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.お返しまでの距離
しおりを挟む千尋は、冷蔵庫の扉を開けて目を丸くした。そこには、自分が買った思いがない、紙袋がちょこんと存在していた。ひろいあげるように、手元にそれを抱く。ああ、新崎くんだな、と千尋は笑った。
「あいかわらずだなぁ」
壁にかけているカレンダーに目をうつす。十三まで数字にバツがついたそれが指し示す今日。
先月のその日には、忙しくてそれどころではなかった。千尋の担当している作家・松葉ゆうがまた突然、蒸発した。彼の入り浸っている場所を徹底的に探したが、ギリギリのギリギリまで彼を見つけることができなかった。こちらだって忙しい社会人だ。どうにかしてもらえないだろうかと思ったが、彼から受け取った原稿の出来栄えに、この仕事をしていてよかったと思う自分もそろそろ反省しないといけないかもしれない。
なにはともあれ、ドタバタとしているうちに気がついたらもう年度末だ。今度は今度で、また忙しい時期。この包みという新崎迅人という男の痕跡がなければ、その日のことを忘れてしまう。
「ああ、いや、前の号でネタにしたっけ」
作家にバレンタインの物語を書かせておいて、自分は何をしているのだろう。こういう小さなことを忘れない新崎から何かもらえることは、最初からわかっていたのに。
「バレンタインのときも、チョコを置いていったし、今日はクッキーまで。こちらもいい加減、何かお返ししないとなぁ」
とはいえ、お返しとは。
何を返せば、彼は喜ぶのだろうか。彼のことだ。「いただけません、千尋さんといられるだけで俺は幸せです」を若干卒業しかけているとはいえ、「お返しは千尋さんで」という流れで、何も返せずに終わってしまいそうだ。
物、もの、モノ――。
彼の欲しそうなもの、好きな食べ物、好きな――。
まとまらない考えがぐるぐると頭を駆け巡る。どうしようかと悩んでいると、突然、後ろから腕が伸びてきて、千尋は彼に抱きしめられていた。
「に、新崎くん!?」
いま考えている人間そのものが、目の前にいる。
「おばけじゃないですよ、俺です、ひさしぶりです、千尋さん」
「今日はイベントじゃなかったっけ」
「そうですよ、夕方からファンイベントに顔を出します」
「なんで、ここに!?」
「サボりじゃないですよ? 隙間時間に会いにきてしまいました」
ああ、そうだった、新崎という男はそういう男だった。
「それ、受け取ってもらえたみたいで、俺、嬉しいです」
クッキーの包みをあごでさして新崎は笑った。なお、抱きついた千尋から離れる気配はまったくない。
「新崎くん、手、洗った?」
離してほしくて、つい、いじわるをしてしまう。
「いえ、あ、すみません。俺、たしかに外いってきましたし、すぐ洗ってきます。千尋さんも帰って来たばかりだろうし」
「え? ぼくはずっと家にいたよ」
会社員・千尋の土曜日は休みなのである。
「え、そうなんですか、あ、そっか、土曜日。でも、耳、赤いですよ」
指摘されて、ぎゅっとまた、血色があがった。だが、新崎が鈍感でよかった。気付くまえに、洗面台にダッシュで行き、ダッシュでもどってきた。
「さあ、千尋さん! 俺、手を洗いましたから、これで安心安全です! その、ぎゅーってさせてください!」
「ぼくは抱き枕か!」
「イベント成功がかかっているんです!」
「先輩俳優さんのイベントに顔だすんだっけ」
「そうです、さあ、早く!」
「その先輩俳優さんって」
「話そらさないで、さあ、早く!!」
時間がないからと、強引に抱きつかれて、また抱き枕。
「新崎くん~、きみ、本当にぼくが好きだねぇ」
大型犬の背中をぽんぽんと叩きながら、千尋は言った。
「そういう千尋さんも、俺のこと、好きでいてくれて嬉しいです」
おお、言うようになった、言うようになった。
「あと、五分だけしたら、いってくるので、もうすこしだけ」
力強く出し決められていると、心配になる。千尋と新崎の間にはさまれたクッキーはきっともみくちゃになって、ぱらりと割れてしまっているだろう。
了
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