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第二章 神天祭
✦✦Episode.19 誰かの思い ✦✦
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✦ ✦ ✦Episode.19 誰かの思い
✦ ✦ ✦
「うっ…」
(――私、どのくらい気絶していたの?)
シエルはハッと気が付く、ゆっくりと身体を起こした。 辺りを見回してみても、誰の姿も見当たらず……相変わらず森の中は静かなままだった。 手にはオキナソウを握りしめて……もうそれが、どんな意味を持っていたかシエルは知っていた。
(オキナソウ……まるで、今の私みたいだわ……)
シエルはゆっくりと立ち上がると――パタパタとスカートの埃を払った。 手に握らされていた花を、そっと近くの茂みに差し込む。
気絶してから、どれほど時間が経ったのか……地面を見ると、こぼれた液体の跡がしっかりと残っていた。 空を見上げても、さっきと太陽の位置はあまり変わっていなかった。
(そんなに時間は経ってないみたい……ほんの数分くらいね……)
あの液体を何とか全て吐き出したおかげで、効果は数分と持たずに、薄れていった。 シエルの意識はハッキリと元の状態に戻ると、自分の意思で体を動かせるようになっていた。
(セレア……ベラス・ラルト……あの目……すごく恐ろしかった)
ベラスの目は、冷たく歪んで……まるで人が壊れていく姿を――まるで、おもちゃで遊んでいるみたいに、心の底から楽しんでいるように見えた。
「私が光の神子……って……なんなの……?」
『“光の神子”である、あなたが邪魔なのよねぇ~』
「セレア……赤い目の……女の子……私が、邪魔……? なんで……?」
セレアとは、今日初めて出会ったはずなのに、すでに自分の事を知っているようで、得体の知れない気持ち悪さが胸の中を撫でる。
その不快感の正体を、どれだけ考えても理由が分からないままだった。
(このまま……立ち止まっているわけにはいかないわ……私は、前を向いて歩くって決めたんだから!)
「この先に進めば……クロトと出会ったあの場所があるから――」
遥か高い所から、水が落ちて行く…ザーザーと水音を立てる音が、もうすぐそこまで聞こえている。 つい先日の事なのに、懐かしさが胸の内に込み上げてくる。 シエルは、一歩……また一歩と足を踏み出した。
(もう――クロトはここには居ないのに……)
「それでも……少し……少しだけでも……クロトが居たんだって…感じたいの……」
小枝を踏む音がパキパキと鳴り響き――枝の破片が、彼女の素足を傷つけているのに、そんな事も気にせずに……力を込めて地面を蹴り上げた。
汚れた顔を手のひらで拭って、しっかりと顔をあげて前を見つめ、自分の進む事き方向へ向かって歩いて行った。
遥か高い木の上に腰かけて――前へ進むシエルを見下ろす二人の姿があった。 セレアはふんふんと鼻歌を歌いながら、メロディーに乗るように左右に体を揺らしている。
「ねーえ、ベラ君……?」
「ん?何だ……?」
「ルシフェル学園に鍵がある~なんて、なんであんな嘘ついたのぉ? あの子…本当にこの村を出ちゃうよぉ~?」
「あーあれかぁ~……まあ、目的があった方が、転がしやすいな……くくっ」
ベラスは、近くの葉を一枚もぎ取ると、いたずらをする子供みたいに、くしゃくしゃと丸めて、割れた切れ目から一枚ずつちぎりながら、パラパラと落としていく。
落ちて行く破片を目で追いながら、目を細めて愉快そうに笑っている。
「それに、元々消す予定だったんだ……面白いだろ? あの魔法は――今すぐには発動しないんだぜ?」
「へぇ…じゃあ、まだ“記憶”は存在してるのね……?」
「くくくっ…そうさ、時間をかけて――ゆっくりと……だんだん全てを忘れていくんだ……」
ベラスは、歩いて行くシエルを目で追いながら、ニタニタと笑みを浮かべた。 近くに一匹の虫が飛び回ると、手でぐしゃりと握り潰し……ぽたぽたと液体が手を伝って、木の幹の上へ落ちていく。
「しまいには――記憶も、言葉も、目的も…自分が誰だったかさえ忘れて……廃人のようになり…何もかもを失っていくのさ」
