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2章 気付けなかったフラグ
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本日、只今、大絶賛現在進行形で、この世の幸福をエリューシアは堪能していた。
朝起きて自室の窓から見上げた空模様は、暗く重そうな雲に覆われていて、陰鬱な気分になったが、そんなものはエリューシアの朝の支度にやってきたナタリアから後に齎される言葉で吹き飛んでしまう。
―――…………「(ナタリアでございます)」
ラステリノーア公爵家の場合、朝の支度の為に訪れる使用人は決まっていて、状況によってはそのまま寝かせておくこともある為ノックなどはしない。
一応扉前で小さく名を告げるだけだ。
まだエリューシア付きのメイド達は居ても、専属はついていない為、メイド長のナタリアが毎朝やってくる。
とはいえ、エリューシアはここでも手のかからない子供で、毎朝ナタリアが訪れる前に起床し、洗顔などは魔法で済ませてしまっているのだ。
「おはようござい…ますです、の」
西洋風の名前も、日本人とはとても言えない容姿も、使用人達に傅かれるのも慣れたと言えば慣れたが、未だに言葉が何とも微妙だ。
前世、会社で挨拶する時は相手が年下であろうが『おはようございます』だった。何と言うか…もう慣用句的な?
そう、夜であってもその日初顔合わせだったりしたら『おはようございます』、出社したばかりで疲れている訳でなくても『お疲れ様です』みたいなものだ。
まぁナタリアもそのうち是正されるだろうと諦めたのか、見て見ぬふり、ならぬ聞いて聞かぬふりをしてくれている。
「おはようございます。まぁ、もうお着替えまで……もう少し私の仕事を残しておいてくださいませ」
「ぁ、あは……でも、このくらい自分で…」
「お嬢様のお世話をさせて頂けないのは、悲しうございます。まぁ、エリューシアお嬢様は魔法が達者でいらっしゃるので、あまり手を必要とされないのでしょうが」
「ぇっと……ぁ、そう、髪はお願い、します……その、上手くまだ…」
「勿論でございます。さ、こちらへ」
椅子に座るよう促した後、その淡く真珠の輝きのような光を放つサラサラの髪に、ナタリアは櫛を当てて通す。
エリューシアの髪は見た目だけでなく、その他も色々と人間離れしているというか、常識が通用しなかった。
まず、全く癖がつかない。寝癖などもつくことがないのだ。それ故とても結ったりするのが大変なのである。
他にも染色が出来ない。もし染色できればここまで秘されずとも良かったのだろうが、染色液だけでなく染粉も受け付けてくれない。
染粉を髪に擦り付けても、その瞬間染粉は色を失くす、と言った具合だ。
「今日は少しサイドを編みこんでみましょうね」
ナタリアがニコニコと編んでいる様子に、エリューシアは首を微かに傾けた。
いつもなら朝食の前に少し勉強をするし、それだけでなく昼寝だとか魔法鍛錬だとかがあるので、邪魔にならないように後ろで軽く結ぶだけに留めるのが常なのに、今日は少々異なっていて、表情に若干怪訝な色が浮かぶ。
「奥様が領都で人気のお菓子を買っていらっしゃったのです。それで今日のご予定は変更して欲しいとの事で」
「まぁ! じゃあ今日はお母様やお姉様と御一緒できるのですか!?」
「はい、そう伺っておりますよ」
「嬉しい……ほんとならとても嬉しいわ!」
朝起きた時の空模様は、ここ最近珍しくない。珍しくないどころか、少し前まで長雨が続き、昨日あたりからやっとマシになった程度だったのだ。
とはいえ、すっかり晴れたわけでもなく、湿度は高いままだが、そんな陰鬱な気分は一気に消し飛んだ。
普段からの堅実な領地経営が幸いし、ラステリノーア公爵家の所領には大きな影響はなかったが、他では作物の根腐れは勿論、小規模とは言え洪水なども発生していたようで、最近は父アーネストだけでなく、母セシリアも、姉アイシアも頻繁に領都へ出向いていたのだ。
しかし、今日は在宅可能と言うなら、少しは目途が立ったのだろう。エリューシアは自分で実際に見たり聞いたりしたわけではなかったが、邸内のピリピリした空気は感じていたので、ホッと胸を撫で下ろした。
ただ不安がない訳ではない。長雨の影響は今年は勿論、来年以降にも残るだろうと言われている。
