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6巻 春の嵐と新学期
ディアリンドの努力
しおりを挟む明かりの落とされたケイトの部屋。
ディアリンドは、布団の中からぼんやりと天井を眺めて思った。
こちらで暮らし始めて2週間。
フロウリアでは目にすることのない、この一面継ぎ目の見えないのっぺりとした天井も、なんとなく見慣れてきたな、と。
この世界に来てから、真っ暗な闇を見なくなった。
部屋には夜でも外からの明かりがぼんやりと差していた。
ここで彼の側を許される日々はあまりに平穏で、彼には本当に剣も甲冑も不要なのだと感じる毎に、自分の存在意義が揺らいだ。
その上、剣を打ち合う相手も打ち込める木偶もない生活では、腕を鈍らせずにいる事が非常に難しい。
アオイ様に剣の腕の維持を指示されている以上、ここは何としても勘を取り戻しておかねばならないのだが……。
床に敷いた布団から右側を見れば、ベッドで眠るケイトの髪だけが少し見えた。
呼吸に合わせてほんの僅かに揺れる彼の髪。
ただそれだけでたまらなく愛しいと思えてしまうのはどうしてだろうか。
ケイトは大学から帰宅後、風呂と食事を終えたらすぐに寝てしまった。
おそらく慣れない環境と新しい人間関係にとても疲れていたのだろう。
今日彼は初めて大学での部活動とやらに参加していた。
よくよく話を聞けば、ケイトはその部活……演劇部とやらに入るために、これまで勉強を続け試験に挑み合格を勝ち取ったところなのだという。
それなのに、フロウリアの事を気にするあまり、大学に入学した後もすぐに入部せず躊躇っていたというのを知って、私は頭が痛くなった。
たとえフロウリアで問題解決に10年がかかったとしても、こちらではほんの5日なのだ。
ケイトのこの先の人生にとって重要なのは、こちらでの活動だ。
確かに向こうに行っている間はしばらく留守になるだろうが、それでも風邪をこじらせて寝込むのとそう変わりないだろう。
そう言って諭せば、ケイトはようやく頷いた。
彼はおそらく、向こうで命を落とす可能性を考慮していたのだろうが、そんなことは私が絶対に許さない。
私は決意と共に、両手で握ったままの剣の柄へと再度意識を集中させる。
若干崩れた形の鎖が、一瞬で見慣れた剣身の姿へ戻る。
問題はこの後だ。
私はいまだに剣身を綺麗な鎖に戻せずにいた。
慣れるまでは、なるべく他に気を遣わずいられる楽な姿勢で練習をしたらどうかというケイトの提案で、このように布団に横たわったまま剣を構えているわけだが……。
私は心を静め、剣身に細く張り巡らされた魔力の糸を辿る。
それをひとつも残さないように慎重に引き寄せてゆく。
けれど結局いつものように、魔力の糸はそこここでプチプチと千切れ、不恰好な鎖もどきが出来上がってしまうのだった。
「小さなものから練習を」と言ってセリクが用意してくれた短剣。こちらはすぐにできるようになったのだが、自分の剣ではいかんせん端々に渡る糸が手元から遠すぎて微細な制御ができない。
できないからと言って、やらないでは済まされないのだ。
私はもう一度魔力を込め直し、剣身を剣の形に戻してからやり直す。
一刻も早く、これを即座に行えるようになる必要があるというのに……。
焦りが剣の柄を濡らすと、剣身は先ほどよりもさらに無惨な形となった。
はぁ……。
私は、元来の性格が雑なんだろうか。
これでも三大貴族と呼ばれる家名に名を連ねるものとして、幼少よりかなりの時間を勉学や鍛錬に割いてきたが、教師達には決まって「もっと丁寧に」とか「ひとつひとつに気を配って」とか「指先まで気を抜かない」などと叱られていた。
……ああ、やはり私は生まれつき、人より雑なのだろうな……。
それに、プチプチと簡単に途切れてしまう自身の魔力の糸に対して、心のどこかで切れたからといってどうということはないと思ってしまっているのも問題なんだろう……。
そうだな。せめて考え方だけでも変えてみるか。
魔力の糸を何かもっと貴重で大切な物だと思えるように……。
例えば……、剣身に張り巡らされた魔力の糸を、ケイトだと思ってみる、とか……?
いや……たとえ想像だとしても、私の手でケイトを千切ってしまった日には、私が立ち直れそうにない。
それではせめて、ケイトそのものではなく、ケイトの心だと思ってみるとか……?
いや、それもダメだ。
彼の心に傷をつけてしまうなど、想像でも耐えがたい。
それではどうすれば……。
私は思わず助けを求めるように右隣で眠るケイトを見る。
相変わらずの高低差で見えるのは髪だけだったが、彼の黒髪が視界に入るだけで私はホッとして救われた気持ちになる。
そうだ。
ケイトの髪だと思ってみるのはどうだろうか。
それならば千切れてもケイトの被害は少ない。
その上で、私はケイトの髪が千切れても良いとは微塵も思わない。
よし、これでいこう。
私は心を決めると、魔力を剣身に注ぐ。
黒く艶やかなケイトの髪だと思って。
元聖女様達はほとんどの者が黒髪だ。
当然ケイトの髪もそうなのだが、彼の髪は日に当たると淡く透けて優しい茶色に見える。
一般的な黒髪よりも少し色素が薄いのだと気づいたのは、こちらでたくさんの黒髪の人々を目にするようになってからだった。
ケイトは髪と同じくその瞳も、明るいところでは人より茶色味が強い。
彼の淡く優しげな印象は、きっとその独自の色から生まれているのだろう。
彼の黒髪に隠されていた彼だけの色に気づいてからは、私には彼の髪がこれまで以上に美しいものに思えていた。
……そんな彼の髪が今、私の握る剣の剣身に張り巡らされているのだ。
そう自分に教え込んで、私は魔力の糸を辿る。
彼の美しい髪だと思えば、その隅々にまで心を砕く事はあまりにも当然の行為だった。
彼の髪を全て、一本残らず集めて私の手の内に取り込む。
彼の一部だと思うと、面倒な回収作業ですら、とても幸せな事に思えてしまうから不思議だ。
結果、私の手元には整然と連なった2本の鎖が現れた。
……できた。
こんなにもあっさりと。
あれだけ苦戦していたにも関わらず、今手元にある鎖にはほんの少しの歪みも残っていなかった。
今すぐケイトを抱きしめて感謝を伝えたい。
そんな叫びたくなるほどの衝動をぐっっっっと堪える。
できた!
できたのだ!!
ようやくここまできた!!!
後は速度と精度を高めてゆけば良い。
反復練習は苦ではない。いくらでもやってやる。
魔力吸収が息をするほど自然にできるようになるまで、ひたすら繰り返すだけだ。
私はもう一度ケイトの髪を意識して、剣に魔力を込める。
それからまた、丁寧にそれを集めた。
今度も、先程と寸分違わぬ鎖が出来上がる。
薄闇の室内で静かに光を返す鎖はとても美しかった。
ああ……本当に、叫び出したい気分だ。
勝ち鬨を上げたい衝動を抑えながら、私はこの感覚を忘れないうちにと繰り返し魔力吸収の練習を続けた。
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