まるで、その先の悲劇が訪れる事を楽しみにしているかのように。 ベラスは自分の身体を抱きしめて……ゾクゾクとする感覚を楽しみながらニヤニヤと笑っている。
「――最後には、獣に食われて、跡形もなく消えていくんだ…くくく…最高だろ?」
「ベラ君…素敵…なんて悲劇的な結末なのぉ…ん…ふふっ」
「わざわざあいつを地の底へ落とさなくても、自分で勝手に消えていくんだ……くっくっく、ハッハッハ……っ!」
二人はベタベタとお互いに手を繋ぎ合わせながら、再び森の中へと目を移した。
シエルが森の先に進んでその姿が見えなくなっても、その場にしばらく――ふたりの不気味な笑い声が響き渡っていた。
✦ ✦ ✦
草木を分けながら、シエルは道の先へ進む。 開けた所に出ると、あの巨大な滝が、激しく轟音を立て、水しぶきを上げながら彼女の前に再び姿を現した。 いつまでも流れ落ちる大量の水……この水量は、一体どこから流れてきているのだろうか、まったく予想もつかない。
シエルはキョロキョロとあたりを見回して、彼が住んでいたという場所を探していた。
ふと、滝の傍まで歩み寄っていくと……水面に自分の顔が浮かび上がった。 その顔は痩せて……泣き腫らした目は、光さえ消えていた。
「あはは、ひどい顔……こんな顔、クロトに見せられないなぁ……」
シエルは、水に映った自分に無理やりニコッと笑いかけて…笑顔を保とうとしていた。 微かに香る、ライラックの花――辺り一面に漂った香りは……初めて出会ったあの日を思い出す。 天までのびた黒い翼……その美しさに、物陰に隠れてしばらくの間、見とれていた。
『振り向くなよっ?…絶対に!!』
「あははっ……!あの時のクロトの顔ときたら……本当に面白かった」
優しい思い出は、指先で触れた水面でそっと揺れ――指先で味わうようになぞった…あの黒い羽の色身を、ぼんやりと思い浮かべた。
「あぁ…クロト……好き……。 会いたい……」
「だから……まってて――!」
シエルは、ゆっくりと立ち上がり、滝の周囲を見回るように歩きながら、彼の住んでいた場所を探していた。 浅瀬を過ぎると、波は急激に強くなり、川となって森の先へ流れて行く。
(この水の流れ……一見穏やかそうに見えて、一つ間違えたら激流に飲み込まれて、どこかに流されてしまいそう)
この川の中から生き延びる事はほぼ不可能に近いのではないかと、シエルは本能的に悟った。 ふと、水面を眺めると、何かを知らせるように、キラキラと輝いているように見えた。 その輝きを目で追っていくと……滝の上まで続いていた。
「なにかしら……? ずっとキラキラ光って、上の方まで続いてる……?」
『しえる、ここだよ…気がついて…!』
「誰かが私を――呼んでいるの?」
妖精たちは、彼女を手助けするように……滝の上で、水の中を飛び回りながら水しぶきを上げていた。 その水滴に太陽の光がぶつかって、一粒一粒が輝きを放っている。
シエルの背中から、緩やかに真っ白な翼が空に向かって伸びて行く――太陽の温もりを浴びながらゆっくりと羽ばたいて…。 霧となった水のしぶきが、肺の中の空気を循環させながら、爽やかなの水の香りを感じていく。
滝の流れの上まで昇っていくと、岩場の陰にチラリと――巨大な空洞があるのが目に映った。
『もしかして……そこなの……?』
シエルはゆっくりと、下降し……そっと、傍に寄って近くの岩場に足をつけた。 岩の上は苔が生い茂り、ヌル付く足場に、一歩間違えば滝の底まで真っ逆さまに落ちてしまいそうだった。
シエルは落ちないように、岩にピッタリと貼りついて、這うようにしてそろりと足先を伸ばし、洞窟の中を目指して進んでいく。
――ピチャン。
静かな洞窟の中に、どこからか水滴の落ちる音が響いていた。 岩壁は苔むして、草花の湿った青臭い香りが、むわっと漂ってくる。
滝の外から、洞窟の奥へ吹き抜けていく風が、シエルの髪をくすぐりながら通り過ぎていく。
「ここで、間違いなさそうね…」
そっと中を覗いてみると、そこには藁を幾重にも積み重ねて作られたフカフカの寝床があった。 シエルはその上にそっと座り込み、地面を撫でた。 藁の柔らかな感触に、ほっ…と、つかの間の安らぎを覚えた。
