないけど、ごくごく一般家庭に育ったオレには、セレブな家の結婚事情はどうにも想像が付かない。

「でさ」

 オレが半ばフリーズしているのを知ってか知らずか、水森はピンと立てた人差し指でオレの眉間を突きながら話を続ける。

「広瀬先輩の誕生日に入籍、」

「にゅうせき!?」

 もったいぶった水森の言葉に思わず大声を上げるが、言葉の意味が分からない。
 にゅうせき……って何だっけ?
 オレの微妙な反応に気付いた水森は、

「籍を入れるんだよ。……つまり、実質的な結婚」

 籍を入れる?
 実質的な、……結婚!?

「なんで!?」

 ってか、

「誕生日って!?」

 そもそも、

「それっていつ!?」

「8月の半ばだって。18歳になるからって、」

 いや、確かに18歳になったら結婚できるよ?
 できるけど、普通、18歳になった途端に結婚する!?
 まだ高校生だよな!?

「……てかさ、なんで、お前がそんなこと知ってるんだよ」

「オレの姉ちゃん、1歳上。牧村先輩たちと同じクラスなの」

「……そうなの?」

「……お前、ホント、大概、牧村先輩以外に興味ないな」

 陽菜ちゃんに振られてから既に一年以上経っている。
 諦めたつもりだったけど、そう簡単に気持ちが切り替わるはずもなく、オレは相変わらず、密かに物陰から陽菜ちゃんを見守る生活を続けていた。
 そんなオレを、水森はよく知っている。
 だけど、

「いや、さすがにそんな事はないだろ」

 彼女が欲しいとかは思わない。陽菜ちゃん以外の女の子に興味はない。だけど、さすがに陽菜ちゃんだけが生活のすべてじゃない。
 ただ、水森に一つ上の姉がいたことを知ったのが今なのは事実。やっぱり、もう少し周囲に目を向けた方が良いのかもしれない。

「ま、いっけどさ。姉ちゃんのことなんて話さないもんな」

 ため息を吐きながらも、水森は続きを話してくれた。

「って訳で、姉ちゃん情報なんだけど、シークレット祝福ツアーを企画してるんだと」

「……シークレット祝福ツアー?」

「結婚式の当日、内緒で現地に行って驚かせるんだってさ」

 夏休みの広瀬先輩の誕生日、車で数時間はかかる避暑地の教会で結婚式。
 陽菜ちゃんの体調が悪かったら中止になるから、本当は家族だけで行う予定だった結婚式。
 もしかしたら、結婚式も披露宴も中止になるかも知れないと言う。
 気持ちに整理は付いていた……と思っていた。
 ただ、陽菜ちゃんを見守れたら、陽菜ちゃんが幸せなら良いと思っていた。
 けど、実際には、全然付いていなかったらしい。
 だって、オレ、思わず願っていた。
 結婚式が中止になれば良いって。
 なんてひどいやつなんだ。
 自分で自分が信じられなかった。
 オレ、どうかしてる。
 陽菜ちゃんの底なしの優しさを思い出して、胸が軋むように痛んだ。

「おーい。さーとるーくーん」

 目の前をひらひら行ったり来たりする手のひらを払いのけ、気が付くと聞いていた。

「……場所と日にち、教えて」

「え!? 略奪!?」

「……なわけ、ないだろ」

 いつまでもウジウジ、影から見ていちゃダメだ。
 この気持ちに区切りを付けなくちゃ、ダメだ。

「じゃ、祝福?」

 って雰囲気じゃないのは、オレの表情から分かるらしい。

「……打ちのめされに行ってくる」

 そう言うと、複雑そうな顔をしながらも、水森は、

「じゃ、聞いとくよ」

 と請け負ってくれた。


   ◇   ◇   ◇


 教会には、本当に陽菜ちゃんの同級生がたくさん来ていた。
 まさか、広瀬先輩が用意したと言う貸切バスに乗せてもらうわけにも行かず、一人電車と路線バスを乗り継いでやって来た。
 前泊したせいで、結構痛い出費。



