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第五章 研究所
✦✦Episode.47 紺青の輪廻
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✦ ✦ ✦Episode.47 紺青の輪廻 (こんじょうのりんね)
(どうしてこうなったんだろう)
ぼんやりと、暗闇の中を沈んで行く。 ここへ来る前は、希望に満ち溢れていたはずなのに。 それすらも水の中にかき消されて。
(何で……いつもうまく行かないんだ)
水底に吸い込まれるように沈んでいく彼を見て、自ら水の中へ飛び込み、救い出す道も選べたはずなのに。 隣で泣き叫ぶミレアを無理やり抱えて、天を目指して飛び立つ事しか出来なかった。
(結局――誰も救えなかった……)
激しい揺れは収まったが、岩盤の崩落は未だに続いていた。 岩の隙間から剥がれた塊を避けきれず、クロトとミレアは揃って水の中へ墜落していった。
(あぁ、俺はもう二度と……シエルには会えないのか)
岩に阻まれながら、沈み行く悲しみの青――泡は天に昇り、命が滲むように水の中に溶け……闇に閉ざされるように、その光を手放した。
『――たった一度でも良い。 お前の顔を見てみたかった……』
クロトの耳に、優しい声が届く。 水に残され、運ばれてきた“記憶”の断片――微かな光が再び灯をともしクロトは、ゆっくりと目蓋を開く。
(この声、前にもどこかで聞いたことがある)
『“我――天命に与えられし水の力よ”』
(この声は……)
『“この命を受け、去りし我が輪廻を届けよ”』
「父……さん……?」
『どうか……イリスフロウルフィティア』
「まって、父さん!!」
――視界が紺青に染まり、次の一瞬で何もかもが弾けた。 ずぶ濡れになった身体から、一気に地面に水が捌ける。
――言うなれば、水から追い出されたかのようだった。
「――ガハッ……うっ……おえっ――ゲホッ」
知らぬ間に飲み込んだ水分が、無理やり外に出ようとして、何度も嗚咽を繰り返し、追われるように空気を求めて肺が膨らむ。
何度も何度も、繰り返しむせ続け、やっと全ての水を吐き終えた頃……ほんの少し離れた場所から、同じように水を吐く音が聞こえ、振り返る。
目を覚ましたシアンは、信じられないと言うように起き上がり自分の手のひらを眺めていた。 すぐさま隣で眠る少女に気が付くと、その手を取った。
「そんな――ミレア……」
パタリとその手が地面に落ち――その瞬間、シアンの瞳が揺れ、震える全身で力一杯彼女を抱き締めた。
「あああっ……ダメです、あなたが……そんな……死……っ……」
言いかけて、シアンは口をつぐんだ。 言ってしまえば、認めてしまう事を、彼自身が一番良く分かっている。 それでも……痛みが胸の奥を刺し、ぐっと腕に力を込めた。
「――じ…………じあん……ぐん」
ピクリとミレアの指先が動くと、彼の胸元で、カエルの潰されるような声が漏れた。
「あぁ、あなたを思うあまり、幻聴まで聞こえてくるなんて――」
「ぐるちい、はなじてぇ!!」
「……ハッ!」
ポコポコと手を振りながら、腕の中で暴れまわるミレアを、シアンはそっと引き剥がした。 ぷっくりと頬を膨らませているミレアを、シアンは幻でも見るかのように、まじまじと見つめた。
「……ゴホン。 あなた、まさか幽霊ではないですよね?」
「んなわけあるかい!もぉ、このボクが幽霊だって!? シアン君のバカ!!」
「は……はは……本当に……よがっ……」
シアンが泣く姿を、一度でも見たことはあっただろうか。 それも、ミレアを縫いぐるみのように抱き締めながら、号泣する姿を。
