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第四章 ルシフェル学園
✦✦Episode.31 揺れる馬車✦✦
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✦ ✦ ✦Episode.31 揺れる馬車
✦ ✦ ✦
木々の間をすり抜けて、ガタつく道を走る馬車――流れていく景色を横目に、少女はひとり、目的地を目指して進んでいく。
(もう随分と長いこと走ったけど、まだ着かないのね……)
この世界を初めて一人で歩いたのはいつの事だろう。 静かな森の中で、見つけたはずの宝物を無くし――その手がかりを求め、ただ道を進む。
「数日中には到着すると良いんだけど……」
馬が駆け抜けた道は、砂埃が上がり――花の綿毛が空高く舞い上がっていた。 シエルの目指す場所は――ルシフェル学園都市。
✦ ✦ ✦
アルテラ村を出て、すぐの事。
少し強めの風が吹いて、背中を押されながら、夜の道を一人で静かに歩いていた。 そこで、運良く出くわした――ルシフェル学園都市へと向かう馬車に拾われた。
「お嬢さん。 こんな夜更けにどうしたんだ?」
「アルテラ村から、ルシフェル学園都市に向かっているんですけど、道がよくわからないの……」
老夫婦が乗っていた馬車が通りかかり、少女が暗い夜道を一人で歩いているのを不審がって声をかけてきた。
「まぁ――こんな時間に一人でっ!? 命知らずにも程があるわよ! ねぇ、あなた、乗せてあげましょうよ!」
「そうだ。 この先は獣も出る危険な道を通る。 乗って行け!」
「はい。 ありがとうございます」
シエルは素直にお礼を言って、老夫婦のいる馬車に乗り込んだ。 馬車の中にある椅子は、フカフカとして……腰を掛けるとその乗り心地にホッと胸をなでおろして、シエルは膝に手をついた。
「私たちもルシフェル学園都市へ向かうの。 娘の出産が近くてね――夜通し走って、やっとここまで来たのよ」
「まあ……! その、おめでとうございます。 そんな大切な時に、乗せていただいて良かったのですか?」
「いいのよ。 素通りしたところで、後味が悪いから」
(なんていい人に拾って頂けたのかしら……赤ちゃん、無事産まれるといいなぁ)
シエルは名前も知らない老夫婦の娘に、ほんの少しだけ祈りを込めて空に浮かぶ星を眺めた。 星夜の輝きが、まるで新しい命の誕生を祝福するようにきらきらと煌めいている。
「そういえばあなた、おいくつ?」
「えっと――17歳です」
「そう。 じゃあ、ルシフェル学園の編入生なの?あそこはいいわよ、いろんな種族がいるし。 沢山の魔法を教えて貰えるのよね。」
「違うんです――私……」
シエルは馬車の外へ目を移すと……数日前に起きたことを静かに思い出していた。 温かかった彼の記憶――そして、自分が冷たく放ったさよならの言葉。
全てが自分の心に突き刺さって、服の中に隠された黒い羽をぎゅっと握りしめながら――まるで糸が切れたように、こらえきれない涙を流した。
「うっ……うぅっ」
「なにか、訳ありなのね。」
女性は、シエルの肩にそっと手をあて、慰めるように優しく背中をさすっている。 シエルは顔を覆って、涙を止めようと必死になっていた。
「大丈夫よ。 ルシフェル学園都市につけばきっと、いいことがあるわ。」
「はいっ……きっと……私、信じてます……」
✦ ✦ ✦
――馬車の車輪は急ぎ足でカラカラと回っていく。 ザワザワと、風は警告をするように、木々を荒々しく揺らして吹き荒れていた。
「嫌な風だ、なにも起こらないといいが……」
