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第一章「和」国大乱

第三十二節「心火」

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「都にもあんだろ、魔除けの結界が。それと同じ――いや、それよりも強い結界が張られてるようだな。来るものすべてを、拒むような」

 人と妖を排斥する結界の存在を、酒呑童子は提示する。

 こいつはただ、やみくもに道を進んだのではなく――その『結界』とやらに惑わされたってわけか。

「……そりゃ、骨が折れるな」
「ああ。とはいえ、俺は今は大した力が使えねえ。結界の正体を、見破れねえ――だから、お前ら。ちょっと探ってみろ」

 言って、完全に諦め、俺たちに丸投げをする酒吞童子。

「探れ、ったって、俺たちは結界のことなんて……」
「いや、はじめちゃん。私たちは、結界のプロフェッショナルじゃないけど――でも、新魔術があるでしょ」

 新魔術――ああ、確かに、俺たち夫婦の、『比翼連理』が発動しているときにのみ使える共有魔術の中で、最近新たに完成したものが、二つある。

 一つは、酒呑童子と戦ったときに使った、『盛衰随意せいすいずいい』だ。しかし、今回のような場合には、もう一つ。他方の魔術が、使えるかもしれない。

「じゃあ、やってみるか。実戦で使うのは、初めてだが」
「うん、二人同時に行くよ」

 せーの。と、結のそんな、幼げな掛け声とともに。

「『森羅探求ジーニアス・ディテクティブ』!」

 俺たちは、魔術を――探索のための魔術を、発動させる。

 この魔術。『森羅探求しんらたんきゅう』は、魔力を緻密に操作し、それが触れたものの性質を読み取るという探査の魔術。

 イメージとしては、『モノ』の表面や内部に魔力をすべらせ、スキャンをするような感じだ。

 これは、河童との戦闘時、目に頼りきりだった俺たちの弱点を補うために生み出したものだ。これがあれば、たとえ視界を奪われたとしても――なんなら、五感を奪われたとしても、モノや生命体の配置がわかる。

 因みに、結はこの魔術を、『ジーニアス・ディテクティブ』と呼んでいる。ダサい。

 と、まあ魔術の説明はこれくらいにしておいて。実際、探査の結果がどうだったのかというと。

「……基本的には、気になることは無いな。目で見る景色と魔力で感じる景色は、一致してる」
「うん、でも、一つだけ。なんか、変な魔力の跡があるよね」
「――ああ」

 それは、普通にしていれば気付かないような、小さな痕跡ではあったが――具体的に言うと、今俺たちが登っている山道の中心に沿って、線のような跡が、導かれている。

「とはいえ、これって何なんだ? 都で見たような結界っぽくはないけど……」

 伊勢の都にある、遊子橋さんが手入れをしている結界は、お札を介し、都の外を囲むように張り巡らされている。要塞のような様相を呈しているはずなのだ。

 このミミズが這ったような魔力の跡が、結界とは思えないが――

「いや、それも恐らく、結界の一種だろう。その魔力に、なんらかの誘惑の成分が含まれていて――それで、俺はその成分に沿って歩かされていた。結果として、本拠地から遠ざかるように誘導されたってわけ」
「歩かされて――誘導された?」
「ああ。『黒幕』の手口に、似てやがるよな? 俺は二度も、同じように惑わされたんだ」

 言って、皮肉に笑う酒呑童子――『黒幕』が、山姥や酒呑童子を誘導したときと同じような手法で、今も道に迷わされたというわけか。

「しかし、結界が『視え』たといえ、どうすればいいんだ?」
「これを避けて歩けばいいんじゃないの? ほら、あの脇道のほうとか、何もないよ?」
「魔力の痕跡がない道が、里に繋がる道だって確証はないだろ――そりゃあ、いつかは辿り着くだろうけど、虱潰しは流石に無理だ」

 麗かな春の日差しが差し込む山道ならともかく、俺たちが今いるのは、豪雪の冬山だ。無駄に歩き回って、体力を消耗したくない。

 と、俺たちが考えあぐねていると。酒呑童子が、顎に手を添えながら口を開く。

「なら、元をたどればいい」
「元?」
「ああ。こういう、『ふだ』やらの仲介物を介さない形態の術を管理するには、術者がその手綱を握っとく必要がある。いくら分岐が多いとしても、その大元は一つの糸だ。蜘蛛の巣のようにな」

 蜘蛛の巣。つまり、この魔力の元をたどれば、術者に――『蜘蛛』に、行きあたるのか。

「でも、辿るって言ったって、今まで通った山道に里はなかったじゃん。元来た道を戻っても、意味ないじゃん」
「だから、違う道筋を探すんだよ。お前らには多分、太い魔力の跡が一本見えてんだろ? だが、それはあくまで、結界の機構だ。そこから別に伸びる、細い『根本』の道筋を探せ。目を凝らしてな」