シアンが何度もミレアの顔をみては、腕の中で力を増す。 その度に「グェッ」と潰れた声が聞こえた。
「ぐるちーってば!はなじて! シアン君!!バカバカバカバカ!!」
「バカって言った方がバカなんですから~」
「ボクを置いて、自分だけ死のうなんて絶対に許さないんだから!!……ダメなんだから……っ!!」
「――ふっ、はは……」
張りつめた緊張の糸が解れ、クロトは顔面をぐしゃぐしゃにしながら、泣いたように、笑ったように、どうしようもない感情が入り交じって、その場で声をあげはじめた。
「うわぁ、クロトさん……? 顔面崩壊中……? お見せできないですわよぉ」
「ううっ、うるせーーー!あはっ、ひっ……わぁぁあん」
「笑ってるのか、泣いてるのかどっちなんですか!!」
「うるせえええ――!!ほっとけ、このやろー!! 俺の気も知らないでよぉ~!!」
三人は互いの顔を見合って、肩を組み合いしばらくの間――言葉に出来ない、良く分からない感情の共有を続けていた。
✦ ✦ ✦
どこか遠くで、ガラガラと石が転がりながら、沈んだ音がこの洞窟内に響く。 下を覗けば絶壁が続き、その先に見える水脈は新たな道を刻んでいた。
あの地下世界へ戻る道は、もう残されていない。 置いてきた者たちが、生きているのか、死んでいるのか……確認する術は、もう何処にも無い。
このまま、ここに留まっているわけにもいかず、三人はひとしきり語り合った後、ゆっくりと立ち上がった。
「シアン、もう体の痛みは大丈夫なのか?」
「ええ――あの時受けた毒はもう大分抜けましたし……翼が折れたとは言え、片翼がまだ生きていますから……」
シアンは少々困ったように笑った。 やはり、まだどこかに痛みが残っているのだろうか。 肩から手のひらでゆっくりと血の巡りをうながすように摩った。
「無理しないでね、今度はボクがシアン君を守ってあげるから!」
じっとりと、シアンの目が座る。 楽しそうに鼻歌を歌いながら歩くミレアの後ろで、大きなため息を漏らした。
「――スゥッ……お断りします」
「えぇっ!なんで!?ボクの何が不満なの!?」
「不満……? 不満などと――元はといえば……あなたがですね……」
常日頃、思っていたのであろうか。 まるで念仏のように長いシアンの呟きが、約一時間は続いて――クロトとミレアの二人は、顔を青く染めながら、耳を両手で塞いでいた。
「ですから……今後はですね、分かりますか?ちゃんと聞いてますかねぇ?」
「ああっ!わがった!もう分かったから、その辺にしてくれ!」
「シアン君のお説教は、恐ろしいほど……長いの……!ひゃぁ~」
「何ですって!? こんなに熱く私の胸の内を語っても、まだ足り無いと言うんですか? 覚悟してくださいよ?」
「勘弁してくれ~~~!!」
クロトはシアンから逃げるように、岩に飛び乗って先へ進む。 次第に土を踏みしめる音が変わり、岩と砂だけの道が草花の新鮮な香りと共に、柔らかい腐葉土に変わる。
所々に空いた穴から、木漏れ日が微かに揺らぐ。 もう、ここには地下の暗闇はなく……春風の優しい香りが吹き抜けていた。
「はぁっ……!なぁに?この香り……すごく優しくて甘い香りがする!」
「一体何処から香って来るのでしょうか……?興味深いですね」
「ああ……この香りは……」
以前は毎日のように、すぐそこにあった……懐かしい香り。 森林に生える花々が一斉に開花して、春を歌いながら辺りを漂う。
「こんな日が……来るなんて……生きていることに、感謝ですね」
「全く、俺もそう思うよ」
「……ミレアちゃんも、同じ気持ちでーす!」