 黒塗りの高級車から降りた広瀬先輩は、スーツを着た運転手さんが開けたドアの向こうに手を伸ばす。
 広瀬先輩に手を取られて出て来た陽菜ちゃんは、なんて言うか、今まで見た中で一番輝いていた。
 にこりと微笑みを浮かべ、広瀬先輩を見つめる陽菜ちゃん。いつものようにとろけそうな笑顔で陽菜ちゃんを見つめる広瀬先輩。
 2人はまだ私服だった。広瀬先輩は薄手のジャケットこそ着用していたけど、ラフな服装。陽菜ちゃんも薄いピンクのワンピースに白いレースのカーディガン姿。
 教えてもらった結婚式の時間には、まだ1時間以上ある。参列すると聞いている学校の先生や先輩たちも、誰も来ていない。きっと、これから着替えるのだろうな、とそんなことを思う。
 まぶしい。
 満面の笑顔で手を繋ぐ2人には、木漏れ日が降り注ぎ、陽菜ちゃんの頭に白いベールが見えた気がした。
 木陰から、2人が教会の隣の建物に消えるのを、ただ見守った。

 サワサワと木々の葉ずれの音が聞こえて来た。
 終わった恋だった。最初から、叶うわけもなく、1パーセントの可能性もない恋だった。
 それでも、好きだったんだ。
 色々間違えたし、人間として、最低なことをしてしまったけど……。
 だけど、好きだったんだ。
 ないはずの1パーセントを、いや、0.1パーセントを夢見てしまうほど……。

 あれから一年とちょっと。
 まだ、陽菜ちゃんへの想いは薄まらない。
 ウェディングドレス姿を見たら、結婚式を見たら、幸せいっぱいの2人を見たら、過去にできるかと思った。諦められると思った。あわよくば、祝福できるかもと思った。
 ……無理だよ。
 だって、まだこんなに好きだ。
 オレにできるのは、見守るだけ。陽菜ちゃんの幸せを祈るだけ。
 分かってるから何もしない。何もできない。そもそも、祝福以外の何かをする権利なんてカケラもない。
 だから、打ちのめされる事だけが、今のオレにできること。後、どれだけ現実を見せつけられたら、気持ちに整理が付くのだろうか?



 どれくらいの時間が経ったのだろう?
 歓声と拍手が耳に飛び込んで来た。
 そういえば、ぼんやりしている間に、参列者が教会に入るのを目にした気もする。
 にぎやかな音に我に返り、教会の見える位置にそっと移動した。
 ちょうど教会の大きな扉から、陽菜ちゃんと広瀬先輩が出て来たところだった。
 陽菜ちゃんは純白のウェディングドレスを着て、手には可愛らしいブーケを持っていた。広瀬先輩はグレーのタキシードを着ていた。
 陽菜ちゃんの眼からは涙がポロポロとこぼれ落ちる。それが、悲しくて流れる涙でないのは間違いない。広瀬先輩は隣の陽菜ちゃんを労わるように優しい眼で見つめている。
 腕を組んで歩く2人の姿をカメラマンが何か言いながら、パシャパシャと写真に収めていた。

 太陽は間もなく中天に登るという午前の終わり。
 木漏れ日が溢れる森の中の教会で、幸せそうに赤い絨毯の上を歩く2人を、大勢の参列客に祝われる2人を、オレはただ見守っていた。
 目の前を、幸せそうな2人と、それを取り囲む人たちが、映画のワンシーンのように、静かに流れていく。
 投げられたブーケに群がる女の子たち。
 参列者全員での記念撮影。
 やがて、陽菜ちゃんたちは、大きな車に乗り込み、少し後には参列者たちも観光バスに乗ってどこへやら移動し、いなくなった。
 オレは、それでも、まだぼんやりと、さっきまで陽菜ちゃんたちがいた教会を眺めていた。

「おい」

「……う、わっ!」

 思わぬところで声をかけられ、思わず飛びのくと、

「お前、何しに来た?」

 オレの前には、恐怖の大魔王……陽菜ちゃんのお兄さんが立っていた。
 まずい!
 最初に思ったのは、そんな言葉。
 何もまずいことはしていない。だけど、陽菜ちゃんを溺愛する、この人からしたら、間違いなくオレは排除すべき人間だろう。