藁の寝床の前には、小石が円形に並べられ、火を起こせるように敷き詰められていた。 中には何度も火をおこして、繰り返し消して、灰になった木の枝の跡が残っていた。 その隣に、小さな石の台が置かれていて……その上に、薬草や、木の実が転がっていた。
この場所には、生活の跡がしっかりと残っていた。 彼の生きた証は――この“洞窟の中”にしっかりと刻まれていた。
「うぅっ…くろ…と…っ…寂しいよ…っ」
シエルは、涙を堪えながら膝を抱えて俯いた。 シャラリと音がして、首元からひやりとした何かが足の上に当たる。 その感覚にほんの少し驚いて、目を見張ると……それは、あの時割れて粉々になったガラスのペンダントが、上半分だけの状態で、何かで無理やり貼り付けられて修復されていた。 不器用な手先で直したのか、いびつな形に変形していて――元の綺麗な形ではなかった。
「ひどい形……」
『どぉ?直してあげたのよ…?優しいでしょ?』
「何のために直したの……?」
このガラスのペンダントを修復して渡してきたセレアの意図は、まったくとしてわからない。 けれど、それを見つめている度に、独りぼっちになった悲しさや、寂しさが同時に胸の奥に込み上げはじめて、胸の奥を締め付ける。 シエルは、その場所で何度も何度も…泣き疲れて眠るまで、ひとりで泣き続けていた。
✦ ✦ ✦
「んん……あれ、私……いつの間に眠ちゃったの……?」
シエルは、いつの間にか柔らかい藁に包み込まれていて、草花の優しい香りにぼんやりと目を覚ました。 ゆっくりと体を起こし、滝の外に目を向けると、すでに日は傾き始め――太陽の光が淡い輝きで揺らめいている。
ふと、甘い若葉の香りがこの洞窟の中に漂っている事に気が付いて、足元に目線を動かしてみると……不思議な事に、先ほどまでなかったはずの勿忘草の花がシエルの周りに咲き誇っていた。
「これは一体…?」
勿忘草はぼんやりと輝きを放ちながら、洞窟の奥へ点々としながら続いていた。 まるで、シエルに何かを知らせるように――岩の隙間から奥の方へ向かって、一筋の光が差しこんでいた。
「なに……? どうしてこんなにも、この奥へ惹かれるの……?」
(私に何かを知らせようとしているの…?)
シエルが、奥へ進もうと立ち上がった瞬間――この不思議な出来事と、共鳴しているみたいに、彼女の指に絡み付いた根がほんの少しずつ成長をはじめ、キリキリとした痛みが走る。
「痛っ…」
根の感覚に引っ張られるように、ドキドキとしながら奥へ奥へと進んでいった。 奥の方へ向かうと、分厚い岩の壁に阻まれて、これ以上進むことは出来きず――その代わりに、勿忘草が壁一面に密集して咲いている。 ただそれだけの、寂しい場所だった。
「でも、この奥に何か…感じるの…」
胸の奥に感じる、何かの知らせ……この洞窟の中で、誰かがクロトを大切に思っていた――そんな思いが、ひしひしと伝わってくる。
「精霊…?いや、違う…もっと別の何か――この洞窟……?」
この洞窟全体が、彼の事を大切に思って、護り続けていたような不思議な感覚。 シエルはボーっとし始めると……意識が岩の中に吸い取られていく。 洞窟が見せる、夢の感覚――誰かの記憶の中に入り込んでいく。
(クロトよりも、大きくて広い背中……力強い、漆黒の翼……?)
『本当に――? 本当に、俺の子共なのか?』
『そうよ…あなたは、父親になるの』
『そうか、あぁ……すごく不思議な気持ちだ』
「一体、誰の声…?」
ぼんやりと見える、二人は海のように青い瞳と、炎のように燃え上がる赤い瞳……対照的な二人は、優しく手を取り合っている。
『分かるの。 この子は、貴方と同じ色の翼――私すごく嬉しいの……ねぇ、**ト』
『名前はもう決まっているの……あなたに似た――……』
優しく流れて行く時。 一筋の光が、ふたりの間を貫き通った直後……痛みにうめき、苦しむ声に変わっていく。
『待ってくれ――頼む、俺を残して死なないで……っ』
『どうかお願い。 この子を……私の代わりに――これを、この子に……』
(あの人たちは……もしかして――クロトの……?)