和やかな空気が流れている。 それを断ち切るように、重々しい石造りの大きな扉が目の前に姿を表した。 長い間に蔦が伸び、古びて所々欠けているが、物々しくたたずむその雰囲気に、クロトは息を飲み込んだ。
(この扉を通れば、やっと――)
草の陰に隠れ、それぞれ形の違う四つの紋章がくっきりと浮かび上がっているのが見えた。 そのうちの二つは、クロトの背中に刻まれているのと同じ、アルテスタとノクティアの紋章だった。
「父さん、母さん……」
ひどく懐かしい気配……クロトは扉に触れ、目を閉じる。 そこに石の冷たさは感じず、不思議と温もりと優しさの中にいるようで静かに目を開いた。
――扉に咲いていた草花が突然に散り始め、白を帯びた霧と化す。 霧はひとかたまりになって、クロトの周りを取り囲むように回っていた。
『我らの眠りを揺り起こす者は一体誰だ?』
一瞬にして、目の前にあった景色は消え、真っ白な世界に変わって行く。 空も地も、限りなく遠く――ここは一体どこなのか、シアンとミレアの二人は何処へ行ってしまったのか、その姿を見失った。 クロトは焦る気持ちを抑え、得体の知れない声へ向けて叫ぶ。
「俺は、ここから外へ出るんだ!!」
『――ならん!! ここは四の魂が封じた扉だ。 お前にその資格はない!!』
「くっ……なら、どうしろって言うんだ!」
背後から草花を踏みしめるパリパリとした音と、獣の気配が首元に近づく。 獣のように唸る吐息が、クロトの髪を揺らした。
『お前は、四のうち、二つの魂を宿しているそうだが――我はそれを認めぬ』
「でも、もう戻れない。 この道を行くしか方法が残されていないんだ」
『カカッカッ、笑わせるな。 我らの主は、自ら道を切り開く者なり……そのような半端者に、彼らを救えると思うのか?』
目の前の霧がほんのりと晴れ、さっき居た場所と同じ景色が広がった。 そこに見えていたのは、壁に手を付いたまま、ぼんやりと動かない自分が見える。 その後ろでシアンとミレアが、白い毛並みの獣に襲われているとこだった。 ミレアは必死に大鎌を振りまわし、シアンは白檀の杖に噛みつく獣を振りはらっている所だ。
「な……なんで、俺だけこんな所にいるんだ――おい、戻る方法は無いのか!!」
『最早、あれは天の一族にあらず。 さぁ、見ていろ、お前の友がどうなって行くのか』
少しずつ、彼らの青を帯びた肌の色が広がって行く。 次第に正気を失って黄金色の光と共に、高く上がった土が、ミレアに襲い掛かる。 それを大鎌が切り裂いて、シアンの懐まで一気に詰め寄った。
「何をやってるんだよ――ミレア、シアンまで。 なんであいつらが争うんだよ」
『カカカッ、悪しき者の魂に蝕まれ、ついに正気を失ったか。 ああなった友を、お前はその剣で切り捨てられるのか?』
「――そんな事……俺に出来るわけがない」
『ならば、どうやって救うと言うのだ? 最早、お前の声も届かぬというのに』
クロトはギリリと歯を食いしばり、拳を握りしめた。 目の前で友が争い合っているというのに、二人を止めようにも、干渉する事さえ許されない。
『お前の母は、命を託して死んだ』
グルグルと、クロトの何倍も大きな獣が、背後から正面にかけてゆっくりと歩いて回る。 腹の底から地の上に響くような重たい声。
『お前の父は最早、我の主にあらず。 その天命を投げ売った――四の魂の一つが欠けても、この扉は開かぬ!!』
獣の咆哮が身体中を突き抜けるように大地に轟いた。 漆黒の翼が真っ白な空間で輝く――深淵から流れるように瞳は紺青の色を灯す。 湧き出る炎は焔となって、鮮やかに二つの色が混ざりあう。
「だったら俺が――お前の主になればいいんだろ!」
『カカッカッッカ、なれるものか!!』