男性は、ポツリと呟くと、風の音がピタッと止むと、気味の悪い静寂が辺りを包み込んだ。 突然――馬車を引いていた馬は進む足をピタリと止めた。
「ヒヒィン!!」
「おいっ、どうしたっ!? 進め、進めっ!」
「やだ、なあに?」
「馬が――怯えている……」
馬は、恐怖した声でいななきを上げ、その場で高らかに前足をあげて、ブルブルと怯えている――森の先に視線を向け、目を凝らすと……その先に何かが“いる”気配を感じている。
「どぉ、どぉ、一体…………なんだって言うんだ!」
――ウオオーン。 森の中で響き渡った、オオカミたちの遠吠え……木々の間に、無数の光る目がこちらを覗き込んでいる。
「ひっ――獣!!」
「グルルルルッ!!」
目の前に現れた、無数のオオカミの群れ……奴らは、円形を組んで馬車の周辺を取り囲んで行く。 唾液を地面に垂らしながら、今すぐにでも襲い掛かってきそうな気迫で――じっと馬車に乗る彼女たちを見捉えている。
「グオオオオアアア――!」
オオカミの一匹が、馬車に向かって走り出すと、後方で待ちわびていた他のオオカミ達も、堰を切ったように一斉にこちらに向かって走りだし、あっという間に馬車との距離を詰められていく。
「い、いや……っ!」
「は、走れ――はしれえええっ!!」
バシンと馬を叩く鋭い革紐の音が鳴り響く。馬は前足を上げ、一目散に駆け出していく。 その後を追うオオカミ達は……獲物を捉えようと、何処までも、何処までも――シエル達の乗った馬車を追いかけて続けて来る。
高速で走る馬車が道を曲がろうとした――その時。 目の前に突き出た岩が道を塞ぐように立っていた。
「――危ない!!うわああああっ!!」
「いやあああっ――!!」
馬車は岩に衝突し、ガシャン、とものすごい音を立て崩れ落ちていった。 その場で積んでいた荷物がそこらじゅうにまき散らされ、男性は茂みの中へ飛ばされていく……車輪がカラカラと虚しい音を立て、馬は叫びながら革紐を振りほどいて何処かに走り去っていった。
馬車の中にいた女性二人は、やっとの思いでその中から這い出し、外へ出た。 積まされていた布がクッションとなり、幸い彼女たちには怪我はなく――男性もまた、ほんの少し腕を切ったくらいで済んでいた。
「あっ……大丈夫ですかっ!?け、怪我を……っ!!」
「ひいいっ――!!」
「く……来るな!」
倒れた馬車を見て、獣たちた、目を光らせながら男性の腕から漂う血の香りに、高鳴る興奮を覚えた。 ボタボタと唾液を地面に垂らし、舌舐めずりをしながら、ゆっくりとこちらにじりじりと寄って来る。
(一体、どうしたらいいの?)
「こんな所で死にたくないわ! 逃げるべきよ!!」
「ひいぃっ、き……来たぞ! 走れ、走れ――!!」
奴らは、ついにスピードを上げ、陣形を取り――取り囲むようにしてこちらに向かってくる。 老夫婦は悲鳴を上げながら、オオカミから逃れようと必死に走って逃げていった。 群れは泥水を跳ね上げながら、逃げた二人を追いかけて行き――じりじりとその距離を縮めていく。
シエルはただ一人――その場所に取り残された。 崩れ落ちた瓦礫に隙間を見つけると、その中へ身を寄せ――息を殺して隠れる事しか方法がなかった。
(逃げられない……っ。 こ、怖い!! 誰か助けて……っ!)
彼女の呼吸は荒く、ガタガタと全身の震えが止まらない。 頬を大粒の涙が伝って恐怖に怯えながら膝を曲げ――身体を丸め、ただひたすら、その場からオオカミの群れが居なくなるの待っていた。
(怖い……)
『チッ……チッ……』
時計の秒針の音が、頭の中でハッキリと聴こえてはじめ、一秒ずつ確実に時を刻んでいく。 鳴りやまないその音は、シエルに恐怖心を与えていく。
(時計……?やめて…………うるさい!)