「え…っと、」

「ん?」

 お兄さんは口の端を上げ、冷たい笑顔を見せる。
 ヘビに睨まれたカエル。
 そんな言葉が不意に思い浮かぶ。もちろん、お兄さんがヘビでオレがカエルだ。

「あ…の……お久しぶり、です」

「ああ、久しぶりだね。……で?」

 冷たい。
 夏だと言うのに、オレたちの周りにだけブリザードが吹き荒れる。
 それくらい、お兄さんの視線と纏う空気は冷たかった。

「オレ、あの…別に邪魔しに来たわけじゃなくて、」

 口をついて出るのは、つたない言い訳。
 いや、本当に邪魔しに来たわけではないのだけど……。

「へえ。……で?」

「あの、ただ、一目、陽菜ちゃんの花嫁姿を見て、」

 結婚式に乱入する気なんてなかった。
 陽菜ちゃんの顔を一目見られたらよかったんだ。

「なるほど。一目、ね。……それで?」

「あの……それで、一目見て、打ちのめされようと、」

 この教会の場所なんかを教えてくれた友人に言ったのと同じ言葉を絞り出すように言った瞬間、お兄さんの背後で誰かが吹き出した。

「おい、晃太」

 お兄さんがとがめるように言いながら、振り返る。

「や、もういいじゃん? この子、別に何も邪魔してなかったし」

 その人は、楽しそうに笑いながら、お兄さんの肩をポンポンとたたいた。

「君、面白いね」

 クスクス笑いながら、お兄さんの後ろから出て来たのは、お兄さんとは正反対の柔らかい空気をまとったイケメン大学生だった。
 お兄さんも間違いなく綺麗に整った容姿を持っているけど、この人の方がモテるだろうな、と思った。
 背は高いけど細身で威圧感はない。そして、スーツを着てはいるけど、社会人には見えなかった。

「君、一ヶ谷くん、だよね? あれから一年以上経つのに、まだ諦められていなかったんだ」

 大きなお世話だ!
 と思ったけど、言えない。
 今ここにいるってことは、陽菜ちゃんの関係者だろう。オレの名前も知っている上、お兄さんとの親しげな様子からして親戚かもしれない。
 オレは、お兄さんが一年以上たった今でも怒っているのが当然だと思うくらいには、あの時の自分を反省している。
 オレが口をつぐんでいると、目の前の男の人は面白そうに、オレの顔を覗き込んだ。

「こんなところまで、わざわざ、打ちのめされに?」

 そのイケメンは、クスクス笑い続ける。

「悪いかよ」

「いや? 略奪じゃなきゃ、オレは構わないよ。さすがに、結婚式に乱入されたんじゃ、ハルちゃんも叶太も可哀想だからね」

「そんなこと、しないし」

「そう?」

「……陽菜ちゃん、すごく幸せそうだったし」

 思わず、目の前の人から視線をそらした。

「諦められた?」

 答えられない。
 そもそも、諦めるって何だろう?

 打ちのめされに来た。
 実際、幸せそうな2人を見たダメージは大きい。だけど、それでも心の底から湧き上がる、渇望と言いたいような衝動は何だろう? オレ、心が狭いのかな?
 陽菜ちゃんが幸せそうなのは、良かったなと思うけど、じゃあ、それで安心して陽菜ちゃんへの想いを手放せるかって言ったら、全然なんだ。
 気がつくと、オレは青々とした柔らかそうな下草の生えた地面を見つめていた。
 自分の心の狭さと言うか、自分しか見えていないところと言うか、そう言う人間としてまだまだなところを目の当たりにして、何だか、すごく情けなくなった……。
 ふっと地面に影が差して、頭に大きな手が降って来た。