「はっ、せいぜいそこで笑ってろ」
抜かれた剣は、白き空間を切り裂いた。 クロトは、元の場所で意識を取り戻すと、もう一度、腰元の剣を抜いて振り返る。 白い獣がミレアとシアンに飛びついて、それを払うように二人は走り回っている。
「ミレア!シアン!またせた!」
「クロト!やっと来た!」
「――クロト君!遅いですよ!!」
今まで見ていた物は半分嘘で、半分が本当だったようで、内心ほっとした気持ちでクロトは剣を振りかざして走り出す。 獣は一つの塊となって、あの白い空間で見た大きな獣に姿形を変えて行く。
「グアアアアアオオオ!!」
神聖軍の犬族部隊のオオカミ達とは違う。 白銀とも黄金ともいえる毛並みが、陽光に照らされ一層輝きを増す。
「行くぞ――“我……深淵より出でし力”」
赤い魔方陣が、帯に変わって剣の先を纏い……その片側を青の調べが包み込む。
「かの道筋となれ“ルバーソルアス”」
『そのような半端な呪文が我に効くと思うのか!?』
四の魂の封印の前で、弾かれる魔法は再びうねりを帯びて獣を追い、微かに金色と翠緑の光を帯びて、その胴体に巻き付いた。
「何と!?これは――まさか……この扉を開くことを、かの魂が認めたと言うのか……!?」
獣は天を仰ぎ、高らかに遠吠えをあげた。 陽光の元、風に揺られる毛並みの上で、四の光を宿した枷がその獣の首で煌めいた。
「あぁ、我が主よ――やっと、お迎えに来てくださったのか……ッ!!」
白の光が霧のように散り行く。 石造りの扉は静かにその役目を終え、ゆっくりと外へ向かって倒れ行く。 揺れた地面に驚いた小鳥たちが木々を揺らしながら、一斉に大空へ舞って行く。
「――あぁ……なんて、眩しい」
「……ほんとう……」
「あぁ――やっと、ここがスタート地点だ」
木漏れ日は優しく周囲を明るく照らし、洞窟内の奥深くまで光の筋が伸びで行く。 あまりの眩しさに、目を細めながら、三人は並んで木々の間に抜ける青空を見上げていた。
(どうしてこうなったんだろう)
ぼんやりと、暗闇の中を沈んで行く。 ここへ来る前は、希望に満ち溢れていたはずなのに。 それすらも水の中にかき消されて。
(何で……いつもうまく行かないんだ)
水底に吸い込まれるように沈んでいく彼を見て、自ら水の中へ飛び込み、救い出す道も選べたはずなのに。 隣で泣き叫ぶミレアを無理やり抱えて、天を目指して飛び立つ事しか出来なかった。
(結局――誰も救えなかった……)
激しい揺れは収まったが、岩盤の崩落は未だに続いていた。 岩の隙間から剥がれた塊を避けきれず、クロトとミレアは揃って水の中へ墜落していった。
(あぁ、俺はもう二度と……シエルには会えないのか)
岩に阻まれながら、沈み行く悲しみの青――泡は天に昇り、命が滲むように水の中に溶け……闇に閉ざされるように、その光を手放した。
『――たった一度でも良い。 お前の顔を見てみたかった……』
クロトの耳に、優しい声が届く。 水に残され、運ばれてきた“記憶”の断片――微かな光が再び灯をともしクロトは、ゆっくりと目蓋を開く。
(この声、前にもどこかで聞いたことがある)
『“我――天命に与えられし水の力よ”』
(この声は……)
『“この命を受け、去りし我が輪廻を届けよ”』
「父……さん……?」
『どうか……イリスフロウルフィティア』
「まって、父さん!!」
――視界が紺青に染まり、次の一瞬で何もかもが弾けた。 ずぶ濡れになった身体から、一気に地面に水が捌ける。
――言うなれば、水から追い出されたかのようだった。
「――ガハッ……うっ……おえっ――ゲホッ」
知らぬ間に飲み込んだ水分が、無理やり外に出ようとして、何度も嗚咽を繰り返し、追われるように空気を求めて肺が膨らむ。