目途が立ったとはいえ、まだまだ忙しいのか、朝食後、アーネストは休息もそこそこに執務室へ向かっていった。
母も少し仕事を抱えているようで、早々に席を立ったが、それさえ済めば久しぶりにゆっくりと過ごせるとの事だ。
そして冒頭の状態へ至る。
父はちらりと顔だけ出してまたすぐに戻って行ったが、母と姉は本当に時間が取れたようで、今エリューシアの前で和やかにお茶を楽しんでいる。
しかしセシリアの顔色が少し悪い気がして、折角のお茶の時間に水は差したくなかったが、どうしても気にかかって訊ねた。
推し姉アイシアやセシリアとの時間は本気で嬉しいが、欠片だって無理はしてほしくないのだ。
「お母様……その、大丈夫ですか? まだお顔の色が…」
「あらあら、エルルに心配かけてしまうなんて、私ったら」
セシリアだけではない。姉アイシアも5歳のお披露目会以降、孤児院の慰問などを行っていて日々忙しくしている。その合間に魔法の鍛錬や勉強もしているので、エリューシアとあまりのんびりする時間が取れないでいた。
「シアお姉様も……とても心配です」
「まぁ、エルル。私のエルル。そんな顔をしないで頂戴? 私は大丈夫。エルルの顔を見たら吹き飛んでしまったわ」
うん、まだ御年一桁の子供の言うセリフじゃないと突っ込んでも良いだろうか…。
「本当に。でも領都は落ち着いたわね。本当に良かったわ」
「はい、孤児院の子供達も外に出られず、ずっと院内でお勉強などをしていましたが、今日からはお仕事も再開すると言っていました」
ラステリノーア公爵家領地の孤児院は、当然公爵家がバックアップしているが、子供達はいずれ院を出て独り立ちしなければならない。
その為簡単な読み書きという勉強や、アルバイト的に仕事を経験しているのだ。その事に賛否両論あるだろうが、それは前世日本人的感覚であって、この世界では普通……いや、かなり恵まれているのだ。
酷い所など、孤児院が率先して人身売買をしているところなどもある。
「そう、アイシアも慰問に行ってくれてありがとう。大変だったでしょう?」
「そんな、私ができることなんて少ないですもの」
「孤児院の子供達は元気なのよ、えぇ、もう、本当に元気過ぎてこちらの体力が持たないのよね」
苦笑交じりなセシリアとアイシアの話ではあるが、それを聞けるだけで、幸福感が半端ない。
ニコニコと大人しく聞いているエリューシアに気付いたセシリアが、眉尻を困ったように下げた。
「ごめんなさい。エルルが聞いても楽しくないわね」
「いえ、お母様。もっとお聞きしたいです。
今はまだ私は外に出られません。ですが、いずれお母様やシアお姉様のお役に立ちたいです」
「エルル……あぁ、私の妹はどうしてこんなに良い子なのかしら…」
エリューシアの言葉に感動しているらしい姉と母には申し訳ないが、本人は至って真面目に、煩悩に塗れているに過ぎない。
今だって『ハッ! 眼福ツーショット!! 頂きましたぁああ! あざーーーっす!!』と言葉には出さないが、心の内で悶絶しつつ叫んでいるのだ。
「このまま落ち着いてくれればよいのだけど」
「そうですね、隣領では橋が壊れたとか…」
沈痛な面持ちになったアイシアとセシリアの顔を見つめる。
隣領と言えば、確か干からびた死体殺人事件のあった所ではなかっただろうか。
何と言うか……そんな猟奇的というか不可解な事件があったばかりで、治安の悪さに拍車をかけていただろうに、そこへ水害と言う打撃まで加わったとは、泣きっ面に蜂とはこの事だろうと、エリューシアがしみじみ感じていると、何やら廊下側が騒がしい。
母娘3人がお茶を楽しんでいる部屋は、一階の中庭に面した一室で、正面玄関から近くはないが遠くもないと言う位置にある。
中庭に面した扉の外はテラスのようになっていて、一応念の為、扉は閉じ、窓の方だけ、レースのカーテンはしたままだが開けている。今日は商会が来る予定もなかったので、そうしていたのだが、これは閉じたほうが良いのだろうか。
―――コンコンコン
ノックの音にセシリアが返事をすれば、静かにナタリアと、5歳のお披露目を機に、アイシア専属となったヘルガが入ってきた。
「失礼いたします。奥様……」
「どうしたの? 騒がしい様だけど、何かあったのかしら?」
「はい、実は…」
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