シエルが耳をふさいだところで、その音が消える事は無い――無駄だと分かっていながら、シエルは逃げるように両手で耳を覆った。 周囲の音は遮断されたにもかかわらず、針の進む音は頭の中で響き渡っている。
「……ガルルル!!」
崩れた荷馬車の外側で、一匹のオオカミは彼女がそこに居る事を嗅ぎ付けた……獣の歪んだ瞳は――すでに“獲物”を見つけたと、シエルの姿を捉えている。
「や……いやあああぁ!!」
シエルはその場から勢い良く飛び出し、何も考えずに道の先を目指して走り出し、死な顔をして道の先へ手を伸ばした。 額からは、涙と冷や汗が入り混じって、頬を伝って流れていく。
『チッ……チッ……“カチンッ”』
「ひっ……!!あっ、あぁぁっ!!」
時計の秒針が――最後の時を刻み。 静かに針は重なり合った――重苦しい鐘の音が。頭の中で旋律となって響き渡っていく。 彼女は頭痛で顔を歪め、こめかみをグッと両手で押さえ込んだ。
「や、やだ。 なに!? 怖いよ……助けて、助けて! クロト――っ!!」
シエルが叫ぶと同時に、ズキズキと激い痛みは波打っていく。 輝かしい光が、彼女の脳内を侵食し始め――ぼんやりと、視界が雪に閉ざされて行くように、真っ白に染まっていった。
「な……に?」
『ねぇ……ねぇ、シエル?』
シエルは、今――何をしていたかも忘れて……その場で静かに立ち止まった。 獣はすでに、シエルに狙いを定め、もうすぐ“そこ”まで向かってきている。
『くろとって――いったい、だぁれ?』
「……?(あれ――誰だっけ……?)」
心の中にあった、大切な記憶……。 儚い記憶は、白い光の中に全て吸い取られ……その光は、容赦なく開かれた扉の中へ奪われていった。 彼女の記憶は、忘却の中へ緩やかに散り行き、儚く溶けて消えていった。
「グァオオオオオ――!」
「あっ、私!今何して――」
獣の声に、シエルの意識は一瞬で現実に引き戻されて、今目の前で起こっていたことが何だったか、思わず後ろをゆっくりとふりかった。 声を出す暇もなく、オオカミの牙が――彼女の喉めがけてその口を大きく開いている。
(い、いや……っ!!)
――眼前に迫った、オオカミの牙。
彼女の魂の光が、奪われる。
――その時。
「君、大丈夫っ!?」
「えっ?」
サラブレッドに乗った騎士が、巨大なランスの矛先をオオカミへ向け、威嚇をする様に振りかざした。
オオカミ達は叫び声を上げ、怯えながら走り去っていく。
(だれ……?)