力なく指先が落ちて行く。 震える手で、握りしめていた大きな手は、ゆっくりと力を失い――その手の中から、何かが転がり落ち……記憶は水の中に沈んで消えて行った。
それでも――彼は、愛されながら産まれてきた。 母親の腕の中で、力いっぱいに産声を上げ。 それを抱きながらその人は亡くなっていった。
(クロトは、ちゃんと愛されて産まれてきたんだ……この人たちは、彼が災いだなんて――少しも思ってない)
「教えてくれて、ありがとう」
シエルはそっと壁に咲いた花を撫でた。 彼女の頬には、涙の伝った跡がいくつも残っていた。 岩肌の隙間に出来た小さな穴から、ずっと奥に続いていく勿忘草。 その奥に進むことは出来なくても、何かがあると感じる。
「もう少し、この“記憶”に触れていたい――でも、そろそろ、行かなくちゃ」
(もし、私より先にクロトがこの場所に帰って来たなら、この“記憶”にたどり着けますように)
シエルは自分の翼をそっと開いて、自分の白い羽を一枚静かに抜き取った。 そして――目をとじ、握りしめた羽の中に、心の中の思いを込め、唇をそっと開いた。
「汝、シエルの名において…」
――シエルの言葉に、側で見守っていた沢山の妖精達…風と水の精霊たちが、ゆっくりとその場所に集っていく…。
言葉を紡いで、その声に反応するように、辺りはぼうっと小さな光が灯り始めた。
「精霊の力をお借りし…この羽を手に取るものに祝福を与えん…」
シエルの目には映らなくても…その気配は彼女の周りをぐるぐるとまわって、何層も何層も重なりあってシエルを包み込んでいく。
(おねがい――どうか……)
「シエル・ルシルフィアは…この場所にいたよって。 クロトに教えてあげて」
涙をこぼしながら、願いの言葉を呟き終えると、精霊たちはその願いを聞き入れ……そっと手を伸ばして白い羽に触れた。 輝かしい光を放ちながら、シエルの願いは白い羽の中に宿っていった。
白い羽と、ガラスのペンダント。
その二つをクロトが住んでいた洞窟の中に残し“光の神子シエル”は、清らかに翼を広げ――森の中へ舞い降り、元来た道を辿って村の方向へ戻っていった。
✦ ✦ ✦
「うっ…」
(――私、どのくらい気絶していたの?)
シエルはハッと気が付く、ゆっくりと身体を起こした。 辺りを見回してみても、誰の姿も見当たらず……相変わらず森の中は静かなままだった。 手にはオキナソウを握りしめて……もうそれが、どんな意味を持っていたかシエルは知っていた。
(オキナソウ……まるで、今の私みたいだわ……)
シエルはゆっくりと立ち上がると――パタパタとスカートの埃を払った。 手に握らされていた花を、そっと近くの茂みに差し込む。
気絶してから、どれほど時間が経ったのか……地面を見ると、こぼれた液体の跡がしっかりと残っていた。 空を見上げても、さっきと太陽の位置はあまり変わっていなかった。
(そんなに時間は経ってないみたい……ほんの数分くらいね……)
あの液体を何とか全て吐き出したおかげで、効果は数分と持たずに、薄れていった。 シエルの意識はハッキリと元の状態に戻ると、自分の意思で体を動かせるようになっていた。
(セレア……ベラス・ラルト……あの目……すごく恐ろしかった)
ベラスの目は、冷たく歪んで……まるで人が壊れていく姿を――まるで、おもちゃで遊んでいるみたいに、心の底から楽しんでいるように見えた。
「私が光の神子……って……なんなの……?」
『“光の神子”である、あなたが邪魔なのよねぇ~』
「セレア……赤い目の……女の子……私が、邪魔……? なんで……?」
セレアとは、今日初めて出会ったはずなのに、すでに自分の事を知っているようで、得体の知れない気持ち悪さが胸の中を撫でる。
その不快感の正体を、どれだけ考えても理由が分からないままだった。
(このまま……立ち止まっているわけにはいかないわ……私は、前を向いて歩くって決めたんだから!)