何度も何度も、繰り返しむせ続け、やっと全ての水を吐き終えた頃……ほんの少し離れた場所から、同じように水を吐く音が聞こえ、振り返る。
目を覚ましたシアンは、信じられないと言うように起き上がり自分の手のひらを眺めていた。 すぐさま隣で眠る少女に気が付くと、その手を取った。
「そんな――ミレア……」
パタリとその手が地面に落ち――その瞬間、シアンの瞳が揺れ、震える全身で力一杯彼女を抱き締めた。
「あああっ……ダメです、あなたが……そんな……死……っ……」
言いかけて、シアンは口をつぐんだ。 言ってしまえば、認めてしまう事を、彼自身が一番良く分かっている。 それでも……痛みが胸の奥を刺し、ぐっと腕に力を込めた。
「――じ…………じあん……ぐん」
ピクリとミレアの指先が動くと、彼の胸元で、カエルの潰されるような声が漏れた。
「あぁ、あなたを思うあまり、幻聴まで聞こえてくるなんて――」
「ぐるちい、はなじてぇ!!」
「……ハッ!」
ポコポコと手を振りながら、腕の中で暴れまわるミレアを、シアンはそっと引き剥がした。 ぷっくりと頬を膨らませているミレアを、シアンは幻でも見るかのように、まじまじと見つめた。
「……ゴホン。 あなた、まさか幽霊ではないですよね?」
「んなわけあるかい!もぉ、このボクが幽霊だって!? シアン君のバカ!!」
「は……はは……本当に……よがっ……」
シアンが泣く姿を、一度でも見たことはあっただろうか。 それも、ミレアを縫いぐるみのように抱き締めながら、号泣する姿を。
シアンが何度もミレアの顔をみては、腕の中で力を増す。 その度に「グェッ」と潰れた声が聞こえた。
「ぐるちーってば!はなじて! シアン君!!バカバカバカバカ!!」
「バカって言った方がバカなんですから~」
「ボクを置いて、自分だけ死のうなんて絶対に許さないんだから!!……ダメなんだから……っ!!」
「――ふっ、はは……」
張りつめた緊張の糸が解れ、クロトは顔面をぐしゃぐしゃにしながら、泣いたように、笑ったように、どうしようもない感情が入り交じって、その場で声をあげはじめた。
「うわぁ、クロトさん……? 顔面崩壊中……? お見せできないですわよぉ」
「ううっ、うるせーーー!あはっ、ひっ……わぁぁあん」
「笑ってるのか、泣いてるのかどっちなんですか!!」
「うるせえええ――!!ほっとけ、このやろー!! 俺の気も知らないでよぉ~!!」
三人は互いの顔を見合って、肩を組み合いしばらくの間――言葉に出来ない、良く分からない感情の共有を続けていた。
✦ ✦ ✦
どこか遠くで、ガラガラと石が転がりながら、沈んだ音がこの洞窟内に響く。 下を覗けば絶壁が続き、その先に見える水脈は新たな道を刻んでいた。
あの地下世界へ戻る道は、もう残されていない。 置いてきた者たちが、生きているのか、死んでいるのか……確認する術は、もう何処にも無い。
このまま、ここに留まっているわけにもいかず、三人はひとしきり語り合った後、ゆっくりと立ち上がった。
「シアン、もう体の痛みは大丈夫なのか?」
「ええ――あの時受けた毒はもう大分抜けましたし……翼が折れたとは言え、片翼がまだ生きていますから……」
シアンは少々困ったように笑った。 やはり、まだどこかに痛みが残っているのだろうか。 肩から手のひらでゆっくりと血の巡りをうながすように摩った。
「無理しないでね、今度はボクがシアン君を守ってあげるから!」
じっとりと、シアンの目が座る。 楽しそうに鼻歌を歌いながら歩くミレアの後ろで、大きなため息を漏らした。
「――スゥッ……お断りします」