「わっ」

 思わず顔を上げると、わしわしと頭を撫でられた。

「君、可愛いな」

 優しげな容姿のイケメン青年は、オレを見て目を細めていた。

「な、なに!?」

「ハルちゃん、文句なしに可愛いしね、いい子だしね。そう簡単には、気持ちに整理、付かないよな」

 分かったようなこと言うな、と言いたいけど、子どもみたに頭をなでられて、不覚にも目頭が熱くなる。
 兄貴みたいな包容力を感じる。
 子ども扱いかも知れないけど、打ちのめされに来て実際打ちのめされた今、その人の言葉は心にスーッと染み込んでいった。
 ふっと目の前の男の人の空気が変わった。
 顔を上げると、彼は満面の笑みを浮かべていた。同性なのに、思わず惹きつけられる魅力に思わず頰が上気する。そんなオレを笑うでもなく、その人は更に笑みを深めた。

「……うん。よし。一緒に来おいで?」

「え? どこに?」

「おい、晃太!」

 オレの質問と同時に、陽菜ちゃんのお兄さんの怒ったような声が降って来た。

「いいじゃん。おいで、一ヶ谷くん」

 お兄さん、結構怖い顔してるんだけど、目の前の人、晃太さんは気にする様子もない。それどころかニコニコ笑顔で軽く流す。
 綺麗な顔して、この人、大物だ。



 そうして、オレは促されるままに車に乗り込み、お兄さんに睨まれながら、陽菜ちゃんちの別荘と言う披露宴会場に連れて行かれた。
 優しいイケメン男性が、広瀬先輩のお兄さんだと言うのは、車の中で初めて知った。言われてみれば、よく似た顔立ち。ただ、広瀬先輩のが短髪で、もう少し骨太な感じがする。
 驚いてあたふたするオレを、陽菜ちゃんのお兄さんは冷ややかな一瞥。広瀬先輩のお兄さんは優しく見守ってくれた。

 会場に着くと、陽菜ちゃんのお兄さん……明仁さんは、オレをギロリと冷たく一瞥すると、陽菜ちゃんの元へと向かった。
 広瀬先輩のお兄さん……晃太さんは、待っててねと一度、会場の中心に向かうと、ドリンクと皿いっぱいの食べ物を持って来てくれた。

「はい。ごめんね。ハルちゃんのとこには連れて行けないけど、その辺からコソッと覗き見てね」

 晃太さんは、ニコッと笑って、

「オレは大丈夫だと思うんだけど、明仁がうるさくてさ。悪いね」

 と肩をすくめた。

「え、いえ! ここに入れてもらえるだけでも破格の扱いだって、オレ、分かってますから!」

「そう? じゃあ、オレは行くけど、何か欲しかったら、その辺のテーブルからもらって来るとかしてね?」

「はい。ありがとうございました!」

 受け取った皿とグラスのせいで、深く腰を折って礼をすることはできなかったけど、オレは精一杯の感謝の気持ちを込めて頭を下げた。


   ◇   ◇   ◇


 しばらくは、木陰からコソッと新しいドレスを着た陽菜ちゃんを覗き見た。
 ピンクとも水色ともつかない淡いパステルカラーのドレスを着た陽菜ちゃんは、広瀬先輩と一緒に会場の中心に置かれたソファで幸せそうに笑っていた。
 楽しげに笑いながら口元に当てられた細っそりした指に、何かがキラリと輝いた。ああ、きっと婚約指輪だと、ジッと見てはみるものの遠くて輝きしか分からなかった。

 陽菜ちゃんをこっそり見ながら、晃太さんが持って来てくれた料理を食べ、ノンアルコールカクテルを飲む。
 それがあまりに美味しすぎて、本当はもらった分だけで満足しておけば良かったのに、もう少し……とつい端っこのテーブルに向かってしまった。
 そんな風に欲張ってしまったのがいけなかったのだろうか?
 木陰からそっと見るだけで良かったのに……。

「あれ、お前、一ヶ谷じゃね?」

「ホントだ、横恋慕くんじゃん」

「え!? まだ諦めてなかったの、お前!?」

 気が付くと、広瀬先輩の友人と思われるの皆さんに囲まれていて……。
 さすがに招かれざる客だと自覚しているオレが、しどろもどろに受け答えをしている内に、気がつくと目の前には、若干険しい顔の広瀬先輩が立っていた。