さらさらと、栗毛色の髪をなびかせ、光輝く白い鎧を身につけた騎士。 その姿を見た途端、恐怖で緊張していた気持ちがフッと消えて、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。 騎士は、泣いた少女の姿を見て、あわてて馬から飛び降りて地面に足をつけた。
「怖かったよね? 僕が来たからもう大丈夫、安心して!」
「あなたは?」
「僕はティオン。 よろしくね!」
ティオンと名乗る騎士は、そっとシエルに向けて手を差し出すと、彼女は静かにその手と自分の手を重ね合わせた。
「君、名前は?」
「私は――シエル・ルシルフィアです」
「シエル?そうか、良い名前だね! それで……?シエルお嬢様はどちらまで?」
「ルシフェル学園都市に向かっていたんです。あっ!あの二人は大丈夫なのですか!?」
先に逃げて行った老夫婦を心配して、シエルはグッとティオンの手を両手で掴んだ。 ティオンは、彼女を安心させるように、反対の手で肩をトントンと叩いて、ニコッと笑っている。
「他の部隊もいるから、きっと大丈夫だと思うよ!」
「ほんとうに?」
「うん! さあ――君は、この馬に乗るといい」
ティオンは軽やかにサラブレッドに跨ると、自分の前に乗るようにシエルに手を向け、彼女がその手を取ると――ゆっくりと手を引きながら、両足をそろえ、馬の上に乗せた。 ティオンは、そっと手綱を引きシエルが落ちないよう両腕で抱え込んだ。
「よし――僕が君をルシフェルへ連れていこう! なあに、新派することは無い……この馬なら、すぐ到着するからね」
サラブレッドは、キラキラと煌めきを帯びて、静かにその色を純白の光に変えていく。 馬の背からは翼がゆっくりと左右に伸び広がり――ふわりと空へ羽ばたき出した。
「あなた、ユニコーンだったのね?」
シエルはそっとユニコーンの首筋を優しく撫でた。 ブルブルと、馬は喜びの声を上げ、時折頭を下げる仕草をしていた。 遥か道の先――他の騎士達によって救い出された老夫婦の姿がちらりと見えた。
「本当に生きてた。 良かったぁ」
馬はあっという間に空を駆け抜け、流れる雲を追い越していく。 巨大な城門が眼前へ現れると、ユニコーンは主の手綱に引かれ、ゆっくりとその場に舞い降りて行った。
「さあ、着いたよ。 ようこそ――ルシフェル学園都市へ」
「ここが……?ルシフェル学園都市?」
ティオンは軽やかに馬から降りると、シエルの手を取った。 彼に手を引かれながら、ふわりと地に足を着くと、恐る恐る辺りを見回しながら、ゆっくりとその先を歩いて行く。 その建前は、どれほど見上げても高く――終わりの見えない城門がそこにそびえ立っていた。
「それじゃあ――僕はこれで。 また会いましょう?シエルお嬢様」
「はい。 ありがとうございました。 ふふ、お馬さんも、また会いましょうね?」
シエルは少し頬を染め、ティオンと名乗った騎士にニコリと微笑んだ。 名残惜しそうな顔で、シエルを見つめていたユニコーンを、手の腹で優しく撫で上げて、その場から一歩後ろに身を下げた。
――騎士、ティオンは颯爽とユニコーンへ跨り、ゆっくりと翼を広げ、空へ舞い上がっていった。 そうしてどこか遠くの空へ――小さくなって、とうとうその姿は見えなくなった。
「この先に、私の知らない何かがあるのね」
シエルは、ゴクリと息を飲み込んで、巨大な城門の中へと一歩ずつ、ドキドキと怯えながら――ゆっくりと、足を踏み込んでいった。
✦ ✦ ✦
深い森の中――木々の隙間に、ぽっかりと見えた場所へその身を下ろし……不気味な気配を漂わせながら、黒いローブを纏った者が、ティオンの周辺を取り囲んでいた。
キラキラと輝きを放っていた、彼の瞳からその煌めきが失われ、睨みつけるように、黒いローブの者達を見据えていた。
「相変わらず――薄気味悪いよね、キミたちは」
