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✿小悪魔とたまご
しおりを挟む目が覚めた。
もう見慣れた自宅ではない場所の天井。ここは彼――松宮侑汰の家。
門倉史明は、ゆっくりと寝台から降りて大きく伸びをした。そしてあくびをひとつ。空気が肺いっぱいに入ってくる。
「門倉さーんっ」
男の声。台所のある方向からだ。
朝から騒がしくそちらからは雑音が、がさごそ。
何をしている?
不安になって門倉は声のするほうへと向かう。そしてその光景に、ぎょっと目を見開いた。
「……惨状、だな」
「ですね」
雪崩が起きていた。
そなえつけのキャビネットの上の扉が全開になっていて、そこに置かれていた雑多な料理器具が床に散らばっている。
「何、しようとしたんだ?」
ため息まじりに門倉は松宮の顔を覗き込む。己の失敗に彼はうっと下唇を噛んでいた。
「別に」
素直じゃない。
「取って欲しい時くらい、俺を呼べ」
「寝てたもん」
「……起こせ」
幼い。まるで拗ねている子どものようだ。松宮の反応のことだ。童顔とあいまって、何だか変な気分になる。
「じゃあ、片付けるから」
門倉はしゃがみこんで、近くに転がっていた巨大なフライパンに手を伸ばした。
「あっ」
松宮が声をあげる。
「それはしまわないで。使うから」
「へ?」
これを?
門倉の手にしたそれは、A4サイズの書類二枚並べて丸焼きにできるくらい大きいものだ。
「おっきいホットケーキ、作りたい気分になったので」
見れば作業台の上に怪しい白い粉が二袋分。おいおい。門倉は肩を落とした。
✿
こん、と当てて、ぱっと割る。
「うわあ、上手、上手」
はしゃぐ若い男の声――いや、自分より年くってるはずだ、彼は。松宮が小さく拍手をしだす。
「門倉さんって、不器用な癖に妙なところだけ、器用ですよね」
「どういう意味だ」
門倉は綺麗に片付けた台所で、ボウルに卵を割っていた。
「片手で卵割れるのってすごい」
キラキラと松宮の大きな黒目が輝く。
「そうかいな」
門倉は見つめられるのがつらくて彼から視線を逸らせた。
「ねえ、こんどやりかた教えてよ」
「教えるもなにもない。やってみろよ」
門倉は手の中にあった卵を松宮に手渡す。冷蔵庫から出したばかりなので、ほのかに冷たい。
「よっしゃ頑張る。殻、中に入っちゃったら門倉さん、なんとかしてよね」
門倉は松宮のことばに苦笑した。こいつはいつから俺の女王様になったのだ。
「えいっ」
松宮がボウルの縁に卵を当てた。殻にヒビが入った。
「そのまま、いけ」
門倉のことばに松宮がうなづく。
「いくぜ。ぱりん!」
自分で擬音を叫びながら、松宮はボウルの真上に卵を掲げると片手で左右に卵の殻を割ろうとした。
しかし、結果は「ぱりん」ではなく「ぐしゃ」である。
無残にも殻の破片がボウルの中にぼたぼたと落ちた。
「あー」
生たまごのとろりとした液体と殻の残骸が松宮の手にまとわりつく。
「……とって」
甘い声で、門倉を見上げる松宮。
生意気めと言い返してやろうとしたところ、視界に入った彼の手の状態に、なぜか門倉の中心に熱が生じた。
「……自分でやれ」
低くそう云い放つ。
「まず、手、綺麗にしてからな」
「はーい」
ゴミ箱の上で、殻の破片を振り落とした松宮は、たまごのぬめりを流しで洗おうとした。
しかし、彼は蛇口に手を置いたまま、動きを止めた。
「どうした」
門倉が尋ねる。
「……これ」
松宮は何を思ったのか、生たまごに濡れた片手をそっとゆっくり門倉に見せつけるように、己の口元へもっていった。
そして、赤い舌を唇からつきだして、濡れている己の手指にそれを絡ませた。
「っ!」
目の前に扇情的な小悪魔が現れる。息を飲んだ門倉に松宮は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「かーどくらさんっ」
にやりと歪んだ唇は透明なもので濡れていた。
(了)
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