「えぇっ!なんで!?ボクの何が不満なの!?」
「不満……? 不満などと――元はといえば……あなたがですね……」
常日頃、思っていたのであろうか。 まるで念仏のように長いシアンの呟きが、約一時間は続いて――クロトとミレアの二人は、顔を青く染めながら、耳を両手で塞いでいた。
「ですから……今後はですね、分かりますか?ちゃんと聞いてますかねぇ?」
「ああっ!わがった!もう分かったから、その辺にしてくれ!」
「シアン君のお説教は、恐ろしいほど……長いの……!ひゃぁ~」
「何ですって!? こんなに熱く私の胸の内を語っても、まだ足り無いと言うんですか? 覚悟してくださいよ?」
「勘弁してくれ~~~!!」
クロトはシアンから逃げるように、岩に飛び乗って先へ進む。 次第に土を踏みしめる音が変わり、岩と砂だけの道が草花の新鮮な香りと共に、柔らかい腐葉土に変わる。
所々に空いた穴から、木漏れ日が微かに揺らぐ。 もう、ここには地下の暗闇はなく……春風の優しい香りが吹き抜けていた。
「はぁっ……!なぁに?この香り……すごく優しくて甘い香りがする!」
「一体何処から香って来るのでしょうか……?興味深いですね」
「ああ……この香りは……」
以前は毎日のように、すぐそこにあった……懐かしい香り。 森林に生える花々が一斉に開花して、春を歌いながら辺りを漂う。
「こんな日が……来るなんて……生きていることに、感謝ですね」
「全く、俺もそう思うよ」
「……ミレアちゃんも、同じ気持ちでーす!」
和やかな空気が流れている。 それを断ち切るように、重々しい石造りの大きな扉が目の前に姿を表した。 長い間に蔦が伸び、古びて所々欠けているが、物々しくたたずむその雰囲気に、クロトは息を飲み込んだ。
(この扉を通れば、やっと――)
草の陰に隠れ、それぞれ形の違う四つの紋章がくっきりと浮かび上がっているのが見えた。 そのうちの二つは、クロトの背中に刻まれているのと同じ、アルテスタとノクティアの紋章だった。
「父さん、母さん……」
ひどく懐かしい気配……クロトは扉に触れ、目を閉じる。 そこに石の冷たさは感じず、不思議と温もりと優しさの中にいるようで静かに目を開いた。
――扉に咲いていた草花が突然に散り始め、白を帯びた霧と化す。 霧はひとかたまりになって、クロトの周りを取り囲むように回っていた。
『我らの眠りを揺り起こす者は一体誰だ?』
一瞬にして、目の前にあった景色は消え、真っ白な世界に変わって行く。 空も地も、限りなく遠く――ここは一体どこなのか、シアンとミレアの二人は何処へ行ってしまったのか、その姿を見失った。 クロトは焦る気持ちを抑え、得体の知れない声へ向けて叫ぶ。
「俺は、ここから外へ出るんだ!!」
『――ならん!! ここは四の魂が封じた扉だ。 お前にその資格はない!!』
「くっ……なら、どうしろって言うんだ!」
背後から草花を踏みしめるパリパリとした音と、獣の気配が首元に近づく。 獣のように唸る吐息が、クロトの髪を揺らした。
『お前は、四のうち、二つの魂を宿しているそうだが――我はそれを認めぬ』
「でも、もう戻れない。 この道を行くしか方法が残されていないんだ」
『カカッカッ、笑わせるな。 我らの主は、自ら道を切り開く者なり……そのような半端者に、彼らを救えると思うのか?』
目の前の霧がほんのりと晴れ、さっき居た場所と同じ景色が広がった。 そこに見えていたのは、壁に手を付いたまま、ぼんやりと動かない自分が見える。 その後ろでシアンとミレアが、白い毛並みの獣に襲われているとこだった。 ミレアは必死に大鎌を振りまわし、シアンは白檀の杖に噛みつく獣を振りはらっている所だ。