こちらから問いかけようと、必要最低限以上の事は、何もしゃべらない。 いつもなら――神に仇なすものとして、その身を拘束し、連れ帰る所だが……彼が手出ししないのを良い事に、ローブの奴らはニヤリと口元を上げた。
黒いローブが風に揺れ――服の中から漂う、悪の臭気――ほんのりと、青く染まっている腕……目の下まで深くかぶり、その表情は見えない――が、狂気的に含む笑いを、見なくても感じ取る程だった。
「――あの方に伝えろ。 シエル・ルシルフィアを見つけたと」
ティオンの言葉と共に、黒いローブの者達は影に溶けてじわりと消えていった。静かな風の流れが、彼の髪を揺らしていた。
――彼は微かに唇を動かして、くっと歯を食い縛り、その場から静かに立ち去った。
✦ ✦ ✦
木々の間をすり抜けて、ガタつく道を走る馬車――流れていく景色を横目に、少女はひとり、目的地を目指して進んでいく。
(もう随分と長いこと走ったけど、まだ着かないのね……)
この世界を初めて一人で歩いたのはいつの事だろう。 静かな森の中で、見つけたはずの宝物を無くし――その手がかりを求め、ただ道を進む。
「数日中には到着すると良いんだけど……」
馬が駆け抜けた道は、砂埃が上がり――花の綿毛が空高く舞い上がっていた。 シエルの目指す場所は――ルシフェル学園都市。
✦ ✦ ✦
アルテラ村を出て、すぐの事。
少し強めの風が吹いて、背中を押されながら、夜の道を一人で静かに歩いていた。 そこで、運良く出くわした――ルシフェル学園都市へと向かう馬車に拾われた。
「お嬢さん。 こんな夜更けにどうしたんだ?」
「アルテラ村から、ルシフェル学園都市に向かっているんですけど、道がよくわからないの……」
老夫婦が乗っていた馬車が通りかかり、少女が暗い夜道を一人で歩いているのを不審がって声をかけてきた。
「まぁ――こんな時間に一人でっ!? 命知らずにも程があるわよ! ねぇ、あなた、乗せてあげましょうよ!」
「そうだ。 この先は獣も出る危険な道を通る。 乗って行け!」
「はい。 ありがとうございます」
シエルは素直にお礼を言って、老夫婦のいる馬車に乗り込んだ。 馬車の中にある椅子は、フカフカとして……腰を掛けるとその乗り心地にホッと胸をなでおろして、シエルは膝に手をついた。
「私たちもルシフェル学園都市へ向かうの。 娘の出産が近くてね――夜通し走って、やっとここまで来たのよ」
「まあ……! その、おめでとうございます。 そんな大切な時に、乗せていただいて良かったのですか?」
「いいのよ。 素通りしたところで、後味が悪いから」
(なんていい人に拾って頂けたのかしら……赤ちゃん、無事産まれるといいなぁ)
シエルは名前も知らない老夫婦の娘に、ほんの少しだけ祈りを込めて空に浮かぶ星を眺めた。 星夜の輝きが、まるで新しい命の誕生を祝福するようにきらきらと煌めいている。
「そういえばあなた、おいくつ?」
「えっと――17歳です」
「そう。 じゃあ、ルシフェル学園の編入生なの?あそこはいいわよ、いろんな種族がいるし。 沢山の魔法を教えて貰えるのよね。」
「違うんです――私……」
シエルは馬車の外へ目を移すと……数日前に起きたことを静かに思い出していた。 温かかった彼の記憶――そして、自分が冷たく放ったさよならの言葉。
全てが自分の心に突き刺さって、服の中に隠された黒い羽をぎゅっと握りしめながら――まるで糸が切れたように、こらえきれない涙を流した。
「うっ……うぅっ」
「なにか、訳ありなのね。」
女性は、シエルの肩にそっと手をあて、慰めるように優しく背中をさすっている。 シエルは顔を覆って、涙を止めようと必死になっていた。
「大丈夫よ。 ルシフェル学園都市につけばきっと、いいことがあるわ。」
「はいっ……きっと……私、信じてます……」
✦ ✦ ✦
