【まとめ版】⛓囚われの勇者⛓ -明日にかける鎖-

良音 夜代琴

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【囚勇05】勇者と従者と元盗賊が、惑い惑わす、冬祭りのお話 -30歳

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 日も陰り薄暗くなってきた村の中を、足早に進む人影がひとつ。

 雪は風とともに強くなり、視界を白く染めてゆく。
 ノックの音に、カースは扉を開けた。

「カースっ」
「とにかく入れ」

 男は、自分を一目見るなり破顔した青年に苦笑を浮かべつつ、その肩をぐいと中に引き込むと扉を閉めた。
 風とともに勢いよく室内に飛び込んだ雪が、力を失いふわりと舞い落ちる。

「どうだった? 見ててくれた?」
 目深に被っていたフードを脱ぎつつ、青年が期待を浮かべて尋ねる。

「ああ、立派だったよ」
 ふ。と口角を上げて、森色の瞳が緩やかに青年を撫でた。

「そっかー、ふふふ」
 簡潔に褒められて、青年は尻尾をブンブンと振る仔犬のように体を揺らす。
「お前一人か?」
 扉の外に、人の気配はない。それでも男は念のため尋ねた。

「うん」
「あの従者はどうした」

「ロッソは……俺の身代わりになってくれた」
「ん?」

 どこか不穏なその単語に、カースはリンデルの次の言葉を待つ。

「俺は日中の疲れが出て、宿で休んでることになってるんだ」

「……それでそんな格好で来たのか」
 カースは僅かに入ってしまった肩の力を抜きながら、金色の青年を上から下まで眺めた。
 リンデルは、ラフな普段着の上から全身を包むようにローブを着ていた。

 ちょうど雪も吹雪になりつつある今なら、そう怪しい格好でもないだろう。

(しかし、あの従者が、こいつを一人にするなんてな……)

 カースがどこか信じられないような顔をしているので、リンデルは小さく苦笑する。

「俺だって、村の中くらい一人で歩けるよ」

「夕飯は済ませたのか?」
「ううん、まだ。だってカースのシチュー食べる約束したよね?」

「……毒見はいいのか?」
「カースは、ロッソに信頼されてるんだよ」

 リンデルの濡れたローブを片腕で器用に干していたカースが、その言葉に振り返る。

 ……そうなのだろうか。

 こんな、呪われた俺を?

 そう長く、共に過ごしたわけでもないのに?

 それどころか、今日なんて、あの従者を殺気で炙ってしまったと言うのに。


「……早く名を決めないと、な……」
 あの従者の顔を思い浮かべて、カースはポツリと呟いた。


「名前……?」
 リンデルが首を傾げる。

「ああ、俺の呼び名だ」
「カース……?」

「……お前がその言葉を口にするのは良くないようだ」

 カースはリンデルを椅子へ座らせると、食事の用意を始める。
 先にほんの少しの酒を出されて、リンデルはそれに口を付けた。

「ロッソが、そんなこと言ったんだ……」

「責めてやるなよ? あの従者は間違っちゃいない」
「……」

 リンデルは両手で酒の入った小さなグラスを包んでいる。
 その水面を、じっと見つめていた。

「考えてはみたんだが、なかなかこれというのが思いつかなくてな」

 リンデルは何も言わなかった。
 しばらく、二人の間には食事を用意する音だけが続いた。


「……カースの、本当の名前はなんていうの?」

 静かな声だった。

 問われた男が振り返ると、金色の瞳が真摯に男を見つめていた。


 墓の前でロッソに言われた言葉が、耳に蘇る。
 もう二度と、聞くことはないだろうと思っていたその名……。

 男は、その金色から目を逸らして、掠れた声で答えた。

「……ゴルラッド・ディ・クルーヴ」

 この名をまた口にする日など、来るはずがないと思っていた。
 たとえリンデルに問われたとしても、生涯伝えるつもりはなかった。

 なのに、なぜか、今、口から零れてしまった。

「クルーヴって言うんだ?」
 呼ばれて、男が表情を嶮しくする。

「……やめろ」

 苦し気な男の様子に、リンデルは優しく尋ねた。

「どうして? 俺はカースの本当の名前、教えてもらえて嬉しいよ」
「もう捨てた過去だ……」

「……そっか」
 リンデルがそれきり黙った事に、男は内心安堵しつつ作業に戻る。

 昔から、こいつはなんでも聞いてくるやつではあったが、こちらが嫌がればそれ以上踏み込むことはなかった。
 どうやらそんなところも、変わらずにいてくれたらしい。

 心の奥が安心感で温かくなるのを感じながら、男は器にシチューを注ぐ。
 間もなく、二人分の食事が食卓に並べられ、男も青年の向かいに腰を下ろした。

「じゃあ、新しい名前は俺がつけてもいい?」

 顔を上げれば、温かい金色の瞳がまっすぐに男を見つめている。

 目の前でもうもうと湯気をあげている料理よりも、なお温かな色をした瞳。
 男はゆっくり頷いた。

「んー……、シチューが美味しいから、シチューとか?」

「おい……」
 森色の瞳が半分隠れる。半眼を向けられてリンデルは悪戯っぽく笑った。

「カースはさ、今の名前が好き?」

「……いや……。そんな、ことは……」

 ほんの少しの動揺を滲ませた男の言葉はそこで途切れる。


 カースというのは、あの男が付けた名だった。

 名を捨てた俺を、あいつが勝手にそう呼んだ。
 お前にはお似合いだと、そう言って、クックッと喉の奥で笑っていた。
 茶色がかった黒髪を、手入れのされていないボサボサの頭を揺らして。


 ここではないどこかを見ながら黙ってしまった男を、青年は見つめる。


 なんとなく、分かってはいた。
 この家には、ほんの少しだけれど、あの獣と煙の臭いが残っていたから。

 でも尋ねたことは無かった。

 俺と離れてから、今まで、誰と過ごしていたのか。とは。


 今、彼が一人なら、それでいい。

 ずっと、そう思おうとしていた。

 それでも、こんな風に時折心を奪われている様を見せられると、どうしようもなく暗い何かが心に滲んでしまう。


 ……この人の前でだけは、あの頃のままの、まっさらな自分でいたいのに……。


「リンデル、冷めるぞ」

 声をかけられて、リンデルはハッとする。
 手の中の木の器から、少し冷めてきたシチューを掬って口に入れる。

 あの頃と同じ。

 あの頃と同じ味がするはずなのに。

 今の自分にはどこか苦く思えた。


「お前が……呼んでくれるなら、なんだっていいよ」
 男が、そっと労わるように言う。
 リンデルが黙っているのを、名前に悩んでいるからだと思ったのだろう。

 リンデルは、ほんの少し迷った後、心を決める。

 今の名をつけたのが誰かは、もう考えないことにしよう。
 カースが今の名を捨てたくないと思うなら、やはりここは、彼の気持ちを優先したい。

「……じゃあ、カーシュっていうのは、どうかな?」
「カーシュ……」
 男が、確かめるように繰り返す。

「これなら、俺がうっかり呼び間違えても誤魔化せるしさ」

 リンデルが悪戯っぽく笑うと、男も「そうだな」と口元を緩めた。

「それに、全部変えなくても、俺が外で呼ぶときだけでいいよ」
「分かった。そうしよう」

 穏やかに目を細める男を、リンデルはどこかホッとしながら見た。
 自分の中の醜い部分を、今日もこの人に気付かれずに済んだ。と。


 しかし、ここで安心したのはまだ早過ぎたと、リンデルは後から気付くことになる。
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