 確かに、俺たちが『森羅探求』で視ているのは、太い一本の道筋だけだ。俺たちは辺りを見回し、酒呑童子の言う、『根本』の道筋を探す――

「あ……、あそこに――」
「見つけた? はじめちゃん」
「あそこの、少し戻ったところに。茂みに続く、ほっそい線がないか?」

 言って俺は駆け寄って坂を下り、件の魔力の跡を指さす。微かな導線ではあるが、しかしその存在を感知できるほどには、魔力の痕跡がある。

 ――だが。

「こ、これを、たどるのか……?」

 その魔力の痕跡が続く先は、山道を外れた所。獣道とも呼べないような藪の中だった。ただでさえ積雪が尋常でない中、見通しが悪い場所を、身を屈めて進まなければならないのか。

 魔術を使って雪を溶かそうとも思ったが、俺たちの魔力を拡散させてしまうと、術者の魔力が紛れてしまうだろう。だから、魔術は使えない。実地に足を使い、この雪をかき分けて行くしかない。

 これは、本当に骨が折れる――

「言っててもしょうがないでしょ! ほら、いくよっ!」

 俺が足踏みをしていると、結が先導し、雪を踏み抜きながら進む。実際、彼女自身も少しイラついているようだが――俺と酒呑童子も、それに続いて、茂みの中に突っ込む。

「くっ、流石に、足が重いな……」

 道なき道を進んでいるため、先ほどの登山とは比べ物にならないほどの負荷がかかる。結が『風刃』と『雷刃』を使い、藪を切り裂いてはいるが――それも、気休め程度にしかならない。

「ていうか、どんどん茂みが鬱蒼としてきたんだけどっ……ああっ、うざったいっ!!」

 やがて、剣も振れないほどの幅になってくる。葉っぱやら蔦やらが肌に当たり、切り傷や擦り傷ができる。結も、鬱陶しそうにして、それらをかきわけている。

 身動きを取るのが、厳しくなってきた。あとどれくらい、この行軍が続くのだろうか――

「――うわっぷっ!」
「うおっ……おい、結、どうしたんだ?」

 と、茂みに入ってから十分ほど。体にのしかかってくる雪や草藪の体当たりにより、かなり体力を消費したその場面で。先頭の結が、緊急停止をする。それにつられ、玉突き衝突を起こす俺と酒吞童子。

「な、なんか、視えない壁みたいなのがある……、これ以上、前にすすめない……」
「視えない、壁……?」

 目を伏せながら、低いトーンでそういう結。

 俺が少し前に出、手を触れてみると、確かに。何か、硬い手触りのものが――水族館の水槽のような、そんな硬質で巨大な『壁』が、確かにそこにはあった。

「――ちっ、ここまで来て、物理的な結界もあるとはな。こりゃ、厄介だ」
「どうする? 魔術も使わずに、この壁を壊すことなんてできるのか……?」

 新たな結界の登場に――伊勢の都と同じような、物理的な結界の登場に、後ろで議論をする俺と酒呑童子。

 だが。

「……ふふ、ははは」

 一人、先陣を切る結は。何も語らず、ただ、笑った。

「……結?」
「はははっ、ハハハハハッ! あー、もういいもんね。キレたもんね。こんな壁、私の全身全霊でぶっ飛ばしちゃうもんねっ!!」

 次第にその声は大きくなり、何かが吹っ切れたかのように、大口を開けて笑い出す。

 腕を振り回しながら、完全にキマった目で、何か、魔術を繰り出そうとしている。

 ヤバい、極度の寒さと体力の消耗で、結がキレた! 

 先ほどの道中でもかなり鬱憤が溜まったような様子だったが、まさかここにきて、暴発してしまうとは――くそ、もっとちゃんと優しい言葉をかけて、ケアしとけばよかった。

「おい、落ち着け、結! ここで魔術をぶっぱなしたら、道筋が辿れなくなって……」
「うるせえーっ! 火傷ヤケドしたくなかったら下がってなっ!!」

 俺が宥めようとするも、時すでに遅し。目をかっぴらき、牙を剥きながら吠える結――いや、顔がマジすぎだろ。俺の嫁が怖すぎる。

 こうなってしまったら、もう誰にも、彼女を止めることはできない。俺は酒吞童子をつれ、できる限り遠く――しかし、比翼連理が切れない距離まで逃亡する。

「もう寒いのは懲り懲りなんだよっ! 『ステイト・チェンジ』ッ!!」

 その背後で結は、溜まった鬱憤と魔力を、全力で開放する。『ステイト・チェンジ』、すなわち、温度を操る『状態変化じょうたいへんげ』の術を、広範囲に。

 それにより、周囲の温度が急激に上昇する。あれだけ積もっていた豪雪は解け、水蒸気になって霧散する。草木の緑があらわになり、その緑でさえもしな垂れ、萎《しぼ》んでいく。

 夏を思いだすような、そんな蒸し暑さに包まれる。寒暖差が激しすぎて、脳がバグってしまう――さっきまで、雪吹きすさぶ冬の気候だったのに。

「ふう……、この熱を一点に集めて、更にパンチ力を乗せる。この合わせ業なら、この結界もぶっ壊れるんじゃない?」

 相変わらず悲惨な笑顔を浮かべた結が、言って、発した熱を拳の一点に集中させ、魔力を凝縮させる。

 またも急激な温度差が生まれ、彼女を中心に熱風が吹き荒れる。彼女の怒髪が、天を衝く。しなびた草木は千切れ、気流に乗って天へと舞う。砂塵や小石でさえ、竜巻と一体化して巻き起こるほどだ。