――馬車の車輪は急ぎ足でカラカラと回っていく。 ザワザワと、風は警告をするように、木々を荒々しく揺らして吹き荒れていた。
「嫌な風だ、なにも起こらないといいが……」
男性は、ポツリと呟くと、風の音がピタッと止むと、気味の悪い静寂が辺りを包み込んだ。 突然――馬車を引いていた馬は進む足をピタリと止めた。
「ヒヒィン!!」
「おいっ、どうしたっ!? 進め、進めっ!」
「やだ、なあに?」
「馬が――怯えている……」
馬は、恐怖した声でいななきを上げ、その場で高らかに前足をあげて、ブルブルと怯えている――森の先に視線を向け、目を凝らすと……その先に何かが“いる”気配を感じている。
「どぉ、どぉ、一体…………なんだって言うんだ!」
――ウオオーン。 森の中で響き渡った、オオカミたちの遠吠え……木々の間に、無数の光る目がこちらを覗き込んでいる。
「ひっ――獣!!」
「グルルルルッ!!」
目の前に現れた、無数のオオカミの群れ……奴らは、円形を組んで馬車の周辺を取り囲んで行く。 唾液を地面に垂らしながら、今すぐにでも襲い掛かってきそうな気迫で――じっと馬車に乗る彼女たちを見捉えている。
「グオオオオアアア――!」
オオカミの一匹が、馬車に向かって走り出すと、後方で待ちわびていた他のオオカミ達も、堰を切ったように一斉にこちらに向かって走りだし、あっという間に馬車との距離を詰められていく。
「い、いや……っ!」
「は、走れ――はしれえええっ!!」
バシンと馬を叩く鋭い革紐の音が鳴り響く。馬は前足を上げ、一目散に駆け出していく。 その後を追うオオカミ達は……獲物を捉えようと、何処までも、何処までも――シエル達の乗った馬車を追いかけて続けて来る。
高速で走る馬車が道を曲がろうとした――その時。 目の前に突き出た岩が道を塞ぐように立っていた。
「――危ない!!うわああああっ!!」
「いやあああっ――!!」
馬車は岩に衝突し、ガシャン、とものすごい音を立て崩れ落ちていった。 その場で積んでいた荷物がそこらじゅうにまき散らされ、男性は茂みの中へ飛ばされていく……車輪がカラカラと虚しい音を立て、馬は叫びながら革紐を振りほどいて何処かに走り去っていった。
馬車の中にいた女性二人は、やっとの思いでその中から這い出し、外へ出た。 積まされていた布がクッションとなり、幸い彼女たちには怪我はなく――男性もまた、ほんの少し腕を切ったくらいで済んでいた。
「あっ……大丈夫ですかっ!?け、怪我を……っ!!」
「ひいいっ――!!」
「く……来るな!」
倒れた馬車を見て、獣たちた、目を光らせながら男性の腕から漂う血の香りに、高鳴る興奮を覚えた。 ボタボタと唾液を地面に垂らし、舌舐めずりをしながら、ゆっくりとこちらにじりじりと寄って来る。
(一体、どうしたらいいの?)
「こんな所で死にたくないわ! 逃げるべきよ!!」
「ひいぃっ、き……来たぞ! 走れ、走れ――!!」
奴らは、ついにスピードを上げ、陣形を取り――取り囲むようにしてこちらに向かってくる。 老夫婦は悲鳴を上げながら、オオカミから逃れようと必死に走って逃げていった。 群れは泥水を跳ね上げながら、逃げた二人を追いかけて行き――じりじりとその距離を縮めていく。
シエルはただ一人――その場所に取り残された。 崩れ落ちた瓦礫に隙間を見つけると、その中へ身を寄せ――息を殺して隠れる事しか方法がなかった。
(逃げられない……っ。 こ、怖い!! 誰か助けて……っ!)
彼女の呼吸は荒く、ガタガタと全身の震えが止まらない。 頬を大粒の涙が伝って恐怖に怯えながら膝を曲げ――身体を丸め、ただひたすら、その場からオオカミの群れが居なくなるの待っていた。
(怖い……)
『チッ……チッ……』
時計の秒針の音が、頭の中でハッキリと聴こえてはじめ、一秒ずつ確実に時を刻んでいく。 鳴りやまないその音は、シエルに恐怖心を与えていく。
(時計……?やめて…………うるさい!)