「あの! オレ、別に邪魔しようとか、そう言うんじゃなくて!」

 思わず、広瀬先輩の顔を真っ直ぐに見て訴えていた。
 オレは、去年、陽菜ちゃんにひどいことをしたと、本当に心から後悔している。だから、本当に他意はないんだ。
 この上、結婚式をぶち壊しに来たなんて思われたくない。いや、思って欲しくない。きっと広瀬先輩の人生で一番幸せな日である今日を、オレのせいで曇らせたくなかった。

「ただ……遠くからで良いから、陽菜ちゃんが幸せになるところを見たくて……」

 広瀬先輩は何も言わない。何も言わずに、オレにしゃべらせてくれた。

「で、教会で陽菜ちゃんのウェディングドレスを見て、幸せそうな姿を見て、で……、打ちのめされてたんだけど、」

そこで、広瀬先輩とオレを取り囲むように見守ってくれていた三年の先輩たちの何人かがプッと吹き出した。

「オレ、ボンヤリしてたら、陽菜ちゃんのお兄さんが来て……」

「え? 明兄がお前をここに連れて来たの!?」

 広瀬先輩は驚いたように目を見開いた。

「あ、そうじゃなくて、お兄さんは反対してたけど、晃太さんが……」

「兄貴か!」

 広瀬先輩はそう言って、額に手を当て、はあっとため息をついた。

「……まあ、兄貴が連れて来たんじゃ仕方ないか」

 ったくもう、とか何とか文句をつぶやきながらも、広瀬先輩はそう腹を立てているようには見えなかった。
 そうして、先輩は真顔でオレに向き直った。

「で、ハルのことは諦められたか?」

 思わず、ウッと右足を一歩後ろに引くと、先輩はまた大きなため息をついた。

「全然、諦められてないじゃん」

 申し訳ない。そう思えて仕方ないけど、嘘でも諦められたとは言えなかった。

「……ウェディングドレス見ても、幸せいっぱいの陽菜ちゃんの姿を見ても、無理、でした」

 苦虫を噛み潰したような顔をする先輩に、ヒューヒュー、「モテる奥さんを持つとツライね~」なんてヤジが降りかかる。

「…………あ、の、」

「ああ~! もう!」

 オレが何か言おうと口を開くとほぼ同時に、先輩はグシャッと自分の髪をかき乱すと、はあ~と大きく息を吐いた。

「もういいよ」

「……はい?」

「もういい」

「……っと、何が?」

「これまで、お前以外のヤツがハルにちょっかいかけて来なかった方が、奇跡的な幸運だったって事だろ?
 だって、あんなに良い子なんだぜ、ハル。誰より可愛くて、底抜けに優しくて、思いやりに満ちあふれていて、更に頭もいいんだ。
 多分、これまでだって、ハルに惹かれた男はいたんだよな。ただ、オレがいたから遠慮してくれただけで。
 一ヶ谷は、たまたま、オレのことを知らないままにハルに出会って恋をした。そりゃ、惚れるよな?」

 広瀬先輩はため息混じりに独白する。

「で、色々あって、ハルに相当酷いことをした」

 一瞬の間の後のその言葉に、ゴクリと息を飲む。自覚しているし反省もしているけど、改めて聞くと胃がギュッと締め付けられる。

「でさ……多分だけど、ハル、お前のこと、サラッと許したんだろ?」

 強い瞳で見つめられて、思わず頷く。

「……そりゃ、忘れられないよな」

 広瀬先輩は、はあーっとため息をつく。

「いいさ。ハルがオレしか見てないのは間違いないから」

 その言葉に、これまで静かに見守っていたギャラリーが騒ぎ出す。

「よっ! 叶太、男らしい!」

「ハルちゃんに愛想つかされないようになっ!」

「お前、ハルちゃんに結婚してもらえて、ホント良かったな~」

 オレの前にいる広瀬先輩は、友人たちに揉みくちゃにされる。
 この人は、あれだけ陽菜ちゃんに夢中で、ベッタリで、なのに、こんなにも心を許した友人がいる。
 勝てない。何一つ勝てるところなんてない。けど、陽菜ちゃんは、多分どんな広瀬先輩でも好きなんだろうな。そんな言葉がふと思い浮かぶ。
 広瀬先輩だって、今の陽菜ちゃんをべた褒めするけど、きっと、陽菜ちゃんがどんな風に変わっても、この気持ちは変わらないのだろう。
 友人たちとじゃれ合う先輩をボンヤリ視界に入れながら、そんな事を考えていると、遠くで先輩を呼ぶ声が聞こえた。