「この先に進めば……クロトと出会ったあの場所があるから――」
遥か高い所から、水が落ちて行く…ザーザーと水音を立てる音が、もうすぐそこまで聞こえている。 つい先日の事なのに、懐かしさが胸の内に込み上げてくる。 シエルは、一歩……また一歩と足を踏み出した。
(もう――クロトはここには居ないのに……)
「それでも……少し……少しだけでも……クロトが居たんだって…感じたいの……」
小枝を踏む音がパキパキと鳴り響き――枝の破片が、彼女の素足を傷つけているのに、そんな事も気にせずに……力を込めて地面を蹴り上げた。
汚れた顔を手のひらで拭って、しっかりと顔をあげて前を見つめ、自分の進む事き方向へ向かって歩いて行った。
遥か高い木の上に腰かけて――前へ進むシエルを見下ろす二人の姿があった。 セレアはふんふんと鼻歌を歌いながら、メロディーに乗るように左右に体を揺らしている。
「ねーえ、ベラ君……?」
「ん?何だ……?」
「ルシフェル学園に鍵がある~なんて、なんであんな嘘ついたのぉ? あの子…本当にこの村を出ちゃうよぉ~?」
「あーあれかぁ~……まあ、目的があった方が、転がしやすいな……くくっ」
ベラスは、近くの葉を一枚もぎ取ると、いたずらをする子供みたいに、くしゃくしゃと丸めて、割れた切れ目から一枚ずつちぎりながら、パラパラと落としていく。
落ちて行く破片を目で追いながら、目を細めて愉快そうに笑っている。
「それに、元々消す予定だったんだ……面白いだろ? あの魔法は――今すぐには発動しないんだぜ?」
「へぇ…じゃあ、まだ“記憶”は存在してるのね……?」
「くくくっ…そうさ、時間をかけて――ゆっくりと……だんだん全てを忘れていくんだ……」
ベラスは、歩いて行くシエルを目で追いながら、ニタニタと笑みを浮かべた。 近くに一匹の虫が飛び回ると、手でぐしゃりと握り潰し……ぽたぽたと液体が手を伝って、木の幹の上へ落ちていく。
「しまいには――記憶も、言葉も、目的も…自分が誰だったかさえ忘れて……廃人のようになり…何もかもを失っていくのさ」
まるで、その先の悲劇が訪れる事を楽しみにしているかのように。 ベラスは自分の身体を抱きしめて……ゾクゾクとする感覚を楽しみながらニヤニヤと笑っている。
「――最後には、獣に食われて、跡形もなく消えていくんだ…くくく…最高だろ?」
「ベラ君…素敵…なんて悲劇的な結末なのぉ…ん…ふふっ」
「わざわざあいつを地の底へ落とさなくても、自分で勝手に消えていくんだ……くっくっく、ハッハッハ……っ!」
二人はベタベタとお互いに手を繋ぎ合わせながら、再び森の中へと目を移した。
シエルが森の先に進んでその姿が見えなくなっても、その場にしばらく――ふたりの不気味な笑い声が響き渡っていた。
✦ ✦ ✦
草木を分けながら、シエルは道の先へ進む。 開けた所に出ると、あの巨大な滝が、激しく轟音を立て、水しぶきを上げながら彼女の前に再び姿を現した。 いつまでも流れ落ちる大量の水……この水量は、一体どこから流れてきているのだろうか、まったく予想もつかない。
シエルはキョロキョロとあたりを見回して、彼が住んでいたという場所を探していた。
ふと、滝の傍まで歩み寄っていくと……水面に自分の顔が浮かび上がった。 その顔は痩せて……泣き腫らした目は、光さえ消えていた。
「あはは、ひどい顔……こんな顔、クロトに見せられないなぁ……」
シエルは、水に映った自分に無理やりニコッと笑いかけて…笑顔を保とうとしていた。 微かに香る、ライラックの花――辺り一面に漂った香りは……初めて出会ったあの日を思い出す。 天までのびた黒い翼……その美しさに、物陰に隠れてしばらくの間、見とれていた。
『振り向くなよっ?…絶対に!!』
「あははっ……!あの時のクロトの顔ときたら……本当に面白かった」
優しい思い出は、指先で触れた水面でそっと揺れ――指先で味わうようになぞった…あの黒い羽の色身を、ぼんやりと思い浮かべた。
「あぁ…クロト……好き……。 会いたい……」
「だから……まってて――!」
シエルは、ゆっくりと立ち上がり、滝の周囲を見回るように歩きながら、彼の住んでいた場所を探していた。 浅瀬を過ぎると、波は急激に強くなり、川となって森の先へ流れて行く。