「な……なんで、俺だけこんな所にいるんだ――おい、戻る方法は無いのか!!」
『最早、あれは天の一族にあらず。 さぁ、見ていろ、お前の友がどうなって行くのか』
少しずつ、彼らの青を帯びた肌の色が広がって行く。 次第に正気を失って黄金色の光と共に、高く上がった土が、ミレアに襲い掛かる。 それを大鎌が切り裂いて、シアンの懐まで一気に詰め寄った。
「何をやってるんだよ――ミレア、シアンまで。 なんであいつらが争うんだよ」
『カカカッ、悪しき者の魂に蝕まれ、ついに正気を失ったか。 ああなった友を、お前はその剣で切り捨てられるのか?』
「――そんな事……俺に出来るわけがない」
『ならば、どうやって救うと言うのだ? 最早、お前の声も届かぬというのに』
クロトはギリリと歯を食いしばり、拳を握りしめた。 目の前で友が争い合っているというのに、二人を止めようにも、干渉する事さえ許されない。
『お前の母は、命を託して死んだ』
グルグルと、クロトの何倍も大きな獣が、背後から正面にかけてゆっくりと歩いて回る。 腹の底から地の上に響くような重たい声。
『お前の父は最早、我の主にあらず。 その天命を投げ売った――四の魂の一つが欠けても、この扉は開かぬ!!』
獣の咆哮が身体中を突き抜けるように大地に轟いた。 漆黒の翼が真っ白な空間で輝く――深淵から流れるように瞳は紺青の色を灯す。 湧き出る炎は焔となって、鮮やかに二つの色が混ざりあう。
「だったら俺が――お前の主になればいいんだろ!」
『カカッカッッカ、なれるものか!!』
「はっ、せいぜいそこで笑ってろ」
抜かれた剣は、白き空間を切り裂いた。 クロトは、元の場所で意識を取り戻すと、もう一度、腰元の剣を抜いて振り返る。 白い獣がミレアとシアンに飛びついて、それを払うように二人は走り回っている。
「ミレア!シアン!またせた!」
「クロト!やっと来た!」
「――クロト君!遅いですよ!!」
今まで見ていた物は半分嘘で、半分が本当だったようで、内心ほっとした気持ちでクロトは剣を振りかざして走り出す。 獣は一つの塊となって、あの白い空間で見た大きな獣に姿形を変えて行く。
「グアアアアアオオオ!!」
神聖軍の犬族部隊のオオカミ達とは違う。 白銀とも黄金ともいえる毛並みが、陽光に照らされ一層輝きを増す。
「行くぞ――“我……深淵より出でし力”」
赤い魔方陣が、帯に変わって剣の先を纏い……その片側を青の調べが包み込む。
「かの道筋となれ“ルバーソルアス”」
『そのような半端な呪文が我に効くと思うのか!?』
四の魂の封印の前で、弾かれる魔法は再びうねりを帯びて獣を追い、微かに金色と翠緑の光を帯びて、その胴体に巻き付いた。
「何と!?これは――まさか……この扉を開くことを、かの魂が認めたと言うのか……!?」
獣は天を仰ぎ、高らかに遠吠えをあげた。 陽光の元、風に揺られる毛並みの上で、四の光を宿した枷がその獣の首で煌めいた。
「あぁ、我が主よ――やっと、お迎えに来てくださったのか……ッ!!」
白の光が霧のように散り行く。 石造りの扉は静かにその役目を終え、ゆっくりと外へ向かって倒れ行く。 揺れた地面に驚いた小鳥たちが木々を揺らしながら、一斉に大空へ舞って行く。
「――あぁ……なんて、眩しい」
「……ほんとう……」
「あぁ――やっと、ここがスタート地点だ」
木漏れ日は優しく周囲を明るく照らし、洞窟内の奥深くまで光の筋が伸びで行く。 あまりの眩しさに、目を細めながら、三人は並んで木々の間に抜ける青空を見上げていた。
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