シエルが耳をふさいだところで、その音が消える事は無い――無駄だと分かっていながら、シエルは逃げるように両手で耳を覆った。 周囲の音は遮断されたにもかかわらず、針の進む音は頭の中で響き渡っている。
「……ガルルル!!」
崩れた荷馬車の外側で、一匹のオオカミは彼女がそこに居る事を嗅ぎ付けた……獣の歪んだ瞳は――すでに“獲物”を見つけたと、シエルの姿を捉えている。
「や……いやあああぁ!!」
シエルはその場から勢い良く飛び出し、何も考えずに道の先を目指して走り出し、死な顔をして道の先へ手を伸ばした。 額からは、涙と冷や汗が入り混じって、頬を伝って流れていく。
『チッ……チッ……“カチンッ”』
「ひっ……!!あっ、あぁぁっ!!」
時計の秒針が――最後の時を刻み。 静かに針は重なり合った――重苦しい鐘の音が。頭の中で旋律となって響き渡っていく。 彼女は頭痛で顔を歪め、こめかみをグッと両手で押さえ込んだ。
「や、やだ。 なに!? 怖いよ……助けて、助けて! クロト――っ!!」
シエルが叫ぶと同時に、ズキズキと激い痛みは波打っていく。 輝かしい光が、彼女の脳内を侵食し始め――ぼんやりと、視界が雪に閉ざされて行くように、真っ白に染まっていった。
「な……に?」
『ねぇ……ねぇ、シエル?』
シエルは、今――何をしていたかも忘れて……その場で静かに立ち止まった。 獣はすでに、シエルに狙いを定め、もうすぐ“そこ”まで向かってきている。
『くろとって――いったい、だぁれ?』
「……?(あれ――誰だっけ……?)」
心の中にあった、大切な記憶……。 儚い記憶は、白い光の中に全て吸い取られ……その光は、容赦なく開かれた扉の中へ奪われていった。 彼女の記憶は、忘却の中へ緩やかに散り行き、儚く溶けて消えていった。
「グァオオオオオ――!」
「あっ、私!今何して――」
獣の声に、シエルの意識は一瞬で現実に引き戻されて、今目の前で起こっていたことが何だったか、思わず後ろをゆっくりとふりかった。 声を出す暇もなく、オオカミの牙が――彼女の喉めがけてその口を大きく開いている。
(い、いや……っ!!)
――眼前に迫った、オオカミの牙。
彼女の魂の光が、奪われる。
――その時。
「君、大丈夫っ!?」
「えっ?」
サラブレッドに乗った騎士が、巨大なランスの矛先をオオカミへ向け、威嚇をする様に振りかざした。
オオカミ達は叫び声を上げ、怯えながら走り去っていく。
(だれ……?)
さらさらと、栗毛色の髪をなびかせ、光輝く白い鎧を身につけた騎士。 その姿を見た途端、恐怖で緊張していた気持ちがフッと消えて、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。 騎士は、泣いた少女の姿を見て、あわてて馬から飛び降りて地面に足をつけた。
「怖かったよね? 僕が来たからもう大丈夫、安心して!」
「あなたは?」
「僕はティオン。 よろしくね!」
ティオンと名乗る騎士は、そっとシエルに向けて手を差し出すと、彼女は静かにその手と自分の手を重ね合わせた。
「君、名前は?」
「私は――シエル・ルシルフィアです」
「シエル?そうか、良い名前だね! それで……?シエルお嬢様はどちらまで?」
「ルシフェル学園都市に向かっていたんです。あっ!あの二人は大丈夫なのですか!?」
先に逃げて行った老夫婦を心配して、シエルはグッとティオンの手を両手で掴んだ。 ティオンは、彼女を安心させるように、反対の手で肩をトントンと叩いて、ニコッと笑っている。
「他の部隊もいるから、きっと大丈夫だと思うよ!」
「ほんとうに?」
「うん! さあ――君は、この馬に乗るといい」
ティオンは軽やかにサラブレッドに跨ると、自分の前に乗るようにシエルに手を向け、彼女がその手を取ると――ゆっくりと手を引きながら、両足をそろえ、馬の上に乗せた。 ティオンは、そっと手綱を引きシエルが落ちないよう両腕で抱え込んだ。