(この水の流れ……一見穏やかそうに見えて、一つ間違えたら激流に飲み込まれて、どこかに流されてしまいそう)
この川の中から生き延びる事はほぼ不可能に近いのではないかと、シエルは本能的に悟った。 ふと、水面を眺めると、何かを知らせるように、キラキラと輝いているように見えた。 その輝きを目で追っていくと……滝の上まで続いていた。
「なにかしら……? ずっとキラキラ光って、上の方まで続いてる……?」
『しえる、ここだよ…気がついて…!』
「誰かが私を――呼んでいるの?」
妖精たちは、彼女を手助けするように……滝の上で、水の中を飛び回りながら水しぶきを上げていた。 その水滴に太陽の光がぶつかって、一粒一粒が輝きを放っている。
シエルの背中から、緩やかに真っ白な翼が空に向かって伸びて行く――太陽の温もりを浴びながらゆっくりと羽ばたいて…。 霧となった水のしぶきが、肺の中の空気を循環させながら、爽やかなの水の香りを感じていく。
滝の流れの上まで昇っていくと、岩場の陰にチラリと――巨大な空洞があるのが目に映った。
『もしかして……そこなの……?』
シエルはゆっくりと、下降し……そっと、傍に寄って近くの岩場に足をつけた。 岩の上は苔が生い茂り、ヌル付く足場に、一歩間違えば滝の底まで真っ逆さまに落ちてしまいそうだった。
シエルは落ちないように、岩にピッタリと貼りついて、這うようにしてそろりと足先を伸ばし、洞窟の中を目指して進んでいく。
――ピチャン。
静かな洞窟の中に、どこからか水滴の落ちる音が響いていた。 岩壁は苔むして、草花の湿った青臭い香りが、むわっと漂ってくる。
滝の外から、洞窟の奥へ吹き抜けていく風が、シエルの髪をくすぐりながら通り過ぎていく。
「ここで、間違いなさそうね…」
そっと中を覗いてみると、そこには藁を幾重にも積み重ねて作られたフカフカの寝床があった。 シエルはその上にそっと座り込み、地面を撫でた。 藁の柔らかな感触に、ほっ…と、つかの間の安らぎを覚えた。
藁の寝床の前には、小石が円形に並べられ、火を起こせるように敷き詰められていた。 中には何度も火をおこして、繰り返し消して、灰になった木の枝の跡が残っていた。 その隣に、小さな石の台が置かれていて……その上に、薬草や、木の実が転がっていた。
この場所には、生活の跡がしっかりと残っていた。 彼の生きた証は――この“洞窟の中”にしっかりと刻まれていた。
「うぅっ…くろ…と…っ…寂しいよ…っ」
シエルは、涙を堪えながら膝を抱えて俯いた。 シャラリと音がして、首元からひやりとした何かが足の上に当たる。 その感覚にほんの少し驚いて、目を見張ると……それは、あの時割れて粉々になったガラスのペンダントが、上半分だけの状態で、何かで無理やり貼り付けられて修復されていた。 不器用な手先で直したのか、いびつな形に変形していて――元の綺麗な形ではなかった。
「ひどい形……」
『どぉ?直してあげたのよ…?優しいでしょ?』
「何のために直したの……?」
このガラスのペンダントを修復して渡してきたセレアの意図は、まったくとしてわからない。 けれど、それを見つめている度に、独りぼっちになった悲しさや、寂しさが同時に胸の奥に込み上げはじめて、胸の奥を締め付ける。 シエルは、その場所で何度も何度も…泣き疲れて眠るまで、ひとりで泣き続けていた。
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「んん……あれ、私……いつの間に眠ちゃったの……?」
シエルは、いつの間にか柔らかい藁に包み込まれていて、草花の優しい香りにぼんやりと目を覚ました。 ゆっくりと体を起こし、滝の外に目を向けると、すでに日は傾き始め――太陽の光が淡い輝きで揺らめいている。
ふと、甘い若葉の香りがこの洞窟の中に漂っている事に気が付いて、足元に目線を動かしてみると……不思議な事に、先ほどまでなかったはずの勿忘草の花がシエルの周りに咲き誇っていた。
「これは一体…?」
勿忘草はぼんやりと輝きを放ちながら、洞窟の奥へ点々としながら続いていた。 まるで、シエルに何かを知らせるように――岩の隙間から奥の方へ向かって、一筋の光が差しこんでいた。
「なに……? どうしてこんなにも、この奥へ惹かれるの……?」
(私に何かを知らせようとしているの…?)