「『ステイト・チェンジ』×『アルティメット・パワー』――喰らえッ! 『ノヴァ・インパクト』ッ!!」

 と、これ以上ない力強さでそう唱えた結が、握り締めた左の拳を、結界目掛けて打ち込んだ瞬間。

 確かに、びし、と。体の芯に響くような衝撃が発され。

 その拍子に、バラバラと、前方の景色が崩れる。

 まるで、目の前の空間を、ハサミで細切れにしたかのように。見せかけの景色が、崩れ去る。

 そして、全てが破壊しつくされた、その奥には――石畳で舗装された道が、続いていた。

 それまでの森の鬱蒼とした様子が嘘のように開けた土地だ。明らかに、人の……、いや、何者かの手が加えられ、そして、整備がされている。見ると奥には、どこかにつながるような門が構えられている。

 つ、つまり、これは……。

「……ははっ、おいおい、マジかよ。拳一つで、結界をぶち壊しやがった」
「おい、酒吞、あれって――」
「おう。恐らくあれが、お目当ての『半妖』の、里だ。ようやっと、目的地到着ってわけ」

 酒呑童子は目を見開きながらも、口の端を吊り上げて笑う。

 あれが、俺たちが尋ねる場所。『半妖』の里。どうやら無事――いや、無事とは言い難いが、ともかく第一関門である、里の居場所を見つけ出すことには成功したらしい。

「ゆ、結。とりあえずやったな」
「はあ、はあっ……、うん、そうだね――ああ、疲れたっ」

 ドサッと、俺の体に身を任せてくる結。俺はその両脇を抱え、言葉を続ける。

「そりゃそうだろ。あんなド派手な技、俺たちまで巻き添えにする気かよ」
「いやー、ごめんごめんっ! でも、一発暴れてスッキリしたわー! よし、じゃあ今日はもうこの辺で……」
「おバカ。まだ本題にすら入ってねえんだぞ」

 あくまで里の居場所を突き止めるのは、『第一』関門だ。その奥、あの門を越えた先にいる『半妖』たちに、『黒幕』の話を聞かなくては――って、いや。

「えーっと……こんなド派手に結界をぶち壊して、俺たちの話、聞いてくれるかな……?」
「あっ……」

 そうじゃん。これって、『半妖』たちが自分らから人や妖怪を遠ざけるために設置した結界なんだよな? そもそも拒絶されている身とは言え、それをぶっ壊すのは、流石に一線超えてないか?

「ま、まあまあ。案外、許してくれるかもしれないし……」
「いや、それは流石に、楽観的過ぎるような」

 気がするけど……と。

 結がにやけながら言うのに対し、俺が言い終わる前に、

 しゅ、と。

 俺の右頬を、鋭いものが掠める。

「「……えっ?」」

 今の、何だ? 何か、明らかに人為的な――虫や動物などでは断じてない無機物が、俺の横を掠めたのだが。

「動くな。賊ども」

 俺たちが困惑する中、一つの声が――敵意に満ち満ちた声が、天から降り注ぐ。

 上を向くと、すぐそこの樹上に。十数メートルほど先の樹上に、何者かの影がある。あいつが、武器を――振り返ると、ひとつのクナイが地面に突き刺さっている――クナイを、俺めがけて投げたのか。

「あ、あなたは……」
「結界を壊して侵入してくるなど、馬鹿げた力だ――が、ここを通すわけにはいかん。大人しく引き返すか、私と戦うか。どちらかを選べ」

 言ってその人影は、俺たちの目の前に降り立つ。

 人の形をした、人影。概ねは、人類ホモ・サピエンスと同じシルエット。見ると、女の子だ。十代後半くらいの見た目で、髪は短く、黒い着物に身を包んでいる。

 しかし、いくつか異様な点がある。ひとつ。腰のあたりから、一本の黒いしっぽが伸びていること。ひとつ、黄色い瞳の瞳孔が、縦に細く伸びていること。ひとつ。頭から、二つの耳が――動物の耳が、生えていること。

 そしてそのすべての特徴が、日常的に見るよく見る生き物に――『猫』に、類似しているということ。

(おい、酒吞、あの娘って……)
(間違いねえ。あれが、俺たちの訪問相手。紛れもねえ、『半妖』だ)

 酒吞童子に耳内をして確認すると、返事が返ってくる。

 彼女が、『半妖』。

 人でもなく、妖怪でもない。グレーゾーンの存在。

 俺たちが出会った、初めての『半妖』――しかし。

 彼女の鋭い瞳には、心火しんかが、はっきりと宿っていた。

 憎しみが、怨嗟が、憤怒が――俺たちに向けた怒りの炎が、冷たい視線の中に、熱く燃え滾っているのを感じる。

 さきほどの結の熱なんかとは、比べ物にならないくらいジリジリとした怒りが、俺たちを突き刺す。

 どうやら俺たちは、最悪の形で、『半妖』とのファーストコンタクトをしてしまったらしかった。
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