「よし――僕が君をルシフェルへ連れていこう! なあに、新派することは無い……この馬なら、すぐ到着するからね」
サラブレッドは、キラキラと煌めきを帯びて、静かにその色を純白の光に変えていく。 馬の背からは翼がゆっくりと左右に伸び広がり――ふわりと空へ羽ばたき出した。
「あなた、ユニコーンだったのね?」
シエルはそっとユニコーンの首筋を優しく撫でた。 ブルブルと、馬は喜びの声を上げ、時折頭を下げる仕草をしていた。 遥か道の先――他の騎士達によって救い出された老夫婦の姿がちらりと見えた。
「本当に生きてた。 良かったぁ」
馬はあっという間に空を駆け抜け、流れる雲を追い越していく。 巨大な城門が眼前へ現れると、ユニコーンは主の手綱に引かれ、ゆっくりとその場に舞い降りて行った。
「さあ、着いたよ。 ようこそ――ルシフェル学園都市へ」
「ここが……?ルシフェル学園都市?」
ティオンは軽やかに馬から降りると、シエルの手を取った。 彼に手を引かれながら、ふわりと地に足を着くと、恐る恐る辺りを見回しながら、ゆっくりとその先を歩いて行く。 その建前は、どれほど見上げても高く――終わりの見えない城門がそこにそびえ立っていた。
「それじゃあ――僕はこれで。 また会いましょう?シエルお嬢様」
「はい。 ありがとうございました。 ふふ、お馬さんも、また会いましょうね?」
シエルは少し頬を染め、ティオンと名乗った騎士にニコリと微笑んだ。 名残惜しそうな顔で、シエルを見つめていたユニコーンを、手の腹で優しく撫で上げて、その場から一歩後ろに身を下げた。
――騎士、ティオンは颯爽とユニコーンへ跨り、ゆっくりと翼を広げ、空へ舞い上がっていった。 そうしてどこか遠くの空へ――小さくなって、とうとうその姿は見えなくなった。
「この先に、私の知らない何かがあるのね」
シエルは、ゴクリと息を飲み込んで、巨大な城門の中へと一歩ずつ、ドキドキと怯えながら――ゆっくりと、足を踏み込んでいった。
✦ ✦ ✦
深い森の中――木々の隙間に、ぽっかりと見えた場所へその身を下ろし……不気味な気配を漂わせながら、黒いローブを纏った者が、ティオンの周辺を取り囲んでいた。
キラキラと輝きを放っていた、彼の瞳からその煌めきが失われ、睨みつけるように、黒いローブの者達を見据えていた。
「相変わらず――薄気味悪いよね、キミたちは」
こちらから問いかけようと、必要最低限以上の事は、何もしゃべらない。 いつもなら――神に仇なすものとして、その身を拘束し、連れ帰る所だが……彼が手出ししないのを良い事に、ローブの奴らはニヤリと口元を上げた。
黒いローブが風に揺れ――服の中から漂う、悪の臭気――ほんのりと、青く染まっている腕……目の下まで深くかぶり、その表情は見えない――が、狂気的に含む笑いを、見なくても感じ取る程だった。
「――あの方に伝えろ。 シエル・ルシルフィアを見つけたと」
ティオンの言葉と共に、黒いローブの者達は影に溶けてじわりと消えていった。静かな風の流れが、彼の髪を揺らしていた。
――彼は微かに唇を動かして、くっと歯を食い縛り、その場から静かに立ち去った。
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「良いじゃありませんか。減るもんじゃないし」
これまで放置されていた妻と、不器用に愛を示す夫。
そんな二人が、じれじれ、じわじわとお互いの距離を詰めていく、甘くて切ない夫婦再生の物語
※完結まで毎日更新
※全26話+おまけ1話
※一章ほのぼの、二章シリアスの二部構成です。
※他サイトにも投稿
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