シエルが、奥へ進もうと立ち上がった瞬間――この不思議な出来事と、共鳴しているみたいに、彼女の指に絡み付いた根がほんの少しずつ成長をはじめ、キリキリとした痛みが走る。
「痛っ…」
根の感覚に引っ張られるように、ドキドキとしながら奥へ奥へと進んでいった。 奥の方へ向かうと、分厚い岩の壁に阻まれて、これ以上進むことは出来きず――その代わりに、勿忘草が壁一面に密集して咲いている。 ただそれだけの、寂しい場所だった。
「でも、この奥に何か…感じるの…」
胸の奥に感じる、何かの知らせ……この洞窟の中で、誰かがクロトを大切に思っていた――そんな思いが、ひしひしと伝わってくる。
「精霊…?いや、違う…もっと別の何か――この洞窟……?」
この洞窟全体が、彼の事を大切に思って、護り続けていたような不思議な感覚。 シエルはボーっとし始めると……意識が岩の中に吸い取られていく。 洞窟が見せる、夢の感覚――誰かの記憶の中に入り込んでいく。
(クロトよりも、大きくて広い背中……力強い、漆黒の翼……?)
『本当に――? 本当に、俺の子共なのか?』
『そうよ…あなたは、父親になるの』
『そうか、あぁ……すごく不思議な気持ちだ』
「一体、誰の声…?」
ぼんやりと見える、二人は海のように青い瞳と、炎のように燃え上がる赤い瞳……対照的な二人は、優しく手を取り合っている。
『分かるの。 この子は、貴方と同じ色の翼――私すごく嬉しいの……ねぇ、**ト』
『名前はもう決まっているの……あなたに似た――……』
優しく流れて行く時。 一筋の光が、ふたりの間を貫き通った直後……痛みにうめき、苦しむ声に変わっていく。
『待ってくれ――頼む、俺を残して死なないで……っ』
『どうかお願い。 この子を……私の代わりに――これを、この子に……』
(あの人たちは……もしかして――クロトの……?)
力なく指先が落ちて行く。 震える手で、握りしめていた大きな手は、ゆっくりと力を失い――その手の中から、何かが転がり落ち……記憶は水の中に沈んで消えて行った。
それでも――彼は、愛されながら産まれてきた。 母親の腕の中で、力いっぱいに産声を上げ。 それを抱きながらその人は亡くなっていった。
(クロトは、ちゃんと愛されて産まれてきたんだ……この人たちは、彼が災いだなんて――少しも思ってない)
「教えてくれて、ありがとう」
シエルはそっと壁に咲いた花を撫でた。 彼女の頬には、涙の伝った跡がいくつも残っていた。 岩肌の隙間に出来た小さな穴から、ずっと奥に続いていく勿忘草。 その奥に進むことは出来なくても、何かがあると感じる。
「もう少し、この“記憶”に触れていたい――でも、そろそろ、行かなくちゃ」
(もし、私より先にクロトがこの場所に帰って来たなら、この“記憶”にたどり着けますように)
シエルは自分の翼をそっと開いて、自分の白い羽を一枚静かに抜き取った。 そして――目をとじ、握りしめた羽の中に、心の中の思いを込め、唇をそっと開いた。
「汝、シエルの名において…」
――シエルの言葉に、側で見守っていた沢山の妖精達…風と水の精霊たちが、ゆっくりとその場所に集っていく…。
言葉を紡いで、その声に反応するように、辺りはぼうっと小さな光が灯り始めた。
「精霊の力をお借りし…この羽を手に取るものに祝福を与えん…」
シエルの目には映らなくても…その気配は彼女の周りをぐるぐるとまわって、何層も何層も重なりあってシエルを包み込んでいく。
(おねがい――どうか……)
「シエル・ルシルフィアは…この場所にいたよって。 クロトに教えてあげて」
涙をこぼしながら、願いの言葉を呟き終えると、精霊たちはその願いを聞き入れ……そっと手を伸ばして白い羽に触れた。 輝かしい光を放ちながら、シエルの願いは白い羽の中に宿っていった。
白い羽と、ガラスのペンダント。
その二つをクロトが住んでいた洞窟の中に残し“光の神子シエル”は、清らかに翼を広げ――森の中へ舞い降り、元来た道を辿って村の方向へ戻っていった。
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