「叶太! おい、すぐ来い!」

「ん? なに?」

 走って来たのは、晃太さんだった。

「ハルちゃんが、ワイン飲んだ」

「え!? なんで!?」

 そこまでは聞こえた。

 その先も何か言ったみたいだったけど、気がつくと広瀬先輩の背中は、ガーデンパーティのど真ん中に消えていた。

「話し中に邪魔しちゃって、ごめんね」

「とんでもない! それより陽菜ちゃん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫だと思う……んだけど」

 晃太さんは自信なさげに、後ろを振り向き、今日の主役たちの様子を見る。
 ついさっきまで、オレたちを囲んでいた野次馬たちも、もういない。みんな、広瀬先輩を追いかけて行ってしまった。

「あ、ハルちゃん、部屋に入るみたい。ごめんね。オレもちょっと行ってくるわ」

 お兄さんはそう言った後、思い出したように続けた。

「あの2人が退場したなら、もっと真ん中に出てきても大丈夫だよ。お腹空いてない? なんか飲んだり食べたりしてってね?」

「あ、ありがとうございます」

 この場には明らかに異質な存在だと言うのに、晃太さんはひたすら優しい。本当に申し訳なくなるくらい気遣いができる人だ。
 晃太さんの背中を見送りながら、見るともなしにパーティの様子を眺める。
 主役が退場しても、お開きになる様子もなさそうで、みんなまだ楽しそうに飲み食いしている。
 さっきもらったドリンクも、食事も、本当に美味しかった。こんな場でなきゃ、もう少しと思うのだろう。
 けど、いくら陽菜ちゃんと広瀬先輩がいなくなったからって、2人の祝いの場に堂々と顔を出す気にはなれなかった。
 オレは、深々と一礼すると、静かにその場を後にした。


   ◇   ◇   ◇


 その後、2人の結婚しましたハガキが届いた。
 住所なんて教えたっけ? と思いつつ、同じ学校なのだから、いくらでも調べる手段はあるよなと思う。
 教会をバックにした幸せそうな2人の写真の横に、短いメッセージが書かれていた。

『いつか、どれだけ愛しても文句言われない、お前だけの女の子、見つけろよ。 叶太』

 おもて面の差出人欄に、『牧村叶太・陽菜』とあるのを見ても、何も驚かなかった。ただ、驚かない自分に少し驚いた。
 だけど、ああそうか、もう広瀬先輩じゃないんだなと思うと、少しだけ、……そうほんの少しだけ、妙にもの寂しい気持ちになった。
 もらったハガキを手に持ったまま、ベランダに出て、街の明かりをぼんやりと眺める。
 ガーデンパーティでの「もういい」に加えて、ハガキに書かれていた『いつか』の言葉に、陽菜ちゃんへの横恋慕を認めてもらえた気がして、後ろめたさは薄くなった。
 だけど、そう、これだけ見せつけられても諦めきれない自分ってなんだろう?
 いつか、オレだけの女の子が本当に現れた時、分かるのかな?
 いつか、そう、いつか……広瀬先輩(違うと知っていても、他に何と呼んでいいか分からない)みたいに、全身全霊で愛せる人ができたらいいな、とそんな言葉が頭をよぎった。

 地方都市のベッドタウン、マンションの十階から見る夜景は、東京みたいな街にはまったく叶わないのだけど、それでもオレには十分綺麗で、オレはバカみたいに、街の明かりが少しずつ消えていく様子を見続けた。
 たまに、葉書の中の陽菜ちゃんと広瀬先輩をチラリと見ながら……。
 どれほど経った頃か、街の明かりがほとんど消えた頃、ようやく、2人の幸せを願えている自分に気づき、何だかすごくホッとした。
 まだ全然終わっていないけど、ようやく一歩前に進めた気がして、心からホッとした。

「陽菜ちゃん、おめでとう。……幸せになってね」

 そんな小さなつぶやきが、夜の街に吸い込まれていった。


《完》
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